【短編】「人族のトレンドってなに?」って訊かれて答えられないのが嫌なだけだから
棗御月
幼馴染が彼氏じゃないの隠してる私に言われても。
「ね、人族のは?」
「へ?」
ふわりと揺れるケモ耳と尻尾の少女に訊かれて言葉に詰まる。
視界の端では興味深げに待つ牙付きの美人に羽有りの美人、ついでに耳の長い美少女までが私を見ていた。興味深げというにはあまりにも興味本位すぎな視線を前に、私はただたじろぐことしかできない。
そんな私に質問の主である猫族の友達……
「だーかーらー、人族の場合はどうやってマーキングするの? 今の流行りが知りたいなぁって」
「は、流行りって……マーキングに流行りとか……」
「ないわけじゃないもんねー。ね、3人とも」
うんうんと返す吸血鬼族、天使族、エルフ族の友達。彼女たちの表情もかなり微笑ましそうな笑みに満ちているが、この昼下がりに行われている会話はこの表情とはかけ離れた下世話さを持っていた。
即ち。……彼氏へのマーキングはどのようにしているのか、という話。
猫族の京子が不意に「人族が彼氏だと獣人流のマーキングを気が付かず受け入れてくれるから自分に歯止めを効かせるのが難しい」という話題を振り、うっとりと吸血鬼族の子が「わかる。見える位置に牙痕を残すのが好きで」と続け、一周まわった末に自然と私のところに来た。
私以外全員が彼氏持ち。
私以外全員が彼氏にマーキングをしている。
そんな中、彼氏がいるかも、と匂わせる程度でなんとか乗り切っていただけの私にはマーキングなんて程遠い話で。
「マーキングしとかないと不安っていうか、普通するよねっていう。牽制しとくと露骨に効果あって面白いもん」
「えー、効果があった瞬間見たことあるの羨まし〜」
「えへへ……隣のクラスの左鬼川がすっごい顔してた……」
「「「よくやった!」」」
左鬼川。隣のクラスにいるハイエナの獣人の子で、とにかく手癖の悪さというか、異性関係であれこれあるタイプの子だ。結構な頻度で色々な男子に見境なく声をかけるし妙に可愛いせいで男子も靡きがち。靡く男子も嫌われてるけど遠慮がない彼女のもまあ、そこそこちゃんと苦手意識を持つ人は多いようで。
この言い方だと京子の彼氏も狙われたらしい。
だがマーキング……頬や耳の付け根辺りを擦り付けて匂いを移しておくという、彼氏がいない身としては信じられないような甘え散らかしをしておいたことで難を逃れたらしい。そういえばたまーに教室でもさりげなくしている気がする、というか最近はめちゃくちゃ頻繁に絡みに行ってはこっそり擦り付けているような気さえする。あれ、思い返すとあんまり自制できてなくない?
とにかく、あれがマーキングかぁと思い出しつつ会話の流れのまま逃げれないかと思っていたのだが。
「で、人族のマーキングはどんななの? 最近の流行りは? 左鬼川みたいなのも怖いし、彼氏がいたらマーキングしとかないと不安だもんね」
と私に戻ってきてしまった。
しかし、恋愛関係の話題ではこれまで誤魔化しに誤魔化してきただけであって、私に彼氏などいない。彼氏にしたいヤツはいるけどできてない以上、当然ながらマーキングなどしたことないわけで。
獣人である京子は匂いをつけるし吸血鬼族の子は見える位置に牙の痕を。天使族の子は翼を梳かしてもらいつつ羽毛をこっそりつけておくのがトレンド。エルフの子なんかは自家製の香水をこっそりと共有させることで印にしているらしい。どれも種族特性を活かしているが、人族には活かすような持ち味がないわけで。
当然のごとく言葉に詰まっていると。
「……え、もしかしてマーキングしてない? やばいよそれ」
「萌奈ち、危機感持った方がいい」
「早めにマーキングしときなー?」
「ちょっと萌奈ちの彼くん呼ぶわ。今週末デートね。萌奈ち誕生日近いし名目それで。おーい、ちょっとカモン!」
「え、え、え」
驚く間に私が勝手に彼氏かもと匂わせている幼馴染の健が呼ばれてしまい。
話の流れが流れだけにまともに抗弁することも健の顔を見ることもできないまま、気がつけばデートの日になっていた。
◇ ◇ ◇
日曜9時。駅近のとあるオブジェの前に律儀にも私は立っていた。
実際のところ、連絡先だって家だってクラスだって知っている幼馴染なんだから、とっとと事情を適当に説明してキャンセルを入れたら良いだけだったのだ。そんなことにはあの日の帰りには気がついてた。
