第6話 皇女は密やかに聞く①

 耳飾りから流れるのは、間違いなくリファイアードの声だった。


 昼食後に客人がやってきたことは、屋敷の外に止まった馬車で察した。手のひらの耳飾りからは、「ようこそおいでくださいました、ボルドス公爵閣下」というリファイアードの声が流れてくる。


 ドキドキと心臓がうるさく鳴っていた。

 客人との会話を盗み聞きするなど、とうてい許されない行為だろう。秘密を暴き立てる卑しい行いだと言える。

 家族はロルブルーミアがこんなことをすると思っていないから、落胆するかもしれない。万が一リファイアードの耳に入ったら、どんな仕打ちが待っているかわからない。


 頭に浮かぶ予想にロルブルーミアは怯んでしまいそうになるけれど、自分を叱咤して貴族らしい挨拶を交わす二人の声を聞いている。


 オーレオンへ嫁いできてから、ロルブルーミアは屋敷の外に出ていない。

 リッシュグリーデンドの力になりたいと思っているのに、何一つできないでいる。

 自由に動くことを許されておらず、それを打破する特別な能力もないのだからじっとしている以外できないのだ。


 しかし、それでいいとは思っていなかった。

 せめて何か役に立ちたい。国のために、家族のために。大事な場所を守るためにできることといったら、これくらいしか思いつかなかった。

 卓越した頭脳や優れた体格も持たず、目を見張るほどの秀でた能力もない。どんな武器も持たないロルブルーミアにできるのは、せめてオーレオンでの最新情報を集めることくらいだ。


 そう思って、ロルブルーミアはリッシュグリーデンドから一緒についてきてくれた侍女へ、お願いをしていた。

 リリゼは家事の手腕に長けていることから、屋敷内の使用人に混じって働いて情報を得ること。エマジアはオーレオン語の会話はもちろん、読み書きも長けていることから積極的に外へ出て外部の情報を得てくること。


