第29話 片隅の邂逅①

 ロレッタや教皇の心遣いを無駄にするわけには行かない、というよりも、純粋な興味からロルブルーミアは薬草園を訪れた。

 簡単に見て回った時には、千夜草があることは確認できたけれど他にどんな植物があるのかはわからなかったからだ。


 薬草園は教会の外れにあった。

 この時間帯は建物によって日差しが遮られ、人の気配もないことからひっそりとした雰囲気が漂う。

 信徒たちが訪れることもないし、朝晩の水やりと薬草の採集以外はあまり用がないのかもしれない。


 夕方には迎えが来ることになっているので、それまでは時間もある。

 一つ一つの花壇を見て回ると、やはり魔力を溜める植物が多い。

 千夜草はもちろん、日向葉ひなたば金光草こんこうそうなども植わっておりロルブルーミアの薬香草園でも目にするものだ。

 ただ、それ以外にポーマムルやミルファム、セダやリューケなどもあり、料理に使う香草も栽培されているらしい。


 教皇からは、植物を近くで見て触れる許可も得ている。少量であれば持ち帰ってもいいと言われているのだ。

 つぶさに観察しても問題はないだろうと判断して、花壇に顔を寄せる。


 ひっそりと植わっている千夜草。茎や葉は深い緑色で、夜にだけ咲く白い花は、今は閉じられている。

 土を一つまみ手に取り、質感や匂いを確かめた。普段千夜草を育てていた時と土質もよく似ている。

 ただ、リッシュグリーデンドで育てたものの方が、葉の色味はもっと濃く、黒に近いように思えた。土壌の違いか、教会ならではの肥料を使っているのかもしれない。


 それ以外に、料理によく使うミルファムやセダが植わっている。普段屋敷で見かけるものに比べて、やはりこちらも色味が少し違うような気がした。

 教会ならではの栽培方法の可能性はあるだろうか。屋敷では料理に使用しているし、栽培方法を聞いてみるのも一つの選択肢だ。

 手のひらに乗せた湿り気のある黒土をじっと観察していると、不意に背後から声がした。


「熱心に研究中のところ、少々お時間をいただいても構いませんか」


 反射的に振り向いたロルブルーミアは、思わず硬直した。誰もいないところに人が現れた――その事実だけでも驚くには充分だった。

 しかし、ロルブルーミアが固まったのはそれが理由ではない。


 豊かな銀髪に、蜂蜜色の瞳。顔には年相応のしわが刻まれ、理知的な印象を与える。顔立ちは決して荒々しくはないし、蜂蜜色の瞳はやさしげとさえ言えた。

 しかし、漂う雰囲気は堂々としていて圧倒的な存在感を誇っていた。飾りけのない装いをしていても、まとう空気は隠せやしない。

 どこにいても誰もが目を奪われてしまう。他とは一線を画すような、天性の指導者たる風格。何より、肖像画で何度も目にした容貌と寸分たがわない。

 オーレオン国王が目の前に立っていた。


 ロルブルーミアはとっさに頭を下げて平伏の姿勢を取るものの、オーレオン国王は鷹揚な声で「今は謁見の間でも何でもないからね。堅苦しいのは抜きにしよう」と言って、顔を上げるよううながす。


 軽やかに冗談でも口にするような響きだ。ただ、まとう雰囲気は威厳を漂わせているし、すぐに気を抜くわけにはいかない。

 とはいえ、国王にこう言われてかたくなに頭を下げているのも不敬だとわかっている。


 ロルブルーミアは深呼吸をして、ゆっくり頭を上げた。

 オーレオン国王の評判は、事前に聞いている。おだやかな人柄で情に厚く、しかし決して流されることのない怜悧れいりさを持つ。

「冴ゆる太陽」の名を関するのは、温かみのある人柄を持ちながらも、必要と判断したなら冷酷に処刑を命じることもできるからだ。


 リファイアードの話から、国王の人となりは充分聞いている。だからこそ、決して油断はできない。

 心臓をドキドキと鳴らしながら、ロルブルーミアはオーレオン国王と相対した。


「今日はエトレ――シェルドエ教皇に用があってね。あくまで私的な訪問で、国王としての立場ではないんだ。だから緊張しなくていい。……とは言っても、難しいだろうね。まあでも、できる限り力を抜いてくれるとありがたい。むろんこれは命令ではないけれど」


 ひょうひょうとした雰囲気で、オーレオン国王は言う。

 エトレというのは、恐らく教皇の本名なのだろう。教皇名で呼びかけられることがほとんどという中、本名で呼んでいるということは、教皇と昵懇じっこんであることがうかがえる。


「リッシュグリーデンドとは勝手も違うだろうけれど、多少はこちらにも慣れただろうか。何かリッシュグリーデンドと近しい植物はあったかな。あちらは大自然の広がる場所だと聞いているからね。黒い山脈はもちろん、悠々と広がる大森林や純白の雪原――オーレオンにはない景色だけれど、植生がまるで違うということもないはずだから。それとも、何か興味深い植物でもあったかな」


 真っ直ぐロルブルーミアを見つめて、オーレオン国王は問いかける。

 もちろん、ロルブルーミアがリッシュグリーデンドである皇女だということはわかっていて声をかけたのだろう。

 顔を近づけて、土を手に取る姿を奇異に思ったのかもしれない。一介の皇女の行動としては不可解である。

 探りを入れられている可能性を考慮しつつ、ロルブルーミアは深呼吸をして答える。


「はい。リッシュグリーデンドでも見かけた植物がいくつもあったものですから、懐かしいなと思っておりました。ただ、それだけではなくリファイアード殿下がお好きな料理に使われているものもございましたので、わたくしも育てられたら……と」