それができなかったのは単に私の弱さというか。強引な出来事由来とはいえ健とデートできるという誘惑に勝てなかったからであり。
「お待たせ」
「……っ! ま、待ってないし」
たとえ嘘でもそれっぽい話をできるようになっておかないと、という焦りからでもある。
最近の彼女たちとの話題はかなり下世話というか、結構生々しい。流石に直接的な深い接触云々までは彼女たちも進んでいないらしいが、逆に言えばそれ以外のあれこれはかなり進んでいるっぽくて。話だけは合わせるべく色々と相槌を打ったり誤魔化してきたのだが、レベルの上昇についていけず最近はほとんどそれっぽいことが言えていなかった。
そこに追加してのマーキングなどという概念には当然ながらついていけていない。
というわけで。実際のところ、話のネタを増やしに行くという意味でもかなりありがたいお出かけではある。
問題は……。
「えっと、似合ってるよ」
「……そんなとってつけたような褒め言葉だとちょっとしか嬉しくない」
「普段の雰囲気とだいぶ違うけどそういうのも似合うね。いつもはちょいかっこいい系だけど今日はちょっとだけふわふわというか、うん。なんかそんな感じ」
「そ」
……私が慣れていなさすぎてまともな対応ができてないところ。
だってしょうがないじゃん。好きな人とデートするなんて珍しいんだもん! 幼馴染だから小さい頃から何度だって遊んではいるけど2人でお出かけとかしないし! お出かけするような年齢になった頃にはお互い距離感を測り損ねてる感じになっちゃったから!
ちなみに内心では褒められてとんでもなく舞い上がってたりする。
いつもはどっかに裾を引っ掛けそうで怖い、扱いも繊細じゃないといけないからちょい面倒くさい、ということでかなりタイトでクールめなファッションで統一している。暑い時に薄着にしやすいし冬場は着込んでも色数控えめでちゃんとキメられるから。
でも今日は勝負のガーリーファッション。
いつもなら絶対に着ない女の子らしさ全開の服に面倒くさ……じゃなくて、手の込んだ編み方が必要な最近のトレンドの髪型にしている。男子はあんまりに化粧っけトレンドっけが強すぎると良くないらしいから、私に似合うように調整した中では結構な背伸びを、だけど一見するとシンプル可愛く見えるようになっている、はず。
それを褒めてもらえて嬉しい。もし京子のように尻尾があったら振ってしまっていると思う。
「健も似合ってる。正直もう少しチャラチャラした感じになるかもって思ってたけど、ちゃんと纏まってていい感じかも」
「うん、ありがと。で……今日はどこに行く感じ?」
慣れた感じで流すな。ちょっとだけムカつく。
どこに行くか。それはなんなら今この瞬間にも悩んでいることだったりする。
今回の目的は私が健に……じゃなくて、人族がどうやって彼氏にマーキングをするのかという話題について答えられるようになるのが目的。その手段としてデートをしなくてはいけなくなっただけで、極論あの質問に回答さえできるのであれば午後には帰っても問題ないわけである。勿体無いからそんなことしないけど。
しかし。私がそういう話題に疎いだけかもしれないけれど。
……そもそも彼氏にマーキングをするという文化が初耳というか。そんな大それたことを、という気持ちなのだが。なにかしらは情報を仕入れないことには話についていけなさそうなので。
とりあえず考えた作戦はというと。
「いい感じの石鹸屋に行こうかなって。最近話題の自分で作れる香水って知らない?」
「え、知らないかも。なにそれ」
「今言った通りなんだけどね。好きな匂いの素材を使って自分用の香水が作れる店があるんだって。気になってたし行ってみようかなって」
気になっていたのも、話題になっていたのも本当だ。
昔から有名な石鹸屋"flaress"。フレッシュとフレグランス、匂いが立つイメージとしてのフレアを混ぜた造語らしいのだが、とにかくこの系列のお店は昔から良い匂いのする石鹸を店の裏で手作りしているというので有名なのだ。工場で作っているのも勿論あるそうだが、店頭に陳列されているのはそれぞれの店舗にいる
そんなお店が最近打ち出した新しい取り組みが自作香水。流行りに合わせてバスボムやらなんやらを一緒に作るイベントを催した店ということでかなり信頼度もある。
……というオススメ文句を、自家製香水を作ってマーキングしている専門家のエルフな友達から聞いたので。
まずは真似してみることにした。
オシャレな大型モールの中を進む。