 さらに、その一環で今回ロルブルーミアは、リリゼに手鏡を託した。屋敷内を歩き回っても、最も不信感を持たれないからだ。


 携帯用の音話機として持ち込んだのは、耳飾りと手鏡の組み合わせ。応接間のどこかに、手鏡を置いてきてくれたのだろう。

 手鏡は手のひらに収まるほどの大きさだ。応接間には細々とした物が置かれていることもあり、ひっそり隠すことは難しくないはずだった。


 万が一手鏡が見つかったとしても、単なる道具にしか見えないはずだ。オーレオンでの魔道具は、一般的に普及しているとは言い難い。

 明かりとして使われているもののそれくらいで、音を伝える魔道具が普通の道具に紛れているなど、想像もしてないはずだ。


 だから、これは決して無茶なことではないのだと、ここにはいない家族へ向かってロルブルーミアは内心で告げる。


 危険な目に遭わないでほしい。何が逆鱗に触れるかわからないのだ。何もせず静かに過ごして、ただ安全でいてほしい。

 そう願われていることはわかっていた。無茶をせず息を潜めて日々をやり過ごすのが、最も賢くて安全な手段だろう。

 そう考えれば、きっとこれは家族の望みとは正反対だ。


 それでも、ロルブルーミアはただ手をこまねていることはしたくなかった。オーレオンにいる自分にできることがあるなら、何かをしたかった。

 表立って立ち回ることはできなくても、せめて情報を集めたい。国を守るために、家族のために何もできないままではいたくなかった。


 これは危ない橋なんかじゃないわ、とロルブルーミアは自分に言い聞かせる。

 心配性な父親や兄姉はロルブルーミアの行動を知ったら、胸を痛めてしまう。ただ息を潜めて日々を過ごしているのだと思っていてほしいから、全ては黙っていると決めた。

 家族にとって、ロルブルーミアは小さくてかわいい末の姫だとわかっている。

 かわいい皇女は、きっとこんな無茶をしない。部屋でじっとして、何も知らない顔をしている。


 望んだ姿ではないことを理解しているから、ロルブルーミアは内心で言い訳を並べるのだ。

 これはちっとも危険なことではない。ここは廃墟の屋敷でもないし、悪意を持った存在と相対しているわけでもないし、暴力によって蹂躙されているわけでもない。


 だから大丈夫だわ、と思いながらロルブルーミアは流れる声に耳を澄ます。


「早速だが、皇女の様子はどうかな」

「まだこちらの生活に慣れないようで――。伏せってはいませんが、人と会うのは難しいでしょう」


 ボルドス公爵の言葉に、リファイアードは落ち着き払って答える。外に出るなと厳命して部屋に鍵を掛けているなど、微塵みじんも感じさせない態度だ。

 その声を聞くロルブルーミアは、傍らに積んだ書籍を手に取る。『貴族人名録』と、オーレオン王国の地図だ。


 ボルドス公爵のページを開き、記憶と照合する。すっきりとした顔立ちの、五十代ほどの男性の肖像画と基本的な情報が記されている。


 王位継承権上位の王子と王女、四大貴族や聖徒せいと貴族をはじめとした、有力貴族は頭に入っている。

 エマジアからは、行儀作法だけでなく一般的な勉強や貴族としての知識についても徹底的に叩き込まれているのだ。


 ボルドス公爵の領地はセレバールだ。フェイン渓谷などの景勝地が有名で、首都から近いこともあって行楽地として名高い。

 リリスタ焼きと呼ばれる高級陶器が名産で、国内に広く流通しており、領地の経済運営に秀でていると評判だ。

 セレバールの位置を地図で確認して、ロルブルーミアは耳を澄ます。


「結婚式までは充分に気をつけてくれ。皇女が無事に輿入れできたことは幸いとはいえ、まだ気は抜けない。きみには、まだまだ働いてもらわないとならないからな」

「当然承知しています。輿入れの際には、ボルドス公爵殿下にもおとりを用意していただくなど、尽力いただきましたね」

「はは、当たり前だろう。反対派の人間は血の気が多い野蛮やばんな連中だ。事故に見せかけて皇女を亡き者にするくらい、何とも思っていない」


 淡々とした調子で告げるのは、ロルブルーミアの輿入れ時に密かに計画されていた襲撃だ。

 結婚を白紙にするため、ロルブルーミアの乗る馬車を事故に見せかけて襲うつもりだったという。ただ、事前に計画を察知したリファイアードたちが動いたことで、阻止に成功。無事にロルブルーミアは王宮へ到着したのだ。


 初めて知る事実だ。しかし、ロルブルーミアはさして驚きはしなかった。

 歓迎されない結婚であることなど、よくわかっている。実力行使に出る手合いがいてもおかしくはない。そういう場所に嫁いだのだ。


「私たちの崇高な理念など、反対派は理解できないのだろう。過去の因縁にとらわれて、未来を放棄している。ルカイド公爵は一度決めたら他を見ようとしないごじんだからな。反対派筆頭がああだから、下もそれに従う」


 ボルドス公爵が口にした名前に、ロルブルーミアはページをめくる。

 肖像画に描かれるルカイド公爵は、立派な体躯に禿頭とくとうで威厳を感じさせる。公爵家でも上位の血筋であり、歴代大臣を輩出する名家である。

 第三王子と特に懇意で、四大貴族や聖徒貴族には及ばないものの、ずいぶん王家に近い位置にいると言っていい。広大な領地を持ち、周辺の領地への輸出も行っており、影響力もずいぶんあるはずだ。


「我らこそが、誰より今回の結婚の意義をよくわかっている。推進派こそが、オーレオンの未来を担う存在なのだ」


 そう言って、ボルドス公爵は力強く熱弁をふるった。

 オーレオンは歴史ある大国であり、古豪として名を残してきた。しかし、近年では少しずつその影響力に陰りが見え始めている。

 他国も力をつけており、圧倒的な国力で他国を圧倒していた時代は終わりを迎えつつあるのだ。


 このまま、過去の栄光にすがるだけの存在になり果てるか。これまでの成功にしがみついて、過去と心中することを選ぶか。今こそが未来との分岐点なのだと、ボルドス公爵は言う。


「シャド聖教王国は相変わらず好戦的だ。南のイフリド、西のゼルハレイへの侵攻だけで留まるとは思えない。いずれ、我がオーレオンに牙を剥くことは間違いないだろう」


 ボルドス公爵が言うのは、オーレオンの南と国境が接するシャド聖教王国だ。エマジアから教えられた内容を、ロルブルーミアは頭の中でなぞった。


 シャド聖教王国。

 独自の宗教を掲げており、教皇が元首を務める。取り立てて目立つような国ではなかったものの、新教皇へ代替わりして以降表舞台でたびたび名前を見るようになった。

 魔力と武器を融合させた新兵器の開発が顕著で、イフリド王国へ突然の侵攻を行い、一つの都市を一瞬で消し飛ばしたのだ。

 その件以降、周囲の国とも小競り合いが勃発。もともと閉鎖的な国だったこともあり動向の詳細は不明ながらも、独自の技術力で強力な武器を持っていることは間違いなかった。

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