第3話 つながる声②

「お父さま! お体の調子は大丈夫なのですか。今日のお仕事は……いえ、お声を聞けてとても嬉しいですわ」


 心からの喜びをたたえて言うと、アドルムドラッツァールは音話機の向こうで笑い声をあげた。岩をもゆるがすような声は力強く感じられて、ロルブルーミアはほっと息を吐く。


「なに、ルミアが案ずることは何もない。愛娘の呼びかけに答えられないなど、あってはならないからな」

「最近は魔力の減退も落ち着いてきているからね。ルミアはあまり心配しなくても大丈夫だよ」


 アドルムドラッツァールの言葉に続く、やわらかな低い声。

 リッシュグリーデンドの第二皇子おうじにして、フラーロウルベンの弟たるラーグリージョレイスだった。鬼人族としてたくましい体と立派な角を持つけれど、争いを好まない気質である。


「みんなで協力しながら事態にあたっているし、上手くやっているよ。リッシュグリーデンドで事件が起きたなんて話は聞いていないだろう? 問題はない証拠だよ。それより、ルミアのほうが心配だよ。婚約披露は上手く行ったと大使から聞いてはいるけど――」

「ええ、そうですわ。滞りなく全ては無事に終わりましたわ」


 ラーグリージョレイスの言葉に、ロルブルーミアは力強く答えた。

 事実として、何の問題も起きていない。ただ人形のようにほほえんでいるだけだったから、問題が起きる隙もなかった。

 ただ、家族が心配しているのは表面的な話だけでないこともわかっていた。


「大丈夫ですわ。屋敷に移ってきてからも、順調ですもの。広い部屋も与えられていますし、食べきれないほどの食事だって出てくるんですのよ。ああ、お庭には季節の花も咲いていて――ちょうど釣鐘草を部屋に飾ったところですわ」


 明るい声でロルブルーミアは告げる。だってそうしなければ、父親をはじめとした家族は自分たちを責めるのだ。

 オーレオンと友好関係を結ぶため、そのための代償として末の皇女を差し出さなくてはならなかったのだと。国のためのロルブルーミアを犠牲にしているのだと。

 もしもロルブルーミアが悲しんだり傷ついたりしていると知ったら、罪悪感に拍車をかけるだけだ。


「婚礼衣装と宝冠も作っていただいていますもの。出来上がりが楽しみだわ!」


 たとえ見えなくても、きらきらとした表情でとびきりの笑顔を浮かべて言うのだ。

 自分の心なんて、意見なんて、今は全部なかったことにする。何も知らない顔で、世間知らずのお姫さまのように、ただ未来の喜びだけを語るのだ。

 そうすることが自分の役目だ。オーレオンとの結婚が決まった時から、リッシュグリーデンドの未来を守るために必要なら、そうすると決めたのだ。


「――お前の花嫁姿を楽しみにしている」


 ロルブルーミアの言葉を受け止めて、アドルムドラッツァールが答えた。ロルブルーミアの気持ちがわかっているからこそ、何も言わずただうなずいたのだ。

 オーレオンとの一時休戦というかりそめの和平をもっと確かなものにするためには、この結婚を成功させなければならないことなど、アドルムドラッツァールこそが最も理解している。

 急激な魔力の衰えに直面している魔王だからこそ。


 リッシュグリーデンドで最も強大な魔力を持つのが魔王という存在だ。帝国全土に魔力を行き渡らせ、常にその偉大さを知らしめる。

 国を覆う魔力は、他からの侵攻を防ぐ結界となり、あちこちから噴き出す瘴気しょうきを押し留めて魔族の狂化を防ぎ、あらゆる魔族からの畏敬を集める理由になる。

 その魔力が急激に衰えていた。


 寿命や病気、大きなけがによって魔力が著しく損なわれることは確認されている。しかし、当代魔王アドルムドラッツァールは、まだ千年も生きていない。百年単位で生きる魔族にとっては、寿命にまだ遠い。

