泡になる

ナガミメイ

第1話泡になる

涙が真珠になって 体は泡になった

「幸せになりなさい」

と言ったママの教えに従ったから

私は海の宝石になる

私の涙が貴方の足元に届きますように

私の泡が貴方を包みますように




🫧





 「これで王子を殺すのよ」

夜の海辺でのことでした。

お姉さま方は私にナイフを下さって、私が消えるまでに、このナイフで王子様を殺せというのです。

(そんなことできません)と言いたくても、私はは魔女に声を奪われていますし、お姉さま方の心配も無碍にはできません。とりあえずその差し出されたナイフは貰っておくことにしました。


「私達の可愛いプリンセス、どうかやり遂げるのよ」


お姉さまがたの声が背中越しに聞こてきました。ですが不安と恐怖でいっぱいの私は、振り向くことができませんでした。


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城は寝静まっておいでです。いつもの活気がまるで嘘かと思うほど静寂に包まれています。そのしんと静まり返った大きくて広いお城の廊下を、私は王子様にお贈り頂いたドレスを握り締め、魔女に貰った足をパタパタと走らせています。

私を愛してくださる海へ戻る為に、王子様をこの手にかけなければなりません。愛する家族の待つ海へ帰らなければなりません。

ドレスをたくし上げているその手で、お姉さま方から頂いたナイフを強く握ります。家族を思えば自然と強くなれるような気がしました。


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 王子様の寝室は、その窓から海がよく見えます。月明かりに照らされ、黒光りする深淵のような海が凪いでいる日は、よく窓を開けて、その静けさを楽しむのだと仰った王子様の横顔を思い出します。つい先週の出来事でした。私がこの部屋で開け放たれた窓の先を指さして、王子様が優しくほほんでくれたロマンチックな夜は。

嗚呼、そんな時間はもう二度と戻らないのですね。嘆きのような咆哮が脳内に響いてきます。体の中心がジクジクと痛むのを感じます。よく眠る王子様の首元にナイフを突き立てようと、握った両手を大きく上げ、冷や汗で手が滑らないように震える拳に力を込め、振り翳しますーーが、できません。

大きく振りかぶったナイフは、王子様の首元に突き刺さる前に止まってしまいました。あと少し力を込められれば、そのまま深く刺さることでしょう。それだけで私は海の家族のもとへ帰れることでしょう。ですがそのあと少しが、私にはとても難しかったのです。


「夜這いかな?ふふ。今日も一緒に寝るかい?」


暗闇の中、窓から差す月明かりが、よく眠っている王子様の寝顔を優しく撫でました。その薄く色づく唇が、夜の逢瀬を仄めかし、眠気を孕んだその声はとても幸福そうでした。甘く囁いたと思ったら、王子様はまた、規則的な寝息を立てて夢の中へお戻りになられました。

よろよろと、力なくナイフを下ろしました。緊張が解け、ナイフが手から滑り落ち、カツンと無機質な音をたてました。私には王子様の命をうばうことはできません。込み上げる胸の苦しさに、両の瞳から海水が溢れてきました。きっと私は、泡になりつつあるのでしょう。ドレスをたくし上げ、ぱたぱたと両の足を素早く動かし、王子様の部屋を後にしました。


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城を包む夜の闇は、秘め事には最適でした。寝静まる夜の廊下に、私の足が素早く動く音だけが鳴り響きます。王子様とあの子の秘密のように、私のそれも隠してくれるようでした。


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 大きな声で叫ぶつもりで口を開けました。ですが漏れるのは透明な息ばかりです。内側を蠢く感情が、きりきりと身体を痛めてきます。

王子様が教えて下さった、海へと続く秘密の入り口を潜り抜け、その足でまっすぐ海を目指します。両の瞳から溢れる海水は塩っぱく、まるで私がよそ者だと告げているようでした。


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 夜の海の暗さは、水底から眺めるそれと対して変わりはしませんでした。水平線の溶けた深き闇を見つめながらそう思いました。足の裏から感じる砂の感触や、濡れた皮膚の感触から、私はもう海のものではないと自覚させられます。冷たい水の感触が腰を濡らしてゆきます。尾鰭とは違い、覚束ない足取りで沖へ向かいました。王子様に頂いたドレスが水気を孕み、足にまとわりつきました。そのままもつれ、視界が宙を駆け、慣れ親しんだ浮遊感が私を包みました。


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 王子様に贈って頂いたドレスに包まれ、私は愛する家族の待つこの海で眠ることにしました。王子様の優しい眼差しに見つめられる事や、肌を重ねあう温かさ。愛らしいあの子と友人になることも、何一つ得られないままでした。

私の両の瞳から溢れる塩水が海へ溶け、悲しみも苦しみも海へ還る気がしました。


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 重苦を抱いて沈みます。これが愛だとするならば、なんと醜く欲深いのでしょうか。望みを捨てて尚、心はそれを拒みます。浅ましく卑しく王子様からの寵愛を求める私は、欲の業火に焼かれ、地の底へ落とされる事でしょう。ただ、それでよかったのだの想える程には、王子様を愛していました。

海水は無慈悲にも冷たく、手足の感覚を奪ってゆきます。沈み込む体と裏腹に、大小様々な気泡がゆらゆらと登り立ちます。それが王子様の吐く息ならなんと素敵なことでしょう。

このままいっそのこと、海から登り、天をめぐる魚になれたらどんなにいいことでしょうか。私の尾鰭が、純白の翼だったなら、結末はまた変わっていたのでしょうか。声さえ失っていなければ、王子様からの愛は、私だけのものだったのでしょうか。

体の感覚がなくなりつつあります。もう苦しさも悲しみも寂しさも感じなくなってきました。恐怖は少しもありません、私は海に還るのです。体が小さくなるのを感じます。凪いだ海の静けさに、私は溶けて泡になります。

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泡になる ナガミメイ @shortcakemei

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