天蓋付きテラスのような場所で良い景色を見れる店舗群の端、最も見晴らしが良い一角の3階にその店はあった。
「ここ」
「もういい匂いがする。この辺全体、なんかいい感じかも」
「ね。たぶんお母さんとかにお土産で石鹸とかバスボムとか買ってくと喜ぶかもよ」
店舗に近づいた瞬間に感じる良い匂いと潤沢な色彩。ここだけ絵本の中の世界になったのではというまろやかな色彩だらけの店にはまるで魔法に使う素材のような石鹸が多数陳列されている。
これだけ匂いがある物を並べているのに全く匂いに嫌味がない。きっとこの店の担当者がその辺りまで拘って調香しているのだろう。
見るからにオシャレそのもの。店内にいるのも上品慣れしたマダムや自分たちのようなカップルばかり。……いや、自分たちはカップルじゃないんだけど。
どのペアを見ても男性は楽しそうに、しかし少しだけ居心地が悪そうにしている。
私の褒め言葉を普通そうな顔で流しやがったコイツも流石に少しだけアウェーさを感じているようなので。
「ほら行くわよ」
「はいはい」
ちょっと、いや結構な勇気を出して健の腕を抱え込む。
しばらくはこのままでいたい。だけど私の心が耐えられる気がしない。我慢ができるギリギリまではこのままでいたいけど、でも早く離れたい。
複雑な心境のせいでオシャレな店内BGMが意識の中から消える。あれやこれやと目移りするような可愛い商品ばかりなのに全てが視線で辿るだけに留まってしまい、結局ちゃんと視線が焦点を結んだのは香水自作キャンペーンの宣伝文句のみだ。
脇目も振らず一直線にその
担当らしい店員の前に辿り着き、女性店員の視線がこっちに向いた瞬間恥ずかしくなり反射的に健の腕を離してしまう。勿体無いと直後に後悔したものの、じゃあと抱え直せるほど私のメンタルは強くなかった。
私の多少の挙動不審は気にもせず店員さんが話しかけてくれる。
「香水手作りキャンペーンやってます! もしよろしければやってみませんか?」
「お願いします。……で、いいんだよね?」
「ん」
あたふたとして反応が遅れた私の代わりに返事をしてくれたのに乗っかっていざ香水作りへ。
とは言っても、私たちは当然ながら専門家でもなんでもない。匂いというのはふんわりと香るかもしれない程度にした方が良い、同じのを使い続けていると感じなくなるからたまに変えた方が良い、しかし香水は一気に使ったり減ったりしないから長く使えそうな匂いを選ぶべき、という知識があるだけ。たぶんだけど世間一般もそうだろう。
なので、この調香体験でするのは何種類かの匂いを選ぶことくらい。実際の割合を調整したり香料の相性を考えたりしてくれるのは専門の調香師……つまりはこの店員さんだ。
「まずは趣味の匂いを見つけるのが大切ですね。よくある匂いだとシトラスや柑橘系でしょうか。基本になる匂いを決めて、そこからちょっとずつ趣味に近づける感じでするのがオススメです」
「ふむふむ。健、どんなのが好き?」
え、っていう顔を露骨にされた。まさか自分に振られるとは思っていなかったらしい。
悩みに悩んで、2種類くらいの香料を試して。
「……よくわかんないかも。あんまり臭いって気にしたことがないっていうか、汗臭いかどうかしか意識したことがない」
「あの匂いが好きとか嫌いとかは?」
「好きなのは干したての洗濯物と炊き立ての米の匂いかなぁ。嫌いな匂いは……臭いやつとキツいやつ?」
「特に今までこの香水は無理ってなったこととか無い感じ?」
「無い。忘れてるだけかもだけど、でもそういうのは匂えばわかると思う」
「ふーん。そっか」
じゃあ好き勝手にしちゃおうかな。
私は果実系……シトラスやらアップルみたいな匂いは少しだけ苦手。嫌いじゃないし一瞬感じるくらいなら好きまであるんだけど、でも自分からずっと匂うと嫌になってしまう。
というわけで狙うのは花系。ラベンダーとかローズ系で、でも王道はちょっとだけ外したい。
ついでに。
このデートの前に色々調べたり京子たちに一方的に指南されたが、マーキングは基本的に"そう"だとわかるのが理想的なんだとか。大学生とかになると彼氏の部屋に女性用のボディミルクや洗顔系を置いたりとか、とにかく女性の影を感じるものが良いらしい。京子のように自分の匂いをつけるというのは最強の例ではあるが、そこまでではないにせよ似たような効果を狙っていくのが良いんだとか。
つまり私が選ぶべきは、私も健も嫌じゃなくて、かつ男子が自分からは選びにくそうなもの。
