第4話 つながる声③

「お父さまはいいよねぇ。わたしたちも、ルミアちゃんの花嫁姿見たかった!」

「うん。残念だって、みんなで言ってるよ。きっときれいなんだろうね」


 フラーロウルベンが不満げに言って、ラーグリージョレイスも同意を示す。

 魔族の皇女と皇子たちは、今回結婚式への列席は見送られていた。第四皇女と第四皇子は単純に、魔力のない場所での耐性が低いためオーレオンへ入国できないからだ。


 ただ、それ以上はいかにも魔族然とした出で立ちであることに起因する。

 オーレオンでは恐怖の対象になることは間違いなく、ただでさえ歓迎されていない結婚に混乱を招き、ロルブルーミアに対する忌避感を呼び起こす可能性があった。

 妥協点が、父親である魔王の出席なのだ。


「みんな、ルミアちゃんに会いたいんだよぉ。かわいい、かわいいルミアちゃんだもん。お父さまだってそうだよ」


 心から告げられた言葉だと、ロルブルーミアは知っている。

 父や姉、兄たちの愛情を疑ったことなど一度もなかった。だからロルブルーミアも、心から答えた。


「ええ、わたくしもお姉さまたちやお兄さまたち――お父さまにお会いしたいですわ。大好きな、わたくしの家族ですもの」


 暗闇に凍えて震える体を、大きな手のひらで包んで温めてくれた。何もわからず、ただ泣き叫ぶしかなかったロルブルーミアに寄り添って、手を握っていてくれた。

 父がいなければロルブルーミアはここに生きていなかったのだと、ただの事実として理解している。


 幼い頃の記憶は、いつまでも胸の奥に明かりとして灯っている。

 閉ざされた世界が照らされた瞬間を、抱きしめてくれた温もりを、ロルブルーミアはずっと忘れない。


 眠れない夜に絵本を読んでくれたことも、ロルブルーミアの誕生日を祝うためにアドルムドラッツァール自ら誕生日会を開いてくれたことも。

 魔力によって栄養補給ができる魔族に食事は必要ないのに、「ルミアの好きなものだからな」と言ってリンゴの木を植えてくれたことも。

 初めて作った塩辛いスープを「こんなに美味しいものは初めてだ」と言って鍋の中身を全て飲み干してくれたことも。


 ささやかな日常で、惜しみになくそそがれる愛情をロルブルーミアはずっと受け取ってきた。

 国中から恐れられる魔王も、ロルブルーミアにとっては大好きな父親以外の何者でもなかった。


「フラーお姉さまと日向ぼっこするのも大好きですし、ラーグお兄さまに図書館で本を選んでもらえるといつも胸が弾みましたわ。お姉さま、またすてきな場所に連れていってくださる? お兄さまのおすすめの本は図書館に入ったかしら」


 声いっぱいに喜色をにじませて、ロルブルーミアは言う。

 大好きな姉と兄だ。共に過ごした思い出はあふれるほどにあって、日々はいつでも温かい。

ロルブルーミアの言葉に、フラーロウルベンは「当たり前だよぉ」と答えるし、ラーグリージョレイスも「新作の話がしたいね」とやさしく言う。

 ロルブルーミアは目を細めて、さらに言葉を続ける。


「エッドお兄さまの鱗をぴかぴかして差し上げたいわ。ヴィラお姉さまの赤ん坊はさぞかわいらしいでしょうね。アルヴァお姉さまのふかふかの尻尾が、ときどきとても恋しくなりますの」


 ここにはいない兄や姉を思い浮かべて、ロルブルーミアは言う。

 第一皇子であるエッドレードリュトロンは威容を誇る大型竜で、悪魔の第一皇女であるウィオヴィラーングはもうすぐ出産を控えている。第二皇女のアルヴァープティウルは白い毛並みの美しい魔狼まろうだ。

 まぶたを閉じれば、いくらでもよみがえる。笑顔であふれた、光にあふれた日常。抱きしめて守っていたい日々。


「ブラオお兄さまの作った細工時計は、いつ見ても惚れ惚れしますわ。ウィリーお姉さまは、今日はどんな発明をしているのかしら。ルーゼお兄さまの育てた花を見に行けたらいいのですけれど」


