第10話 芽吹く悪意

 夜が更けていく。ロルブルーミアは、ベッドの中で何度も寝返りを打って一向にやって来ない眠気を待っていた。

 与えられたベッドはいささか年季が入っているものの、充分な広さがある。夜具の類は肌触りもよく、敷物もしっかりとした弾力性を持っていた。

 決して粗末なものではないし、部屋の気温も寒すぎず暑すぎず最適だ。睡眠には適した環境であるにもかかわらず、神経がささくれだって落ち着かない。


 理由はわかっていた。リリゼに悟られないよういつもの顔をしていたけれど、新聞の文字が頭から離れなかった。

 何でもないことだと言いたいのに。気にしていないと言いたいのに。

 オーレオンの人たちに受け入れられていないこと。恐らく敵意の対象になっていること。その事実が、まとわりつく泥のようにロルブルーミアを絡めとる。


 真っ直ぐ向けられる悪意。生きていることが憎悪の対象であり、死ぬことを望まれる。この世に存在すること、それ自体が罪なのだ。

 だから消し去ってしまえばいい。生きていた痕跡すら残さずに、跡形もなく。強力な爪も牙も魔力も持っていない人間など、心臓を一突きにすれば簡単に事切れる。


 過去の記憶がにじみ出す気がして、ロルブルーミアは目を開いた。ゆっくり上体を起こし、大きく息を吐く。


(――だめね。無理をしても仕方ないわ)


 薄明かりの灯る部屋で、枕元の机に手を伸ばした。

 お守り代わりとして、肌身離さずつけている耳飾りは就寝時に外すけれど、すぐそばに置いているのだ。

 手のひらでそっと包み込むと、冷やりとした感触が伝わる。しかし、手のひらの熱で次第に温もりを宿していった。

 魔王である父親の魔力が込められている耳飾りだ。まるで、父親からの愛情が手のひらにあるようで、ロルブルーミアは唇をゆるめる。


 きっと父親をはじめとした家族は、ロルブルーミアがこんな風に眠れない夜を過ごしていると知ったら心を痛めるだろう。

 だから決して口にはしないし、眠れないなんて理由で連絡を取ることはしない。

 それでも、耳飾りを包み込んでいれば、リッシュグリーデンドの家族とつながっていられるような気がした。

 ロルブルーミアは魔力を感じることはできないけれど、この中には確かな力が宿っていることを知っている。

 ぎゅっと耳飾りを握りながら、目を閉じる。家族の姿を思い浮かべれば、ざわついた心が静かになっていくような気がした。どこか意識がぼやけていくような感覚に、このまま眠れるかもしれない、と思う。


 しかし、それは叶わない。ぼやけた意識を叩き起こすような、暴力的な声が突然飛び込んできたのだ。


「魔族を許すな!」


 同時に何かが割れる音が屋敷内に響く。びくり、と体が反応するのと「お嬢さま、ご無事ですか!」と扉が叩かれるのは、ほとんど同時だった。

 さらに、どこからか荒々しい足音や怒号が聞こえてくる。ロルブルーミアは混乱しながらも、声の主――リリゼに向かって「ええ、大丈夫よ」と声を張り上げる。

 入室の許可にだくと答えると、転がるようにリリゼが飛び込んできた。


「一階の裏手、真下の部屋の窓が割れたようです。こちらに向かって来る足音はございませんが、念のためすぐ動けるようご準備を。エマジアがすでに動いて――避難経路を確保しています」


 ロルブルーミアに手を差し出してベッドから連れ出しながら、リリゼは言う。

 獣人は人間よりも数倍聴力がいい。音の方角や種類なども聞き分けることができるのだ。

 夜着のロルブルーミアへ羽織物を着せながら、丸い耳は忙しく動いていた。


「屋敷内への侵入者はいないようです。足音は増えていませんし、侵入が目的ではなかった可能性もあります。見回りの兵士が後を追っているようです」


 厳しい顔で、リリゼは聞こえる音を報告する。「わかったわ」とロルブルーミアは答えるものの、表情は硬い。心

 臓はずっとあり得ない速さを刻みながら、手足の先は冷たくなっていた。


 何が起きたのかわからない。しかし、「魔族を許すな!」という声がこびりついて離れない。

 夕方に見た光景。魔族を滅ぼせとうたう新聞で包まれた石が投げ込まれた。真下の部屋。窓を割るのに石を投げ込むのはきっと充分だ。魔族への憎悪。結婚が許せないなら。リファイアードの屋敷は、憎悪の対象としてきっとふさわしい。


 実際に見たわけではないし、根拠のない想像と言っていいのかもしれない。しかし、ロルブルーミアは察している。

 決して許すな。迎え入れるな。受け入れるな。魔族の国の皇女は、拒まれ厭われ、嫌悪される。

 この国は敵だらけだ。ロルブルーミアは、オーレオンの人間にとって倒すべき相手だ。憎悪と敵意が立ちはだかっているのだと、否応なく思い知らされる。


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