男子も使えるけど明らかに女子が好きなような。正確には、女子が男子につけていてほしいと思うような香りを見つけ出す必要がある。
「これは?」
「いいかも? 柔軟剤みたい」
「これ」
「友達の香水で匂ったことあるかも」
じゃあダメ。
「これは!」
「あ、結構好きかも。萌奈に似合いそう」
「んぎゅっ」
「……萌奈?」
「なんでもないっ」
不意打ちされたせいで言おうとした内容が潰れて思わず変な声になった。好きな理由が私に似合いそうって、なにそれ。へんなの。ムカつく。まるで私に似合うかどうかが健の好き嫌いの基準みたいで……。
照れ隠しをするように健の手から香料を奪って嗅いでみる。あ、確かにいいかも。
これなら女子が好きで男子があんまり選ばなさそうな……でもコイツ選んだな……? どこでその女子的なセンスを手に入れたんだ。女兄弟はいないはずだしお母さんとそんな話をするようなやつでもなし。
権利もないくせにジェラシーが顔を出す。
でも目的に沿う以上、この香料を外すという選択肢は私の中には無いわけで。
「……じゃあ、これに合うやつ教えてください」
「はーい。スパイシー系と甘いやつのどちらにするかっていうのもまだ変えられるんですが、彼女さんはどっちの方が良いですか?」
……彼女。彼女! ふふん、ちょっとだけいい気分。隣のヤツは動揺すらしてないみたいだけど。
ムカつくので勝手に決めていく。
「甘めで!」
「わかりました。候補はこれとこれ……あとこの辺ですかね。2、3種類混ぜるくらいの感じでお好みの匂いを探してみてください」
即座に置かれる何種類かの香料が入った小瓶、そして小皿。
ここに数滴ずつ落として混ぜて匂ってみれば良いのだろう。まずは基準に選んだものを1滴、そして別のも同じく1滴だけ落としてみる。そんなお試しを繰り返し、最終的に3種の組み合わせで悩むことになった。
かなり甘めで趣味に特化したのがひとつ。爽やかさを足した分だけ男子用っぽくなったのがひとつ。最後はその中間くらいで、一番悪くない感じ。
しばらく悩みに悩んで。
調香している間もずっと考えていたとある提案をする勇気がようやく、ほんのちょっとだけ顔を出す。
「健。腕捲って出して」
「ん。これでいい?」
「オッケー。じゃあ失礼して」
小指の先にちょちょっと取って腕に触る。うわー、しばらく制服に隠れてたせいで見てなかったけどもう完全に大人の男性の腕だ。白っぽくないし、でも焦げてるわけじゃない。内側にガッチリした骨があるんだろうなぁって感じで、それに綺麗な筋肉がついていて。若さのせいか代謝のせいか綺麗な肌は思ったよりもツルッとしているしその中に見え隠れする血管の自然でちょっとした生々しさが最高。
内心で心臓がバクバクとしているのを必死に隠しつつ小指の先に取った香水を塗りつける。ベタつかない素材なようで、肌の上で伸ばすとスーッと消えていった。
それを健の両腕に。
あと1種類は……。自分の腕でいいか。
塗り終えたら即お試し。健の腕を取りかぎ分ける。
「んー、思ったよりこっちはキツめ……? 噴霧にすると結構変わるのかもだけど……」
「腕を振ってもらったり、ちょっと歩いてもらって残り香を確かめてみると良いかもですねー。普段香水が良い感じで匂うときってそういう場面なので」
「らしいのでダッシュ! はダメだから歩く!」
「はいはい」
健の右サイドにポジショニング。歩いて去っていくのをちょこちょこと追いつつ確かめる。
帰りは左サイド。うーん、悪くないけど、なんかちょっとだけ違うというか。さりげないマーキングというにはちょっとキツかったり男子っぽすぎるような。
考え込んでいる私の近くに戻ってきた健が机に向かい、お試しで作った皿の上のと見比べ、腕を嗅いでから。
私の手を取って、嗅ぐ。
「ちょっ!?」
「ん、こっちの方が萌奈に似合ってると思うかな。俺の趣味的にもこれだし……店員さんはどうです?」
「個人的な趣味抜きでもそれはオススメのセットですよー。それは全部1の割合ですけど、2対2対1の割合にしてこういう混ぜ方も……」
「あぁ、これは良いですね。萌奈、ちょっと腕出して?」
さっき掴まれていない方。さっき香水を塗ってない方を素直に差し出す。肘も肩もカチコチになっていて、まるで変なロボットみたい。健は気にした様子もなく私がさっきしたようにお試しで4種目を塗り、試している。
恥ずいのと大丈夫かなっていう心配と手の温かさが! ダメ! なんかこう、全体的に!