 リッシュグリーデンドでは、それぞれが自由気ままに過ごしている。

 第三皇子の妖精族ブラオルーラーッドは手先が器用で、様々な細工物を作っていた。

 第四皇女のウィリローロルデは樹木の魔物であり、自室で日夜新発明に励んでいる。

 第四皇子のルーゼットリンクは花の精気を糧にする吸血鬼であることから、園芸栽培が得意だ。


 ただの人間であるロルブルーミアのことを、誰も蔑ろにすることはなかった。興味を示せば手を引いて、時には一緒に楽しんでくれたのだ。

 ロルブルーミアを背中に乗せて空を飛んだり森を駆けたり、子守歌をいくつも聞かせたり、発明品を実用化して特別な玩具を作ったり、ロルブルーミアのための花束を作ったり。

 血のつながらない人間を邪魔にすることなんて、ただの一度もなかった。どんな時も、兄と姉はロルブルーミアを真っ直ぐかわいがってくれた。


 リッシュグリーデンドで、共に過ごした毎日はロルブルーミアにとっての宝物だ。

 だからそれをずっとずっと守りたい。決して失いたくない。戦火に包まれる可能性があるなら、全ては摘み取ってしまわなくてはならない。


「――うん、そうだね。みんなルミアのことをいつも話してるよ。ああ、ルーゼはルミアの薬草園も熱心に手入れしていて、きれいな花が咲いていたな」


 やさしい声で、ラーグリージョレイスが言う。ロルブルーミアは「ふふ、ルーゼお兄さまに任せれば安心ね」と答えた。


 魔王城の一角には、菜園や花壇、薬草園がある。ロルブルーミアの食事のために野菜や木の実を収穫するものと、ルーゼットリンクの栄養補給のためのものだ。

 それ以外に、ロルブルーミアが個人的に薬草や香草を育てている薬香草やっこうそう園もあった。

 ただ、オーレオンへ嫁ぐことが決まってから、栽培はルーゼットリンクへ任せていた。植物を育てるのが上手いことは知っているから、元気に育っているだろうことをロルブルーミアは一つだって疑っていない。


「そうだよぉ! ルミアちゃんの薬草とか香草は、お父さまの役にも立ってるんだよ!」

「ああ、ルミアのおかげで助かっている。お前の育てた薬香草を煎じると、だいぶ魔力も安定するようだ」

「お役に立てているようなら何よりですわ」


 弾んだ声で、ロルブルーミアは答える。

 元を辿れば、人間用の薬がほとんど存在しないことから、薬草を育て始めたことが発端だ。

 魔族は自然界や血縁者からの魔力供給で大体の不調は治してしまうので、薬の類は要らない。そのため、ロルブルーミアは試行錯誤しながら、自分用の薬草を育て始めた。


 ただ、その過程で魔力を溜める性質を持つ植物を知り、同時に育てるようになった。

 魔力の欠乏は魔族に著しい負担をもたらす。それを回避するためには、特定の薬香草の摂取に効果が見られることがわかっているからだ。アドルムドラッツァールの魔力減退においても、一定の成果が出ているのだろう。


 離れていても、役に立てることが嬉しい。丹精を込めてみんなを育てていてよかった。心から、ロルブルーミアは思っている。


「そっちでも、花壇は作れるのかな? ルミアちゃんは、お花を育てるのがよく似合うからねぇ。できるといいねぇ」

「そうだね。許してもらえるといいんだけど――でも、むりは言わないようにするんだよ」


 フラーロウルベンの言葉に、ラーグリージョレイスも続く。

 オーレオンでも望んだように暮らしていてほしい、と姉と兄は祈っている。しかし、それ以上にロルブルーミアには危険な目に遭ってほしくないのだ。

 だから、目をつけられるような言動は控えてほしいと思っているのだろう。花壇を作りたい、なんて些細な言葉すら逆鱗に触れるかもしれない。


「オーレオン王は比較的おだやかで常に笑顔だが――必要とあらば長年の臣下でさえ、問答無用で切り捨てる男だからな。情に厚いが冷静な判断を失わない、怜悧れいりな国王だ。冴ゆる太陽などと呼ばれている」


 子供たちの会話を聞いていたアドルムドラッツァールが、重々しく口をはさんだ。

 今回の結婚を進めるにあたり、アドルムドラッツァールとオーレオン国王は直に顔を合わせていたし、長年の対立国家であるがゆえに相手についての情報収集は精力的に行っている。

 しくも、リッシュグリーデンド帝国を統べる魔王であるからこそ、オーレオン国王については誰よりよく知っていると言えるのだろう。


「お前は賢い子だ。状況は充分わかっているとは思うが――かりそめの和平であることを、ゆめゆめ忘れるな。結婚式まで気を抜かず、息を潜めているのがいいだろう。ルミアには決して傷ついてほしくはないのだ。お前を敵国に送り込んだ父の言葉ではあるが、心から思っている」


 切々とかけられる言葉に、ロルブルーミアは「わかっていますわ」とうなずく。

 国にとっての最善と判断したからこその行動だ。納得した上での選択に謝罪の言葉はない。しかし、娘の安全を祈ることもまた嘘偽りない真実なのだ。


 父親の言葉に、フラーロウルベンもラーグリージョレイスも力強く同意した。

 百年の単位で生きる魔族たちの中で、二十年にも満たない年齢で敵対国へ嫁いだ妹だ。かわいい、かわいい、大事な末の姫だ。

 無事でいてほしい。危険な目に遭わないでほしい。切実な祈りを理解しているロルブルーミアは、笑顔を浮かべて肯定を返す。

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