第32話 光華なる棘
修道院を訪れたロルブルーミアは、手紙を渡すために教皇を探していた。すると、中庭の渡り廊下でちょうど顔を合わせる。
手紙を差し出すと、丁寧に受け取ってやわらかくほほえんだ。手紙の意味は理解しているのだろう。おっとりとした調子で言う。
「お二人の来訪は、ずいぶんと歓迎されているのですよ。特に、ロルブルーミア皇女は噂と違って、恐ろしい魔族の姫どころかこんなにもかわいらしい方なのかと」
これまで訪れた視察先からの評判だと、そう伝えてくれる。
魔族の国の皇女は恐ろしくないと思われることは、ロルブルーミアの望みでもある。だから「そう言っていただけるのでしたら、わたくしとしても本望ですわ」と答える。
教皇はおだやかにうなずくものの、ふと心配そうな表情を浮かべて口を開いた。
「精力的に活動してくださるのはありがたいのですが、あまり無理はせずに――。いえ、これは私が言うことではないのですが……。暑さも和らぎ始めているとはいえ、体調にはお気をつけくださいね。結婚式までは特に、何かあっては大変ですから」
「お心遣いありがとうございます。もちろんですわ。教皇さまに宝冠を戴くのを心待ちにしていますもの」
宝冠を授けられるまでは、正式にはオーレオンの一員ではないのだ。
慈善活動によって評判がよくなっているとしても、いつひっくり返されるかはわからない。油断はできないのだ。
「ええ、ロルブルーミア姫によくお似合いの宝冠です。青い瞳を模したような美しい宝冠ですから、楽しみにしていてください」
おだやかな笑みで言うと、ロルブルーミアを真っ直ぐ見つめる。
宿した空色を確かめるような、もっと遠くにあるものを見つめるような。不思議な表情を一瞬浮かべるものの、すぐもとに戻った。
それから、申し訳なさそうに「もう少しお話ができればよかったのですが」とつぶやく。
今日は王宮からの使者や貴族に王子など、来客が多いのだという。基本的には大聖堂の応接間で対応するものの、修道院の応接間を使うこともあり、行き来しなくてはならないのだろう。
だからこそ、応接棟に通じる渡り廊下を歩いていたのだろう、とロルブルーミアは
教皇はすぐに意図を察して、礼を言って足早に去っていく。
◇ ◇ ◇
思いの外早く、用事が終わった。ロレッタも今日は遠方の教会へ出かけているということで、顔を合わせる時間はない。
迎えの馬車の時刻は決まっているので、それまでは教会で過ごすことにするべきだろうとロルブルーミアは考える。
徒歩で帰宅できる距離ではあるものの、そんなことをすれば馬車の手配を行っているグライルが処罰される可能性が高い。
リファイアードの軍部での様子を教えてくれるなど、ささやかな雑談のできる相手である。迷惑はかけたくないし、わざわざ予定を変更させることもないだろう。
最近の教会や修道院では、ロルブルーミアが動き回っていてもあまり奇異な目を向けられることはなくなってきた。
当初は魔族の皇女として敬遠されていたものの、来訪が複数回におよぶことで慣れてきたのだろう。
多少の緊張はあれど、最近では薬作りを熱心に眺めていても怯えられることはなくなってきていた。
薬草園を見に行くか、それとも
屋敷で留守番を任せているリリゼやエマジアにお土産になるものがあればいいんだけれど、と思いながら修道院の回廊を歩く。このまま、作業場の方へ向かおうと思ったのだ。
しかし、そこで前方が騒がしいことに気づく。
視線を向けると、きらびやかな一団が修道院の正門に通じる廊下からこちらへ歩いてくる。貴族や王子が来訪すると言っていた。その一人なのだろう。
先頭を歩くのは、まだ少年と言っていい人物だ。
やわらかにうねる髪は輝くような金色で、丸い瞳は透き通る碧色を宿す。そして、軍服を模したジャケットには豪華な刺繍がほどこされ、襟元からのぞくシャツにはきらびやかな赤い宝石がついていた。
さらに、縫い付けられた刺繍はオーレオンの象徴である光輪と獅子だ。
王族関係者であることはすぐにわかったし、何よりもその顔には覚えがあった。
婚約披露の場で、肖像画で目にしている。オーレオン王国第三王子シャンヴレットである。
理解した瞬間、すぐに頭を下げた。二十六番目の王子の婚約者と第三王子とでは、明確な上下関係があるのだ。
直接顔を見るなど不躾だと言われる恐れがある。何より、第三王子シャンヴレットは結婚反対派の筆頭だ。できれば顔を合わせたくはない。
ただ、回廊には逃げ隠れする場所はない。通路の端に寄って頭を下げて、行き過ぎるの待つしかない。
このままどうか何事もなく済んでほしい、と近づいてくるざわめきにただ祈っている。
しかし、すれ違う瞬間に、祈りはたやすく打ち砕かれる。
「汚らわしい魔族の女が、こんなところにいるとはな!」
忌々しげに顔を歪めて、言葉を吐き捨てる。
シャンヴレットはやわらかな金色の髪の毛と緑の目をしており、あどけなさを残していることもあり、かわいらしい印象を与える。
しかし、今ロルブルーミアに向かって言葉を投げつける様は、悪鬼のような形相だった。
