第16話 声を届ける
ロルブルーミアは夕食の席で「お話ししたいことがありますの」とリファイアードへ声をかけた。ただ沈黙だけに支配されていた食卓で、初めて発せられた声だった。
リファイアードは冷淡なまなざしをロルブルーミアへ向けた。
すげなく断られる可能性も考えられたものの、リファイアードはは温度のない声で「わかりました」と答えると、食後に執務室へ来るよう告げたのだ。
ロルブルーミアは、部屋の前で大きく深呼吸を繰り返す。
心配そうなリリゼとエマジアに送り出されて、執務室の前にやってきた。中ではリファイアードが待っているはずだ。
言うべきことを整理して、受け答えを幾通りも考えたあと、扉を叩く。返事があって、部屋に入った。
毛足の長い
時間を取ってくれたことに礼を言っても、「本題をどうぞ」と答えるだけだった。よけいな時間を使いたくない、ということなのだろう。
ロルブルーミアは深呼吸をして、口を開いた。
「――昨晩のことなのですけれど。あれは、結婚に反対する方の何らかの意志表示と考えてよろしいかしら」
ペンを動かしていた手が一瞬止まる。ただ、すぐに再開すると「あなたが知る必要はないことです」という答えが返る。何も教えるつもりはない、ということなのだろう。
そう言うことはわかっていた。ロルブルーミアは声の調子を変えて、切り込むように尋ねた。
「昨日の夕方、子供たちがこちらの庭に石を投げ込んでいたことはご存じですか。その際、反対派の号外で石が包まれていたことも」
リリゼは石を回収したあと、ロルブルーミアに見せる分以外は処分している。ゴミが落ちていたことは言ったものの、詳細は告げていないはずだ。
だから、リファイアードが知ることはないはずだった。案の定、眉を寄せて難しい顔をしている。ロルブルーミアは畳みかけた。
「号外で石を包んで、庭に投げ込むといった風習がないのでしたら――あれは恐らく、魔族への反発を形にしたものではないかしら。昨晩のこともそうですわ。『魔族を許すな』と叫んで、窓硝子を割る行為には明確な意志があると考える方が自然ですもの」
心臓は爆発しそうに音を立てている。生意気なことを言っていると思われたら、逆鱗に触れたら、刃を向けられるかもしれない。
しかし、ここで怯むわけにはいかなかった。為すべきことを果たすのだ。
きっと家族が知ったら何もしなくていいと懇願されるとしても、ただ手をこまねているだけでいたくはない。
「それは初耳ですね。きちんと報告してくれなくては困りますが――それを自己申告するために、わざわざこちらへ?」
書類に目を通しながら告げられる言葉に、ロルブルーミアはぎゅっと拳を握った。
深呼吸をする。言うべきことはわかっている。何度も頭の中で唱えた言葉だ。こちらを見ないリファイアードへ向けて、きっぱりと告げる。
「わたくしを、町の方々の前に出してほしいのです。大々的な場面でなくても構いません。魔族の皇女としてではなく、わたくしという人間をみなさまに知ってほしいのです」
ロルブルーミアの言葉に、リファイアードの手が止まった。さらに、ゆっくり顔を上げると強いまなざしで見すえる。
赤い瞳が突き刺すようで、気圧されながらロルブルーミアは続ける。
「結婚に反対している方が多いことはわかっております。それも当然ですわ。だからこそ、わたくしはみなさまの前に出なくてはなりません。今のままでは、得体の知れない魔族の皇女のままですもの。決して害のない存在であると、もっと利のある存在なのだと、思っていただかなくてはなりません」
堂々と言い切るけれど、心臓はずっとせわしないままだ。喉はからからに乾いているし、声が震えてしまいそうになる。できることなら、全ては撤回してなかったことにしたい。
しかし、もう決めたのだ。
ロルブルーミアは、人前に出ることが得意ではない。皇女としての責務は果たしていたけれど、できれば誰の目にも触れない場所にいたい。
