第33話 茨を手繰る

 ロルブルーミアは修道院の礼拝堂で、一人椅子に座っていた。

 外した耳飾りをそっと両手に乗せて、目を閉じる様子はまるで祈るようだけれど、これは耳に意識を集中させているためだ。


 音話機として手鏡から拾う声を聞くため、静かな場所で集中したかった。

 修道院の礼拝堂は大聖堂と違って信徒が訪れることはない。利用するのは修道女や修道士たちだけなのだ。

 朝や夕刻ならまだしも、昼間の時間帯であればほとんど人が来ないことは知っていた。


(まさかこんな風に使うつもりはなかったけれど……今回ばかりは幸いだわ)


 身だしなみ道具兼お守りとして、常に持ち歩いている手鏡は今、修道院の応接室にそっと忍ばせてきた。

 戸棚の隅に差し込んできたから、たやすく見つけられることはないだろう。万が一見つかってもただの忘れ物だと思われる。


 無礼な行いで非難される行為だ。わかっていたけれど、応接室で交わされる会話を聞くため、部屋に忍び込んだロルブルーミアは手鏡を隠してきた。


 果たして目的のものが聞こえるかはわからないし、予想は外れるかもしれない。しかし、シャンヴレットの会話が聞こえるかもしれない可能性に賭けたのだ。



 シャンヴレットが去ったあと、ロルブルーミアはその場でしばし考えこんでいた。

 投げつけられた言葉に動揺していたのも事実だ。しかし、一番は去り際のシャンヴレットの言葉が気になったのだ。

 推進派と反対派が火花を散らしていることは、充分知っている。貴族同士の権力闘争も帯びていることから、どちらも水面下で行動しているはずだ。


 現在、推進派はロルブルーミアたちの慈善活動によって態勢が盛り返しているという。

 反対一色だった現状に変化が起こっているのだ。反対派からすれば、このまま見逃すことはできないだろう。

 だから何か行動を起こすだろうとは思っていたけれど。シャンヴレットの言葉からは、何か具体的な事態が進んでいるように思えたのだ。


 一体何を計画しているのか。それを知ることができたら――と思ったロルブルーミアはシャンヴレットの行動について頭を巡らせていた。

 その結果、修道院には誰かを訪ねてきたのではないか、という可能性に思い当たった。


 わざわざシャンヴレットは教会ではなく修道院を訪れている。宗教的な訪問なら教会で事足りるだろう。恐らく、修道院にいる誰かに用事があったから、こちらに赴いたのではないか。


 裏打ちするようによみがえるのは、今日は来客が多いという教皇の言葉だ。もしかしたら、シャンヴレットは教皇に用事があったのではないか。それなら――応接室を使うかもしれない。


 そう判断したロルブルーミアは急いで中庭へ戻り、応接室の様子を観察した。すると、一部屋、掃除を行い窓が開けられている部屋があった。もしかしたらここを使うかもしれない。

 シャンヴレットは応接室とは反対に向かっていたから、別の場所へ用があるのかもしれない。そもそも、教皇と対面することが正しいかもわからないし、誰かと会うにしてもこの部屋を使うとは限らない。

 しかし、基本的に来客は応接室を使うということは、ロレッタから聞いている。確信はなかったけれど、試してみるだけの価値はあるかもしれない、とロルブルーミアは考えた。


 不躾ではしたない行為だと、心理的な抵抗はあった。

 しかし、今のロルブルーミアの最大の目的は、結婚を成功させることだ。それを阻むものがあるならば、汚れ役だろうと何だろうと引き受けると決めたのだ。


 起動した耳飾りに神経を集中させる。

 初めは何の音もしなかった。誰も部屋を使っていないのか、音を上手く拾えないのか。

 緊張と焦りを抱えながら、しばらくの間無音に耳を澄ませていた。


 すると、突然音が響く。ロルブルーミアはぴくりと反応する。

 荒々しい足音ともに吐き出される言葉は、間違いなくシャンヴレットのものだ。


「なぜ教皇さまは首を縦に振ってくださらないのか。結婚には反対だと、教皇さまに明言していただければ、我らはまさしく百人力。神の言葉が後ろ盾となるというのに! そうだろう、ルカイド公爵閣下」


