第21話 小屋―対峙
身動きも取れず、声も出せないままどこかへ運ばれていく。
周囲の様子を確認できたのは、荷物のように投げ出されて袋が取れた時だ。
もっとも、粗末な小屋の中に転がされたことがわかっただけで、一体ここがどこなのかはわからない。
天井は高く、広さはあるもののずいぶん年季が入っている。古めかしい板張りの床の上には、おがくずや土の塊、木片が転がる。木箱の中には無造作に道具類が詰め込まれ、それ以外に
壁には熊手や
小さな窓があるだけの小屋は土や木の匂いがして、むわりとした熱気が漂っている。物置兼作業小屋といったところだろう。
ロルブルーミアと共に、床の上に転がされたのはさっきの少年と少女だ。三人を見下ろしているのは、目つきの悪い金髪の青年に、見上げるような大男。
「だから、ガキを使うなんて反対だったんだよ。
金髪の男が吐き捨てるように言って、少年の頭を小突いた。少女がびくりと肩を震わせて、泣き出しそうに顔を歪める。
さるぐつわを噛ませられているため声を出せないだけで、もしも口が利けたらわんわんと泣いていたかもしれない。
「だが、ダンヴァンのやつも勝手に暴走して、突撃しただろ。あれを考えると、ガキの方がまだ使い勝手はいいはずだ。何をしようとしても、単なるいたずらに思われるからな」
それから二人は、ぼそぼそと何やらやり取りをしている。漏れる声に聞き耳を立てるロルブルーミアは、薄々察していたことに確信を深めていた。
「魔族の王子と魔族の皇女を結婚なんてさせたら、一体何が起きるかわからねえ! オレたちが阻止しなきゃならない、そうだろ!?」
一際強い声で金髪の青年が叫び、大男が力強くうなずく。
やり取りから察していた通り、この二人は魔族との結婚に反対しており、そのためには強硬手段も辞さないつもりなのだ。
その事実に、ロルブルーミアの心臓は大きく跳ねた。全身から血の気が引いていく。
わかっていた。しかし、はっきりと突きつけられたことで、抑え込んでいたものが膨れ上がる。
よみがえる。思い出す。真っ向からぶつけられる悪意と暴力を知っている。要らないのだと、この世に存在していることが間違いなのだと、排除するためなら手段を厭うはずもない。
ここにいてはだめだ。逃げなくては。どっど、と頭に響く心臓の音を聞きながら、ロルブルーミアは周囲を見渡す。
出入口は、男たちの後ろにある扉一つだけ。明かり取りの窓はあるものの、小さくて外には出られない。
足は縛られていないものの、手首には麻縄が巻かれていて、口には布をはめられていて声は出せない。
今ここで混乱に陥ってはいけない。意識的に呼吸を繰り返す。なけなしの理性を集めて、ロルブルーミアは頭を働かせる。
せめて情報を集めなければ、と男たちの会話に耳を澄ませた。
すると、リファイアードの屋敷に石を投げ込んだのも、深夜に急襲して窓を割ったのも彼らの計画の一つだという。
急襲したというダンヴァンなる人物はすでに捕まっており、そこから自分たちにつながってはまずい、と二人は言い合っている。
「――だから、お前を逃がすわけにはいかないわけだ。わかってるな。もうお前たちは、オレたちの仲間なんだ。二度と逃げられない」
大男が真っ直ぐ少年を見つめて告げる。少年の顔は真っ青だ。
大男と金髪の青年のやり取りで、おおよその事情をロルブルーミアは察する。どうやら、
それが、リファイアードの屋敷に石を投げ込むことで、新聞紙に包む方法や、兵士の見張りが少ない時間帯を教えて実行させた。
自分たち以外の町の人間も巻き込むことで、これが大衆の意志なのだと訴える目論見だった。同時に、自分たちの手駒として使うつもりだったのだろう。
しかし、後になって少年は、自分の行為が恐ろしくなったらしい。
とんでもないことをしてしまったのではないかと、罪の意識に耐えかねて教会へ
男たちがそれを察して少年を捕まえようとしたところを妹が見つけて、ロルブルーミアに助けを求めたというのが事の次第だ。
事実だけを
どくどくと心臓の音がうるさい。呼吸が浅くなっている。意識して深呼吸をして、泣き出してしまいそうな自分を叱咤する。思い出してしまう光景をどうにか散らしてしまわなくては。
「あれは確かに魔族だが、王子であることは違いない。鮮血の悪鬼なんて名前を持ってるんだ。そんな王子の屋敷に攻撃したなんて、子供とはいえ一体どんな目に遭うかわからないぞ。だが、オレたちの言うことを聞けば、守ってやろう。何、そんな難しいことはさせない。ただ、黙って従えばいい。できるだろう?」