「萌奈、どう? 俺は結構好みなんだけど」
自分も試してみる。腕を顔に引き寄せた時に離されたのがちょっとだけ残念に思いながら。
「いいと思います……っ」
「じゃあこれで。2本でおいくらくらいですか?」
「もともとセットのコースなのでキャンペーン1回分の料金で大丈夫ですよー! 学生割が効くので合わせて5,500円です!」
8,800円がバッサリとカットされてて学割すごいとか、なんか気がついたら健が財布出してるしなにこれ、っていうか2本? もしかして私と健の分? ……お揃い?
もし漫画だったらぼしゅっと顔から湯気が噴き出ているのではないだろうか。店員のお姉さんがさりげなく出してくれた濡れタオルでお試しの香水を塗った腕を拭き、勝手に全額を払おうとする健に割り入って払おうとするも無理矢理3,500は払われてしまった。残りの2,000円だって私が納得できないだろうと健が譲ってくれただけな感じ。
あれよあれよと言う間に、私と健の手の中に、お揃いでおしゃれな香水の小瓶が。
「早速つけて行かれます〜? 他の商品にかかるとダメなのでこちらの一角でなら使ってもらって大丈夫ですよ。空中に噴いてそれの下をくぐる感じが簡単でオススメです!」
「じゃ、やってみよっか」
「え、え、え」
綺麗なお店の一角に立ち、店員さんの見守る中、健が空中に噴霧する。
少し離れた下側をくぐるようにして淡く全身に浴びて、ふんわりと可愛い匂いが包み込んで。
「ありがとうございました〜」
見送ってくれる店員さんにぎこちない会釈を返すことしかできないままに店を後にした。
◇ ◇ ◇
私のテンパりが解消されたのはそれからだいたい20分後。
いや、正確には治ってないんだけど。私からも健からも同じ匂いがするの、すんごい違和感と達成感と幸福感があって感じるたびにドキドキするけど!
でも一応最低限の思考力は取り戻した後に気がついたんだ。結構悪くないんじゃないかなーって。幼馴染として結構な時間を共有しているけどお揃いというのはなかなかないのだ。なんせ性別も趣味も中学以降の所属コミュニティも違うから共有したり合わせるようなものがねぇ。
そんな中でいかにも高校生らしい話題のもので共有物がある。嗅ぐ人が嗅げば同じだとわかるというのは結構嬉しい。
だけども、だ。
「ウチの学校って香水OKだっけ」
「ダメ」
「だよね〜っ」
ウチの高校はそこそこに良いところで、しかし良いといってもあくまでそこそこなおかげで校則がちょうどよく緩い。暗い系統の茶髪に染めるくらいなら小言も言われないし、ド派手でなく小さいものであればひとつまでピアスすら許される。
しかし、締める場所はしっかり締めてもいるようで。
例えば香水に端を発する、人によっては体調や集中に大いに悪影響を及ぼす可能性があるものに関しては使用不可になっているのだ。同じような理由で当たり前だけどゲームや漫画の持ち込みは禁止、お菓子やなんかを持ち込むのはOKだけど遊びがメインのものや匂いがキツいもの、某ラムネのように音が出るものはダメ。
そういう最低限締めるべき部分のひとつに香水は分類されていたはずなのである。
という事実をついさっき、ようやく冷静になってきた頭が思い出してくれた。遅すぎである。いやお揃いの香水を買えたのも今一緒につけてるのもめちゃくちゃに嬉しいから大勝利なんだけど。
今回のデート、もといおでかけの目的はマーキング。邪智暴虐の左鬼川さんを含む要注意人物に健を盗られないように警戒を……じゃなくて、京子たちと話すときに誤魔化せる話題を手に入れるためだ。
で、仮にそんな話題を手に入れ話したら次は「見せて見せて」と言ってくるに決まっている。最近の京子は教室でも抑えきれずににゃんにゃかマーキングをして見せつけてくるし、吸血鬼の子の彼氏くんは首筋に痕が残ってるだけで話題になって別の教室なのに話が流れてくるし、エルフの子だって天使族の子だって。つまりは分かるようにマーキングするのが大切なのである。
……今の私に求められているのは"人族ならでは"なマーキングで。
最悪写真の一枚でもいいから証明として見せることができるものが望ましくて。
できれば、まだ健にはそれが
〜〜我儘なことを言ってるのはわかってるんだよぉ! 無茶だって!
