第17話 教会―青空の下で

 リオールド教の総本山、ロラ・ソワーヴ大聖堂の中央広場は、大勢の人でにぎわっている。


 中央の舞台では聖書劇や競売が催され、その周りには炊き出しの大鍋や、果物に菓子の屋台が並ぶ。

 広場のあちこちでは大道芸人が芸を披露し、子供たちは歓声を上げながら人混みを走り抜けていく。

 普段は警固兵が囲んでいる広場も今日は広く庶民に解放され、慈善市場が開かれているのだ。

 晴れわたった空の下、さんざめくような声は、夏の日差しにも負けない力強さで響いている。


 ロルブルーミアは、広場に面した大聖堂のバルコニーから眼前の光景を見つめている。決して笑顔を絶やさず、常に柔和な表情を浮かべながら。

 それは隣に座るリファイアードも同様で、今まで食堂で相対していた姿とは似ても似つかない。冷酷さのかけらも浮かんではいなかった。

 もっともそれも当然だろう。今回の目的は恐れや不安の払拭ふっしょくなのだから、常に笑顔でいなくてはならない。



 リファイアードへ意見を伝えたものの、口約束だけの可能性は考えていた。

 しかし、意外にもリファイアードはきちんと動いていたし、予想以上に行動は早かった。翌日には慈善市場の視察を提案してきたのだ。


 慈善活動への参加は、王族にとって主要の活動と言える。今後王族の一員となるロルブルーミアが現れる場面としては自然だろう。

 王族同士のきらびやかな場面よりも、国民に寄り添いたいという意志表示にもなる。

 もちろん誰もが素直に受け取りはしないだろうけれど、たとえ表面的だとしても援助をしたいという姿勢は重要だった。


 順調に日程調整が行われ、来月の慈善市場に参加するということで、今日という日を迎えたのだ。



 開催を告げる式典に出席して、その後はこうしてバルコニーから広場の様子を眺めている。背後には護衛の兵士が立ち、室内では侍従としてエマジアが控えている。

 もっとも、今日の出席だけで劇的な効果があることは期待していない。ただ、実際に寄付を行い慈善活動に参加していることが重要だった。

 今回の件は、推進派が母体となる新聞社にも取材をさせている。大々的な記事が書かれる予定だったし、これを皮切りに地域活動に参加していく予定だった。


 少しずつ、リッシュグリーデンドの皇女としての活動を広げていくのだ。

 今はまだ、遠巻きにされていることは理解している。式典では身分も明かしているし、紹介も行われている。

 今回の市場への寄付なども報告されていることから儀礼的な拍手は送られたものの、出席している町の人たちの表情は浮かないものばかりだった。


 舞台上のロルブルーミアやリファイアードを見つめる目には、恐れや不安が宿っていた。

 鮮血の悪鬼であり、魔族の国からやってきた恐ろしい皇女として、警戒を抱かれている。

 それは今も変わらず、広場からちらちらと送られる視線の大半は、恐怖や困惑がほとんどだ。


(――市場の視察に赴いたら、卒倒されてしまいそうだもの)


 にこやかな笑みを浮かべなら、ロルブルーミアは内心で思う。

 式典の後はバルコニーに席を移して、以降はずっとここで市場の様子を見守っている。通常の視察であれば、広場に出て競売や店の様子を眺めることもあるだろうけれど、今回はその限りではない。

 名目上は安全性確保のためとなっているものの、悪鬼と魔族の皇女が出てくれば、民衆に混乱が起こるかもしれないことを考慮してのものだ。

 二人の訪れを歓迎している人間は、ほとんどいないと言っていいのだから。


(聖女さまは喜んでくださいましたけれど)


 ちらり、と視線が向かうのは広場の舞台の上に立っている修道服姿の少女だ。現在は聖書劇の休憩時間なのか、集まった人たちと楽しそうに話をしている。

 大きな目をきらきらと輝かせて、はつらつと笑っているのはロレッタ・メアデルという当代の「星の聖女」である。


 オーレオンでは、聖なる力を持つ乙女が「聖女」として認定されている。特に力の強い聖女は「星の聖女」と呼ばれ、国には一人しか現れないという。

 ロレッタは地方男爵家の娘で、つい最近選ばれたばかりだ。ロルブルーミアと同じく十六歳で、無邪気な少女といった風情だけれど、強い力を持っているという。

 簡単な説明は、事前にエマジアから聞いていた。


 ロラ・ソワーヴ大聖堂を訪れたロルブルーミアとリファイアードを出迎えたのは、聖女と教皇だった。

 二十六番目とはいえ王子であることは間違いないし、リッシュグリーデンドの皇女である。相応の歓迎が必要ということだろう。


 教皇は、温和な表情ながらもまとう雰囲気には不思議な力強さがあった。

 声を発することはなくとも、この場にいることを否応なく思い知らせるような、静かな存在感を持っていた。

 聖人名を冠して、シェルドエ教皇と呼ばれる全ての信徒を束ねる最高指導者だ。聖なる力を持ち、オーレオンに伝わる緋色の聖剣を唯一扱える人物だという。


 教会関係者も遠巻きにしているような状況の中、二人は至っておだやかにロルブルーミアたちを迎え入れた。さすがは最高指導者と聖女だわ、と感心したのだけれど。


(聖女さまはとても素直な方のようですものね)


