第20話 教会広場―事件

 広場に出ると、わっとした熱気と共に人混みが押し寄せる。思わずロルブルーミアは怯んで、一歩後ろに下がった。どくどくと心臓が鳴っていた。

 大勢の人。一体何を思っているのか。どんな人がいるかわからない。魔族に対して、好意的な感情があるとは思えない。リッシュグリーデンドへの悪意。それが向けられたら――。


「ロレッタさま、糸守り配ってくれるの?」

「そうですよ! 神託を受けた糸守りです! どの色がいいか、よく考えて並んでくださいね」


 しかし、響いた声にロルブルーミアははっと我に返る。にぎやかで軽やかな声は、ただ期待と喜びに満ちていて、どんな悪意も感じられない。

 ロレッタは囲まれた人たちと一緒に、中央広場へ歩いていく。ロルブルーミアも後に続いた。


 広場には、二十人ほどの修道女が集まっていた。白い修道服と黒い修道服が入り乱れているけれど、全員手には籠を持っている。

 ロレッタはその中の一人――黒い修道服を着た年かさの修道女へ駆け寄った。


「ノアシェさま! これで全員そろいました!」

「ロレッタさまがおっしゃっていた、お手伝いの方ね。遠方からいらしてくださったとか。よろしくお願いします」


 ノアシェと呼ばれた女性はにこりと笑った。さすがに皇女であることは言っていないのだろうし、あくまでも手伝いの修道女へ向ける視線だ。

 ロルブルーミアは、大きく息を吸ってから答える。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 そうだわ、とロルブルーミアは思う。修道服を着て、頭巾をかぶっていれば顔はほとんどわからない。

 そもそも、リッシュグリーデンドの皇女として紹介されたのも、舞台上だ。近くで顔を見たわけではないから、魔族の国の皇女だと判別できるかといえば難しいだろう。修道女の一人に紛れてしまえる。


「それでは、ここに一列に並んでくださるかしら。ああ、ロレッタさまは当然中央ですわ。星の聖女さまですもの」


 ノアシェがてきぱきと指示をして、修道女たちは広場に並んで整列する。ロレッタは「楽しんでくださいね」と言って、広場の中央へ移動していった。

 ノアシェはロルブルーミアに向き直ると、笑みを浮かべて言う。


「中央は混んでしまうから、あなたは端っこの方がいいわね。難しいことはありませんし、私たちの真似をしていれば平気ですからね」


 やわらかな声と、おだやかなまなざし。やさしく、あたたかく、慈愛をたたえている。

 魔族の国の皇女だなんて、微塵も思っていないからだ。仲間の一人として迎え入れてくれるからこそ、手を差し伸べてくれる。

 ロルブルーミアは「ありがとうございます」と言って、列の端にくわわる。本来の素性がわかっても、こんな笑顔を浮かべてもらえるだろうかと思いながら。




◇ ◇ ◇




 運命のご加護を、と言いながら糸守りを渡す。

 ノアシェの言う通り、難しいことはなかった。おかげで、ロルブルーミアは落ち着いて自分の仕事を為すことができたし、周りの会話に耳を傾ける余裕もあった。


 糸守りを必要とする人たちは、大なり小なり不安を抱えている。

 赤い糸守りに並ぶのは、想い人との縁が成就することや、結婚相手が幸運を約束された相手であること願う人たちが多い。

 青い糸守りでは、希望の学問機関への合格、白い糸守りでは、神との強いつながり、緑の糸守りでは友人関係の修復、紫の糸守りでは、疎遠になった家族との再会など、それぞれの色に応じた祈りが捧げられている。


 それを聞くロルブルーミアは、大勢の人に囲まれながらも落ち着いた気持ちでいることができた。

 大勢の人の前に立ったなら、頭が真っ白になってしまうのではないかと心配していたけれど、そんなことはなかった。

 魔族の国の皇女だと認識されていない、ということが最も大きい。ただ、それにくわえて、実際に生きている人たちの声を聞くことは大きな意味があった。


 大勢の群衆や、広場に集まる人混みでしかなかった存在。しかし、一人一人の事情や生きた声が届くことで、ここにいるのは確かな一人の人間なのだと理解する。

 個々人の存在を感じることは、目の前にいるのは得体の知れない大衆ではなく、確かな意志を持った人間なのだと、強く理解することができたのだ。


(ロレッタさまには、あとでまたお礼を申し上げないと)