「……」
「……なに? なんかついてる?」
「にゃんでもない」
ずぴぴ、と口元でドリンクが音を立てるのが恥ずかしい。でもその恥ずかしさを気にしてられないというか、そんなことのために食べ物飲み物を無駄にできないというか。氷の隙間に溶けて消えていくクリーム部分をできるだけ音を立てないように追いかけて飲みつつ無意味に健の方を睨み見る。
爽やかっぽくて、ちょいインテリっぽくて、でもちゃんと男子な体格。
顔のパーツも変に無理をしていないというか。程よく無駄なく配置されているのもあって、昔っから冗談半分探り半分の紹介依頼なんかは結構受けてきた。昔は必死に流したり誤魔化したりしてたけど今は全部シャットアウトしてる。
しかし、それはあくまで私が認知する範囲での話。
それこそ左鬼川さんなんかは相手がいない人であれば容赦なくアタックするだろう。なんせ、相手がいるかもしれなかろうがアタックする人だ。というかされてないと思う方がおかしい。
もしかして。
考えたくないけどもしや。健に限ってまさか。
でもなんか、昔より女子慣れしてたような気もして。
「…………健」
「なに?」
「好きな子とか彼女とかいんの?」
「いないよ。少なくとも彼女はできたことない」
ふぅん。なんでもないけどちょっとだけ気分が上を向いたかも。自分勝手な理由だけど。
「好きな子はいるけどね?」
あっそ。なんでもないけど、ほんっとになんでもないけど、ちょっとだけ気分が下向いた。自分勝手な理由だけど!
「誰? ……って、聞いてもいい感じ?」
「同じクラスの子。ツンケンしてるんだけど構われ体質なのか、いつも可愛がられてるかな。その分変な遊ばれ方もしてそうなのが心配だけど」
なにそれ。随分と気にかけてるっていうか、よく知りすぎというか。
ズズ、と音を立てて甘ったるいクリームを飲みこむ。太いストローを通れるくらいの大きさになった氷の破片も入ってきたから奥歯の方でこっそり噛み潰した。
「仲はいいわけ?」
「いいんじゃないかなぁ。向こうがどう思ってるかは知らないけど」
「ふーん」
出かけたこととかもあるのかな。だからちょっとだけ堂々としてるのかも。私程度じゃ緊張もしませんよーってことだったらムカつく。その好きな子と出かけたらどうすんのかな。健の場合、不安だったりビビるくせに表面上だけ余裕かましてそうな気がしなくもないけど。
堂々としてる健と架空のAちゃんのデートを想像して気分が悪くなってきた。
クリームのせいで胸焼けもしてる。なにしてんだろ。
「たけるぅ」
「んー?」
「人間って……人族ってなんのために存在してると思う?」
「萌奈がそういうこという時は車酔いした時だよね。歩き疲れた? 胸焼け?」
なんだっけ。カフェインとか油分とか摂りすぎるとなるんだっけ。
「ちょっと待ってて、水かなんか買ってくる」
「ごめん……」
「いいよ、気にしないで」
足早に去る健を見送り、ちょっとだけガチでへこむ。
自分側の事情とか名目であるマーキングのあれやこれやも探せていないし、健に言った名目である私の誕生日云々の話も進んでないし。今のところ私がちょっといい思いをして、反動で胸焼け食らってるだけだ。
もし健が戻ってこないなら今すぐ結んでる髪を解いてうがぁ〜ってぐしゃぐしゃにしたい。でも今日のためにわりと頑張って仕上げたから傷めたくないし、間違っても乱れた状態なんて見せられない。
しおしおと萎れながらも女子の意地を総動員してハンドミラーを取り出す。流石にカフェの中で、いつ健が戻ってくるかもわからないのに化粧を直すことなどできない。でもそれはそれとして致命的な乱れが発生してしまっていないかは気になる。
幸いなことに鏡の中の自分は化粧バッチリ。髪はちょっと気になるけど許容範囲。
悪いのは表情というか、メンタルだけ。
再度自己嫌悪、ならぬ自己破壊へ転がり出しそうになったところで健が帰ってきた。
「はい。胸焼けにはミルクがいいらしいから買ってきた」
「ありがと……」
ミニパックの牛乳だ。低脂肪乳で嬉しい。砂糖マシマシのドリンクと油マシマシのドーナツ食っといて気にすんなよって話なんだけど別腹なのだ。後の自分が苦しむことを分かっていて呑み込む甘味と想定外に負担が増えるのは別。
さっきまで咥えていたドリンク用の太ストローとは全然違う細いのでチューチュー牛乳を吸っている私の目の前に。
……黒っぽくてオシャレで、なんかブランドロゴみたいなのが書いてある箱が置かれた。
「……?」
「あー、実は、さ。言い出しにくかったんけど、萌奈の誕プレはもう買ってあったんだよね」
「へぇっ!?」
じゃあなんで今日のお出かけ来てくれたの!?
今回のお出かけの名目は私の誕生日に関する内容……直裁に言ってしまえば誕プレ探し、およびお祝いだ。ぶっちゃけこのお出かけ自体が誕プレみたいなものだと感じていたからもはや満足はしていたのだが、それはそれとして名目は別だったのに。
もう、買ってあった、の?
