第23話 教会―てのひらに灯す
リファイアードの部下だという軍人の一団がやってきて、男たちを回収していった。
二人は途中で意識を取り戻したものの、捕縛された状態では身動きもできずそのまま引き立てられていく。
物置小屋は聖堂区の外れにあり、さして遠くまで連れてこられていなかったのは幸いだったのだろう。
兄妹はひとまず教会で保護され、親の迎えを待つことになった。職人街に住んでいるようで、詳しい事情はあとで尋ねることになる。
礼拝所で迎えを待つという兄妹と別れる時、最後まで二人は「ありがとうございます」と何度もロルブルーミアへお礼を言ってくれた。
◇ ◇ ◇
「――それでは、ロルブルーミア皇女殿下。何かお話になることはありますか」
諸々の対応を終えて、バルコニーへつながった部屋へ戻ってきた。
応接室の椅子に腰かけたリファイアードは、向かいに座るロルブルーミアに向かって尋ねる。
今回の一件は、表向き修道女の一人が事件に巻き込まれた、ということになっている。
リッシュグリーデンドの皇女が修道女に扮していたことを知っている人間は数少ないし、わざわざ事を荒立てることはないという判断だ。
幸い、そこまで時間が経っていなかったこともあり、大きな騒ぎにはなっていなかった。
とはいえ、事情を知っているロレッタなどは気が気ではなかった。大ごとにしてはいけないと黙ってはいたものの、あと少し帰るのが遅くなっていたら洗いざらいぶちまけていただろう。
さらに、事情を知っているエマジアやグライルたちも同様で、水面下で動いていたと聞いている。
一歩間違えれば国際問題に発展しかねなかったものの、すんでのところで防がれた、というのが実情である。
リファイアードは淡々と、今回の一件は護衛の失態と警備体制の不備にも起因している、として関係者に対策の指示を出し、処分の実施も伝えていた。
ロルブルーミアの護衛が役目を果たしていれば事件は未然に防げただろうし、教会の警備が手薄だからこそ、物置小屋まで連れ去られることになったのだ。だから、関係者への処分自体は妥当な判断と言える。
何事もなかったとして、いい加減に済ませることをリファイアードは選ばないのだろう。
現状を再確認して、ロルブルーミアは深呼吸をする。
慈善市場は夜の部が始まっており、にぎわう声がほのかに耳に届く。戻ってきた教皇が、夜空の下で説教を始めているはずだ。
部屋は人払いがされており、エマジアやグライルたちも席を外している。修道服から着替えたロルブルーミアは、意を決して口を開く。
「本当に申し訳ございません。わたくしの勝手で、多くの人に迷惑をおかけしました。殿下にもよけいな手間を取らせてしまったこと、心からお詫びいたします」
そう言って、深々頭を下げた。
発端はロレッタに誘われたこととはいえ、断るという選択肢はあったのだ。警備の不備が原因だったとしても、そもそもロルブルーミアが迂闊なことをしなければ、全ての事態は防げたのだから。
「甘んじて処分はお受けいたします。何なりとお申し付けください」
自分の行動には責任が伴うのだ。結果として大ごとにはならなかったけれど、危うい橋を渡った自覚はある。
国を背負う皇女としては、とうてい考えられない行動だ。だから、リファイアードからどんな処分を下されてもうなずくしかない。
緊張したまま頭を下げていると、大きなため息が聞こえた。続いて、「顔を上げてください」と言われるので、恐る恐る頭を上げる。
「――確かに、あなたはどうやらこちらが思っているより、向こう見ずなようです。修道女に混じって糸守りを配るまでならまだしも、まさか体を張るような人間だとは思っていませんでした」
呆れた顔で言うリファイアードは、ある程度のことを兄妹から聞いていたらしい。
物置小屋で少女を人質に取られ、少年が仲間になるよう強要された場面で、男に体当たりしたこと。兄妹を守るために立ちはだかろうとしていたこと。