 リッシュグリーデンドとの土の違いは何かと観察していたのは事実だ。ただ、あえてそれを口にするのは、里心を強調するのではないかと思った。

 国に帰りたいと思われているのではないか、という懸念から、あくまでもリファイアードの好きな香草料理に使う薬草を見つけたのだ、と告げた。


 オーレオン国王はロルブルーミアの言葉に数秒沈黙を流した。それから、ゆっくり口を開く。


「――リファイアードから話はいくつか聞いているけれど。最近は、二人でお茶の時間を過ごしているらしいね。皇女から見てリファイアードはどうだろうか。上手くやれているといいんだけれど、あまり口達者な方ではないだろう」


 眉を寄せて尋ねる表情には、ありありと心配が浮かんでいた。ロルブルーミアは意外な気持ちになりつつも、慎重に言葉を選びながら答える。


「言葉は少ない方ですけれど、国王陛下の話を多く聞かせてくださいますわ。ですので、最近では話が弾む機会もとても多いんですの」


 決して気詰まりの沈黙ばかりではないし、関係は良好なのだと答える。オーレオン国王はほっとしたように息を吐くと、笑みを刻んで言った。


「それならよかった。ただ、あれは私の話になると止まらなくなる気があるからね。皇女に迷惑をかけていなければいいんだけれど……。昔から、父親思いのやさしい子だった。その片鱗へんりんが伝われば私としても嬉しいよ」


 少しだけ困ったように眉を下げて、オーレオン国王は言う。

 父親が食べたいと言っていたから、とがけ下まで木の実を取りに行くだとか、単身山中にシカを狩りに行くだとか。

 行動に突拍子がないと言われることも多々あれど、その根幹にあるのは父親を喜ばせたいという気持ちなのだと、オーレオン国王はロルブルーミアに告げた。


 その様子は、どうしたって我が子を思う父親そのもので、ロルブルーミアは内心で戸惑うしかない。

 警戒すべき対象で、これも全ては相手を油断させるためのものなのかもしれない。はたまた、これは純然たる本心であり、あくまでもいざという時に切り捨てることができるだけなのかもしれない。

 いずれにせよ、簡単に心を許してはならないのだ。そう思っているのに。


「わかりにくいだけで、ずいぶん愛情深い子でね。まあ、すっかり成人した息子相手に子供扱いするなとは言われるけれど。いくつになっても、小さな面影は消えないから仕方ない」


 肩をすくめて言う様子。幼い息子を思い出して目を細める姿。それは、間違いなくリファイアードに向かう愛情であり慕わしさの発露はつろだ。

 それをロルブルーミアは知っていた。今まで何度だって受けてきた。

 家族から送られるまなざしと、真っ直ぐ届く愛情と同じものが宿っているように思えて、ロルブルーミアはどうしたらいいかわからなくなる。


 警戒しなくては。油断してはいけない。

 そう思うのと同じくらい、今までリファイアードから聞いたオーレオン国王の話や目の前の存在が重なって、同時に自分の記憶の面影が二重写しになるようだ。


 慈しみや愛情を心に抱くリファイアードが、真っ直ぐ気持ちを傾ける相手なら。

 今までずっと大事にしてくれた家族と同じものが、目の前の人から発せられるなら。


「――殿下からは国王陛下との思い出話も多く聞いております。お忍びで共に出かけたこと、丘の上でお菓子とお茶を飲んだことを覚えていると、嬉しそうに話しておりましたわ」


 警戒心が完全に消えたわけではない。

 それでも、何もかも全てを敵だと遮断してしまうには、あまりにも目の前の相手の表情はロルブルーミアの知ったものだった。少なくとも、愛情や慈しみを知らない人ではない。

 だから、全てを切り捨てることもできなくて、ロルブルーミアは心の内を取り出すように告げる。


 リファイアードと過ごす時間で、オーレオン国王との思い出話は何度も聞いている。

 中でも、領地の丘で二人過ごした時間は特別なものだと察していた。

 国王陛下として多忙な身の上であり、養子を含めれば子供は三十人近い。一人一人に時間を割くのは難しいからこそ、二人だけで過ごした時間を特別なものなのだと思っているのは想像に難くない。


「あの時飲んだお茶やお菓子はとても印象深いようですし、その時のお菓子についてもいろいろお聞かせくだいましたわ。甘いものについても殿下はお詳しいですわね」

「ああ、リファイアードは甘いものがずいぶん好きだからね。私が好きだからというのもあるだろうけれど、疲れた時や体調がすぐれない時には、特に甘いものを欲するみたいだ」


 そういえば、という顔でオーレオン国王はつぶやく。

 純粋な食の好みということもあるだろうけれど、体調的にも甘いものが効果的だという。

 ロルブルーミアは「そうなんですのね」と相槌を打ち、数秒思考を巡らせた。ただ、すぐに打ち切ったのはオーレオン国王の言葉が続いたからだ。


「お茶の時間には、甘いものやたっぷりの砂糖を用意してくれるとリファイアードから聞いているよ。それに、香草料理が食卓に上るようになったのは、皇女がそう進言してくれたからだと」

「香草料理でしたらわたくしもよく口にしますし――それに、殿下のお好きなものがあるなら、なるべく用意して差し上げたいと思ったまでですわ」


 さして大きな意味があるわけではないのだ、とロルブルーミアは答える。

 リファイアードと良好な関係を結ぶためにという意味もあるし、ロルブルーミアとて嫌がらせがしたいわけではない。

 接していくにつれて、わかりにくいだけで奥底に隠された心情を知っていったこともある。だから、好きなものがあればいいと思うのは自然なことだった。

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