 憤った様子で同意を求めたのは、反対派筆頭として名高いルカイド公爵だ。どうやら、修道院内で彼と落ち合ってから、応接室を訪れたらしい。

 シャンヴレットは返事を持たずに、言葉を続ける。


「教皇さまの一人娘は魔族に殺されたのだろう。しかも、元帥の息子との結婚を間近に控えていた頃に。名前の通り鈴蘭の婚礼衣装を手縫いで作り、それを着ることを楽しみにしていた。しかし、それらも全て魔族によって奪われた。五体はばらばらで、婚礼衣装も汚され、無残な状態だったと聞いている。小さな町にもかかわらず、念入りに。あの時町を襲った魔族を率いていたのは、まさに魔王だと言うではないか」


 どきり、とロルブルーミアの心臓が鳴る。

 魔王が直接指揮するのは、魔王の剣と名高い第一大帝軍だ。多様な種族によるいくつもの部隊で組織された大軍で、小さな町を攻めるために、わざわざ出陣させる可能性は低い。

 しかし、魔族たちの頂点に立つのが魔王だったことは事実だ。だから、魔族の行いは全て魔王が率いたというのも間違いではないのかもしれない。

 そうやって、オーレオンとリッシュグリーデンドはずっと戦争をしてきたのだから。


 音話機からは、淡々としながら暴力的な雰囲気を漂わせて、シャンヴレットの声が流れる。

 婚約者だった元帥の息子も、その一件が原因で魔族へ無謀な戦いを挑み、命を落としている。

 教皇はそれから毎日、二人への祈りを欠かしていない。この三十年間、一度も欠かさず。

 魔族がいなければ、そんなことをする必要はなかった。魔族さえいなければ、二人は今も生きていた。魔族のせいで死んだ。


 そこまで言ったところで、シャンヴレットは一度言葉を切った。それから、重苦しく強い声で言う。


「それなのに――魔族の娘を迎える結婚など、許されていいはずがない!」


 だん、とにぶい音がした。机か何かを叩いたのだろうか。声だけにもかかわらず、シャンヴレットのいら立ちや怒りが伝わってくる。


 二か国は長い間戦争をしていた。こんな話は、きっといくつもあった。数えきれないほどの悲しみと憎しみは、二つの国に刻み付けられているのだ。

 シャンヴレットはまだ年若い。実際に体験したわけではなくとも、今まで国民が味わった痛みを背負っているのだ。だからこそ、魔族への憎しみを燃やし、決して許すまいとしている。


「それこそが、全ての信徒の上に立つ教皇という在り方なのでしょう」


 シャンヴレットに対してとりなすような言葉を掛けているのがルカイド公爵なのだろう。しわがれながらも、妙に耳に残る声をしていた。

 ルカイド公爵は教皇の心情をおもんぱかりながら、「そもそも」と言って話の矛先を変えていく。


「魔族の王子という存在こそが異端なのです。あれがいなければ、この婚姻自体話が持ち上がることもなかった。成り立ってしまう相手が双方存在していたことが不幸の始まりなのです」


 リファイアードとロルブルーミア。対立すべき国に存在する、異種族の王子と皇女。奇妙な符号がこの婚姻を結び付けたのは紛れもない事実だろう。

 シャンヴレットは、憎々しげに言葉を吐き出す。


「血もつながらない、気まぐれで拾われた魔族など、王族に名前を連ねることが間違っている。父上の気まぐれも、こればかりは認められない。あんな魔族は死んでしかるべきだった」


