第45話 夜のささやき
◇
千夜草の効果は絶大だった。呼吸は次第に安定していき、熱もだいぶ引いた。白かった顔にも、少しずつ血色が戻っている。
何より、体を起こしてソファに腰かけることができるようになっていた。
「――まさか、ここまでよく効くとは思いませんでした」
声はまだかすれているし、力強いとは言い切れない。しかし、ソファに座る様子はだいぶ普段通りに近かった。快方に向かっているのは確かだろう。
リファイアードが回復していることは、ロルブルーミアも実感している。
はっきりと受け答えができているし、言葉も思考も明瞭だ。当初はおぼつかなかったものの、最終的には長い会話も難なくできるようになっている。
だからリファイアードがけがをした経緯についても、ある程度の説明は受けていた。
今晩リファイアードが城へ招集されたのは、宝物庫の警備のためだった。
宝物庫には、ロルブルーミアが結婚式で戴く宝冠が収められている。反対派がそれを狙っているのは周知の事実で、推進派は宝冠を脅かすものはないかと、日夜情報を収集している。
その網に侵入を目論むものがいるとの情報が引っかかり、リファイアードが現場に急行したのだ。
曰く、
実際それは正しく、侵入者と一騎打ちのような状態になったという。相手は相応の剣の腕を持っていたため、結果としてリファイアードはけがを負うことになったのだ。
ただ、リファイアードはけがを隠して屋敷へ帰ってきたため、部隊の誰もけがには気づかなかった。
たいしたけがではない、というのがリファイアードの弁だけれど、恐らく体調不良を見抜かれないためなのだろうとロルブルーミアは察していた。
「魔力欠乏という見立てが間違っていなかったようで安心しましたわ。ですが、まだ完全に回復したわけではありませんから、お気をつけくださいませ。まだ熱も完全に下がっていないでしょう?」
失礼しますわ、と言ってそっとリファイアードの手に触れる。一瞬体がこわばるものの、振り払うようなことはしなかった。
触れた手のひらには、案の定熱さが残っている。最初に比べれば下がったとはいえ、平熱ではないのだ。ここで無理をすれば、また体調が悪化することも考えられる。
「もしもよろしければ、熱冷ましを煎じますわ。それに、千夜草ももう少しお飲みになりますか?」
机の上に広げた千夜草や乳鉢を示して言うと、リファイアードは少しだけ考えたあと「お願いできれば」と答えた。千夜草の効果を自分の体で実感したからだろう。
ロルブルーミアはにっこり笑って、張り切って千夜草を煎じた。
リファイアードは受け取ったグラスを、ゆっくり傾ける。
ひどく癖があるわけではないものの、決して飲みやすいとは言えない。しかし、リファイアードは平然としていた。
「あまり美味しくではないでしょう? 味を調えられたらよかったのですけれど……。何も混ぜないことが一番ですの」
「煎じてもらえるだけ充分ですよ。調理をしない草をそのまま食べることもありますからね」
そっと笑みを浮かべたリファイアードは、任務中には砂糖や薬香草を携帯して万が一の時に備えていたという。
ただ、砂糖はあまり多くは持ち出せないため、薬香草の世話になることがしばしばあった。その際、調理している場合ではないので基本的に生のまま咀嚼するしかないのだ。
それに比べれば、水で溶かした千夜草の薬液はずいぶん飲みやすい、という。
それもそうだろうとロルブルーミアは思う。薬香草はたいてい、独特の香りや味が特徴だ。料理を引き締める効果はあれど、そのまま食べることは念頭にしていない。
「それも、ここまでの効果はありませんでした。それでもないよりはマシでしたが――まさか、こんな植物があるとは知りませんでした」
「花もあまり目立ちませんし、薬草としての効果も少ないからですわ。魔力を溜める性質は、群を抜いているのですけれど。園芸品種としてもあまり取り扱ってはおりませんのよ。でも、安心なさって。いただいた苗は庭にちゃんと根付いておりますわ」
胸を張ってロルブルーミアは言って、それ以外にも熱冷ましの
リファイアードの許可を得て育てている花壇が、薬香草の類を育てていることは伝えている。摘んだルエヴァスや