「いつ渡そうかなって思ってて。でも萌奈の友達から呼び出されて、こうしてお出かけすることになったわけじゃん? だからその時に渡せばいいかなーって。もし萌奈が他に特別欲しいものがあればそっちにしようかなって思ってたんだけど、見てる感じだとそこまでしっかりとした目標もあんまりなさそうな気がしたから。ダメだった?」
「ダメじゃない……」
「ならよかった。……今日のお出かけは俺がこれを渡す決心がつくまでの時間作りみたいな感じだったっていうか。少なくとも俺視点では、だけど」
もーなんでもいいよー、と私の中で踊り狂う天使が歌ってる。とんでもハッピー。
無意識だし狙っていないとはいえ自然と男に物を買わせるムーブをしてしまった自分にもこっそり自己嫌悪してたし、勝手に彼氏偽装に使ってる相手に誕プレ探しの名目で同行させつつマーキングまでしようとしてた自分を直視したせいで悪魔に殴ってもらいたくて仕方がなかったけど。……改めて冷静に思い返すととんでもないな、私。
とにかくマーキング云々はもう忘れよう。健に失礼だし、そもそも人族には獣人とかみたいなわかりやすい象徴やテクニックがあるわけでもない。無いものはないんだ。仕方がない。仮にマーキングするならそれこそ女性ものをこっそり置いておくくらいのかわいらしいやつだけって言おう。
一応、香水は私もちょっとだけ払わせてもらったし。モノは2つで2人分だし。
誕プレ探しという名目にして目的はとうに頓挫したけど、健からしても無駄な時間ではなかったみたいなので許容範囲内。
……彼氏云々に関してはまあ、将来的に。頑張るということで許してほしい。
とにかく。どうやら今日の目的は、想定外の形ではあっても既にほとんど達成されていたわけだ。
じゃあ、私が残りの時間でしなくてはいけないことはただひとつ。
私も健も楽しかったねと言える状態でこのお出かけを終わらせる!
「やる気出てきた……!」
「え、今? ちょっと遅くない?」
「ん。最初のやる気とは別のやる気だからいいの」
ちょっとだけ呆れたような顔の健は気にせず持ってきてもらったミルクを飲み干す。程よく冷たくてちょっとだけ獣臭い風味がムカムカとする胸の奥底を綺麗に洗ってくれた。
プラシーボマシマシだろうけどいいの。もう胸焼けも自己嫌悪も終了。
健に可愛く見てもらうための私として。この時間を最大限に楽しみ、満喫し、健にとっても良い時間を過ごしてもらうために全力を出す。そのことだけ考えることにした。
そんなやる気だ、これは。
「よっし、次の場所行こ! 人をダメにするクッションのお試し会やってるんだって!」
「ちょっと気になってたやつだ」
もし仮に、私と健がそういう関係になったとして。
それでも手を出そうとするヤツがいたら私自身が睨みを効かせればいい。あるいは、健ならちゃんと断ってくれる。自分にも健にもそんな信頼がある。
だから大丈夫、な、はず。
……健には好きな子、いるっぽいけど! 今の私、彼女でもなんでもないただの幼馴染だけど!
なけなしの希望は捨てないから!
◇ ◇ ◇
「……で、遊び尽くして満足して帰ってきた、と?」
「あほ。おばか。意気地なし」
「なーんで友達が送ったパスを無駄にするかね」
「意志が弱い」
「──そんなぽこすかに言わなくてもよくない!?」
週明けの月曜、相も変わらずみんなで集まり、お出かけについてあれやこれやと訊かれ答えた。
その結果がこれだ。あまりにもあんまりじゃない? ここまで酷いこと言わなくてもいいじゃん。確かに私が関係性を進めるのから逃げたから今こうなってるってのも間違いじゃないけど、でも仕方がないっていうか。
っていうかあれ? なんか、みんなの発言に違和感があるっていうか。仮とはいえ彼氏とのお出かけを強制セッティングすることをあんまり"パス"って言わなくない?
どういうことだ、と私が混乱している間にも話は進んでいく。
「おでかけしました、予想外の形で予定通りのプレゼントを貰いました、舞い上がって本来の目的を忘れました。結論、人族には一般的なやつ以外マーキングはありません、おでかけ楽しかったです。……おおよそヘタレよね」
「うるっさいなぁ!」
分かってるんだよそんなこと! でも好きな相手と出かけたらそれくらい思考ってふわふわになるじゃん!
