第42話 重なる響き

 オーレオンにはただでさえ、魔族が少ない。くわえて、魔族に対する遺恨があり、魔族という存在を忌むものとしてとらえている。

 そんな国で、魔族の治療法が確立されるはずがなかった。治療を行うとしたら、人間と同じ治療法が施されるだろう。魔族ならではの治療など、誰も知らない。


 いくら人間と姿かたちが似通っていても、どうしたってリファイアードは魔族なのだ。

 この国で、他の魔族に出会ったことはない。どこかにいるかもしれないけれど、そう簡単に出会える存在ではないのだろう。

 だから、年長者の魔族に経験を聞いたり頼ったりすることもできない。魔族ならではの苦しみであることもわからず、ただ何もかもを耐えるしかなかったはずだ。


 だって、ここに魔族は一人きりだもの、とロルブルーミアは思う。それはたとえば、魔王城で暮らすわたくしのように。


 オーレオン王国へやって来て、感じたことがある。

 特に、教会へ通う日々の中で、周囲の人たちが自分と同じ種族であることを痛切に思い知った。

 当然のように薬を常備していること、毎日食事を取ること、夜は必ず眠ること。

 人間であれば当たり前のことも、魔王城で暮らしてきたロルブルーミアは不思議な気持ちになっていた。魔族であれば必要ではないものが、数多くあったからだ。


 家族はロルブルーミアを大切にしてくれた。それは間違いないけれど、人間のことがよくわからないのも事実だった。

 風邪を引いた時には大騒ぎで、薬が必要だというのもよくわかっていなかった。熱を下げなくてはと氷室に寝かされて悪化したこともあるし、悪気はなくとも純粋な知識不足が起因になって引き起こされた事態もある。


 母親が生きていれば違ったのだろうけれど、どこにもいなかったのだ。

 魔王城の奥深くで家族や一部の使用人たちと暮らしているロルブルーミアの周りに、人間は一人もいなかった。

 それを寂しいと感じたことは、ほとんどない。それでも、たとえばけがをした時や病気になった時、魔力で治癒することもできないことを思い知らされる。

 たとえば夜になると活力が増して眠らずともいられる家族を前にした時、どうしたって眠りに落ちてしまう自分を思い知らされる。

 食事をしなければ栄養が取れないことも、高い空を飛べないことも、水の中では息ができないことも、もろく弱い体しか持っていないことも、魔力も持たずどんな力も使えないことも。

 否応なく思い知らされるたび、自分はたった一人なのだと思ってきた。


 大事にされてきたことは、何一つ疑っていない。

 家族はずっとロルブルーミアを宝物みたいに思っていてくれて、けがや病気には大慌てして、眠ってしまう姿をほほえましく見つめたし、人間の体が弱くてもろいのなら自分たちが守ってやるのだと決意を新たにしてくれた。


 それでも、どうしたって一人だと思う時はあった。

 圧倒的に自分は一人で、周りと同じではない。異種族なのだと、同じ存在はない中で生きてきたのだ。


 何かを噛み締めるような気持ちで、ロルブルーミアはそっと口と開く。リファイアードへ語りかけるように。


「――でも、これは特別な薬草なんですの。リファイアードさまが今口にしたものと同じですわ。効果でしたら、少しは感じていただけたと思うのですけれど」


 すりつぶしは充分だと判断して、水差しから少しずつ水を入れていく。薄くなりすぎないよう、注意しながら水をそそいで均等にかき混ぜる。


「これは千夜草という植物ですわ。森の木陰によく生えていて、魔力の保有量が大変高い植物です。――これはわたくしの予想になりますが、恐らくリファイアードさまの症状は魔力枯渇による魔力欠乏症だと思いますの」


 充分に混ざったことを確認して、ロルブルーミアは乳棒を置いた。

 リファイアードは、大きく目を瞬かせてロルブルーミアを見つめる。「魔力欠乏症」とつぶやくので、うなずいて簡単に説明を行う。


 魔族は体内に魔力を溜める器官を持っている。自然界に存在する魔力を取り込むことができれば、普通に暮らしていく分には問題がない。

 ただ、オーレオンは自然界においても魔力の含有量が少ないため、取り込むことは不可能だろう。

 それゆえ、リファイアードは常に魔力が足りない状態になっていると考えられる。


「ただ、食べ物から微量ながら摂取することは可能です。リファイアードさまの場合、甘いものからの吸収率がよいのでしょう」


 甘いものを極端に好むのは、無意識的に魔力を溜めようとしているからだとロルブルーミアは推測している。

 リファイアードは意外そうな表情を浮かべているものの、言葉を遮ることはない。ロルブルーミアはさらに続けた。


「自然界における魔力の含有量が少ないと申し上げましたけれど、いくつかの植物においては魔力を蓄えることに優れたものがありますの。体調不良の時にリファイアードさまが香草料理を口にすると回復する、というのもそれが理由だと思いますわ」


