第3章 光の射す方へ

第24話 お茶の時間を

 ティーカップやクッキーの小皿を乗せたお盆を持ったロルブルーミアは、深呼吸をして執務室の扉を開く。

 黒樫材の机に向かって書類を広げていたリファイアードは、ロルブルーミアへ視線を向けて手を止めた。何か言いたげな雰囲気を感じつつ、気にしない素振りで机に近づいた。


 教会の一件以降、いくつかの変化はあった。

 リファイアードの気持ちには感謝しつつ、せめて屋敷内は自由に動きたいのだと伝えた結果、部屋の施錠はひとまず解除されている。

 本当に監禁するつもりはなかったようで、「そう言うのでしたら」とうなずいたので、ロルブルーミアは拍子抜けしたくらいだ。


 とはいえ、リファイアードの態度が突然軟化したというわけではない。

 話しかければ答えてはくれるけれど、会話が弾むこともない。慈善活動として養護院への視察や病院訪問を行った際は、表面的に親密なふりはできたものの、ひとたび屋敷に戻れば概ね沈黙に支配される。

 聖女という肩書から、慈善活動で顔を合わせる機会が多いことと屈託のない性格のおかげで、ロレッタとの方がよっぽど会話は盛り上がる。


 ロルブルーミアも、今までの気後れが完全に消失したわけではないので、まだ関係性は手探り状態だ。

 だから、今も部屋を訪れる時はどうにも緊張している。

 それでも、口を閉ざして全てを投げ出すことは今後のためにならないとわかっていた。少しずつでもわずかでも、言葉を交わす機会を持ち続けることが、きっとこれからのために必要だと考えている。


「休憩時間とうかがったので、お茶とお菓子をお持ちしましたわ。キーレンに用意してもらいましたの」


 ドキドキと心臓を鳴らしながら、ゆっくり机に近づく。

 リファイアードが机の上の書類を片付ける様子を確認して、自然な動作で歩み寄る。右側に立ち、クッキーの小皿を手に取った。


 断られるかもしれない。なれなれしいと拒絶されるかもしれない。頭に浮かぶ可能性はいくつもあって、怖気づきそうになるけれど。

 ロルブルーミアは自分を叱咤して、小皿をそっと差し出した。リファイアードがとがめることはなかったので、続いてティーカップと砂糖入れを机に並べる。


「こちら、ポーマムルのお茶とミルファムのクッキーですわ」


 ポーマムルもミルファムも、それぞれ薬香草の一種である。

 ポーマムルはリンゴの香りがする花で、ティーカップからもふわりと芳香が漂う。ミルファムは香りづけなど広く料理に使われ、クッキーにもよく合う薬香草だという。


「キーレンから、殿下はこういったものがお好きだとうかがっております」


 意識的に笑顔を浮かべて告げるのは、屋敷で働く料理人の言葉だ。

 別邸扱いの首都の屋敷は、必要最低限の使用人で運営されている。その中の一人が、料理人のキーレンである。

 古くからリファイアードに料理をふるまっているということで、食の好みにはずいぶん詳しい。

 屋敷内を自由に動けるようになってから、ロルブルーミアは使用人ともなるべく親交を持つようにしており、その一環としてキーレンからはリファイアードが好む食べ物について聞いていた。


 食卓を共にしている時から察していた通り、リファイアードは大変な甘党である。料理の味付けは砂糖や蜂蜜が多いし、菓子の類も好んでいる。

 間食としてクッキーやケーキ、砂糖をまぶした揚げ菓子やクリームの乗った焼き菓子などを提供することが多いという。


 ただ、それだけではなかった。もう一つの好みが、薬香草を使った食事だと聞かされたのだ。

 ふだん、リファイアードはあまり食事に注文はつけない。美食家というわけでもないし、出されたものは何でも食べる。

 ただ、ときおりミルファム風味の鶏の炙り焼きや、セダと鮭のバター焼き、フォルティムとリューケの野菜煮込みなど、薬香草がふんだんに使われる料理を所望することがあるという。

 それゆえ、恐らく言わないだけで好物なのだろうと判断して、キーレンは薬香草料理を献立にくわえている。ただ、若干癖があるためロルブルーミアを気にして最近は出していなかったらしい。


「砂糖もふんだんに用意しておりますので、冷めないうちにお召し上がりください」


 笑顔でそう言うと、リファイアードはしばし琥珀色が満たされたティーカップを見つめていた。


 屋敷内を自由に動き回れるようになって、リファイアードのもとにはひっきりなしに伝令鳥が訪れていることを知った。

 頻繁にやり取りをしており、夜中まで執務室にこもっているという。現場に出られない分を埋めるためか、仕事は山積みなのだろう。

 休憩を取ることもしないので、使用人たちが心配して適宜お茶を持っていくことにしていると聞いて、その役目をロルブルーミアは買って出た。


 婚約者として、ゆくゆくは妻としてリファイアードの補佐を務める者としての役目、ということも念頭にある。ただ、単純にもっとリファイアードと接する時間を増やすべきだという判断だった。


