第30話 片隅の邂逅②
ロルブルーミアの言葉に、オーレオン国王は少しだけ黙った。
それから、ゆっくりと笑みを広げる。どんな威圧感も風格もない、ただおだやかでやわらかな笑みを浮かべると、そっと言葉をこぼす。
「――皇女がそう言ってくれる人でよかった」
思わずつぶやきが落ちた、といった調子だった。ロルブルーミアが目を瞬かせると、オーレオン国王ははっとした顔で言葉を続けた。
「リファイアードのためにと、ただ好きなものを用意しようと思う相手というのは、あまりいないのが実情なんだ。できる範囲で私も気をつけてはいるけれど――いかんせん、全てに目が届くわけではない」
オーレオン国王には三人の王妃がおり、それぞれとの間に子供をもうけている。
さらに、リオールド教の教義に則って養子はずいぶん多い。子供の数は膨大で、全てに目をかけるのは土台無理な話だろう。
「あれは、なかなか特殊な事情の子で……あまり人にやさしくされたことがない。だから、婚約者であるあなたが、ただ好きなものを用意しようと、自然なやさしさを向けてくれるのが嬉しい」
そう言ったオーレオン国王は、真っ直ぐロルブルーミア見つめて尋ねた。
静かな声で、何かを見透かすようなまなざしで、リファイアードの過去について聞いたことはあるか、と。
リファイアードの噂話ならいくつも知っている。戦場を駆ける悪鬼だとか血濡れの王子だとか。しかし、過去の話はほとんど聞いたことがなかったので首を振る。
オーレオン国王は数秒口を結んでから、静かに言った。
「それなら話をしておいた方がいいだろうね。婚約を結ぶ際、皇帝陛下におおよそは伝えてあるけれど、あなたの耳に入れることは好まなかったんだと思う」
恐らくアドルムドラッツァールはリファイアードの事情を知っているけれど、言っても詮無いことだと判断したのだろう。ロルブルーミアも取り立てて聞くつもりはなかったので、詳しい話は知らなかった。
とはいえ、婚約するにあたって国同士ではお互いの事情を把握していてしかるべきだ。
「あなたの事情は、リファイアードにもおおむね伝えてはあるからね。あなただけ知らないのも公平ではない」
十中八九、誘拐事件のことだと察しはついた。
リッシュグリーデンドでも大きな事件だったので、隠すことなどとうてい不可能だ。いずれ耳に入ると判断して、事前に知らせているのだろう。
ともすれば傷物にされたという噂が出てもおかしくはない状況なのだ。決してそのようなことはなかったのだと、婚約相手には証明してしかるべきだと考えるのは何もおかしいことではない。
ロルブルーミアは真っ直ぐオーレオン国王を見つめる。聞く意志があるのだと伝えるためだ。
きっと以前なら、リファイアードの事情を知ろうとも思わなかった。しかし、少しずつ言葉を交わして距離は近づいた。きっと過去を知ることは、リファイアードへの理解につながるはずだ。
ロルブルーミアの決意を察したオーレオン国王は、落ち着いた様子で口を開く。
「――リファイアードの出自ははっきりしない。見世物小屋に閉じ込められているところを発見したのが、公式な記録の出発地点だろうね」
リッシュグリーデンドとの一時休戦が結ばれて以降、オーレオン国王は国内平定のため国中を回った。
内紛の芽を摘み野盗を捕らえ、国境近くに出没しては街を襲う流浪民を
見世物小屋は奴隷商としての側面を持つことが多い。オーレオン国王は奴隷の根絶を掲げていたため、遠征の途中で奴隷商や見世物小屋の摘発を行っていた。
商品として売られた人たちを解放した中の一人が、リファイアードだったのだ。
そのまま現地の教会へ保護を頼んだはずが、リファイアードは教会を抜け出して遠征隊のあとを追いかけた。
幼いながら
向けられる悪意や敵意を、幼いリファイアードは敏感に察知したのだ。ここは安全な場所ではない、と判断したリファイアードは遠征隊を追いかける。
助け出された瞬間を、リファイアードは覚えていた。
突如として現れた、国の象徴を背負った屈強な兵士たち。痛めつけられ、いたぶられ続けたリファイアードが初めて知った、自分を助けてくれる存在だった。
後にリファイアードはそう語っていたという。
魔族ゆえの体力のせいか、リファイアードの執念のせいか。大方の予想に反して、リファイアードは脱落することもなく遠征隊についてきていた。
さらに、流浪の民の奇襲をリファイアードが知らせたことで、次第に遠征隊の一員として扱われるようになる。
リファイアードは身軽で身体能力も高い。小間使いにも向いていたし、
リファイアードの面倒を見たのは、身分を隠して遠征隊の隊長として従軍していたオーレオン国王だ。
魔族への不安や忌避感は理解していたから、率先して面倒を見るべきだという理由もあった。