 かといって大きな病気もけがも見つかっていない。それにもかかわらず、魔力が少しずつ失われていくのだ。


 未発見の病気か、別の原因か。理由の解明に奔走してきたものの成果ははかばかしくなく、魔力の減少を止めることはできなかった。

 このままでは、いずれ魔力が枯渇して魔王としての職務を果たすことはできなくなることは、決して遠くない未来の予想だった。


 そうなれば、リッシュグリーデンドには大きな混乱が訪れることは間違いない。


 現状、魔王の代替わりの予兆もない。このまま、今の魔王がたおれたなら。帝国全土に瘴気しょうきがあふれ、魔族たちの狂化が進みあちこちで内紛が起こるだろう。

 くわえて、外からの侵入をたやすく許すとなれば、混乱に乗じて国に攻め込まれる可能性が高い。

 ほとんど鎖国状態で、同盟国など存在しないのがリッシュグリーデンド帝国である。隙を見せれば一気に攻め込まれる。

 その相手として予想されるのは、これまでの長い戦争の歴史を持つオーレオン王国だ。


 だからこそ、ロルブルーミアとリファイアードの結婚は必ず成し遂げなくてはならない。


 魔王の魔力減退は、リッシュグリーデンドの国家機密として扱われており、側近と家族たちしか知らされていない。

 だから、表向きはあくまでリッシュグリーデンドの発展のためという名目だ。

 魔力減退を隠すため、残った家族たちがその穴を埋めるべく国中を飛び回っているおかげで、今のところ気づかれてはいない。

 ただ、本来の目的はただ一点。オーレオンからの侵攻を防ぐ抑止力となることだ。


 いずれ、リッシュグリーデンドが戦火に包まれる可能性があるなら。生まれ育った故郷が、父親をはじめとした家族が守るべき場所が、失われてしまうのなら。

 それを防ぐ手立てに自分がなれるなら、迷いは一つもなかった。

 

 王子と皇女の婚姻は、国同士の契約でもある。一度成立してしまえば、簡単に覆すことはできない。

 危うい均衡の上に成り立つ外交関係において、大きな切り札になる。だから、ロルブルーミアは必ずこの結婚を成功させなくてはならない。


(――お父さまたちの力になるのよ)


 ロルブルーミアは家族の声を聞きながら、何度も固めた決意を再度なぞった。


 オーレオンとの同盟を結び、友好関係を築くための強固な証として、政略結婚の話が持ち上がった。

 魔族の国の人間の皇女が最適だろうと対象にロルブルーミアの名前が挙がった時、兄や姉、幼い頃から面倒を見てくれた侍従長や主治医は反対意見を表明した。


 オーレオンへの輿入れは、人間であるロルブルーミアと少数の魔族の帯同しか許されていない。オーレオンの民となることが、この結婚における友好の証だからだ。

 ほとんど一人きりでロルブルーミアを長い間敵国だった国へ差し出すなど、生贄と変わらない。そんなことが許されるのか、ロルブルーミアを犠牲にするだけではないか、と姉や兄たちは反対してくれた。

 しかし、本当は誰もわかっていた。

 いつ魔力が枯渇しかわからない現状。原因もわからず、打つ手立てははない。オーレオンを抑え込む手段はいくつも議論された。

 しかし、どれもが実現性に乏しく、とうてい無駄なあがきでしかなかった。選択肢はあえなく消える。唯一、オーレオンへの抑止力として効果が見込まれるのは、この道だけだった。


 だから、アドルムドラッツァールはロルブルーミアの結婚を決めた。

 一人娘かわいさに、国全てを危険にさらすことはできない。皇女の結婚一つで国や国民を守ることができるなら、そうするべきだと判断した。

 それがどれだけ正しいのかなんて、兄や姉たちだってわからないはずはなかったのだ。幼い頃から、国を背負って立つのだと教育されてきたのだから。


(きっと、お母さまだってうなずいてくれるわ)


 思い出すのは、たおやかに笑う母親の顔だ。やさしくておだやかで、芯の強い人だった。守るべきもののためには、自分の身を投げ出すことさえいとわないような。

 そう思うロルブルーミアの心臓は、どきりと鳴った。思い浮かぶ。月明り。夜。かび臭い匂い。動けない体。あたたかな体温。まばたきしない瞳。


 呼吸を忘れて苦しくなって、ロルブルーミアは慌てて首を振った。顔は見えないとしても、不自然な沈黙に気づかれてはいけない。


「ええ、わたくしも結婚式にはお父さまにお会いできることを楽しみにしておりますわ」


 気づかれないよう深呼吸をしてから、ロルブルーミアは言う。

 リッシュグリーデンドの魔族は、めったに国から出ることはない。リッシュグリーデンドの外にはほとんど魔力がないことと、魔族の姿は人間にとって迫害の対象となる危険性もあるからだ。

 特に、魔力のないオーレオンでは人型を取ることもできないため、威容を誇る魔族の姿は恐怖を与えるに違いない。


 しかし、ロルブルーミアの結婚式は別だ。国同士の結婚式において、花嫁側からの出席者がゼロなどということは許されない。

 双方の祝福の上にこの結婚が果たされるという喧伝も含めて、リッシュグリーデンドの出席は必須だった。

 何より、そんなことがなくても父親たるアドルムドラッツァールは、ロルブルーミアの花嫁姿を楽しみにしていた。


「マリアにも、お前の花嫁姿をきちんと報告せねばならぬからな」


 今までの声の調子を変えて、アドルムドラッツァールは言う。ロルブルーミアの母親の名前を挙げて、どれだけ美しい姿なのかを報告するのだと告げる声は、どこまでもやわらかかった。

 今はもうどこにもいない。それでも、なお大切な人の面影を抱くように。


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