大男はそう言って、少年に手を伸ばした。口にくわえたさるぐつわを取ると、「もう二度と、裏切る真似はしません、と言ってみろ」とうながす。
少年は唇を震わせながら、どうにか声を絞り出す。
「お願いです、妹は関係ないから助けてください。オレはちゃんと言うこと聞くから……!」
必死の面持ちで言うと、大男と金髪の青年はしばし顔を見合わせた。少年はそれに構わず「お願いします」と繰り返して、それから少女とロルブルーミアへ言った。
「ごめん、ごめんな。オレのせいで……聖女さまもごめんなさい。オレが悪いんだ。お前は絶対守るから。お前は母さんたちの所に帰してやるから。お前は兄ちゃんが守ってやるからな」
泣きそうな顔をして、それでも歯を食いしばりながら少年は言う。その瞳にはありありと恐怖が浮かんでおり、「守ってやる」なんてただの強がりでしかない。
それでも、妹を見つめて真っ直ぐかけられる言葉はどこまでも切実で真剣だった。
くぐもった声で、少女は反応する。「お兄ちゃん」と呼んだのかもしれないし、何かを答えようとしたのかもしれない。
声は布に吸い込まれて形にはならないけれど、少女の瞳にはわずかに強さが戻る。兄の言葉を受け取ったのだ。
たとえそれが単なる強がりだったとしても。少年の気持ちに嘘はなかったし、少女も疑ってはいない。守ってやると、守ってくれると、確かに信じている。
真っ直ぐ向けられる信頼と、お互いへの親愛。二人の間に交わされるものを見つめるロルブルーミアは、知っている、と思った。
ばくばくと鳴る心臓の音を聞きながら、思い出すものは幼い頃の光景だ。
末の姫として、小さな妹としてかわいがってくれた、兄や姉。妹を守るのだと、目の前の少年のように純粋で真っ直ぐな気持ちで思っていてくれた。
たとえ自分が絶体絶命の状態になったとしても、兄や姉ならば。強がりだったとしても、どんな勝算もなくたって、守ってやると告げるだろう。
そして、ロルブルーミアはその言葉を何一つ疑わない。目の前の少女のように、兄の言葉を心から信じてうなずくのだ。
心臓の音はまだ響いているし、指先は冷たいままだ。廃墟の夜を思い出せば、体がすくんでしまいそうになる。
しかし、頭に浮かぶのはそれだけではない。
そうだわ、とロルブルーミアは思う。
今ここは、決して廃墟の城ではない。手は縛られて声は出せないとしても、拘束されているわけではない。あの時よりも体は成長して、もう幼い子供ではないのだ。
何より、ロルブルーミアは知っている。
いつでも、どんな時でも、たとえ暗闇に引きずり込まれそうになっても、必ず助けてくれる存在を。
きっと手を引いてくれる。いつだって味方でいてくれる。大事で特別な家族の姿をロルブルーミアは思い出している。
「おうおう、兄妹愛ってやつか。ってことは、妹の方どうにかすれば言うこと聞くんじゃねぇかこいつ」
二人のやり取りに、にやにやと笑って金髪が言う。
大男が「まあそうだろうな」とうなずくと、おもむろに少女の腕を取った。それから、少年に向かって低い声で言った。
「お前が言うことを聞かないなら、妹とは永遠に会えなくなるぞ。これくらいの年齢の子供が欲しいというやつなら、何人もいる。特に女は使い勝手がいいからな、高く売れるぞ」
そう言って、少女を自分の方へ引き寄せる姿に、ロルブルーミアはとっさに反応する。
少年に答えさせてはいけない。少女を連れ去らせてはいけない。
だから今やるべきことは一つだ。よろめきながら立ち上がると、大男に向かって
恐らく誰も予想していなかったのだろう。決して強い力ではなかった。しかし、想定外の出来事に大男の力がゆるみ、腕が解放される。
少女はその隙に兄のそばに駆け寄ってぴたりとくっつく。ロルブルーミアは、一歩踏み込んで、兄妹と男たちの間に体を滑り込ませた。
心臓の音はうるさい。呼吸が荒い。きっと馬鹿なことをしている。どんな力も能力もないことはわかっている。
それでも、家族を思い浮かべるロルブルーミアは迷わない。
だってずっと知っている。仲睦まじい兄妹。家族の姿。
きっとみんななら、迷うことなく末の姫たるロルブルーミアを助けてくれるから。何の力も持たないか弱い存在を助けようとしてくれるから。
それなら、ロルブルーミアだって同じように動くのだ。大事な宝物のように守られてきた、一身に愛情をそそがれてきたロルブルーミアは、確信を持って言える。
だってきっと、お父さまも、お兄さまもお姉さまも――お母さまもそうするでしょう?
