ソフィ・マリア号を奪還せよ

小田切 瞬

1話  砲術訓練


 海賊ウィリアム・グレイが率いる六隻のガレオン船は、北東へ進路をとっている。

 目的地は、『死の海域』と呼ばれる、海を渡る者たちに恐れられている岩礁と大渦の海域だ。

 そこに、世の覇権を手に入れると謳われる呪われた財宝「イシャンティカ」が幽霊船に積まれて海の底を航海しているのだという。

 悪賊ジョン・ミラーがそれを手にするのだけは、断固阻止せねばならない。ミラーはもう『死の海域』に向かっている。

 海軍から協力を要請されたウィリアムは、病に冒されながらもイシャンティカの財宝を護るべく死地に向かっている。

 この命をかけてでもとの固い決意を胸に。



 


 セオ島を出航してから数時間が経過すると、船団は商船がよく通る一般航路を外れて北へ進路を変える。そこから一直線に進むと『死の海域』だ。

 船尾斜め後方からの絶好の風が吹いている。このままこの良風が途絶えることがなければ、三日ほどでミラーに追いつけるのではないだろうか。

 だが、気まぐれな風にそんな期待はすまい。途中の小島で海軍と合流する約束をしていることもあるし、ミラーとの決戦の場に到着するには早く見積もっても五日はかかるだろう。


 ウィリアムは、そんなことを考えながら本船フローラ号の船首楼で爽やかな海風を楽しんでいた。

 長い銀髪をサラサラと靡かせて心地良さそうに、すぅ、と息を吸うと「よし、じゃ、やるか。」と言った。

 ウィリアムの隣には、涼やかな顔に茶色の顎髭を生やした年嵩の偉丈夫が立っていた。名はレナートという。今回の航海でジャックの代わりに副長の任を受けた、熟練の水兵だ。

 彼は、ウィリアムの独り言のような呟きを聞き逃さず、心得た顔をして「船長、指示を」と言った。

 頷いたウィリアムは、左斜め前方の海面を指差して言った。


「ローラはクロストリー(檣頭)に。船首砲で敵の左舷後方に食らいついてから航跡を横切って右舷一斉放射だ」

「直ちに」


 レナートが足早にその場を離れ、号令を発した。船内に鐘の音が鳴り響き、全乗組員が蜂の巣を突いたように大騒ぎで動き出した。

 ウィリアムの側で、レオナルドがその様子を眺めていた。いつもの落ち着いた表情をしているが、心はまるで楽しみにしていた舞台の幕が上がる前のように期待に溢れている。

 それを察しているウィリアムが「お前にいいとこを見せられるように励むよ」と、自信満々な様子でウインクした。そんな子供のような仕草に、レオナルドは少し呆れたように片眉を僅かに上げ、ふん、と笑うと

「お手並み拝見するとしよう」と言った。


 これより、多くの敵船を敗北させてきた常勝フローラ号の、砲術訓練が始まる。


 号令後、大量の空樽を積んだ二艘の小舟が着水した。それぞれに黒い旗と赤い旗が掲げられている。その二艘が訓練の標的である。

 船内の隔壁が取り払われ、船倉にしまい込まれる。ハンモックが甲板に運ばれ、積み上げられた。掌帆長の号令でフローラ号が風上へ切り上がるために下手回しを始める。良風も手伝って回頭が鮮やかだ。

 肩に二挺の長銃、そして腰に銃弾を詰めた袋を下げた、『ローラ』と呼ばれる狙撃手のジルが、フォアマストを登っていく。

 レオナルドの目の前では、船首楼に備え付けられた砲に砲手たちが集合し、砲架の車輪や駐退索(ブリーチング)の滑車索(テークル)、そして砲弾架と雑巾棒の点検を終え、その後は回頭の補助に回っていた。

 その熟練した速さに、レオナルドは心から感心する。


「相当訓練されているな。砲列甲板の手際も見てみたいものだ…」


 独り言のように言ったのだが、ウィリアムはそれに答える。


「船首砲を撃ったら、次は下甲板を見に行く。ついておいで」

「見に行くのか?」


 本来なら船長は全体を見渡せる船尾楼などにいるものだ。そして目の届かない砲列甲板の様子は砲手長か班長からの報告を受けて把握するのが普通だが。

 レオナルドの疑問を察したウィリアムが笑った。


「直接見たいんだよ。時間も計りたいしな」


 その気持ちはよくわかるとレオナルドは頷きながら「発射の号令はお前が?」と尋ねる。


「号令は砲手長がするよ。そして全体の指揮はレナートだ。俺はお飾りの船長だよ」


 そう言って笑うウィリアムの目は、しきりと船上の人間の動きを観察している。レオナルドはその姿を見て思った。


 …きっと『お飾りの船長』になるまでに彼は、これだけ多くの人間を鍛え、一人一人が優秀な人材となるまで育て上げてきたのだろう。人の上に立つ者として、グレイからは学ぶべき点が多いとつくづく感じる…。


 そうしているうちに、フローラ号は風下から五百メートル先に、目標物の小舟をとらえた。火薬と砲弾を詰め終えて準備を万端に整えた砲手が照準を合わせながら息を詰めている。

 船の縦揺れ(ピッチング)は大きく、トプスルを縮帆すべきではと考えたレオナルドだったが、こちらは現在風下に位置しているため今後の回頭の速さを重要視するならば速力は下げるべきではない。それに、船首の沈み具合は水飛沫が大砲にかかるほどではない。フローラ号のクセや扱い方はこの船の者が一番よく知っているのだ。間違いはあるまい。

