第22話 小屋―閃光
※この話には暴力的・残酷な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
「お前、よけいなことをしようとするなよ。お前もこいつらも、ここで終わりだ。おい、縄くらいあるだろ」
「いや、なんかこの箱ロクなものがねぇんだよな……もっといい感じのものが――」
じれたような男に金髪の青年が答えるけれど、言葉が途切れる。突然、扉を叩く音がしたからだ。
物置小屋の粗末な木の扉。その前に、誰かがいる。
男たちは目配せしあって、何事かを交わしあう。
金髪の青年が扉に歩いていき、後ろが見えないようにほんの少しだけ開いた。その瞬間だった。
うぐ、とうめくような声がするのと同時に、金髪の青年がその場に崩れ落ちる。男が何かを言うより早く、扉が勢いよく開いた。
外から入る光を背景に立つのは、一人の青年。
燃えるような赤い髪に、力強い輝きを宿す紅玉の瞳。こめかみの少し上には、左右から黒い角が生える。
射殺すようなまなざしを向けているのは、紛れもなくリファイアードだった。
「気を失ってもらっているだけでまだ殺してはいませんので、ご安心を。もっとも、これからの行いによってはそれも保証できませんが」
冷淡な声で言い放つと、ためらうことなく物置に足を踏み入れる。
右手ですらりと剣を引き抜くと、男に向かって「お前たちが子供と女性をさらったことはわかっています。即刻開放すれば、痛い目は見なくて済みますよ」と告げる。
どんな激情にも彩られていない、いっそ事務的とさえ言える声だった。
しかし、すぐに表情をやわらげるとおだやかに告げる。男には目もくれず、ロルブルーミアと背後の子供たちに向かって。
「あなたたちは必ず助けます。オーレオン国王の名に誓って、約束します」
その表情は、どこまでも凛々しくやさしさかった。
何もかもを照らすまばゆさと、抱きしめるような慈しみが真っ直ぐそそがれる。ただ静かに、深く、心を全て取り出すような。
剣を向けていることが嘘のように思えるほど、やわらかな声をしていた。
ロルブルーミアは思わず目を瞬かせる。知らない、と思った。しかし、同時に理解もしていた。
ロルブルーミアに向けられたことがないだけで、本当は知っている。
たとえば、小さな体で使命を果たすムギツバメ。たとえば、窮地に陥った自身の部下、共に戦う仲間たち。
彼らが語ったリファイアードは、こんな姿をしているはずだ。
「この状況わかってるのか! おい、それ以上近づくなよ! こいつがどうなってもいいのか。見ればわかるだろ、こいつは聖女さまだ。聖女を傷つけるなんて罰当たりなことできないだろ?」
大男はせせら笑うように言って、ロルブルーミアを前面に付き出す。
とっさにうつむいたのは、顔を見られて、リファイアードに気づかれてしまうことを恐れたのだ。
しかし、リファイアードは何も言わない。ほっとするものの、もしかして、と思う。
リファイアードにとって、ロルブルーミアの存在など些末なものでしかない。興味なんてかけらもないのだ。
顔を見たところで、自分の婚約者であることさえ気づかなかったのかもしれない。
「聖女さまを助けたいなら、さっさと剣を捨ててもらおうか」
強い声で告げるのは、人質であるロルブルーミアを傷つけられたくなければ、武器を手放せという命令だ。
リファイアードはその言葉をじっと聞いてから、ゆっくり動いた。
光を弾く両刃の剣。丁寧に扱われ、手入れをされていることがよくわかる。刃こぼれ一つない、美しい剣。それを構え直して、強い声で答えた。
「私が信じているのは国王陛下ただ一人のみ。陛下だけが私の神です。他の神に用はありません」
言葉と共に、リファイアードは右手で構えた剣を突き刺すように、勢いよく男に突進する。
男が舌打ちして、ロルブルーミアの腕を引いた。リファイアードとの間に立たされる。
真っ直ぐ刃が向かってくる。国王陛下だけが神だというなら。リオールド教の神に用がないなら、聖女を守る理由などあるはずがない。
このまま、ロルブルーミアごと男を突き刺してしまえば、それで目的は果たされる。何をすればいいかわからない。ただ、光る刃を見ているしかできない。
しかし、突然目の前から剣が消えた。
そう思った次の瞬間、リファイアードが身をひるがえして男の背後に回る。そのままがら空きの背中へ斬りつけると、男が「ぐっ」とうめいた。腕の力がわずかにゆるむ。
その隙を逃さず、リファイアードはロルブルーミアを自分の方に引き寄せる。自分の背中へ守るような態勢になり、男に向かってきっぱり言った。
「人質がいるからと慢心して、周囲が見えていなくて助かりました。身動きできない
日常会話の続きのような温度で言ったリファイアードは、体勢を崩しかけている男の太ももに剣を突き刺した。
「ぐあああっ」と叫ぶ声も気にせず、ゆっくり引き抜くと、じわじわ血が流れ出す。ロルブルーミアはとっさに目をそらした。
「くっそ、この――血濡れの王子め! 鮮血の悪鬼、リファイアードめが――うぐっ」
最後まで言うことはできなかった。リファイアードが思い切り男の膝を蹴りつけ、そのまま足を払って地面に転がしたからだ。
巨大な体が転がるのと同時に、リファイアードは男の首を踏みつける。
「陛下にいただいた俺の名前を、下等なお前が呼ぶ権利はない。口を閉じろ」
男を見下ろして吐き捨てる様子は、ぞっとするほど冷ややかだ。
声にどんな感情もなく、ただ男を害することだけしか考えていない。どこまでも冷酷で、血の匂いがするようだった。
男はどうにか体を動かそうとするものの、血を流す足では上手く力が入らないのか。見た目に比べてリファイアードには力があるのか。