ただ、単純に能力の高さを買っていたし、教えれば教えるほど全てを吸収していく様子が興味深かった。
そうして、訓練を引き受けるだけではなく常識や言葉を教えて、名前を与えた。
呼び名がなければ不便だからと理由をつけていたけれど、聖書の一節から取られた名前は、夜明けの太陽を示す古い言葉だ。
決しておざなりに名付けられたものでないことは、明白だった。
リファイアードも、国王こそが最初に自分を助け出してくれた相手だということも知っていた。くわえて、自分だけの名前を与えて呼んでくれたのだ。
真っ直ぐ慕うようになるのに時間は要らなかったし、傍目にもわかるほど懐いていた。
国王であることなどつゆ知らず、頼れる部隊長として後をついて回る姿を兵士たちはほほえましく見守っていた。
「あのままであれば、オーレオン国民の一員として軍部に所属する未来が待っていた。ただ、そうはならなかった。オーレオン国民の一員とするだけでは、とうてい足りないほどの功績を――オーレオン国王の命を救ったことから、リファイアードは王子として迎え入れられた」
事実だけを述べる口調で、オーレオン国王は続ける。
流浪の民との戦闘は、一定の成果を挙げた。国境から押し戻すことに成功し、ひとまずは帰還することになったのだ。
その道中で、オーレオン国王の暗殺未遂が発生する。
長い遠征を終えて、あとは国に帰るだけという気の緩みもあっただろう。暗殺を目論んだ一派は、行軍部隊の中にいた。詳細な情報を入手していたからだろうか。
放たれた矢はあやまたず国王を狙い撃つはずだった。
「暗殺計画を知っていたわけではなく、周囲に神経を研ぎ澄ませていて弓矢の気配を察したらしい。何の準備も猶予もなかった。だから、自分の身を投げ出すしかなかった」
国王の前に躍り出たリファイアードの胸を、弓矢は貫通した。
血を流して倒れながらも、国王を狙った矢であることと射手の方向を伝えたため、暗殺者はすぐにつかまった。
しかし、胸を貫かれたリファイアードは大量に出血しており、生死の境をさまよったのだ。
幸いなことに命を取り留めたリファイアードは、戦場での活躍と国王の命を救った功績から、国王陛下の養子として――王子として迎え入れられることが決まったのだ。
「まあ、最初は私の冗談と思われていたし、本気だとわかってからはずいぶん反対されたけれど。押し切った結果が現状というところかな。優秀な人材をみすみす他家に奪われるなら、自分の子供にした方がいい、とは常々言っていたからね。実際今も、そのおかげでリッシュグリーデンドとの婚姻を結ぶことができている」
わずかにいたずらめいた笑みを浮かべて、オーレオン国王は言った。
確かに、魔族を王子として迎え入れていなければ、この結婚は成立していなかった。
そう考えれば、多くの王子を養子として迎えた選択は、巡り巡ってオーレオンのためになったと言えるだろう。
「リファイアードもそれはよくわかっているはずだよ。国のための結婚だと、オーレオンのためにこの婚姻があるのだと理解している。だから、私が何を言ったところで説得力はないだろうけれど――それでも、あなたのような人が婚約者でいてくれてよかったと思っているんだよ」
静かに落ち着いた声で、オーレオン国王は言う。
国のための結婚に、リファイアードの意志は存在しない。個人の幸福を無視して、国のために人生が決定づけられる。それを命じたのは他でもない自分なのだと、オーレオン国王はわかっている。
それでも同じくらいに、婚約者たるロルブルーミアがリファイアードへただ自然とやさしくあろうとすることが嬉しいとも思っているのだ。
その様子によみがえるものがある。
父親であるアドルムドラッツァールも同じ気持ちを抱いている。自分の決断でロルブルーミアをオーレオンへ嫁がせた。それが必要だと判断したからであり、リッシュグリーデンドのためになるからだ。
その中で強く祈っていた。どうか幸せでいてくれと、幸せになってほしいと祈っていていた。
オーレオン国王から伝わるのはそれと近しい。
だから、ほとんど反射でロルブルーミアは答えた。どんな根拠もないけれど、ただするりと言葉が形になる。
「殿下は国王陛下のお気持ちは充分わかっていると思いますわ。だから、国のためにできることがあるなら、国王陛下の望みを叶えられるなら、それが一番の幸せだときっとおっしゃるはずです」
だってわたくしだってそう答えるもの、とロルブルーミアは思う。
リファイアードの心がわかるわけではないけれど、魔王である父親と同じものを目の前のオーレオン国王が持っているなら。
それを受け取る自分は、リファイアードは、こんな風に答えるのだろうと思っていた。
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