 糸守りを渡しながら、ロルブルーミアは思う。

 一つ一つ手渡すたび、受け取った相手は嬉しそうに顔を輝かせる。頬を紅潮させて、「ありがとうございます」と言われるたび、ロルブルーミアの胸もあたたかく満ちていく。

 ずっと日差しの下にいるせいか額に汗が浮くけれど、たいして気にならなかった。


 大衆は恐ろしい存在で、どんな悪意が向けられるかわからない。

 そう思っていたけれど、目の前で、確かに笑ってお礼を言ってくれるという事実に、根強くこびりついていた気持ちが、ゆるやかに溶けていくような気がした。




 浮き立つような気持ちで、ロルブルーミアはせっせと糸守りを渡していた。

 すると、籠の底が見えてきたことに気づく。このままではすぐになくなってしまうだろう。

 しかし、五色ごしきの糸守りは人気があるようで、まだまだ並んでいる人はいるのだ。


 周りの修道女にそれとなく尋ねてみる。赤以外に緑と青も少なくなってきているということで、四・五人の修道女と連れ立って、大聖堂に隣接した鐘楼しょうろうへ向かった。


 堂々とした大聖堂の隣には、円柱型の鐘楼が立っている。

 少し奥まった位置にあり、教会の裏庭との中間地点といったところだろう。一階部分が倉庫になっており、補充分の糸守りが保管されているという。


「ずいぶん人が増えてきましたものね。早く戻らないと、お待たせしてしまいますわ」

「ええ、求める皆さまに行き渡るようにしないと――あら?」


 鐘楼へ到着し、鍵を開ける。すると、修道女の一人が声を発して振り返る。広場の方で何やら騒ぎが起きていた。

 はっきりと視認はできなくても、わあわあとした声にくわえて遠目にも人だかりが見える。

 喧嘩けんかでも起きているようで、衛兵たちが駆けつけて事態の収拾に努めているらしい。修道女たちは心配そうな表情を浮かべるものの、できることがないこともわかっているのだろう。

 気を取り直したように、鍵を持っていた修道女を先頭に、鐘楼へ入っていく。


 一人ずつしか通れないほどの扉だ。ロルブルーミアも最後尾について、続こうとした。

 その時、背後から甲高い笛のような音が聞こえて、思わず立ち止まる。

 振り返ると、広場の騒ぎがいっそう大きくなったのか。衛兵が応援を求める呼笛らしい。


 ざわざわと胸が騒ぐ。広場の人たちは、修道女たちは何ごともないだろうか。ひどいことが起きてはいないだろうか。

 不安になって様子を確認したくなり、広場の方へ足を踏み出しかけた時だ。鐘楼の裏手の方から、突然人影が飛び出してくる。


 ぎくりと体がこわばり、とっさに身構える。しかし、現れたのは赤銅色の髪をおさげにした幼い少女で、ほっと安堵の息を吐く。

 同時に、少女が叫んだ。必死の形相で、目の端に涙をためて。


「お兄ちゃんを助けて!」


 混乱した様子に、すぐに反応できなかった。すると、少女はロルブルーミアの手をぐいぐい引くので、振り払うわけにも行かず一緒に足を踏み出す。


「――クソガキ、お前はもうオレらの仲間なんだから、逃げられると思ってんじゃねぇぞ!」


 鐘楼の裏へ一歩踏み出した瞬間、響く声。荒々しい言葉に、ぎくりと体がこわばる。

 教会の裏庭。目つきの悪い金髪の青年が、十歳ほどの少年の腕をひねり上げていた。背の高い、赤銅色の髪をした少年は「放せ!」と叫んで、暴れている。

 明らかにただごとではないことは、傍目から見てもすぐにわかる。何か対応をしなくては、と思うけれどとっさに体が動かない。


「お兄ちゃん!」

「お前は逃げろって言っただろ!」


 少女の叫び声と少年の怒鳴り声に、びくりと肩を震わせる。どくどくと心臓の音が頭に響く。どうにかしなくては。どうすれば。

 思うけれど、体は上手く動かない。真っ向からの悪意と暴力だ。よみがえる光景に怯んでしまう。

 呆然と立ち尽くしていると、少女が兄の方へ走り出す。止めなくては、と一歩足が動いた。

 そこでようやく、ロルブルーミアは我に返る。ここは一人だけではどうにもできない。誰かを呼んでこなくては、ときびすを返した。瞬間、背後にいた人物にぶつかる。


「おい、よけいなやつに目撃されてるぞ。騒ぎになるだろうが」


 髪を剃り落とした頭に、見上げるほどの巨大な体躯。

 声が降ってくるのと同時に腕を掴まれたかと思うと、口に布をくわえさせられる。袋のようなものがかぶせられ、視界が閉ざされた。

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