ただ、そこまで詳しい種類の話はしていない。リファイアードが興味を持つと思えなかったからだけれど。
「千夜草は森の奥地に生える植物で、湿り気を好みます。白く丸い花をつけますけれど、夜間しか花が開きませんの。葉や茎の濃い緑とやわらかな葉が特徴で――姿形を覚えておくと役に立つかもしれませんわ」
机の上の千夜草を手に取って、リファイアードへ渡す。
決して大きな植物ではない。森の中でも見過ごされがちで、人の目に触れることはほとんどない。しかし、魔族にとっては大きな意味のある植物だ。
リファイアードは、グラスを一度机に置くと千夜草を受け取ってしげしげと眺めている。
事実として、自分の役に立つ植物だとわかっているからだろう。真剣なまなざしを浮かべている。
「今ここで手に取ればまだわかるかもしれませんが――実際に生えているところで見つけられるかは疑問ですね」
「その辺りは慣れですもの。庭にはもう少し千夜草を増やそうと思っていましたから、いずれよく目にするようになりますわ」
そうすれば自然と覚えていくだろう、という気持ちで言うとリファイアードは「そうですね」とうなずく。手の中の千夜草をじっくり眺めていて、特徴を頭に入れようとしているのかもしれない。
ロルブルーミアはその様子を見つめつつ、念のため採ってきていた紫星草を煎じようか、と思う。
すると、ふっと視線を上げたリファイアードが、わずかに笑みを浮かべて言葉を落とした。
「ロルブルーミア姫には助けられました。あなたが花壇を作りたいと言っていなければ、ここにこれはなかったでしょうから。ありがとうございます」
もしも千夜草がなければ、今リファイアードはこんなにも落ち着いてはいなかっただろう。
明日の朝には何食わぬ顔をしていたかもしれないけれど、体は悲鳴を上げていたはずだ。全てを押し込めて、平然とした顔をしていただけで、失われた魔力は戻っていないのだから。
心から、といった調子で告げられた言葉。ロルブルーミアは少しだけ考えてから、静かに答えた。
「――そうですわね」
花壇を作りたかったのは、リッシュグリーデンドで過ごした日々のかけらを少しでも手にしたかったからだ。家族につながるような一瞬が欲しかった。だからこそ願い出たのは紛れもない事実だ。
当時のことを思い返しながら、ロルブルーミアは静かに続ける。
「リファイアードさまがわたくしの願いを叶えてくださらなければ、そもそも花壇を作ることもできませんでしたわ。土いじりが趣味の皇女なんて気味が悪いと、何もかもを禁止にすることもできましたもの」
しかし、リファイアードはそうしなかった。それどころか、庭の様子を気にして肥料の手配を行うなど、協力の意志さえ見せたのだ。
それは巡り巡って今リファイアードを助けたのだから、これは決してロルブルーミアだけの功績ではない。
「だから、お礼を言われるようなことではないですわ。それに、リファイアードさまを想定して植えていたんですもの。きちんと使っていただけて本望ですし、その意味ではお礼を言うのはわたくしかしら」
「――え」
ロルブルーミアの言葉に、リファイアードが一声発して固まった。完全に予想外だったようで、まじまじロルブルーミアを見つめている。
その様子がおかしくて、唇をほころばせながらロルブルーミアは告げる。
「リファイアードさまは薬香草料理がお好きということで、それなら――という気持ちで育てているものもありましたわ。くわえて、もしかしたら魔力の補給が必要な場面があるかもしれない、とは思ったんですの。リファイアードさまはきっと、常時魔力が足りない状態でしょうから。ですので、千夜草を育てておりましたのよ。今回、ちゃんとリファイアードさまのお役に立てて嬉しいですわ」
最初は確かに、リッシュグリーデンドの家族を思ってのことだった。花壇を作ることが主目的で、取り立ててこの植物がいいという強い考えがあるわけではなかった。
ただ、リファイアードは香草料理が好きだと聞いて、それならばお茶を飲んでくれるかもしれない、という気持ちで摘んだ植物でお茶を入れるようになった。
少しでもわずかでも、リファイアードとの接点を増やしていこうと思ったのだ。