 体内の魔力量が著しく低下した時に起きる体調不良であるなら、魔力を含有する香草を使った料理で回復するのもうなずける。

 リファイアードは考え込むそぶりをしていて、思い当たる節があったのかもしれない。


 ロルブルーミアはグラスの上にガーゼをかぶせて、乳鉢の薬液を上からそそいだ。

 繊維や葉の切れ端などをしていくと、グラスの半分ほどが深い緑色もあざやかな薬液に満たされていく。


「千夜草は水溶性で、水には成分がよく抽出されます。直接口にするより、こちらの方が効果は高いはずですわ。ですので、一口だけでも口をつけていだけませんか」


 そう言って、グラスを差し出した。リファイアードはためらっていたものの、最終的にグラスを手に取った。

 一枚だけ口にした葉の効果を多少は実感しているからかもしれないし、まだ本調子でない自覚があるからかもしれない。

 この状態では逃げることもできない、と覚悟を決めたのか千夜草の薬液を口にした。


 吐き戻すことはないし、ゆるやかに喉が動く様子を見つめるロルブルーミアの胸には、言葉にならない感情が浮かんでは消える。


 同じものを見ていると思っていた。同じ気持ちを知っていて、同じ価値観を抱いている。

 それは大切なものに対するまなざしで、大事なもののためなら何を投げ出してもいいという決意だ。

 しかし、今ロルブルーミアの胸に宿るものは少し違う形をしている。


 人間の国で生きる魔族の王子。それは、魔族の国で生きる人間の皇女おうじょの対だと思っていた。

 間違ってはいないのだろうけれど、それだけではなかった。

 正反対の対のような存在は、鏡合わせではなくきっと背中合わせだったのだ。


 異種族だらけの世界で、周りに同じ存在はない中で生きてきた。どうしたって紛れ込んだ異物だった。

 そういう立場で生きるのは当然で、それ以外の道なんて知らなかった。きっと苦しみは同一ではなくても、同じものを抱えているのだ。


(あなたの見ているものは、きっとわたくしも見ている。わたくしの感じたものを、きっとあなたも知っている)


 心の中でぽつりと言葉をこぼしたロルブルーミアは、少し深呼吸をして言葉を掛ける。グラスを傾けていた手が止まっていることを見て取ったのだ。


「ゆっくりで構いませんわ。癖は強くありませんけれど、飲み慣れていないものですし……一度に飲み切るのも負担ですもの」


 癖のある味はしていないものの、植物特有の風味は残っている。飲み慣れていないことも確かだ。それに、芳しくない体調で一度に飲み切るのは負担にもなるだろう。

 リファイアードはこくりとうなずいて、大きく息を吐き出す。グラスを離して、深呼吸をしている。


 ロルブルーミアはその様子を見つめながら、心の中で言葉を吐き出す。


 わたくしとリファイアードさま。敵国の王族で、今後の利益のための政略結婚相手。

 肩書だけが大事のはずだった。でも、少しずつどんな方なのかを知っていった。

 大事なものを大切にすることを知っている。家族を大事にすることを決して蔑ろにはしない。

 わたくしが大切にしたいものを、リファイアードさまも大切にしている。わたくしたちは、同じまなざしを抱いている。

 ――そして、きっと今日まで生きてきた立場さえ同じだった。


 そんな存在を、ロルブルーミアは今まで知らなかった。

 家族が心から大事に思っていてくれることはわかっているし、疑っていない。できることがあるならなんでもしたかったし、家族を大切に思うことも事実だ。


 しかし、どうしたって一人なのだと思う瞬間があるのは事実だった。

 どれだけ大切に思われても、大事に思っても。鋭い爪も牙も角も持っていないこと、明らかに容姿が異なること、魔力も持たず寿命も異なり、食事と睡眠が必須であること。

 普段は気にしていないけれど、ふとした時に自分の異質さを思い知らされて、どうしようもない孤独を感じる瞬間はある。

 リファイアードもきっとそうなのではないか、と思ったのだ。


 異なる種族の中に、ただ一人で生きていた。周りとは違う中で、異種族の王族としてずっと暮らしてきた。たとえ種族は違っても、立場は同じだ。

 理解するのと同時に、思ったのだ。

 リファイアードの価値観が、自分と近いことはわかっている。大事なもののためなら、何を投げ出したっていい。抱きしめたいものを、宝物みたいな全てを知っている。


(この世界で、誰より近い位置で同じものを見られるのは、あなたなんじゃないかと思うの)

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