大勢の前は緊張するということもある。何より、たくさんの人の前に出れば、どんな敵意や悪意が向けられるかわからないからだ。
真っ向からぶつけられる悪意の恐ろしさを、ロルブルーミアは知っている。
紛うことない殺意を向けられた。暴力によって蹂躙されることを、まざまざと刻み付けられた。
廃墟の夜の記憶は、今はもう血を流していないだけで傷として残っている。
大勢の前に出たくはなかった。魔族の皇女を忌み嫌う町の人たちと同じ場所にいるのは、ロルブルーミアの傷を嫌でも思い知らされる。
本当は逃げたい。なかったことにしたい。それでも、決めたのだ。
今果たさなくてはならないことは、結婚式を成功させ、オーレオンの一員となることだ。
着々と準備が進んでいるとはいえ、反対派は依然として存在している。むしろ、石を投げ込むという行為に及んだということは状況が悪化していると判断してもいいはずだ。
町の人たちを筆頭とした、オーレオン国民の根深い不信が爆発しかけている。だからこそ、やるべきことをしなくてはならない。深呼吸をして、先を続ける。
「もちろん、すぐに受け入れられるとは思っておりません。ですが、何もしないままでは心証もよくないはずですわ。わたくしは、みなさまの敵ではないのだと、友好関係を結びたいのだという意志表示をしなくては」
このままではだめなのだと、ロルブルーミアは思った。
息を潜めて身を隠していれば、いずれ嵐は過ぎ去るかもしれない。しかし、何もしないことで風当たりが強くなる可能性も考えられる。
むしろ、息を殺していたからこそ今の状況であるならば、きっとそれは正解ではない。
「リッシュグリーデンドの皇女は、町のみなさまのためになると伝えたいのです。結婚を推進する方々にとってもよい宣伝材料になるでしょう?」
挑みかかるような調子で、そう言った。そうしなければ、怯んでしまいそうだった。
全ては冗談だと、忘れてほしいと言って部屋から去ってしまいたい。魔族の皇女への敵意を持つ人たちの前に姿を見せるなんて、進んで行いたいわけではない。
それでも、結婚を阻む障害があるなら一つ一つ取り除いていかなければ。
力のないロルブルーミアがここでできることはささやかでも、やるべきことをしなくては大事なものは守れない。
赤い瞳を、ロルブルーミアはじっと見つめ返した。拳を握って、決して目をそらすまいという覚悟で。
馬鹿なことを、と言われるかもしれない。そんなことはしなくていいと、切って捨てられるかもしれない。逆鱗に触れて、酷く痛めつけられるかもしれない。
しかし、何も言わないままではもうだめなのだ。
どれくらいの時間が経ったのか。呆れるほど長い時間なのか、ほんのまばたき程度の時間だったのか。
緊張していたロルブルーミアにはよくわからない。リファイアードは、射抜くようなまなざしのまま口を開いた。
「あなたの友好的な一面を宣伝することの意義は、理解しました。素直に受け入れられるとは思えませんが、形だけでも取り繕わないよりはマシといったところでしょう。あなたも、人形程度の役割はできるでしょうから」
まるで温度のない声だった。ただ、敵意の類は潜んでいない。息を詰めて様子をうかがっていると、リファイアードは続けた。
「適当な場面を探してみましょう。詳細はあとでお知らせします」
それだけ言うと、リファイアードは再び書類に視線を落とす。それ以降、言葉を発することなかったので話は終わりだとロルブルーミアは察する。
礼を述べて部屋を辞したあとは、どっと疲れが襲ってきた。同時に、安堵が体中を巡る。
神経を逆なですることも考えた。切り捨てられるだけならまだよくて、危害をくわえられるかもしれないと思っていた。
しかし、どうやらリファイアードはロルブルーミアの言葉を、ひとまずは受け入れてくれたらしい。
どっど、と鳴る心臓の音を聞きながら、ロルブルーミアは大きく息を吐き出した。
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