優雨と太陽
第2話
午前6時。
仕事終わりの、寂しい帰り道。
周りはちっとも理解してくれないけれど、私はこの時間が大好きだった。
まだ姿を表さない光の中、薄暗い道を歩き続ける。
見えてきたアパートの階段をリズムよく上がった。
家賃の相場で選んだ建物は古く、お世辞でも綺麗とは言えない。それでも慣れ親しんだこの場所は、私にとって何処よりも落ち着く居場所だ。
コートのポケットから鍵を取り出す。
身にこびり付いた動作で、ドアを開けた。
「……は?」
ワン、と1度だけ鳴き、ちぎれるほど尻尾をふり飛びついて来る“ほっぺ”を抱っこする。
愛おしい姿に微笑みつつ中へ入れば、眉間を寄せる光景と出会した。
…………なにしてんのよちょっと。
「あ、おかえりなさい」
「いやいや待って、うん、待って?」
「ん?」
ひとり暮らしのここから聞こえてくるはず無い音。包丁がまな板上で規則正しく鳴るそれに、動きは止まる。
そんな私の様など気にもしてないブレザーの制服姿の相手が、にこやかに振り返ってきた。
爽やかな笑顔が憎たらしい。
なにその余裕。
自前したらしい深緑色だけで染まるシンプルなエプロンが、また妙に似合っている。包丁を置きポケットに引っ掛けてあるハンドタオルで手を拭く仕草は、ベテラン家政婦のような貫禄すらあった。
理想の母親か。
「なんでいるの?」
「会いたかったから」
「……なんでごはん作ってるの?」
「一緒に朝ごはん食べたかったから」
「…………どうやって部屋、入ったの。」
「この間お邪魔したとき、玄関口にスペアキー置いてあったから……、」
「……まさかの?」
「……貰っといたの/////」
「いやいやそんな恥ずかしそうに呟かれてもね、思いっきり犯罪だからそれ」
「……へ?嘘……知らなかった……」
「当たり前でしょとぼけないでよアメリカだってそうでしょうよ」
都合の悪いことは全て“知らなかった”でまかり通す帰国子女らしいこの男の子は、美しい双眸を丸ませ首を傾げる。
現代の若者にしては珍しく模範的に着こなす制服は、彼の端正さを引き立てていた。
「今すぐ直ちに帰れ」
「あーあ……だめだよ?そんな言葉遣いしちゃ」
「(普段は使ってないし)」
「そういうの、少し使っちゃうだけで普段にも影響するんだよ?」
「(……エスパーか)」
「疲れてるんじゃない?大丈夫?お風呂、溜めといたから入ってくる?」
ほっぺを右手に抱いたまま、左腕を伸ばし人差し指で真っ直ぐ玄関を示す。シンプルな命令と共に。
すると、ジェントルマンなのか無神経なのか判別し難い指摘を切なげな眉とセットで向けられてしまう。
仕方なく、差していた腕を下ろした。重力に従う。無表情を態と保ったのは、せめてもの反抗だった。
私の戦意を剥いでくるなんて中々やるじゃない。
なんて、意味不明な諦めを覚えながら。
「あ、そうだ。」
「……なに」
「はい、お土産」
「………………」
「ゆっくり温まってね?」
長い足を優雅に動かし目の前にやってきた相手、渡された紙袋をちらりと覗く。
収まっている好みのバスボムに、唇を噛み締めた。
「…………太陽くん、」
「ん?」
「……ありがと。」
「……どういたしまして、優雨さん。」
視線を下げたまま、小さく呟く。
ぽんぽん、と柔らかく置かれた大きな手のひらをどうしていいか判らず、そっと目を伏せた。
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