ずぴぴ、とパック飲料を飲み込む。お昼時で女子が占領している一角だ。可愛らしくない飲み音を立てようがあんまり気にしない。話す片手間にちびちび飲んでいたせいか温くなった飲み物は、この前のお出かけの時みたいに私の胸のモヤモヤを一気に晴らしてはくれなかった。
でもいいの。
なんせ、結構良い誕プレ貰ったんだもん。
「で、得意げに今日もつけてきてるそれが誕プレ?」
「そー。校則でもギリ大丈夫なアクセだけど、これ意外とつけてる人少なくて良くない? 私結構気に入っちゃってさぁ。寝る時とかお風呂の時以外ずっとつけてる」
ほれほれ、と見せびらかしたのはチョーカーだ。
私はよく知らないがどうやら有名なブランドのものらしい。確かに付け心地は結構良くて、なんとなーくイメージしてた違和感や苦しさもほとんどない。なのにずり落ちたりしないし、ちゃんと首に密着してる感があるから常に健を感じられていい感じ。
香水はお休みの日なんかにはつけようと思ってる。たまーに嗅ぐだけでも満足感あるしね。あれはあれで大満足。
さっきまでキャンキャンと言い募ってきていた京子は呆れたようにだんまりを決め込む。
入れ替わるようにして、香水のことについて教えてくれたエルフの子が質問役を継いだ。
「ね、それって肌荒れしたり痕になったりはしない? そういう巻く系ってアレルギーとか血行不良になったりする人もいるらしいから不安なんだけど……」
「大丈夫だよぉ。あんまり詳しくないんだけど、なんかその辺は気を遣ってる素材とか造りなんだってさ。ほら見て、痕とかついてないでしょ?」
ペラリと捲って巻き面の肌を見せる。
正面部分の肌とかはつけた日にも確認したけど問題無かった。他の部分は確認してないけど、まあ大丈夫でしょ。
隣にいるエルフの子が微笑みつつ私が見せた部分を覗き込んで──あれ、一瞬だけなんかとんでもない表情しなかった? 見間違えかな? 苦虫を噛み潰したような、喜ぶような、ドン引きしたような、呆れたような……それが全部ごった煮になった感じの表情になった気がする。本当に一瞬だったから勘違いかもだけど。普段は無表情のクール美人だから表情筋が動くだけでも意外というか。見間違いかな?
同じく横合いから覗き込んでいた吸血鬼の子が、突然。
「彼氏くんの感想も聞きたいから連れてきてくれる?」
と言い出した。
「なに、突然。どしたの?」
「いいから。ハリーアップ!」
「え、え、え」
美人に無言の圧を放たれると人は弱くなる。
天使族の子にも常ならぬパワーでふんわりしっかりと押し出され教室を後にした。
……昼休みに健がどこにいるかなんて知らないんだけど。
スマホで呼び出す? でもなぁ、向こうにだって都合があるだろうし。ちょっとだけ照れ臭いし。
どうしよう?
煩悶している間にも昼の時間は過ぎていく。
結局、決心が固まったのは昼休みが終わる8分前。かなり微妙な時間になってしまうのだった。
◇ ◇ ◇
「──行った? 行ったね。で、なにがあったわけ?」
「いやぁ、まさかと思ったんだけどさぁ。……あのチョーカーのブランド、有名なところなんだよねー。元は指輪の会社なんだけどさ。独自の商品があってね」
「なんだっけ? "インナーメッセージリング"だっけ」
「そうそう。指輪を着けてるとハート型とかメッセージが痕になるやつ」
「……まさか」
「めっちゃ薄くだけど、彼氏くんのイニシャルの痕ついてた」
「うわお」
「マジ?」
「肌とか傷つけたりしない感じの、鏡越しだと気がつけないだろうなーってくらいの浅い痕だけどね」
「萌奈ちさぁ……マジ鈍感だよね……」
「色々とバレてないって思ってそうなのも含めてね」
はぁー、というため息の大合唱。
そこには呆れとか、心配とか、同情とか、羨ましさとか。色々なものが滲んでいた。
普段マーキングをする側である彼女たちは同時に、されることにも憧れているのである。花の女子としてドキドキしながらアプローチするのも好きだが、ドキドキするような求められ方もしたい。そんな欲望は全員が持っていた。
色々な言葉が脳内を駆け巡り、無言のまま視線だけでやり取りが行われ。
結局。いつもの結論へと辿り着く。
「まあ、たぶん心配は無いんだろうけどさ」
「アタシらで守ろうね、あの子……」
……変な異種族同盟がここに生まれていることを。
渦中の彼女だけが、知らない。
【短編】「人族のトレンドってなに?」って訊かれて答えられないのが嫌なだけだから 棗御月 @kogure_mituki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます