第2話 つながる声①
自室に戻ったロルブルーミアは、大きく息を吐き出した。
施錠される音を背中で聞きながら客間を通り、化粧室に入る。鏡台に腰掛けると、鏡に映る自分が飛び込んでくる。
袖のふくらんだ淡い水色のワンピースには繊細なレースやリボンが踊り、耳には天空石の耳飾りがきらきら輝く。
丁寧にくしけずられた灰茶色の髪は上半分だけ後ろで束ねられ、空色の大きな瞳は濡れたように潤んでいる。
じっと自分の姿を見つめたロルブルーミアは、胸中でそっと言葉をこぼした。
(お母さまのような美人には、とうてい及ばないわね)
鏡の中のロルブルーミアは、大きな目と小柄な体躯もあいまって、十六歳にしては幼い印象がある。
十五歳で成人しているとはいえ、まだまだ子供に見られがちなのだ。
母親はすらりとした細身で、いつでもたおやかな美しい人だった。
そっと浮かべた笑みは雪解けを待つ春のようで、見る者の心を温める。母親の近くはいつでもおだやかで、どこよりも安心できる場所だった。
普段は他を圧倒する威圧感を持っている魔王も、その笑顔に弱いことをロルブルーミアはよく知っていた。
二人そろって城のバルコニーで話している時、魔王らしい面影など一切なかった。初めて恋を知った少年のようで、ロルブルーミアはそんな二人を見ているのが好きだったのだ。
そんな母親のような美しい面立ちをロルブルーミアは持っていない。残念に思う気持ちはあるけれど、落胆しているわけでもなかった。
幼さは時として武器にもなるのだ。無邪気で可憐な少女だと思われている方が、何かと都合がいいこともある。ロルブルーミアにとって、外見は武器の一種でもあった。
だから、たとえ外に出ることはなくても、屋敷内を自由に動くことすらできなくても、身だしなみには細心の注意を払っていた。
清潔感はもちろん、身に着ける服の形や髪型など、可憐さを演出できる装いを心掛けているのだ。
いつでもかわいらしい自分でいることを、ロルブルーミアは肝に銘じている。
客観的に自分の容姿を最大限に活かす方向性がこちらだということはわかっているし、家族にとっての自分もそうなのだと知っているから。
かわいい、かわいい、末の姫。それがロルブルーミアだとわかっている。
鏡の自分ににっこりと笑いかけて表情を確認したあと、ロルブルーミアは引き出しに手を掛ける。
取り出したのは、見るからに豪華な輝きを放つ首飾りだ。
リッシュグリーデンドは多様な鉱物産出することで有名だ。その内の一種である天空石と
婚約披露の場でも身に着けた一品である。今ロルブルーミアの耳に揺れる耳飾りとも対になっている。
オーレオンへ嫁ぐにあたって、家族はたくさんの贈り物を用意した。
高価な品物は当然として、それ以外にもロルブルーミアを守るようにという願いを込めた贈り物だ。
たとえば、持参品のドレスには魔力による加護が付与されていて、ちょっとした鎧のような効果がある。戦場へ赴くわけではないのに、なんて誰も言わなかった。
できることをしたいと、想いを道具に込めたのだ。その内の一つが、目の前の首飾りや耳飾りだった。
――お守りだと思って、身に着けていなさい。いつでもそばにいる。たとえ遠く離れていても、近くで見守っている。
父親である魔王はそう言って、ロルブルーミアに美しい装飾品を渡した。魔王をはじめとした、魔族の家族たちの魔力が込められた品々であり、特別な力と強い祈りが宿っている。
ロルブルーミアは深呼吸して、首飾りを手元の明かりにかざした。窓からは太陽の光が入り、きらきらと
その光をじっと見つめて、天空石の中心に人差し指を滑らせた。左に三回、右に二回、それから中央部分を軽く一度叩く。
すると、まるで風を受けた水面のように天空石の表面が揺らいだ。
次の瞬間、それまで透き通っていた宝石は白く濁って淡い光を放ち始めた。
無事に成功したことにほっとして、ロルブルーミアは口を開く。
首飾りに向けて、そっと声を掛ける。オーレオン語ではなく、母国語であるリッシュグリーデンドの言葉で。
「――誰かいらっしゃいますか?」