 シャンヴレットの声は澄んでいて聞き取りやすい。しかし、今発せられた声は濁って暗い。

 毒々しささえ感じるような、声そのものが悪意で形作られているのだとわかる。耳に流れ込むだけで、毒が回っていくようだ。


 シャンヴレットは言う。

 見世物小屋で飼われていただけ家畜だったくせに、とあざけりと共に吐き出されるのは、リファイアードの辿った道だ。

 オーレオン国王やリファイアードが伝えられた過去を、シャンヴレットはリファイアードへの憎悪にあふれた声で語る。


 リファイアードは国境近くの街で、見世物小屋の商品として飼われていた。

 魔族とはいえ、幼ければたいした力はない。さらに、オーレオンでは充分な魔力もないのだ。人間の脅威になることはないだろう。

 ボロ雑巾のように扱われ、食事は時折残飯が与えられるだけ。体の自由は奪われ、体のいい玩具として痛めつけられる。

 檻に入れられ、殴られ、蹴られ、刺されて骨を折られ、体のあちこちを好き勝手に痛めつけられる。

 魔族の特性なのか、体力だけはあった。幸か不幸か回復力が人並み以上にあったため、すぐに死ぬことはなかった。

 だからこそ、どれだけ痛めつけても構わない玩具として、リファイアードは生きていた。

 ただ、呼吸を止めないだけの。ただ、心臓が止まっていないだけの存在として。


 吐き出された言葉を聞くロルブルーミアの顔は、青ざめていた。

 一つ一つの言葉は、必然的にあの夜の記憶と結びつく。暴力によって奪われた。大事なものを失ったあの夜。

 怖かった。何もかもが恐ろしかった。たった一夜で、世界は何もかもが変わってしまったのに。


 リファイアードにとって、あの夜は永遠に続く日常だった。


「あれは王子になどふさわしくない。汚らわしい魔族だ。現に今も、血にまみれることを良しとしている。血の味を覚えているんだ。神聖な王家にふさわしくない」


 苦々しく吐き出された言葉に、ロルブルーミアはぴくりと反応する。

 胸が騒いだ。シャンヴレットの言葉が頭に響く。形にならない言葉が、胸の奥に浮かんだ。それを捕まえる前に、さらに声は続く。

 王子にはふさわしくない、血を好む汚らわしい魔族だと。絶対的な確信を持って、断罪する響きで、吐き捨てるように。


「あのまま見世物小屋で死ぬべきだった。血と臓物にまみれた汚らわしい失敗作なんて、生まれてきたことが間違っている」


 何一つ、迷いのない声をしていた。

 あまりにも強く、絶対的な事実を語るような。耳飾りから流れ出る声だけなのに、真っ直ぐとした悪意と憎悪が伝わる。

 焼けるような、鋭い刃を突き刺すような言葉に、ロルブルーミアは息を止める。


「その通りです、シャンヴレット殿下。正しい形を取り戻さなくてはなりませぬ。そのためにも、我々は為すべきことを為すのです。魔王を退けた勇者のごとく。あの血濡れの魔族は、血を恐れぬからこそ厄介な存在ではございますが、我らの手足が戻ってきたのは幸いでしょう」


 滑り込んできたのは、ルカイド公爵の声だ。

 しわがれながら熱っぽい声で、「王宮内に我らの力を轟かせる武器となるよう、すでに動いておりますゆえ」と続けて、シャンヴレットも「ああ、ヨスヴァルの腕前ならよくわかっている」と知らない名前をつぶやいた。


 苦しくなったロルブルーミアははっとして、思い出したように息を吸う。

 気圧されている場合ではないのだ。一体誰のことなのか、何の話をしているのか、さらに耳をそばだてようとする。


 しかしそこで、背後から声が聞こえた。反射的に振り返ると、修道女たちが礼拝所へ入ってくる。

 ロルブルーミアはすぐに通話機能を終了させた。声が聞こえてしまってはまずい。そのまま何食わぬ顔で、ただの装身具に戻った耳飾りを耳につける。


「ロルブルーミアさま、こちらにいらしたのですね」


 近づいてきたのは、すっかり顔なじみになったノアシェだった。何でも、今日はこちらにも来客があるため念のため清掃を行うのだという。

 いつもであれば人が訪れない時間も、今日は例外ということだろう。


 にこやかにうなずいたロルブルーミアは、数秒考えたあと手伝いを申し出る。

 素知らぬ顔でこの場を離れるのは、どう考えても心証が悪い。普段まったく作業場に顔を出さないのならともかく、頻繁に出入りしていることは皆知っているのだ。掃除を忌避きひしたと思われかねない。


 あれこれと修道女は恐縮した様子を見せるものの、皇女自らが申し出たのだ。ことさら拒絶するのも無礼にあたると考えたのだろう。「それでしたら」とうなずいて、清掃のあれこれを教えてくれる。


 このまま修道女たちと掃除を行うのが、ここは最も適当な判断だ。魔族の国の皇女の評判を高める最適なふるまいといえるだろう。

 本当なら、もっと情報集めていたかった。耳飾りからはもう声は聞こえないけれど、今はそれを良しとするしかなかった。

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