 あまりにもお互いに言葉が足りず、会話が不足していたことはよくわかっている。今後のことを考えれば、相互理解を深めることは重要だ。

 これまでのロルブルーミアであれば、そんなことはとうていできないと思っていただろう。

 歩み寄ろうとしても拒絶され、よけいなことをするなと叱責しっせきされ、逆鱗に触れて恐ろしい罰が待っているかもしれないと思っていたのだから。


 むろん、全ての心配が消え去ったわけではない。今もまだ手探り状態で、何が起きるかわからないと戦々恐々している部分もある。

 しかし、教会の一件以降薄々察していることはあった。

 言葉は足りないしわかりにくい態度を取るので誤解を生むだけで、胸に抱えるものは決して冷酷でも残虐ではないのかもしれない。


 部下からの言葉や幼い兄妹へ向ける態度が、何よりも物語っていた。

 命を預け合う場面で信頼を勝ち得る。自身の保身や見返りを求めず、処罰も辞さず誤解を解こうとする。

 必ず助けると、凛として誓う。睦まじい兄妹を、やわらかなまなざしで見つめる。そんなリファイアードの奥底にあるのは、慈しみと呼ばれる類のものはずだ。


 だからきっと大丈夫だわ、と自分に言い聞かせていると、リファイアードが動いた。

 砂糖入れに手を伸ばすと、取り出した砂糖をティーカップへ沈めていく。スプーンをかき回して溶けたところで、ティーカップを手に取ってゆっくり傾けた。


 特に何も言わなかったけれど、二口・三口と進んでいくのでロルブルーミアはほっと息を吐く。続いてクッキーにも手を伸ばし、さくさくと平らげていく。

 この分ならすぐに食べ終えるだろうから、それを待ってカップや皿を下げるつもりだった。

 ただ、無言で待っているのも何だか気まずい。リファイアードは気にしないだろうし、話しかけたところでほとんど会話が弾まないことはわかっていたけれど。


「――国王陛下も甘いものはお好きなのでしょうか。お茶の時間など、ご一緒することはありますの?」


 深呼吸をしてそう言うと、クッキーを食べていたリファイアードの手が止まった。

 ロルブルーミアへ視線を向けるので「オーレオンではお茶を楽しむ時間があると、聞いたことがあります。国王陛下と殿下にも、そういったことがあったのかしら、と思いましたの」と続けた。


 リファイアードは数秒黙り、口の中のクッキーを飲み込んだらしい。真っ直ぐロルブルーミアを見つめて口を開いた。


「そうですね。陛下はあまりはっきりとは言いませんが、甘いものは好んでいます。王宮料理でもデザートを楽しみにしていますし、お茶の時間もあれこれと何種類ものケーキを用意させたと聞いています」


 きっぱり言ったリファイアードは、それ以外にも庶民的な甘味も好んでいるのだと言って、変装して街の祭りに出かけて、屋台の食べ物を買ってきたこともある、と続ける。偉業をたたえるような、力強い言葉だった。


 ロルブルーミアは笑顔であいづちを打ちなら、予想通りの展開にほっとしている。

 何度かリファイアードへ言葉をかけて、会話を続けようと試みた結果わかったことがある。

 大概において一往復程度の簡素なやり取りで終わってしまうことがほとんどだけれど、唯一例外があったのだ。

 リファイアードは、オーレオン国王の話題に関してはだいぶ饒舌じょうぜつになる。


「陛下は国王という立場ながら、いたずら好きな面もあります。変装して街に出向いたり、身分を隠して遠征隊に従軍したりといろいろしていますから。普段は威厳がある国王陛下でありつつ、意外と気さくで楽しい人ですね」


 笑みをこぼして、リファイアードは言う。これまでの経験から、国王陛下の話題を持ち出せば話が弾むことはわかっていた。

 人となりはもちろん、遠征部隊での冴え渡る指揮の手腕、治水工事や小麦の品種改良などの内政まで、話題豊富に語ってくれるのだ。


「そうなんですのね。クッキーもお好きなのかしら」

「ええ。あまりこういったものは王宮で出てこないからと、街に出かけた時には口にしていました。陛下は慈悲深くやさしい方なので、俺のことも気にしてときどき外に連れ出してくれました。そうだ、あの時もフルト以外にクッキーを数枚持っていったな」


 そう言って、リファイアードは目を細めた。恐らく、過去にあった出来事をなぞっているのだとロルブルーミアは察する。

 今リファイアードの目に映っているのは、現実のクッキーではなく遠い過去に口にしたお菓子なのだろう。


 いつかの過去にあった光景を、リファイアードはぽつりとつぶやく。

 リファイアードの本来の領地であるアルシェは、のどかな田舎町だ。お忍びで訪れた国王陛下と、街外れの丘まで出かけた。

 飲み物とちょっとしたお菓子を持って、青空の下で何でもない話をしていた。あの時見た光景をずっと覚えているのだと、リファイアードはこぼす。


 その様子は、ただおだやかだ。どんな恐ろしさも冷酷さもない。

 ロルブルーミアに向ける表情でないとはしても、そんな顔ができるのなら。大事なものを知っているのだと、この上もなく表情が語るのなら。

 きっともう少し近づけるわ、とロルブルーミアは思っている。

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