縫い留められた虫のようにバタバタ動くものの、抜け出すことはできない。リファイアードは冷淡にそれを見つめながら、踏みつける足に力を込める。
男はしばらくの間、声にならないうめき声を発していたものの、次第にそれは小さくなり、しまいには聞こえなくなる。
「――死んではいませんよ。気絶しただけです」
男の反応がなくなったことを確認して、リファイアードが足をどかしながら言う。
恐る恐る視線を向けると、かろうじて胸は上下しているようだ。失神しているだけらしい。
リファイアードは剣の血を払うと、ロルブルーミアの背後に回って両手の拘束を解いた。それから、子供たちの拘束を解くよう言われるので、ロルブルーミアは素直に従った。
まず少女のさるぐつわを外して両手を自由にすると、今まで耐えていたものがぷつりと切れたのだろう。大きな声でわんわん泣き出し、続いて拘束を解いた少年に抱き着く。
少年は妹を抱きしめながら「ごめん、ごめんな。怖かったよな、ごめんな」と懸命に言葉を掛ける。決して離すまいとする強さで、大切なものを抱きかかえるように。
その様子を見つめるロルブルーミアは、ほっと息を吐く。
この二人がけがをすることも、何一つ失うこともなく。お互いを大事に思い合う兄妹を守れてよかった、と心から思っていた。
するとそこで、隣のリファイアードも同じように兄妹を見つめていることに気づく。
さっきまでの冷淡で無慈悲な表情などかけらも見せず。唇に笑みをたたえて、目を細めて。やわらかなひだまりのような表情で、幼い兄妹を見つめている。
今まで目にしたものがよみがえって、もう意外だとは思わなかった。
とはいえ、見慣れないことも確かだ。思わずその横顔を注視していると、不意にリファイアードが顔を動かした。
今までの表情を拭い去って、ロルブルーミアの方へ顔を向ける。ばちりと目が合う。何かを言わなくては、と思うけれどそれより早くリファイアードが言った。
「――聖女さまには、少々詳しい話をお聞きしましょうか。どういう経緯で、あなたがここに?」
おだやかではあるものの、目は笑っていなかった。「聖女さま」という言葉にも含みがあるし、さすがにロルブルーミも察する。
気づいていないかもしれない、と思ったけれど、それはしょせん希望的観測でしかなかったのだ。
ここにいるのがリッシュグリーデンド帝国の皇女であるとわからないほど
明らかにいるべきではないところに自分がいることはわかっていた。何か言い訳をしなくては、と口を開くとその前に叫ぶ声がした。
「ち、ちがうの! 私のせいなの! 私が聖女さまに助けてって言ったから!」
「オレが悪いんです! 全部オレのせいなんです!」
大粒の涙をこぼしながら少女が言って、少年も悲痛な声で続く。
泣きながら告げられる言葉は要領を得ないものの、リファイアードは一度目を瞬かせてから、兄妹に向き直る。
少年はリファイアードの前に進み出ると、顔面蒼白で口を開いた。己の罪を
「ごめんなさい。王子さまの家に、石を投げたのはオレです。ま、魔族を退治にしなきゃだめだって、勇者になれるって言われて、それで――ごめんなさい、オレの、オレのせいだから、妹も聖女さまも悪くないからっ、罰ならオレが受けるから、何もしないでください……っ」
そこまでどうにか言い終えたところで、こらえていたものがあふれたのだろう。
少年の目にぶわりと涙が浮かんだかと思うと、ぼろぼろとこぼれていく。一度あふれてしまえば、もうだめだった。
少年はしゃくりあげながら、「ごめんなさい、ごめんなさい」とひしゃげた声で泣き続ける。少女もそれにつられたように再び泣き出して、物置小屋には幼い泣き声が響き渡る。
リファイアードは数秒戸惑うような空気を流したものの、すぐに落ち着いた表情を浮かべる。深呼吸をすると口を開いた。
「――なるほど。詳細はわかりかねますが、おおよその予想はつきました」
そう言って膝を折ると、少年と目線を合わせる。
涙に濡れた瞳をじっと見据えると、少年はしゃくりあげながらリファイアードへ視線を向けた。怯えた様子で、どんな恐ろしい罰が与えられるのか、という顔で。
「あなたは行いに対して、しかるべき罰を与えられなければなりません。なかったことにはできませんからね。ただ、実際の被害状況とあなたの反省度合いを考慮することは可能です」
そこまで言って、リファイアードはいったん言葉を切る。
淡々とした、無表情にも見える顔で少年を見つめていたけれど、ふっと唇をゆるめた。困ったように眉を下げて、やわらかに目を細めて続ける。
「教会への奉仕活動あたりが妥当でしょう。いろいろと話は聞かせてもらいますし、今後の態度も
約束できますか、と尋ねられた少年は数秒黙る。
ぽかんとした表情は、悪名高い王子のことだ一体どんな恐ろしい罰が待ち受けているか、と覚悟していたからだろう。
それが教会への奉仕活動なんて、という意外性で固まっているのだ。リファイアードは「難しいですか?」と再度尋ねる。
「えっ、違う、そうじゃなくて――できます! 約束します!」
涙声ながらはっきり言うと、リファイアードは「詳細はあとで伝えましょう」と答えてゆっくり立ち上がる。それから、ロルブルーミアへ視線を向けた。
「ひとまずは、ここの処理を行うことを優先します。あなたも詳細はあとで聞かせてもらいますので」
淡々とした調子で告げられた言葉に、ロルブルーミアは「わかりましたわ」と答える以外の選択肢を持たない。
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