第8話 播種
表面的にはおだやかな日々が続いていた。
食事の時だけ部屋の外に出て、それ以外は自室で過ごす。リッシュグリーデンドから持ち込んだ書籍に目を通し、リリゼやエマジアからの報告を聞き、時間を見つけては家族と通話の時間を設ける。
ボルドス公爵の来訪以来、客人が訪れることはなかったので手鏡と耳飾りの出番はなかった。
ただ、屋敷には少しばかり変化があった。
たとえば、屋敷の周りでたびたび見回りの兵士を見かけるようになった。自室から出られないので、窓の外を眺めることが多いせいですぐに気づいたのだ。
一体何かと思ったものの、どうやらリファイアードの部下らしい。声は聞こえなくても、やり取りしている場面から察した。
それ以外にも、リファイアードはたびたび屋敷を空けるようになった。
軍本部へ行っているらしい、というのはエマジアが教えてくれた。ボルドス公爵が言っていたように、何か反対派の動きがあったのかもしれない。
それでも、食事の時間には必ず同席するので、長時間の滞在ではないのだろう。
リファイアードは当然何も言わない。最低限の体裁を取り繕うためなのか、食事の席だけは共にするものの相変わらず会話はないのだ。
ロルブルーミアも、下手なことを言って事態を悪化させるのも本意ではないのでひたすら沈黙を貫いている。
恐らく何かあったのだろうけれど、具体的な事態がわからない。
また客人が来たら、情報を聞くこともできるのに、とロルブルーミアは思う。
決して褒められた行為ではないし、軽蔑されてもおかしくはない。家族はきっとやめるよう言うし、リファイアードに見つかればただごとでは済まないとわかっていたけれど。
持ち込んだ書籍も、何度も目を通してほとんど内容は覚えてしまった。リオールド教の聖書すらそらんじられそうだ。
きっと家族は、このままじっと身を潜めていることを望む。やさしい気持ちからそう思っていてくれるし、危ないことなんてしていないと信じている。
それでも、ただ部屋でじっと過ごすためだけにオーレオンへ嫁いできたわけではないのに。何もできないまま、ただじっとしているなんて。
じりじりした気持ちで、ロルブルーミアは今日もまた鍵のかかった部屋で時間を過ごしている。
◇ ◇ ◇
「ルミアお嬢さま、そろそろ買い出しの時間ですので、同行してまいります」
机の上に広げた地図を片付けながら、エマジアが告げる。
屋敷周辺の様子やオーレオン国内に出回る情報を集めるため、エマジアは外へ行く使用人たちに同行することにしていた。
当初はいぶかしんでいたものの、エマジアは何かをするわけでもないし、買い出しも積極的に手伝うと言うことで、それなりに受け入れられてはいるらしい。
尖った耳さえ隠せば、人間とほぼ変わらないことも功を奏したのだろう。
「ええ、ありがとう。エマジアのおかげで、街の様子がよくわかってありがたいわ」
ロルブルーミアが滞在しているリファイアードの屋敷は、首都ベルルージュの東端に位置する。
貴族たちは各地に領地を持っているが、それとは別に首都へ滞在する時のため別邸を所有している。東側に多く集められており、一大屋敷街と言ってもいい。
ただ、リファイアードの屋敷はそれよりもさらに東に寄っており、
それゆえ、あまり他の様子がわからないのでエマジアの報告がありがたいのだ。
首都ベルルージュの北寄り中央に位置するのは、オーレオン国王が住まうソレスエール宮殿であり、広大な敷地を持つ。
そこから北東に位置するのがリオールド教の総本山であるロラ・ソワーヴ大聖堂だ。この辺りは、地図情報からでも読み取ることはできるのだけれど。
王宮を中心とした王城区での流行や、大聖堂を中心とした聖堂区の巡礼市場の様子、さらには二つの区の外縁に広がる職人街や市民街での人々の生活ややり取りされる会話を知ることは難しい。
それをエマジアは実際に見聞きして情報を集めてくれる。もっとも、裏町での様子など全てを含めて伝えているわけでないこともわかってはいる。
エマジアはロルブルーミアの言葉に、にこりと笑みを浮かべた。
「ルミアお嬢さまの役に立てることは、私の喜び。一族の誇りですわ」というのは、まごうことない本心だとロルブルーミアは知っている。
リッシュグリーデンドにいる頃、迫害されたエマジアの一族を受け入れるよう口添えしたことを、ずっと恩に感じているのだ。
たいしたことはしていないのに、と言っても「私たちの一族は、恩を忘れない生き物ですから」ときれいに笑うだけだった。
「今日は西の市場まで行くそうですので、帰りは遅くなります。夕食には間に合わないと思いますが――リリゼは残っておりますので、逐一様子をうかがいに訪れるかと」
