第36話 ひとりごとの傍ら
「本当に隊長は働きすぎなんですよ。今度、フルトでも持って行ってくれませんか、好物らしいので」
屋敷の外を警備しているグライルが、塀越しに言う。屋敷の裏は煉瓦の壁と鉄の柵が張り巡らされており、軍服を着た背中だけが見える。
塀に背中を向けたまま、あくまで視線は前方に向けられている。屋敷内部で花壇を手入れしているロルブルーミアと、視線が交わることはない。しかし、声だけはしっかり聞こえる。
「フルトと言ったら、蜂蜜と砂糖漬けの果実を使ったパンだったかしら」
ロルブルーミアも特にグライルの方を見ることもせず、つぶやきのように答える。日向葉の手入れをしながら、あくまでもただの独り言のように。
グライルは屋敷を警備しているのだから、本来は私語など厳禁だ。わかっているから、これは会話ではないという体裁が必要だった。
ただ、グライルは教会への送り迎えの馬車を警護することも多く、顔見知りと言っていい。
ロルブルーミアがリファイアードの話を聞く意志を見せていることもあり、こうして非公式な会話が発生することはたびたびあった。
基本的に屋敷を警備するのはリファイアードの部下であり、彼らは一様に「隊長の素顔を婚約者に知らせなくては」という使命を持っているようで、黙認されているというのが現状だ。
「ええ、そうです。生地に蜂蜜だとかをふんだんに入れて焼き上げるパンで――それはもう、甘くしたものがお気に入りです。顔には出しませんが。甘いし国王陛下との思い出があるとか何とか」
「アルシェの丘へ二人で出かけた時、持参したと言っていたわ。あの時食べたものは何よりもおいしかったと」
赤い花の咲く丘へ出かけた話を、ロルブルーミアは聞いたことがある。王として多忙を極めながら、幼いリファイアードとの時間を作って、こっそりと出かけたのだ。
普段は多くの人に囲まれている父親が自分のために時間を作ってくれるのが嬉しかったのだと、唇に笑みを浮かべて告げていた。
それはきっと、ロルブルーミアが家族と一緒に花畑へ出かけて、陽だまりの中で同じ時間を過ごしたような。
あの時のきらきらとまばゆい思い出と、同じ輝きを宿しているのだろうと言葉ではなく理解するような微笑だった。
グライルはロルブルーミアのつぶやきに、大きく肯定を返す。それから、真っ直ぐ前を見たまま力強く続けた。
「今の隊長には、そういうものが必要なんですよ。甘いものと、それからとびきりの思い出ってやつが」
重々しく言うのは、最近のリファイアードが多忙を極めた日々を過ごしているからだ。
基本的に、結婚式までは屋敷での任務という形になっている。国外からの客人であるロルブルーミアをもてなし、何もないよう警備をしなくてはならないからだ。ただ、仕事がなくなるわけではないので、屋敷には伝令鳥が行き交っていた。
しかし、最近ではそれにくわえて王宮からの呼び出しが多々発生している。宝物庫の警備を行う必要があるからだ。
リファイアードは詳しい話をしないし、グライルも任務内容は口に出さない。
ただ、宝物庫を警備しなくてはならないという状況と、他でもないリファイアードやその部隊が駆り出されているという状況から考えて、恐らく結婚推進派の協力が必要な事態なのだろうと察していた。
宝物庫には始祖王や初代聖女にまつわるものが収められ、歴代宝冠も所蔵されている。ロルブルーミアの宝冠も同様である。
今オーレオンで争いの火種として真っ先に挙げられるのは、ロルブルーミアとリファイアードの結婚への反対派と推進派だ。
推進派は少数精鋭であるがゆえ人数が足りず、本来であれば屋敷にいるべきリファイアードが駆り出されているのではないか、というのはあながち間違ってもいないはずだった。
「隊長が馬鹿みたいに強いから頼られがちっていうのもあるんですけど――。隊長自身は誰にも頼らないから、仕事は溜まる一方なんですよ」
ぼそり、とグライルはつぶやく。魔族の血のおかげもあり、リファイアードは一般の人間よりも体力があり
くわえて、父親たるオーレオン国王陛下へ忠誠を誓い、役に立つことを剣に誓っているのだ。努力も厭わず剣の腕を磨き続けた結果が、戦場での縦横無尽の活躍である。
実際、剣を扱う腕前はあざやかで、街のゴロツキなどどんな脅威にもならなかったことはロルブルーミアも実際目にしている。
リファイアードがまとう「鮮血の悪鬼」「血濡れの王子」という名は、それほどまでに屠った敵の多さを物語る。打倒した敵の数は、強さの証明に他ならないだろう。
リファイアードは強いのだ。事実として、ロルブルーミアは知っている。アドルムドラッツァールは娘の求めに応じて、話をしてくれた。だから、リファイアードが見世物小屋で過酷な日々を生き抜いたことを知った。
さらに、幼い体で戦場を駆け、敵を討ち取り、命を散らすことなく生き延びた。戦場の申し子とささやかれる名前は伊達ではなかった。
国に戻ってからのリファイアードは貴族としてのふるまいを身に着け、士官学校へ入学する。
もともと戦場帰りなのだ。在学生とは一線を画しており、圧倒的な強さで主席として卒業したという。
さらに、配属された部隊でもいくつもの戦功をあげている。ただオーレオン国王陛下のためにと力を尽くし、ひたすらに剣をふるってきた。
あげた首級は数知れず、とうてい無視できるはずもないほどの軍功を上げているのだ。
オーレオンから伝えられた事実は、リファイアードの生きてきた道がいかに戦いによって作られているのかを教えていた。
血に濡れていることは決して嘘でも誇張でもない。それほどまでに、リファイアードは戦いに身を投じ、圧倒的な強さで他を圧倒してきた。それは今も変わらない。
部隊長として、どんな時も先頭に立って一目散に敵を退けたことを、他でもない部下たちからロルブルーミアは聞いていた。
「何度もあの強さに助けられましたし、桁違いなのは確かです。隊長が来れば必ず勝てるなんて噂が語られるくらいですから。けがしたって、次の日には平気な顔して立ってるし、調子が悪いところなんて見たことないです」
背中を向けたまま、グライルは言う。リファイアードはいつだって悠然と立つのだ。どれだけ
至って当たり前の顔で「生きて帰りましょう」と告げる。それが自分たちの役目なのだと言って、背中一つで怯む心を鼓舞して。それは確かに救いだった。
「でも、隠すの上手いだけですよ。大けがして一晩で治るわけないのに、平気な顔して戦場に飛び込んでいって成果上げてくるから質が悪いんですけど」
茶化すような口調だけれど、声には切実な響きがあった。どう考えても傷は癒えていないのに、剣を握る姿に
無理をするなと言ったところで、リファイアードはうなずきはしないだろう。国のため――国王陛下のために成果を上げることが最優先で、自分の傷など
「誰かを守ることはできるのに守られるのが下手なんですから――婚約者さまに頑張っていただけたらなと思ってるところです」
ぱっと声の雰囲気を変えて、グライルが言う。冗談に混ぜた本音が確かに伝わってきた。
恐らく、部下という立場ではどうしようもできないことも多くあったのだろう。他とは違う立場であるロルブルーミアだからこそ、できることがあるのではないか、という祈りなのだ。
理解するロルブルーミアは、笑みを浮かべて「努力しますわ」と答えた。
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