どんな力も持たないロルブルーミアの行動としては、無謀極まりない。
「一体どうするつもりだったんですか。剣も持たず、相手を倒すほどの腕力もない。非力なあなたにできることなんて、何もないでしょう」
「殿下のおっしゃる通りです。無謀なことをしたと重々わかっております」
神妙な表情でそう答えるしかなかった。
事実としてはその通りでしかないし、ロルブルーミアとて理解しているのだ。
だけれど、あの場で何もせずにいることなんて、したくなかった。その気持ちだけははっきりとしているし、きっと同じ場面になったら何度だって同じことを繰り返すという確信があった。
そんな気持ちを、リファイアードは見透かしたらしい。苦虫を噛み潰したような顔でつぶやく。
「わかっているから質が悪い。部屋の施錠をしていれば、外部からの敵は排除できると思いましたが……。当人がこうでは、別の方法も考えなくてはいけないかもしれません」
心から、といった調子でこぼされた言葉だった。ロルブルーミアは神妙な面持ちで、一言一句を聞いていたのだけれど。
意味を理解した瞬間、ロルブルーミアは目を瞬かせて、リファイアードを見つめた。
耳に届いた言葉。さらりと告げられたその意味。何でもないことのように放たれたけれど、今何か、とんでもなく予想外の言葉が聞こえたような――。
思わず固まっていると、リファイアードは「どうしましたか」と言うので、上ずった声で尋ねる。
神妙な気持ちだとか、慎重に動くべきだとか、そんな考えは全て吹き飛んでいた。
「――わたくしの部屋に鍵を掛けているのは、外部の敵を考慮してのことですの?」
「ええ。もちろん屋敷の警備はしていますが、万が一侵入されたことも考えなくてはいけないでしょう。あの鍵はどんな屈強な戦士も開けられないと評判ですから、部屋にこもっていれば安全ですよ」
どうしてそんな当然のことを聞くのか、といった顔でリファイアードは言う。
さらに、「人を監禁する趣味なんてありませんよ」と続くので、ロルブルーミアはどんな顔をすればいいかわからない。
そんな反応に気づいていないのか、リファイアードは淡々と続ける。
「リッシュグリーデンドがどう思われているのかは、あなたもご存じでしょう。快く思っていない人間も多いですし、極力人前に出ない方がいい。それでも、万が一のことを考えて鍵を用意したまでです」
落ち着いた様子で、リファイアードは告げる。
どんな疑問もないといった、自然な表情。嘘やごまかしではなく、心から思っているのだと理解する。
それを見つめるロルブルーミアの頭には、リファイアードの屋敷に到着して告げられた言葉がよみがえる。
リッシュグリーデンド帝国の皇女を、迂闊に人前に出すわけにはいかない。魔族の国の皇女を、オーレオンの人目に触れさせるなど言語道断である。極力気配を殺して、存在を消して振る舞うように。
あの言葉の真意は、もしかして。
リッシュグリーデンドの皇女など忌むべき存在だと、顔も見たくないのだと、存在そのものを否定する言葉だと思っていた。
しかし、これはそうではなく。敵意を向けられる可能性があるからこそ、なるべく見つからないように過ごせという意図だったのか。
でも、だけれど、まさか、そんな。
混乱しながら、ロルブルーミアは口を開く。
きっともっと前なら、馬鹿げたことだと切って捨てる。しかし、幼い兄妹に接する様子や部下の語る姿を知ってしまったら。もしかして、という予想が決して無視できない。
「――あの、客人と顔を合わせないようにというのも、もしかして……」
「必ずしも善人ばかりとは限りませんし、癖のある人も多いですから。万が一危害を加えられることでもあれば問題ですし、慣れていない場所で、よけいな気苦労をする必要はないでしょう。貴族の中には、何かと独自の決まりを持っている人間も多いですしね。青い花は縁起が悪いなんて言って、目に入ると激昂するような人間もいますし」
いちいち対応するなんて面倒でしょう、という言葉に青い釣鐘草が浮かんだ。