「ええ、くれぐれも気をつけて」
心からの言葉を告げて、ロルブルーミアはエマジアを送り出す。
それからは、すっかり手持ちぶさたになってしまった。
何度も読み返した『貴族人名録』を一通り眺めてから、本を閉じる。
そろそろ夕暮れに向かう時間帯は、リッシュグリーデンドの家族も忙しくなる頃合いだ。魔族たちが本格的に活動を始めるので、それぞれの仕事が始まる。
通話もできず、かといって読むべきものは読みつくしてしまった。せめて新しい書籍や新聞を取り寄せたいと控えめに申し出たものの、リファイアードは冷淡に切り捨てるだけだった。
(あの花壇に植えるなら、何がいいかしら。あまり日当たりはよくないみたいだから、
やることもないので、窓辺からぼんやり庭の様子を眺める。
屋敷の裏手は、庭というにはささやかだ。特に手入れされていない花壇がいくつか放置されており、あとはすぐに
外側には裏通りが走っており、さらにその先は楢や橅の森である。裏通りには、見回りの兵士がときどき歩いているようだけれど、今その姿は見当たらなかった。
花壇を作りたいとは言い出せないままのロルブルーミアは、頭の中で花壇に植える植物をあれこれ考える。
リッシュグリーデンドで育てていたように、薬草園を作りたかった。
掘り返した土の匂い。夏に感じる冷やりとした感触。開いた花のかぐわしさ、摘み取った時の青々とした香り。
オーレオンでもきっと、同じように植物は育つ。過去をなぞるように、ここでも薬草を育てられたら――と夢想するけれど、きっとすげなく断れるだけだろう。
(支えがあれば
何もない花壇に植物の姿を思い描いていると、視界の端に何かが動いた気がした。
じっと視線を向けると、裏通りに人影が見えた。窓から斜め下、煉瓦の壁の角辺りに十歳前後の子供たちが、団子のように固まっている。
子供たちは高い壁を見上げながら、何かを言っている。
服装や身なりから、どうやら町の子供たちらしい、とロルブルーミアは推察する。屋敷を指して何かを言い合っている。その様子はやけに真剣で、重大な任務を帯びているような風情があった。
屋敷のある東端は職人街の端と接しており、歩いてこられない距離ではない。
ただ、周りは森だし、民家は近くにないのだ。子供たちがやって来るような用があるとは思えない。
わざわざここまでどうしたののかしら、といぶかしんでいた時だ。
子供たちの一人が、意を決したように顔を上げた。背の高い、赤銅色の髪をした少年だった。
ロルブルーミアが窓から見ていることに気づいたわけではないだろう。しかし、鋭い目つきで視線を上に向けたかと思うと、手の中の何かを思い切り放り投げた。
高い壁を飛び越えて庭に落ちる。
同時に他の子供たちも、次々と裏通りから庭へ何かを投げ込んでいく。
次の瞬間には、瞬く間に走り去っていき、裏通りには人影一つなくなってしまう。さっきまで子供たちがいたなんて夢でも見ていたんじゃないかと思えるくらい。
ただ、子供たちが現実であることは、庭に落ちたものが証明している。はっきりは見えないものの、丸い塊のようだった。
一体あれは何なのか。ざわざわと胸が騒ぐ。
家人に無断で物を投げ込む行為は、とうてい褒められたものではない。子供のいたずらなのだと思えばいいのかもしれない。
実際その通りのはずだから、さして気に留める必要はないと理性は言っていた。しかし、このまま見過ごしていいのかわからない。
誰かに伝えるべきではないのか。手鏡は必要な時だけリリゼやエマジアへ渡すようにしている。無暗やたらに持ち運ぶのは損壊の恐れがあると判断しているからだ。しかし、こんな時はもどかしくて仕方ない。
一体どうしたらいいのか、と無意味に部屋をうろうろ歩き回る。すると、扉を叩く音がした。続いて、聞きなれた声が届く。
「お嬢さま、様子はいかがですか。何か必要なものはございませんか。何なりとお申し付けください」
控えめな声が部屋の外からして、ロルブルーミアははっと顔を動かす。時間を見つけて様子を見にきてくれるリリゼの手がちょうど空いたのだろう。
扉の前に駆け寄ると「お願いがあるの」と告げる。
裏庭に子供たちが何かを投げ込んだ旨を伝えて、一体それが何なのか教えてほしいと言い添える。
さして重大な意味を持っていないはずだとは思うけれど、正体が判明しないままというのは落ち着かない。
もちろん、リリゼがロルブルーミアの「お願い」を断るわけがない。ロルブルーミアの不安もすぐに察したのだろう。「承知しました」と言って、すぐに動いてくれた。
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