 聖女――ロレッタは、目を輝かせてロルブルーミアを歓迎した。勢いよく話しかけられたかと思うと、そのまま質問攻めになった。

 教会には年若い修道女はおらず、同年代が訪れることを心底楽しみにしていたらしい。

 あまりの勢いに圧倒されていると教皇がたしなめて、はっとしたように謝罪を向ける様子は、水に濡れた子犬のようだった。


 ロレッタは裏表がなく無邪気な人物のようだ、とロルブルーミアは察する。

 特別な力を持っていることを鼻にかけることもなく、素直に人と接することができるのだろう。広場で人に囲まれていることからもそれはうかがえる。


 教皇は教会で説教を行っているようで、広場に姿は見えない。恐らく、教会の広場にいる人間の中で唯一ロルブルーミアに好意的なのは、ロレッタくらいだろう。

 隣に座っているリファイアードより、よっぽどロレッタに興味を持っていたのだから。


 ちらり、とロルブルーミアは隣へ視線を向ける。

 石造りのバルコニーに設置されている、重厚な赤樫あかがしの椅子。リファイアードは悠然とした様子で腰かけて、唇に笑みを刻んでいる。

 教会に着いて以降は始終この調子で、屋敷での冷淡さはかけらもない。婚約披露の場でもこんな風に笑みを浮かべていたし、表向き用の顔ということなのだろう。


 無愛想でいることの弊害へいがいを理解しているからこその態度だし、つまりはロルブルーミアのことを重要視していないことの証明でもある。

 取り繕う意味などないという判断なのだろう。婚約者という立場だけがあればいいのだから、ロルブルーミアの機嫌を取る必要もない。


 意見を真っ向から切り捨てず、この場を設けたのも、たまたま利害が一致してだけのことだろう。

 ここで今日一日、おだやかに笑顔を振りまくという事実が大事なのだ。

 劇的に評価が覆らなくても積み重ねが重大だ。魔族の王子と皇女は害のない存在だと喧伝けんでんしなければならない。

 得体の知れない魔族の皇女から、人間と変わらない十六歳の少女としての立ち居振る舞いが重要だ。

 すぐに受け入れられるとは当然思っていないけれど。想像上の恐ろしい皇女ではなく、ただの人間の皇女なのだとオーレオンの国民たちに伝えていくことが自分の使命だと認識していた。


 だから、ここへ来てから一度も会話が生まれていないことも、ただ目の前の光景を眺める時間を過ごしていることも、仕方がない。

 なごやかなやり取りなど、望むべくもないのだ。恐らくこのまま、慈善市場が終わる夜間まで座っているのだろう。


 晴れていたことは僥倖だった、とロルブルーミアは思う。悪天候でずっとここにいるのは、難儀してしまうだろう。

 バルコニーには立派な屋根が張り出しているおかげで、日差しは直接入らない。おかげで、そこまで暑さを感じることがないのは幸いだった。

 明るい光が降り注ぐ広場を見つめていると、時折風が吹き込んで頬をなでていく。耳に届くにぎわいや、髪を揺らす風だけが時間の経過を教えているようだった。


 そんな風に、ただ椅子に腰かけているだけの時間を、延々と過ごしていた時だ。不意に、隣のリファイアードが立ち上がった。

 何の前触れもない動作に、ロルブルーミアは視線を向ける。

 一体どうしたのか、と思うのと同時に、前方から向かって来る小さな影がある。勢いよく、突き刺すようにバルコニーに飛び込んできたのは一羽のツバメである。


 流線型の体に、赤い喉、太く短い尾。麦の穂や花の種を主食としている、オーレオンでよく見るムギツバメだ。

 ロルブルーミアが目を瞬かせていると、ツバメはリファイアードの目前に飛んできて、空中で静止するように羽ばたく。よく見ると、足には銀色の筒がついていた。


 リファイアードがツバメの方へ左手を伸ばすと、指先に止まった。同時に慣れた調子で銀色の筒を取った。

 それから、儀礼服のポケットに右手を滑り込ませて何かを取り出すと、ツバメの口元へ持っていく。手のひらに乗っているのは、どうやら向日葵の種らしい。


 指先に止まったツバメは、一心不乱に種をついばむ。くちばしで器用に殻を割る様子を、リファイアードは目を細めて見つめていた。

 唇に笑みをたたえて、やさしい表情を浮かべて。やわらかな光があふれるような、心からの愛情がこぼれだしていくのだと確信させるような。


 必要に迫られて貼り付けられた笑顔でないことくらい、すぐにわかった。

 指先に止まる小さな命に向けられる、ただ純粋な慈しみ。今まで見たこともない表情だった。

 冷酷で無表情。浮かぶ笑みは仮面でしかない。そんな顔しか見たことがなかったのに。こんな顔をするなんて、と意外な気持ちで見つめてしまったのは仕方がないだろう。


 しかし、それもほんの数秒の出来事だった。リファイアードは真顔になるのと同時に、手を動かす。それを合図にしたかのようにツバメは指を離れた。再び空へと飛び上がりそのまま迷うことなく、南の空へ飛んでいく。

 リファイアードは一瞬行方を目で追ってから、銀色の筒を手に取る。蓋を開けると、中から出てきたのは小さな紙片だった。無表情に目を通したあと、背後へ声を掛けた。


「グライル少尉、カレデッツ少尉。私は少々この場を離れる。皇女の護衛を頼む」


 有無を言わさぬ強い調子。ロルブルーミアたちのすぐ後ろに立っていた二人の軍人は、勢いよく「承知しました」と答える。リファイアードの部下だとは聞いていたし、上司の言葉に否の選択肢はないのだろう。

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