玄関に飾った花。「よけいなことをしないでいただきたい」と言って、処理したと伝えられた。
ロルブルーミアの知る限り、唯一やってきた客人はあの時のボルドス公爵だけだ。もしも彼が青い花を目にしたら激昂する人間だとしたら、玄関から撤去するのは当然だろう。
「玄関に置いた釣鐘草は……」
「ああ、そうです。あれです。激昂されて帰宅されると困りますので、執務室に持っていきました。あなたには不本意でしょうが」
さらりと答えられて、今度こそロルブルーミアはどうしたらいいかわからない。次々と明かされていく事実にめまいがするようだった。
ただ、ここで黙ってしまうわけにはいかない気がして、ごくりと唾を飲み込んで尋ねた。
「石が投げ込まれた事件のあと、詳細を伝えてくださらなかったのは――」
「知っても怖がらせるだけでしょう。あの時はまだ、犯人も捕まっていませんでしたし」
実行犯が捕まったという連絡は、ムギツバメの伝令で知ったらしい。そこからリファイアードは犯人の取り調べに赴き、金髪の青年と剃髪の大男を突き止めた。
さらに、拠点としていた物置小屋に子供と修道女が連れ去られたという情報を得て、突撃したというのが真相らしい。
「聞かれたなら答えますが……。不用意に知らせても、無駄に不安を呼ぶだけではないですか」
何もわからない状態での報告は、ロルブルーミアをただ怖がらせるだけだと踏んで、使用人を含めて何も告げないよう指示を出したらしい。
何も知らず、不安に思う要素は排除し、安全な部屋の中で過ごすのが一番だと考えて。
リファイアードの答えを聞くロルブルーミアは、もはやどう反応したらいいのかわからなかった。
次々明かされていく事実に翻弄されて、ほとんど反射で尋ねた。
「――食事の席で一切口を利かないことには、何か意味がありますの?」
「特にありませんが……。俺と話したいですか?」
心底不思議そうに尋ねられて、ロルブルーミアの体から力が抜けていく。今まで張りつめていたものが、どんな意味もなかったのだと、突きつけられたからだ。
恐らくリファイアードは、ただ単純にロルブルーミアは自分と話したいわけがないと思っている。
だからどんな会話も発生しないのだ。話しかける方が迷惑だとさえ思っている可能性さえあった。
何てこと、とロルブルーミアは思う。
今までの葛藤は何だったのか。残酷で無慈悲な王子なのだと、だからこその仕打ちだと思っていたのに。
蓋を開けてみたら、正反対の言葉ばかり出てくる。守るために、怖がらせないために、そのための行動だったなんて。
何てわかりにくいのかしら、と思う。ことごとく全てが裏目に出ているし、ロルブルーミアの気持ちを一切無視しているし、とうてい上手いやり方とは言えない。
感謝の気持ちが芽生えたわけでもないし、困惑や憤りが全くないわけではない。しかし、ほとんど反射的にこみあげてくるのは、もっと別の感情だった。
隊長は言葉が足りませんからね、というグライルの言葉がよみがえる。そうね、とロルブルーミアは思った。
ええ、本当にその通りだわ。きっともっと話をすれば、ささやかな会話を繰り返せば、勝手に自分で決めつけずにいたなら、見えてくるものはあったのに。
「――殿下、わたくしたちはもっと話をするべきだと思いますわ」
心からの言葉を、ロルブルーミアは告げる。
戸惑いや混乱は確かにある。今までのことを思い出すと、憤りもあるし文句も言いたかった。
しかし、胸の奥に芽生えたのは、いらだちや怒りとも違っている。
今まで知らなかったリファイアードの気持ちを知った。思いがけなくて、まるで想像していなかった。
何だか落ち着かないのは、衝動がこみあげてくるような感覚はきっと、目の前に新しい世界が開けたからだ。きっとここから何かが変わっていく予感のせいだ。
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