第四章 八咫烏の暗躍
非通知着信からの脅迫は、高城に現実の危うさを突きつけた。『八咫烏』は単なる陰謀論などではなく、彼の身辺を具体的に掌握し、圧力をかけてくる実在の敵であった。
まずすべきは、家族の安全確保だ。高城は即座に公安部の上司である田所部長に連絡を入れた。事件の機密性を考慮し、家族を公的な保護下に置くことは難しい。代わりに、田所部長の個人的な人脈を通じて、信頼できる民間の警備会社に護衛を依頼した。妻子には、父親の仕事に関連した一般的な脅迫があるため、しばらく警戒を強めていると説明した。真実を伝えることは、彼らをより危険に晒すだけだ。
「どうやら、君の調査が彼らの神経を逆なでしているようだな」
田所部長は苦い表情で呟いた。
「この『八咫烏』という存在、公安のデータベースにも一切記録がない。我々の想像以上に、浸透が深いかもしれん」
高城はうなずいた。
「総理のメモと杉野記者の証言を総合すると、政財界のみならず、官僚機構、そしておそらくは我々の組織の中枢にもその手が及んでいる可能性があります」
「つまり、警視庁内部にも…か」
田所部長の言葉には重みがあった。
「高城、これ以上は表立った動きは取れない。お前の行動は常に監視されている。これからは、俺との連絡も細心の注意を払う必要がある」
組織内部に敵が潜む――この認識は、高城の調査手法を一変させた。誰を信用し、誰を警戒すべきか。従来の公安のチャネルは、もはや安全ではない。高城は、一人の男のことを思い出した。かつて公安部でコンビを組んでいたが、あまりに型破りな手法が問題視され、現在は表舞台から身を引いている情報のプロ、伏見達郎のことだ。彼ならば、警察の正式な記録に残らない闇の情報ルートを持っている。
その夜、高城は私用車で東京・谷中の閑静な住宅街に向かった。伏見の自宅は、一見ごく普通の一軒家だった。インターホンを押すと、しばらくしてインターホンのカメラが微かに動くのがわかった。そして、ドアが自動で解錠された。
中は、外観からは想像もできないほどの最新機器で埋め尽くされていた。壁一面のモニター、無数のアンテナ、高速で回転するサーバーラック。その中心で、トレーナー姿の小柄な男が、にやりと笑った。
「やあ、高城さん。随分ご無沙汰だな。ついに、とんでもない沼に足を踏み入れちまったみてえだな」
伏見達郎。年齢は高城と同世代だが、その風貌はどこか少年のままである。しかし、その頭脳は国内有数のハッキング技術と情報分析能力を誇り、「デジタルの魔術師」の異名を取る。
「伏見… 時間がない。手短に話す」
高城は、ここ数日の出来事――総理暗殺、神経毒、『八咫烏』の存在、そして内部の脅威について、簡潔に説明した。
伏見の表情は次第に真剣になっていった。
「八咫烏、か… 面白い。俺もかすかに嗅ぎつけてはいたんだが、ここまで核心に迫られたのは初めてだ」
「知っていたのか?」
「ああ。ただし、断片的な情報だけだ。例えば、特定の企業買収や政治資金の流れの中に、通常の経済活動では説明のつかない不自然なパターンがある。それらを追っていくと、いつも行き着く先が霞んでしまう。まるで、蜘蛛の巣のように張り巡らされたカモフラージュの向こうに、巨大な何かがいるんだ」
伏見はキーボードを叩き、いくつかのモニターに複雑なデータの可視化画像を表示させた。
「お前さんが持ってきた『八咫烏』というキーワードで、俺の独自のデータベースを検索してみた。直接的な記録はないが、関連しそうな怪しい動きが、ここ数ヶ月で急激に活性化している」
モニターには、複数の企業間を繋ぐ矢印や、特定の政治家への資金の流れが表示されていた。それらは全て、堂島グループを中心に放射状に広がっている。
「見ろ。堂島剛三を中心に、政界の大物や財界の重鎮たちが、見えない糸で繋がっている。これが、お前の言う『八咫烏』のネットワークかもしれない」
そして伏見は、ある一点を指さした。そこには、神崎官房副長官の名前が、堂島グループから多額の政治資金を受け取る議員の一人として、明確に記録されていた。
「神崎さん、かなり深く関わっているみたいだな。総理の片腕でありながら、裏では総理と敵対する勢力と繋がっている。二重三重のスパイってわけだ」
さらに伏見は、警告を発した。
「でもな、高城さん。一番怖いのは、こいつらが単なる利権集団じゃないってことだ。俺の分析によると、彼らの活動には、時に経済的な利益だけでは説明のつかない、純粋に政治的な、あるいはイデオロギー的な意図が見え隠れする。国を、特定の方向へと誘導しようとしているんだ」
「つまり…」
「つまり、これは単なる汚職や癒着じゃない。国家転覆に近い、何かもっと大きな陰謀かもしれない。お前さん、とんでもないものの穴を掘り当てちまったようだ」
伏見の言葉に、高城は戦慄を覚えた。総理暗殺は、単なる権力闘争の果てではなく、もっと巨大な国家改造計画のほんの一端でしかないのかもしれない。
伏見のアジトを後にし、自宅マンションに戻ろうとした高城は、異変に気づいた。エレベーターのボタンが、なぜか彼の住む階で点灯したままになっている。不審に思い、階段で上がることにした。彼の部屋の前まで来ると、ドアの鍵穴に微かな傷がついているのに気づいた。明らかにピッキングの痕だ。
高城は静かに拳銃を抜き、安全装置を外した。息を殺し、慎重にドアを開ける。室内は暗かった。しかし、物音一つしない。スイッチを入れると、リビングは荒らされていた。引き出しは開けられ、書類が散乱している。しかし、金品や高価なものは一切手つかずだった。明らかに、何か特定の「情報」を探していたに違いない。
そして、テーブルの上に一枚のメモ用紙が置かれていた。そこには、インクで大きく一羽の鳥――三本足のカラス、つまり「八咫烏」の図柄が描かれていた。
彼らのメッセージは明白だ。「お前の行動は全て把握している。これ以上深入りするな」
高城は荒らされた部屋を見渡した。敵は、彼の身辺を自由に行き来できる。警察内部の権限を悪用している可能性が極めて高い。もはや、この場所も安全ではない。
高城は必要なものを最小限の荷物にまとめ、マンションを後にする。行く先は、伏見が用意してくれた「安全な家」――いわゆるセーフハウスだ。都内のごく普通のマンションの一室で、誰にも追跡されないように準備された場所である。
セーフハウスの小さな部屋で、高城は考えた。敵は強大で、その手口は執拗だ。しかし、伏見という強力な味方も得た。そして何より、総理のメモと杉野記者の手帳という確かな証拠がある。
『八咫烏』は暗躍する。しかし、高城の決意は固い。この闇を晴らすためには、たとえ己が身を盾にしても、真相を明らかにしなければならない。戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。
(第四章 了)
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