そうしてリファイアードのことを知っていくうちに、ロルブルーミアの頭に一つの考えが浮かぶ。
魔力のほとんどないオーレオンで生きているリファイアード。恐らく甘味によって魔力を補っている。いつか決定的に魔力が欠乏するような日が来る可能性は排除できないだろう。
だからそれなら、いつかのために。魔力の宿る植物たちを育てて行こう、と密かに決めて実行していたのだ。
自身の先見の明に胸を張りたい気持ちで言うものの、リファイアードはいまだ固まっている。
そんなに突拍子もなかったかしら、と思いつつ「リファイアードさま?」と名前を呼ぶと、弾かれたように顔を動かす。ロルブルーミアを見つめる目は大きく開かれていた。
「――ご迷惑だったかしら」
「え、いえ、そんなことは――ないのですが……」
珍しく口ごもりながら、リファイアードは首を振った。それからぼそぼそと「ありがたいことだと思います」と続く。
その様子に、ロルブルーミアは「それならよかったですわ」とうなずきながら、あふれる笑みが抑えきれなかった。
「ふふ、そんなに照れなくてもよろしいのに」
思わず言ったのは、リファイアードの耳が真っ赤に染まっているからだ。
表情自体は平坦で澄ました顔と言ってもいい。しかし、耳は赤い髪と赤い瞳同様に染め上げられている。
真っ直ぐ自分のためだと言われることに慣れていないからなのだろうとロルブルーミアは察している。誰にも頼らず一人きりで何もかもを乗り越えてきたことの裏付けなのだろう。
こんな反応は初めてで、まるで幼い子供のようだとロルブルーミアは思う。だから笑みが浮かんでしまうけれど、ずっとこうしているわけにはいかない。
「熱がぶり返しても困りますわね。リファイアードさま、少々横になっていただけませんか。少し体温が上がっていらっしゃるでしょう?」
恐らく照れのためだとわかっていたけれど、念のためだ。
もともと、完全に解熱したわけではないのだし、安静にして熱冷ましを飲んでもらう方がいいだろうという判断だった。
しかし、リファイアードは「いえ、そこまでのことでは」と首を振る。ただ、ロルブルーミアはすでに気づいていた。
「念のためですわ。まだ微熱はあるでしょう? 安静にした方が効果が高いことは、ご存じのはずです。それに、わたくしの方が詳しいんですもの。横になってくださいませ」
きっぱり告げると、リファイアードが何かを言いたそうな表情をしてから、大きく息を吐き出した。
ロルブルーミアはにっこり笑って「弱っているところならもう見られてるんですもの、諦めてくださいませ」と続けると、リファイアードが苦笑を浮かべた。
「わかりました。俺より詳しいことは確かですからね」
そう言って、ソファに体を預けるように横になる。
リファイアードは、意外と強気に出れば話を聞いてくれることをロルブルーミアは学んでいた。
国王がからまなければ、恐らく温厚なのだ。戦場ではあらゆる敵をなぎ倒し、圧倒的な力で何もかもを打ち負かすとしても、日常生活においてはこの限りではない。
それに、事実としてロルブルーミアは弱り切ったリファイアードと相対している。リファイアードの意識はおぼろげだったとしても、完全に消失していたわけではない。
だから、ロルブルーミアとのやり取りをぼんやりとでも覚えているなら、確かに何をいまさらだと思ってもおかしくはないかもしれない。
「せっかくですもの。庭で育てている薬草について、詳しくお話ししようかしら。一晩あったら、ある程度お伝えできると思うのですけれど」
「一晩ですか?」
「ええ、このままリファイアードさまを一人にするのは心配ですもの。一晩様子を見ているつもりですわ。千夜草の効果も確かめたいですし」
嘘偽りない本心である。いくら千夜草を飲んでだいぶ回復したように思えたとしても、不測の事態に見舞われる可能性もある。せめて一晩は、付きっ切りでいるつもりだった。
リファイアードは、しばしロルブルーミアを見つめたあと「冗談ではなさそうですね」と言うので。「あら、ようやくリファイアードさまはわたくしのことがわかってきたようですわね」と答えたのだ。
◇
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