第26話 交わす声②

 アドルムドラッツァールは鷹揚にうなずいて、再度ロルブルーミアに礼を言ってから口調を変える。自分のことではなく、ロルブルーミアの現状を尋ねたのだ。

 どんな風に過ごしているのかは、兄や姉の関心ごとでもあるのだろう。勢い込んで詳しい話をせがまれるので、ロルブルーミアは慈善市場へ参加したこと、養護院や病院への訪問を口にする。


 もちろん、反対派の人間によって拉致らちされたことは言わない。心配させるだけだとわかっていたし、どんな危険な目も知らずに過ごしているのだと思っていてほしかった。

 家族の誰もがロルブルーミアの無事を、ただ安寧あんねいに過ごしていることを祈っていると知っているからこそ。


「最近では、聖女さまと仲良くなりましたの。同じ年齢ということもありますし、屈託くったくのない方でたくさん話しかけてくれますわ。教会へ遊びにいらしたらどうか、と誘っていただいたので今度出かけてみようと思っていますの」


 明るい声で弾むように告げたのは、嘘でも何でもない。ロレッタは無邪気に「視察とかじゃなくて、教会へ遊びに来てくださいね!」と言っていた。

 恐らく聖女の言葉とあれば、リファイアードもむげにはできないだろうと踏んでいるので、外出には許可が出るのではないかと思っていた。


 部屋の施錠は解除されても、屋敷の外へ出ることはリファイアードが首を縦に振らない。反対派の存在は重々承知しているから、理不尽な対応だとは思っていなかった。

 しかし、もう少し自由に出かけられる場所を増やしたいのも事実だ。

 そんな時のロレッタの誘いは、まさしく渡りに船だった。教会とのつながりを強くすることは、今後のことを考えても重大事項だ。


 それに、同じ年齢で屈託なく話しかけてくれるロレッタは、ロルブルーミアにとっても心躍る存在だった。

 基本的に魔王城の奥深くで暮らしていたロルブルーミアには、今まで同じ年齢の人間と接したことがなかったのだ。だから、家族に告げた言葉はまったくの本心だ。


「教会というのは、私たちにはあまり縁がないわね。話には聞いているけれど、唯一神の信仰は縁遠いもの」

「確かいろいろ造形が凝った建物が多いとか何とか。彫刻なんかもありそうで見てみたい」

「よくはわからないが――ルミアの結婚式が教会で行われると聞いている」


 ウィオヴィラーングがつぶやいて、ブラオルーラーッドが続き、アルヴァープティウルが重々しく言う。

 リッシュグリーデンドでは、オーレオンのように一つの神を戴いているわけではない。祈りの場はあれど、教会という存在にはほとんど縁がないのだ。むしろ、ロルブルーミアの結婚式が行われる場所という認識が一番大きい。


「オーレオンの王族が代々式を挙げる教会だな。歴史のある場所だ。特別に仕立てた婚礼衣装で、王家の冠を戴けば、オーレオンの一員となる」


 重々しい声でアドルムドラッツァールは言う。

 どこか憂いを帯びた響きをしているのは、この結婚が意味するものを痛いほど理解しているからだろう。国ための結婚であり、生贄いけにえのように末の姫を差し出したと言っていいのだから。


 お互いを慈しみ、人生の伴侶となって支え合うような。そんな夫婦ではなく、利害関係でつながった形だけの夫婦。ひとかけらの愛も存在しない。

 そんな関係を結ばせるのは、他でもないアドルムドラッツァール自身だ。


 オーレオンへ嫁ぐという案が、国にとっての最善であることは誰もがわかっていた。ロルブルーミアだって納得している。

 恋愛結婚というものが存在することは知っているものの、特に憧れたこともない。

 皇女として迎え入れられて、自分の立場を理解した時から、国の利益のために結婚するのは当然の義務だ。


 生まれ育った故郷であり、家族が大事にしている国を守りたかった。魔王とは血のつながらない人間を皇女として認めてくれた、国民の役に立ちたかった。

 さらに、ロルブルーミアは皇女となったことで与えられたものが多くあることを知っている。


 日々の食事の心配をする必要はなくなった。いつでも食べ物はあってお腹いっぱい食べられる。清潔な服と寝具を与えられて、体を清められる。

 粗末な家で動物や誰かが押し入ってくるかもしれないと心配する必要もない。ふかふかのベッドで、何の心配もなく朝を迎えられる。


 それら全ては、ロルブルーミアの力ではない。魔王の娘であり、王族の一員だからだ。国のために生きるという義務を負っているからこそ、与えられる全てだ。


 だから国の利益のため、素性のわからない相手と結婚するのは当然だった。愛なんて最初から期待していない。

 そう思って嫁いできたけれど、同時に理解もしている。

 他の家族がそれを心から苦しいと思っていること。何よりも父親が心を痛めていること。わかっているから、明るく口を開く。


「最近では、リファイアード殿下とお茶の時間を取ることが増えましたの。食事の席でも、お互いのことをあれこれ話していますし――お好きな食べ物も教えていただきましたわ」


 嘘は一つも吐いていない。ロルブルーミアがお茶を持って訪れても追い返されはしないし、多少の会話は発生する。食事の席でも、端と端からもう少し近い席に着いても拒絶はされなかった。

 最近では、国王陛下の話以外でも一応ぽつぽつとやり取りはできるようになっていた。少しずつ進展していることは確かだ。たとえ楽しく会話は弾んでいなくても。


「花壇についても、お話を聞いてみましたの。もしも興味があるなら、好きに植えてもいいと許可をいただきましたわ」


 ことさら弾んだ声で、心配を払拭するように告げた。

 今朝、朝食の時間に恐る恐る切り出してみたのだ。すると、けげんな顔をしつつも「屋敷内でしたらお好きにどうぞ」とうなずいたのだ。

 もっともこれは、ロルブルーミアのためを思ってというより、特に反対する理由がないからだろう。どうしてそんなことを言い出すのかはわかっていなくても、危険がないならとうなずくのだ。

 どうやらリファイアードは、ロルブルーミアに危険が及ばない限り、自由を制限するつもりがないらしい、ということは薄々察していた。


「――そうか。それならいい。それならいいんだ、ルミア」


 ロルブルーミアの言葉に、アドルムドラッツァールは噛みしめるように答えた。

 その声は、魔王としてのものではない。どんな威容も威圧もなかった。ただ、娘のことを案じる響きをしていた。


「遠く離れた場所でも、お前が心のままに過ごせることを祈っている。たとえそれが難しいとしても、父としてお前の幸せを祈っているのだ」


 絞り出すように切実な言葉だった。形にはならなくても、声の響きが伝えている。

「幸せにでいてほしい」と思っているのだ。どうか幸せでいてくれと、幸せにおなりと、声ではない強い願いが真っ直ぐ届く。


 国のための結婚だ。紛れもなくアドルムドラッツァール自身が下した決断だ。心から好いた相手との結婚ではない。

 わかっていても、それでも言うのだ。

 魔王としてではなく、娘を持つ父親として心から。どうか幸せであってほしいと、いっそすがるような響きで告げるのだ。


「――わかっていますわ、お父さま」


 心からの願いを受け取って、ロルブルーミアはただそれだけ答える。

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