第9話 芽生え

 夕食を終えて部屋に戻ると、リリゼが食後の紅茶をいれてくれる。リファイアードとの食事では、紅茶の時間など存在しないのだ。

 一息ついていると、リリゼがそっと「ルミアお嬢さま」と声を掛ける。カップの紅茶を飲みほしたことを確認したのだろう。


「お気にされていたものは、お伝えした通りただの石のようです。念のため現物を持ってまいりましたが、子供の他愛ないいたずらと思って問題はないかと」


 きっぱりとした口調で、リリゼは告げる。

 すぐに裏庭へ向かって、投げ込まれたものを回収する様子は、一部始終窓から見ていた。その後、隙を見てただの石のようだと報告は受けていたのだ。

 ただ、ロルブルーミアが気にするのではないかと思って、現物を持ってきてくれたのだ。


 ロルブルーミアの部屋には鍵がかかっており、自由に解除することはできない。そのため、すぐに渡すことはできなかった。

 ただ、夜間は何かあった時のため、リリゼかエマジアのどちらかが、寝室の隣の部屋で眠ることになっている。そのため、夕食後は共に部屋へ引き上げるのだ。

 今日はまだエマジアが戻っていないため、リリゼが夜番を務めることになる。


 リリゼはいそいそと、黒いワンピースのポケットから、拳大ほどの塊を取り出した。包まれた新聞紙を開くと、ゴツゴツとした石が現れる。

 危ないものであれば持参することはないから、本当に単なる石でしかないようだ。ロルブルーミアはほっと息を吐く。


「そうなのね。わがままを言ってごめんなさい。気にしすぎだったわ」

「いいえ! 細心の注意を払うことは当然でございます。むしろ、お嬢さまの思慮深さの表れです」


 力強く言ったリリゼは、力強い光を目に宿す。黒髪の上にちょこんと飛び出た丸い耳も動いていて、感情を素直に吐露とろしていることがうかがえた。

 お世辞でも何でもなく、ロルブルーミアをたたえているのだろう。


「ふふ、ありがとう。でも、誰もいないからよかったようなものの、危ないことには変わりないわね。それとも、こういったものを投げ込むような風習があるのかしら……」


 オーレオンの文化を一通り学んだとは言っても、熟知しているわけではない。頭から糾弾きゅうだんするのは賢明ではないだろう。

 それとなくリファイアードに話を聞くべきか、と思いながらリリゼが差し出した石に手を伸ばす。何か特別な石である可能性もあるのではないか、と思ったのだ。


「ああ、お嬢さま。手が汚れますので、直接触れるのはおやめになった方が……。紙ごと受け取ってくださいませ」

「そうね。わざわざ紙に包んでくれて、ありがたいわ」


 きっとリリゼが気を利かせてくれたのだろうと思って言うと、リリゼはぱちぱち目を瞬かせた。不思議そうな表情で首を振って言う。


「いえ、これは最初からこのように紙に包まれておりました」


 どうやら、投げ込まれたのは石そのものではなく、新聞紙にくるまれた石だったらしい。

 ただのいたずらにしては一手間がかかっているような気がして、本当に知らない風習なのかもしれない、とロルブルーミアは思う。

 今までは単なる雑紙程度にしか思っていなかったせいで、書かれた文字も気にしていなかった。しかし、何か意味があるのではないか――と見出しに目をやるのと同時に、大きく心臓が跳ねた。


 質の悪い新聞紙には、大きく「号外」と記されている。その下には「魔族の皇女への宝冠を破壊せよ」という文字が躍っていた。


 反射的に手を伸ばし、新聞紙を広げる。石がごろりと床に落ちたけれど、気にしてはいられなかった。


 新聞には、結婚式のための宝冠が完成したこと、それに掛けられた莫大な金額を大々的に報じている。

 魔族の皇女を迎え入れるために、貴重な資金がこれほどまでにつぎ込まれた。この金額があれば、飢えた民を一体何人救えるか。薬も足りない病人をどれほど助けられるか。魔族の皇女一人のために費やす金額は法外すぎる。

 今すぐにでも宝冠を破壊し、即刻国民のための資金に変えるべきである――。


 感情に訴えるように綴られる文章は、続いてオーレオンとリッシュグリーデンドの戦いの歴史をなぞる。


 一体どれほどの国民が魔族によって殺されたか。休戦はせいぜいまだ三十年程度でしかない。リッシュグリーデンドはオーレオンの寝首をかくべく、今か今かと待っている。今回の結婚はその先達にしかすぎない。

 ひとたび婚姻を結べば、たちまち国内に入り込みオーレオンを滅ぼすだろう。魔族の皇女の輿入れは災厄の前触れだ。オーレオン滅亡の一手たる皇女との結婚は即刻破棄すべきである。

 今こそまさに、国民一丸となってこの災厄に立ち向かおうではないか。歴代の勇者のように、魔族を退けるのだ。今こそ立ち上がれ。今日こそが決起の時だ。

 魔族の皇女を決して許すな! 我らが勇者となる時が来た。魔族を滅ぼせ!


 劇的な口調で締めくくられる文章に、心臓がどくどくと早鐘を打っていた。

 号外は大衆向けの新聞社が発行している。町民や地方農家の一部が主な購買層で、都市部の知識人階級向けの新聞社としのぎをけずっていることは、情報として知っていた。

 恐らく、この新聞社は明確な結婚反対派なのだと察することはできる。


 知識の上では理解していた。国内に結婚反対派と推進派がいたとして、世論を味方につけるのは有効な手段だ。

 そのために、新聞社には自陣の派閥はばつに有利な記事を書かせることは妥当な判断だろう。恐らくこの新聞社は反対派陣営であり、それは大衆の魔族への不安と親和性が高い。


 魔族は恐ろしい。休戦なんて信じられない。一体いつ寝首をかかれるか。魔族の皇女との結婚なんて、恐ろしいことが起こる前触れだ。


 恐らくオーレオン国民たちにとっては、それが共通見解なのだろう。

 この号外は、くすぶる気持ちに火をつけて大きく燃え上がらせるには充分な効果があるように思えた。

 子供たちが石を投げ込んだのも、単なるいたずらではないのかもしれない。この屋敷がリファイアードのものであることは、周知の事実なのだ。

 皇女との結婚を果たすのがリファイアードであることも、リファイアードが魔族であること当然理解している。

 だから、その矛先としてこの石が投げ込まれたのかもしれない。


 確証はなくても、決して的外れではないように思えた。

 子供たちの様子が目に浮かぶ。他愛ないいたずらに見えた。しかし、そこには純然たる敵意が潜んでいたのかもしれない。

 真っ向から突き刺すような、悪意と敵意で塗りつぶされた意志。全てを蹂躙し、何もかもを破壊し尽くそうとするような。血と暴力の匂いがするような。


「お嬢さま。この紙がいかがしましたか」


 心臓の音が頭に響いて、過去の記憶がじわじわとにじみ出す。

 しかし、不意に飛び込んだ声に我に返る。リリゼは金色の目で、真っ直ぐロルブルーミアを見つめていた。

 新聞紙の内容などまるで知らないような表情。それも当然だ。リリゼはオーレオン語の読み書きができない。何が書かれているかなんてわからないのだ。

 そうでなかったら、きっとリリゼは新聞紙をロルブルーミアに見せることはしない。


「――いいえ、何でもないの。どうしてこんなものを投げ込んだのか、何か書いてあるかと思ったのだけれど。そんなことはなかったわね」


 笑顔を浮かべてロルブルーミアは言う。簡単に新聞紙を折りたたみ「捨てておいてくれる?」と言えば、リリゼは「承知しました」と頭を下げた。

 よけいなことは知らせなくていい、と判断した。

 オーレオンで歓迎されていないことなど、周知の事実でしかない。わざわざこんな号外が出ていることを告げる必要はない。

 国民たちにとって、リッシュグリーデンドからやってきた魔族の皇女など、敵でしかないのだから。

 いざその事実が目の前に立ち現れたくらいで、動揺する必要はないのだと、ロルブルーミアは自分に言い聞かせた。

 たとえ悪意が真正面から牙を剥こうとも、国へ逃げ帰ることなどできない。そうしないと決めた。

 だから、頭に浮かぶ過去の影は振り払って、出てくる言葉は飲み込んで、何でもない顔をしているのが賢い選択なのだ。

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