「ははっ、さすがは修道女さまってところか。いや、この服は確か聖女だったか。神さまに仕える人間らしく自己犠牲を実践すると来た」
面白そうに大男が言って、ロルブルーミアをまじまじ見つめる。
体格の差は歴然で、ロルブルーミアの反撃が難しいことはよくわかっているのだろう。ロルブルーミアは、真っ直ぐ男を見つめ返した。
心臓が暴れている。指先が冷たい。足が震えている。気を抜いたら崩れ落ちてしまいそうだ。
それでも、このまま何もできずにいるなんて。まるで過去の自分に重なるような、お互いを大切に思う幼い兄妹を見捨ててしまうなんて。
そんなことをしたら、家族に胸を張れないと思ったのだ。
いつだって守ろうとしてくれた、味方になってくれた。家族に胸を張っていられる自分でいるために、何も守れないままの自分ではいたくなかった。
だから、目をそらさない。意識的に深呼吸をする。
目の前にいるのは、廃墟の夜に見た相手ではない。大きな体躯だとしても、土くれのゴーレムではないし、蛇の獣人も小鬼も悪魔もいない。
たとえ悪意と暴力が向かってくるとしても、それはあくまで邪魔者だからだ。人間で魔族の皇女たるロルブルーミア自身に向けられたものではない。
強がりだとわかっていても、言い聞かせるようにそう思っている。
「適当に痛めつけて解放する予定だったが――この顔なら高く売れそうだな」
思案げな表情で言った大男は、ロルブルーミアを眺めてつぶやく。その言葉に、金髪の青年も「確かに、これは教会に置いとくのはもったいねぇな」とうなずいて続けた。
「こういうのが好きそうなやつなら、何人か思いつくし――とりあえず逃げられねぇようにしないとな」
「恨むならそこのガキどもを恨むんだな。こいつらのせいで、お前は二度と教会には帰れない」
楽しそうに男が言って、金髪の青年はあちこちをひっくり返している。縄か何かを探しているのかもしれない。
拘束されてしまえば、何もできない。ロルブルーミアはそっと背後に視線を向けた。怯えた顔の兄妹。この二人だけでも、どうにか逃がせないか。
男たちの背後にある出入り口。物置小屋ということもあり、恐らく鍵はかかっていないはずだ。
男たち二人がロルブルーミアに意識を向けている間なら、隙ができるかもしれない。縄をかける前に抵抗して逃げ回れば、二人が追いかけてくるかもしれない。その間に、扉へ向かったならもしかしたら――。
ただ、それを成功させるには兄妹へどうにか意志を伝えなくてはならない。布があって声は出せないけれど、どうにか意思疎通は図れないか。
思いながら、ロルブルーミアはそっと後ずさる。兄妹に訴えることが重要だと思ったのだ。
しかし、わずかな動きを男は見逃さなかった。後ろへ下がったロルブルーミアに気づいて、腕をつかんだのだ。ぎりぎりと食い込むような強さで締め上げる。
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