「ルミアちゃん!? わあ、待ってたよぉ!」
「フラーお姉さま!」
すぐに答えは返ってきた。聞き覚えのある声に、のんびりとした独特の口調は鳥型の獣人族であるフラーロウルベンに違いなかった。リッシュグリーデンドの第三皇女であり、明るい性格をしている。
軽やかな声でロルブルーミアの様子を尋ねるので、何も問題はない旨を告げた。
大きく体調を崩しているわけではないし、部屋から出られないとしてもけがを負っているわけではないので、嘘はついていない。
「
「ええ、問題ありませんわ。お姉さまの声もしっかり聞こえています。リッシュグリーデンドの技術力は世界一ですもの」
きっぱり告げると、フラーロウルベンは「そうだよねぇ!」と楽しそうに笑った。
装身具の一つとして持ち込んだのは、魔力を機械に組み込むことで遠い場所の相手との会話を可能にする音話機である。
魔力を蓄積する効果を持つ天空石と月光貝を利用して、魔王の魔力を宿らせている。この力でリッシュグリーデンドにいる家族と連絡が取れる。
ロルブルーミアの持つ首飾りは、魔王の寝室にある大鏡へつながっているのだ。
それ以外にも、いざという時に役立てるように、と携帯用の音話機として耳飾りと手鏡の組み合わせも同様に持ち込んでいた。
お守りという意味と、現実的に常に持ち歩いておきたいという理由で、耳飾りは常にロルブルーミアの耳に揺れている。
リッシュグリーデンドは、国中に豊富な魔力が漂っている。しかし、オーレオンに魔力はほとんどない。
それゆえ、魔族はオーレオンでは魔力を発揮できないとされていた。自然界から取り込む魔力を体内に留めることで、魔族は様々な力を発揮するからだ。
そんな中、魔力を機械に組み込む技術が発明された。魔道具として、魔力を留めて持ち出すことで、オーレオンでも発動が可能になったのだ。
今はまだ生命体への応用はできないものの、いずれオーレオンでも自在に魔力を操り、人間の姿へ変化することなどができるようになるかもしれない。
「この技術は、ゆくゆくオーレオンでも大きく利用されることになるはずですわ。ですから、今からリッシュグリーデンドの技術力の高さを宣伝していくことが大事だと思いますの。そのためにも、まずは結婚式をきちんと成功させて、ちゃんとオーレオンの一員になってみせますわ」
音話機では、互いの姿を見ることはできない。ただ、声の調子だけでロルブルーミアがどれほど真剣に、勢い込んでいるかは伝わったのだろう。
フラーロウルベンは少し困ったような声で言った。
「ううん、それはそうだし、ルミアちゃんが頑張ってるのはわかるんだけど――あんまり無理をしたらだめだよぉ。ねえ、そうだよねぇ、お父さまにラーグ!」
呼びかけられた言葉に、ロルブルーミアはぴくりと反応する。
魔族たちの活動は夜になってからが本番だ。ただ、睡眠も大して必要とはしないので昼間も活動している可能性が高いから、必ずしも寝室にいるとは限らないのだけれど。
「――ああ、そうだ。ルミアは少し張り切りすぎるところがある。あまり根を詰めることがないように、気をつけねば」
体の芯に響くような、深い声が響いた。音だけでも威圧感を覚えるような、底知れぬ力強さを放っていた。
この声を耳にしただけで、誰もが
これこそが、リッシュグリーデンドの全てを束ねる、魔族たちの頂点に立つ魔王アドルムドラッツァールである。
千年近く生きるアドルムドラッツァールは、魔獣族の竜種と不死族の骸骨種の混血である。
ごつごつとした巌のような角を生やした、白骨化した竜の頭部を顔に持ち、
筋骨隆々とした人型の体は見上げるほど大きく、全身は黒い鱗に覆われており、背中からは巨大な飛膜型の羽が生えている。
一歩進むごとに地面は揺れ、
歴代魔王の中でも圧倒的な魔力を有し、リッシュグリーデンド帝国を統べてきた。誰からも恐れられ、畏怖される魔王である。
しかし、ロルブルーミアにとってこの声は、決して恐怖の対象ではない。
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