第46話 星彩
そういうわけで、ロルブルーミアは一晩リファイアードに付きっ切りだった。
予想通り、途中で熱がぶり返したものの、千夜草や熱冷ましの紫星草を煎じ、適宜水分を補給させたことで、次第に容態が安定していった。
その後は再度体調を崩すことはなく、ささやかな会話を続ける内に空は白んでいく。
明日には忘れてしまいそうな、何の実にもならない話だ。ゆるやかに続く会話は、くだらなくて軽やかで、気負う必要はなかった。
ただおだやかで、丁寧な。沈黙も何一つ気にならない。
ささやかな言葉が、ゆっくりと染み渡る。どんな名前もつかない、何でもないような。
それでいて、きっといつかこの時間を思い出すと確信するような。そんな夜だった。
「ロルブルーミア姫の授業のおかげで、だいぶ薬草にも詳しくなりましたからね。父上がそれを面白がって、ぜひ話がしたいとは言っていたんですよ。俺の看病の件も話していますし、よけい興味を引いたんでしょう」
ソファで向かい合ったリファイアードは、肩をすくめて言う。同じ夜を思い出していることは、ロルブルーミアにもわかる。
決して劇的な出来事があったわけではない。それでも、あの夜から何かが少しずつ変わっていることは感じていた。
リファイアードはよく花壇にやって来るようになったし、薬草の話を詳しく尋ねるようになった。ロルブルーミアは、リファイアードが無理をしないよう目を光らせて、無理にでも休みを取らせるようになった。
以前ならばきっと、こんな風に踏み込みはしなかったけれど。今はもう、それを選んでいいのだと知っている。
ロルブルーミアはにこりと笑って「興味を持っていただけたなら嬉しいですわ」と答える。
実際、オーレオン国王の覚えがめでたいというのは朗報だ。変わり者の皇女だという意味だとしても、内輪の夕食会に招待したいというのは、少なくとも好意的な意味合いが大きい。
リファイアードはその言葉に、真っ直ぐロルブルーミアを見つめると、「それでは」と口を開く。
「舞踏会と夕食会、両方に出席ということでよろしいですか?」
「もちろんですわ。むしろ、願ったり叶ったりですもの。国王陛下と結婚式前に、少しでもお話ができるなら心強いですし――舞踏会を成功させることは、結婚式の成功にもつながるのでしょう?」
力強いまなざしを浮かべて、凛とした口調でロルブルーミアは答えた。
七星舞踏会は、国でも有数の権力者たちだけが出席を許されるというのだ。この場で完璧な振る舞いを見せることは、王族の一員たる資格があるのだという大きな喧伝にもなるだろう。
舞踏会で弾みをつけて、結婚式を成功に導くことが可能になる。
「その通りです。七星舞踏会では、宝物庫であなたの宝冠が正式に公開されるはずです。実際の思惑はどうであれ、結婚式に向けての前祝いといった位置づけでしょう」
ロルブルーミアのまなざしを受け取ったリファイアードが、同じ力強さで答える。笑みを浮かべながら、まるで敵を前に挑みかかるような雰囲気を漂わせている。
ロルブルーミアがオーレオン一員となる証の宝冠。
頭上に戴く宝冠はこれなのだと、結婚式前に事前に宝物庫にて公開される手はずになっていることは聞いていた。
いよいよ結婚式が近づいているのだと、ロルブルーミアは勇み立つような気持ちになる。
リファイアードも似た空気を漂わせていたものの、ふっと雰囲気を緩めると「特別な演目として、一曲ワルツの打診も来ていますからね」と続ける。
どうやら、招待状には七星舞踏会における演目も記されているらしい。それによれば、リファイアードとロルブルーミアによるワルツが予定されているという。
ロルブルーミアは、わざとらしく口に手を当てて「あら、そうなんですの。それは初耳でしたわ」と答える。
冗談の響きは伝わったのだろう。同じ調子で、リファイアードは答える。
「言っても言わなくても、出席の意志は変わらないでしょう? それとも、ワルツは不得手ですか?」
「淑女のたしなみですもの。ワルツなら目をつむっていても踊れますわ。リファイアードさまこそ、あまり舞踏会は好まないように見えますけれど、問題ありませんか?」
からかうような口調に、リファイアードは肩をすくめた。
「一通りは叩き込まれてますよ」というのは、王子として受けた教育のことなのだろう。運動神経は抜群によいのだから、習得は速かったと予想できる。恐らく、ワルツも問題なく踊ることができるはずだ。
舞踏会で何を求められているのか、二人は正しく理解している。
「きちんと役目を果たして、舞踏会をつつがなく終えましょう。そこで弾みをつけて、結婚式を成功させないといけませんから」
「もちろんですわ。結婚式の成功はわたくしの――わたくしたちの使命ですもの」
ロルブルーミアの「使命」という言葉に、リファイアードはうなずく。
自分たちの結婚は国同士の結びつきを強めるためのものであり、純然たる政略結婚だ。そこに二人の意志は介在しないし、それでよかった。
強がりでも何でもなく、本気で思っていることはお互いが何よりよく知っていた。だからこれは、悲観的な言葉でもないし強がりでも何でもない。
結婚式を成功させるという使命を果たす。
強い意志を目の前の相手も、同じように持っていると知っている。それは二人にとって共通認識だったから、リファイアードは心からの言葉をこぼす。
「ええ。国のために父上のために失敗は許されない。これが俺の存在理由だとわかっています。父上のために生きることは、俺が俺であるということと同じですから」
強い目をしながら、静かに言葉が落ちる。ロルブルーミアは当然の顔で「そうですわね」とうなずく。
ロルブルーミアが今、ロルブルーミアとして生きていられるのは、父親をはじめとした家族がいたからだと知っている。だから、家族のためにできることは何でもすると決めているのだ。
「お父さまたちがいなければ、わたくしは今ここに生きていませんもの」
きっぱり告げると、リファイアードは数秒黙る。しかし、すぐに口を開いた。真剣なまなざしで「ああ、そうです。その通りだ」とうなずく。
それが心からの同意であることをロルブルーミアは知っているし、リファイアードもロルブルーミアが受け取ったことを理解している。
生まれも種族も育った環境も、何もかもが違っていても同じものを抱えていることだけは、共に過ごす日々から知っていた。
これだけは間違いないのだと、少しずつ互いのことを知っていくにつれ理解したのだ。
だから、素直に言っていい。心からの言葉を口にしていい。
「――父上は、俺にとっての世界そのものだ」
熱に浮かされたようでいて、どこまでもしんとしたまなざしを浮かべて、リファイアードが言う。
何を言っているのか、とロルブルーミアは思わない。言いたいことなんて、手に取るようにわかった。
だから、ただうなずくとリファイアードは続ける。心の内がこぼれだすように。
「たまたま死ななかったから、生きているだけだった。親は知らない。家族もいなかった。腐らないだけゴミよりマシで、好きな時に好きなようにいたぶれる玩具でしかなかった」
そう言って、とつとつと語るのは見世物小屋で過ごした日々だった。苦痛も哀しみも一つもなく、無機質に告げる。
気づいた時には、見世物小屋の檻の中で生活していたことを、劣悪な環境が当たり前だったことを、ただの事実を語る口調で並べた。
赤い糸を夢見た 咲間十重 @sakumatoe
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。赤い糸を夢見たの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます