第18話 教会―ひかりに触れる
リファイアードはうなずくと「任せた」と一言だけ言い置いて、足早に去っていった。ロルブルーミアを見向きもせず、どんな説明もなく。
ただ取り残された形になったことを、恐らく察したのだろう。
グライル少尉と呼ばれた、黒髪の青年が発言の許可を求めるので、諾を返すときびきびした口調で言った。
「伝令鳥による召集と存じます。単身で向かった点から見て、大きな事件があったわけではないことと思いますので、皇女におかれましてはご心配なきよう」
もしも大々的な事件であれば、リファイアードだけではなく部下たちにも何らかの指令が出るはずだ。それがないことから、重大な事件ではないからロルブルーミアは心配しなくて問題ないのだ、と告げる。
ロルブルーミアは振り返り、「そうなのね、ありがとう。何かあったのかしら、と心配だったので助かったわ」と答えた。
にこり、とほほえみかけるとグライルは数秒沈黙を流す。それから、ふっと唇をゆるめた。
「――隊長は言葉が足りませんからね。作戦だったらきちんと教えてくれますが、日常ではいろいろ省略しがちなんです」
「――グライル!」
明らかな私語を口にしたからだろう。任務中にすべき話ではない、と隣に立っていたカレデッツが慌てた調子で咎めると、グライルはいささか真剣な調子で答える。
「お前が正しいのはわかってる。でも、このままじゃきっと隊長は誤解されたままだろ。まさか、あそこまで一切会話しないうえ、何も言わないでいなくなるとは思わなかった。処分は俺が受けるから、お前は俺が暴走したってことにしておいてくれ」
きっぱり言ってから、ロルブルーミアに向き直る。
強いまなざしを浮かべて「申し訳ありません。もしもお時間があれば、少々お話を聞いていただいてもかまいませんか」と言う。
すると、慌てた様子で室内からバルコニーへ走り寄ってきたエマジアが「一国の皇女に向かって、無礼にもほどがあります!」と叫ぶ。
グライルは一介の兵士でしかないのだ。物言わぬ壁として護衛を行うのが仕事であり、会話を交わすなど持っての外というのも正しい。
ロルブルーミアは、ここで無礼を指摘して処罰を与えることもできる立場である。しかし、ロルブルーミアはそうしない。
「エマジア、いいのよ。お話を続けてくださる?」
本来なら、言葉を交わすべきではないのかもしれない。しかし、グライルの言葉は確かにロルブルーミアの興味を惹いた。
リファイアードを指して、誤解があるというなら。部下から見たリファイアードは、一体どんな人物なのか。今後のことを考えれば、情報を仕入れる方が得策だと判断したのだ。
エマジアも、ロルブルーミアがそう言うならばこれ以上追及することはできない。グライルはハキハキした声で「寛大な対応に感謝いたします」と言ってから、先を続ける。
「隊長――リファイアード殿下は、いろいろと悪名高い噂はありますが、決して血が通わないわけではないし、冷酷でもありません。それどころか、決して部下を無駄死にさせまいと自分が前面に立つ。隊長に助けられたことがない隊員なんて、うちの部隊には一人もいません」
グライルやカレデッツは、リファイアードと同じオーレオン王国軍中央司令部第一師団の内、リファイアードが隊長を務める分隊に所属しているという。
遊撃や諜報などを含む特殊な作戦を実行する部隊らしい。
そういった話も聞いてはいないから、ロルブルーミアは新鮮な気持ちでうなずく。
「敵の捕虜に捕まって、このまま死ぬしかないだろうって思ってたところに隊長が現れた時は、英雄かと思ったくらいです」
冗談めかした口調でグライルは言うけれど、その目はどこまでも真剣だった。大きく深呼吸をすると、かつての出来事を語り出す。
◇
リファイアードの部隊に配属されて、まだ間もない頃だ。国境警備の任に就いた際、流浪民の襲撃を受けた。
上手く連携できていなかったことが原因で捕虜として捕まり、手酷い扱いを受けて体はぼろぼろだった。
隙を見て逃げ出したものの、追いつかれるまでは時間の問題だった。
実際、逃げ込んだ森で物陰に身を隠していたものの、気配が近づいてくることを感じていた。流浪民が追ってきたに違いないと思った。
捕まってしまえば、一体どんな目に遭うのか。わからないけれど、これ以上体が持つとは思えない。もうここで終わりなのだと、迫り来る死の気配に混乱状態に陥っていた。
何も考えられない。どうか、痛くないように殺してほしい。怖い。逃げ出したい。だけど、もう何もできない。怖い。痛い。まだ死にたくない。
思ったところで、体は動かない。混乱状態のまま、強く目を閉じる。
怖かった。恐ろしくて、何も見たくはなかった。近づいてくる。すぐそこまで、誰かが来ている。捕まえて
――遅くなって申し訳ありません。
しかし、聞こえたのは静かで落ち着いた声だった。どんな残虐な響きもなかったし、それどころかやさしささえ感じる声で言うのだ。
――よく生きていてくれました。もう大丈夫です。一緒に帰りましょう。
ささやかれた言葉に、どうにか目を開いた。
目に飛び込むあざやかな赤。ぼろぼろの外套を身にまとっていても、どんな色よりも鮮烈な、決して衰えない輝きが目を射抜く。
赤い髪と赤い瞳に黒い角。間違いようもなかった。部隊長であるリファイアードが立っていたのだ。
◇
グライルは言う。
「鮮血の悪鬼」「血濡れの王子」という名前を持ち、恐れられる二十六番目の王子。しかし、共に戦った仲間たちは知っている。
王子という肩書を持ちながら、誰より早く先陣を切って飛び出していく。敵の太刀を、弓矢を、攻撃を最初に受けても怯まず駆け抜ける。その背中をずっと見てきたのだ。
自身の誇りと矜持をかけて、己の全てで戦った証こそが、血に濡れた姿なのだと、共に戦った仲間たちは知っている。
血まみれの赤は、決しておぞましさでも恐怖でもない。命を燃やす輝きであり、揺るぎない信念の色だと知っている。
「ですが、隊長は自分の評判に興味がないので弁明もしないし、誤解を解こうともしません。陛下の命令を成し遂げられればそれで充分だって思ってるので。くわえて、言葉も足りないともなれば、皇女にどう思われているかと危ぶんでいたんですが……印象が最悪だろうことは察しました。せめて部下からの一面だけをお知らせしたいという、俺の勝手な行動です。無礼に変わりはありません。いかなる処罰も受け入れます」
きっぱり言うと、静かな目でロルブルーミアと相対する。
ただの軍人が一国の皇女へ、こうも堂々と言葉をかけるなど、確かに無礼な行為と言える。処罰の対象になってもおかしくはない。
しかし、それを押しても伝えたいと思ったのだ。リファイアードの誤解を解きたいという一心だけで、危ない橋を渡ることも厭わないと決めた。
それは、見方によっては単なる無謀で意味のない行動だとも言える。ロルブルーミアの心に響かなければ、どうでもいいと切り捨てられておしまいなのだ。
そんなことに、自分の進退をかけるなど馬鹿げた決断だと言ってもおかしくはない。
それでも、彼は選んだのだ。リファイアードが弁明もせず誤解も解こうとしないのなら、それは自分の役目だと。たとえ無意味で馬鹿げた行為だとしても。
グライルの言葉が全て真実なのかはわからない。どんな根拠もないのだから、でまかせを言っている可能性もゼロではない。
それでも、一国の皇女に向かって進言したという事実だけは確かだった。自分の利益や保身ではなく、ただリファイアードの誤解を解くために。
「――そちらの、カレデッツ少尉と言ったかしら。あなたも、殿下に対しては同様の意見をお持ちなのですか?」
視線を横に向けて、今まで難しい顔をしていたカレデッツへ尋ねる。
煉瓦色の髪を一つに結んだ青年は、戸惑ったように視線をさまよわせる。どう答えるべきか考えているのだろう。
ただ、止めようと思えば止められたはずなのに、それをしなかった時点で恐らく胸中は同じだと察してはいたけれど。
「ロルブルーミア皇女が質問をされているのですよ。お答えなさい」
なかなか返事がないことにしびれを切らしたのか、エマジアがぴしゃりと告げる。カレデッツは肩を震わせたあと、恐る恐ると言った調子で「はい。同様の意見です」と答えた。
それを聞くロルブルーミアは「そう」とうなずいてから、カレデッツに向かって尋ねる。
「あなたにも、殿下について印象深い話があるのかしら」
グライルが語った出来事のような、そんな過去を目の前の彼も持っているのだろうか。それとも、グライルが特殊なだけなのか。
気まぐれに見せたリファイアードの一面なのか、果たして、という気持ちでカレデッツを見つめる。
カレデッツはロルブルーミアの言葉に、数秒息を飲む。ただ、それもほんのわずかな時間だ。
あちこちをさまよっていた視線が、真っ直ぐロルブルーミアへ向かう。
貴人の目を見つめるなど、無礼な行為だろう。直接言葉を交わせる身分でないことも、勤務中の会話など持っての外であることは、何よりカレデッツがわかっているはずだ。それでも。
「けがをして、部隊の足手まといになった私を見捨てず、オーレオンまで連れ帰ってくださったのは、隊長です。隊長でなければ捨て置かれたでしょうし、それが正しい選択だとわかっています」
凛とした、揺るぎない声でカレデッツは言った。
邪教団を追って、国外への遠征任務に就いた時のことだという。山奥に構えられた教団本部に潜入し任務を果たしたものの、カレデッツは大きなけがを負った。
「ほとんど動くこともできず、ただの荷物で足手まといでしかありませんでした。それなのに、隊長は一度も、私を見捨てようとしませんでした。ただ、『全員で帰りましょう』と」
震える声で言うのは、当時のことを思い出しているからだろう。
崩落に巻き込まれて
隊長であるとか王子であるとか、そんなことは一切感じさせず、当然といった顔でカレデッツを背負って言うのだ。
――俺の部下を簡単に死なせるつもりはないんですよ。必ず生きて帰りましょう。さあ、オーレオンに帰ったらやりたいことを考えていてください。
足場の悪い道を、成人男性を背負って歩いているなんて、微塵も思わせない声をしていた。
陽だまりの中で優雅にお茶でも飲んでいるようなそぶりで告げられた言葉に、どれだけ勇気づけられたかわからない、とカレデッツは声を震わせた。
それを聞くロルブルーミアは「そう」とつぶやいた。
嘘か本当かはわからない。ただ、恐らくこの二人の知るリファイアードと自分の知るリファイアードの間には、大きな隔たりがあることだけは理解できた。
ロルブルーミアにとってリファイアードは、無慈悲で冷酷な存在だ。しかし、この二人にとってはそうでない。
真っ直ぐとした信頼を向けるに値する。自身の保身や利益を無視してでも、誤解を解きたいと思うような相手なのだ。
一体リファイアードの本質はどこにあるのか。考え込みながら、「興味深い話を聞かせてくれたこと、感謝いたしますわ」と告げる。
処罰を与えるつもりは当然なかった。むしろ、もう少しリファイアードの話を聞くまたとない好機と言える。それならばこの機を逃す術はないと、ルーミアはさらに言葉を続ける。
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