「魔族の女が、偉大なる大聖堂に訪れているとは聞いていたんだ。こんなところまで、一体何をしに来た? 僕たちの前に姿を見せた時点で間違いに気づけばいいものを。お前が生きる場所は、あの暗く汚れた国だろう? 結婚など――誰も望んでいないというのに」
ロルブルーミアの前で立ち止まったシャンヴレットは、憎悪に満ちた表情で言葉を並べた。
お前がここにいることは間違いだ。お前はここで呼吸することすら許されない。国民の誰がお前との結婚など望むものか。
知能の足りないお前にはわからないだろうが、お前たちは生きていることさえ許されない。僕たちの慈悲で生き延びているだけだ。
声を荒げるわけではない。いっそ淡々とした響きで、奥底からにじみだすような呪詛を吐き出し続ける。
「魔族がどれだけ我が国を蹂躙し、多くの犠牲を生んだのか。お前にはとうていわからないのだろうな。愚鈍で
頭を下げたまま、ロルブルーミアはシャンヴレットの言葉を浴びているしかない。二十六番目の王子の婚約者には、第三王子に反論する序列が与えられていない。
長い戦争の歴史があることは、よくわかっている。
確かにこれまで、魔族は多くの人間を殺してきたのだ。残虐に大量に殺戮を繰り返した。
しかし、それはオーレオンとて同じだ。
一体どれほどの魔族が人間によって殺されたか。学んだ歴史の中、人の手で命を奪われた魔族の数をロルブルーミアは知っている。
「結婚だなんて馬鹿げたことを夢見て――お前の価値など、人質として扱うくらいしか用はない。せいぜい、慰み者として与えられるくらいだな。我が国に害をもたらした王女がどうなったかすら、お前は知らないんだろう。見世物として処刑されるのが関の山だ。ああ、お前にはぴったりじゃないか」
せせら笑って言うのは、これまで辿った歴史の一幕だ。
長い歴史の中、和平を模索した時代もあった。しかし、結局のところお互いに間者を送り合うだけの関係であり、露見した暁には嫁いだ姫は拷問の末処刑されている。
そんなことは当然知っている。自分の末路にその可能性があることだって、わかって嫁いできた。
そうしなければ、リッシュグリーデンドに混乱がもたらされる。確実に訪れる魔王の力の枯渇に対して、できることをするのだと決めた。
いつか訪れる未来に怯えるのではなく、今自分ができることがあるならたとえ何が待っていたとしても飛び込んで行くしかなかったのだ。わずかでも防波堤の役目を果たすのが、己の役目だと知っている。
「――いずれ処刑されるのがお前の運命だ。それを避けたくば、結婚式までには逃げ帰ることだな」
力強く、きっぱりとシャンヴレットは告げる。
血に濡れた二か国の歴史。その先の結婚など、祝福のかけらもない。呪いの証でしかない。だから、この結婚は破棄されるべきだ、と朗々とした声で言った。
「陛下はきっとわかってくださる。魔族を倒して頂点に立つのは陛下だ。間違いすらお認めになる賢君なのだからな。この結婚は、あってはならない」
国同士の婚約者という立場は、単なる口約束よりも重い。ほとんどただの決定事項でしかないのだ。
しかし、それでも、正式に婚姻が成立するのは結婚式で宝冠を授与され、教皇からの祝福を受けた時点なのだ。
だからもそ、まだオーレオンの王族ではないロルブルーミアに言うのだ。
「汚れた魔族がオーレオンの宝冠を戴くなど、最大の侮辱にしかならない。宝冠が血濡れの魔族に与えられるなど我が国の汚点だ。こんなことは許されない」
憎々しげな表情で、悪意そのものをぶつけるようにシャンヴレットは言う。ロルブルーミアはただ頭を垂れて、それを聞き続ける。
忘れているのか、意図しているのか。高位者であるシャンヴレットが許可しなければ、ロルブルーミアは頭を上げることができないからだ。
「――大体、魔族なんかを王子にしたことが間違いだったんだ」
いらいらした調子で落ちた言葉は、独り言に近かった。ロルブルーミアに向けられた
リファイアードのことを指していることは理解したし、これだけ魔族への忌避をあらわにしているのだ。リファイアードのことを忌々しく思っているのも当然だろう。
「あんなやつを王族に迎えるなんて。あんなやつ、ただのゴミだ。見世物小屋で野垂れ死ぬはずだったくせに」
刺々しく言い放ったシャンヴレットは、数秒沈黙を流した。それから、嘲りに満ちた声で吐き捨てる。
「お前たちが何をしようとも、意味はない。推進派どもをこのままのさばらせることなど、許すはずがないだろう。お前たちがいい気になれるのも、今のうちだ。僕たちの力にひれ伏すことになるぞ」
それを最後の言葉にして、シャンヴレットはカツカツと足音を鳴らして廊下を歩いていく。
言いたいことは言ってしまったのか、ロルブルーミアにこれ以上関わることを良しとしなかったのか。
わからなかったけれど、許可がないままでは頭を上げられない。ロルブルーミアは、気配が去るまでただ頭を下げているしかなかった。
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