 レオナルドの思った通りだった。フローラ号が一番深く首を垂れたその瞬間、砲手が「撃て!」と叫んだ。轟音が鳴り響き、真っ直ぐに飛んだ砲弾が着弾した音が聞こえた。着水ではなく、着弾だ。そこにいた人間がそう予想するしかなかったのは、硝煙で視界が遮られているからだ。フォアマストのクロストリーに登っているジルが叫んだ。


「命中!」


 上甲板にいる操帆手たちは歓声を上げたが、船首砲についている者はひと時も手を休めることなく、次弾を装填して砲を押し出していた。次のピッチングでもう一度喰らわせるつもりだ。風で硝煙が流れて、黒旗の方の空樽が半分以上吹き飛んでしまっているのが見えた。驚きの命中率である。しかし、その見事な手腕でもう一度撃ったら、目標物が無くなるのではないだろうか。レオナルドの予想はまたも当たり、次の砲弾で樽は黒旗の船共々消し飛んだ。


「その為にもう一隻、予備の目標物を置いているんだ。さあ、砲列甲板に行こう」


 と誘われ、下に降りる。

 フローラ号はそのとき下手回しで目標に接近しており、風を正横から受けている。目標物に片舷一斉掃射する時には、船は横揺れ(ローリング)に変わっていた。

 目標が右舷の四十五度の位置に来たとき、照準を合わせた最初の砲が火を吹いた。それを合図とするように、すべての砲列が立て続けに轟音をあげて発射をした。辺りは凄まじい火薬の匂いと硝煙ですぐ隣の人間の存在も把握できない。そんな中で、砲手たちは次なる攻撃への再装填作業に取り掛かっている。滑車索を引き、ワームを突っ込んで雑巾棒で拭い、新しい砲弾を込める。後ろに跳ね返った二トンもの砲を必死で押し戻し、梃子棒(ハンドスパイキ)で大砲の向きを変える。

 砲手長が息を詰めて照準を合わせ、ローリングが右舷を海面により近づけた時に、二回目の一斉掃射が発せられた。黒旗に次いで赤旗の目標物はおそらくもう粉微塵であろう。しかし、レナートは次弾装填の指示を出した。砲術訓練は、砲弾の命中率は当然だが装填・発射までの迅速さも問われるものだ。敵に反撃の余地を与えない。連続三回の砲撃で、相手の砲列甲板を粉砕させてやるのだ。そんな気概で発射された三回目の掃射を最後に、レナートが「それまで!」と叫ぶと、甲板に緊張と静寂が訪れた。皆、固唾を飲んでウィリアム船長を注視している。

 朦々と漂う硝煙を軽く片手で払い、ウィリアムが懐中時計を見ながら「四分。」と言って笑った。


「一回の掃射が約一分二十秒だ」


 レオナルドは目を見開いた。驚愕の速さだ。到底信じられるものではない。甲板が歓喜に包まれた。


「おめでとう。皆、素晴らしい。この広い海にこれほどの砲手はまず居ないだろう」


 ウィリアムの賛辞に、砲手たちは顔を紅潮させて喜びの声を上げた。だが、それも短い時間である。レナートが次の号令を出した。砲手の何人かが立ち上がり、上甲板に移動を始める。


「次はマスケット銃と斬り込み要員の訓練だ。上がろう。レオ」


 なるほど、敵への最後の交戦までを想定して訓練を続けるのかとレオナルドは納得した。見事な光景だった。レナートが次々と出す指示に従い、発火した場合を想定した消化係とポンプ係を呼び出し、帆が破損したのを想定して操帆手たちをマストに上がらせ、パウダーモンキーは足を休めることなく動いている。どこかで人員が割かれても遅れはない。

 レオナルドは賞賛せずにはいられなかった。


「見事だグレイ。海軍内のどの艦でもここまで素晴らしい成果は出せぬ。本当に素晴らしい」


 ウィリアムはめずらしく興奮気味に、目を輝かせてはしゃいでいる(ように見える)レオナルドを見て驚いたと同時に、あまりの可愛さに顔を引き攣らせた。


「あ…ありがとう、レオ…」


 そんな場合ではないのに、レオナルドから目が離せない。こんなに無邪気な様子のレオナルドを初めて見たからだ。前にセオ島のドックで船を見せた時も高揚していたが今日はそれ以上だ。

 レオナルドは心から船を好いているのだろう。船を一隻プレゼントしたら、子供のように飛び跳ねて喜んでくれるかもしれないな…と考えて、ウィリアムは頭を捻った。


 …そういえば忘れていたが、レオはまだ二十二歳だったな。年相応のリアクションだと言われればそうなのかも知れん。…いつも沈着冷静で威風堂々としていて、たまに俺の方が子供じみた扱いを受けているからあまり気にもしなかったが、俺よりも十二歳も年下だったんだよなぁ…。


 こんなに綺麗で可愛い貴族の御令息が、なんで俺みたいな面倒臭い年配者を相手にしてくれるんだろう…と悩みかけてから、すぐにいかんいかんと益体もない考えを他所に置いた。大切な訓練の最中である。

 隣の可愛い恋人の顔を見ていたい気持ちをグッと堪え、キビキビと動く水夫達に目線を戻して甲板に上がったウィリアムは、上から降ってくる声を耳にした。


「デッキ・アホーイ!」


 クロストリーから叫ぶジルを、全員が仰ぎ見た。


「セール・ホー!」

「船だと?」


 甲板が騒ついた。




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