第6話 昼休み、かくれんぼ。
──ガララララ……
「失礼しまーす」
二時限目の鐘が鳴ってからすぐのこと。
普段あまり来ない事務室の扉を開けて俺はキョロキョロと見回した。
中にいるのは一人、今まさに事務作業をしている女性一人だ。
名前は確か──
「すみません、山上さん……でしたっけ。ちょっとここのコピー機借りたいんですけどいいです? 化学準備室のコピー機壊れちゃって」
ほとんど喋ったことのない彼女に対し、俺は低姿勢で声をかけた。
山上さんは視線をパソコンから俺に向けると、厳しい目付きになり椅子から立ち上がった。
「何部印刷されますか?」
「あ、えーっと……4クラス分、くらい?」
じろり、と睨みつけられて俺は思わず顔を引きつらせた。
何かまずいことを言っちまったか。
「少なくなっているので先に用紙を補充しなきゃいけません、時間がかかります」
「ああ、なら補充もやっときますよ」
「こちらのコピー機は聞き分けが悪いので少しコツがいるんです。すぐに使いますか?」
「あーっと……いや、午後の授業なんで、すぐでは」
「では後ほどお届けします。データを頂いても?」
「ええもちろん」
すぐ近くのデスクに置いてあるパソコンに案内され、俺はUSBメモリから必要なデータをコピーして移した。
「いやーすみません、今から昼休みまでは化学準備室にいるんでよろしくお願いします。あ、なんなら内線もらえたら来ますし」
「いえ、そう遠くもありませんから大丈夫です。先生はお仕事に集中してくださって結構です」
「ああー……はい、どうもありがとうございます」
それから程なくして事務室を出て、俺は自分の専用デスクがある化学準備室へと向かう為に階段を上った。
あれが山上さんか。
新年会にも来てたはずなんだけど、喋ったことはないんだよな。
半年前にうちの高校勤務になって──その前何してたかは知らない。
「……はー、他人のことなんてどうでもいいよな。俺は机に山積みの小テストの丸付けさっさとやらねぇと」
そう独り言を呟くと上りにくい来客用スリッパで俺は階段ダッシュを始めた。
***
「コンコンしつれいしまーっす♪」
「おい、言うだけじゃなくてちゃんとノックしろよ」
昼休みの鐘が鳴ったかと思えば、ほとんど間も開かずに化学準備室のドアは開け放たれた。入ってきたのは鬼村だ。二年生の教室は階が違うっつーのによぉ……。
「あ! それこないだのテストだ~。あたし満点?」
「2点だよ、馬鹿」
「えーそれ何点満点だっけ~」
「10点満点だよ」
「うわ二割も取れてんじゃんあたしすごっ」
「すごかねーよ! 授業聞いてたらほとんどわかんだろーが!!」
俺がいつもの調子でこいつに吠えられるのは、今化学準備室を根城にしているのは俺だけだからだ。去年までは気の良いおじいちゃん先生が一緒に使っていたが、定年退職してしまった。
そして俺が一人なのをいいことに、こいつは休み時間にはここに入り浸るようになり……。俺も俺で、職員室のデスクよりも静かで周りを気にしなくていいここにほとんどいるわけ。(あっちにもこっちにも資料やら何やら置いてるから一か所に留まれないのが悪い癖だが)
「じゃじゃーん、見て見て今日のお昼ごはん!」
「コンビニ弁当だろ?」
「コンビニおにぎり全種類爆買い~」
鬼村は隣の空きデスクの椅子に腰を下ろすと、鞄の中から大量のおにぎりを出し始めた。
「一番おいしそーなのはねぇ、この汁だく牛丼おにぎり」
「お前そんなに食えんのかよ……」
「大した量じゃないじゃん? あ、ちゃんとデザートもあるよ~」
「野菜も食え」
プリンを顔の横に持ってきてニコニコと笑っている鬼村は、こう見ていると普通の女子高生に見える。……見えるだけだが。
「お前、耳にじゃらじゃらピアス付けてっけど、来週服装検査だぞ」
「何それ?」
「ちゃんと制服着てっか見る検査だよ」
「えーちゃんと着るって何? 着てんじゃん? ほらほらぁ」
そう言って鬼村は立ち上がるとその場でくるりと回って見せる。
が、パンツが見えそうになって俺は目を逸らした。
「スカート短いんだよ! 規定より!」
「あたしの足長いからさぁー」
「そーゆー問題じゃない!」
「パンツ見た?」
「見……てねぇよ!!」
「なんだぁ。今日は水色の可愛いレースなんだけどな~」
「いちいち説明すんな!!」
俺は駄々をこねる鬼村に噛みつきながらも、サンドイッチを口に放り込んで途中だった仕事に手を付けた。……ひとにコンビニ弁当だのなんだの言っておきながら、俺もコンビニで買った飯なんだよな。
そういやこいつが生徒になってからのここ一週間ほど、魑魅魍魎に襲われることはなかった。いつ来てもいいように外ではポケットの中の煙草とライターを握り締める生活をしていたが、とんだ拍子抜けである。このまま何事もない平和な生活が続けばいいと思っているが……
「お前、飯食ったらさっさと教室戻れよ」
「やーだ♡ センセーといちゃいちゃしてから戻る~♪」
「いちゃいちゃしねーよこの馬鹿たれっ!!」
そう言い放った時だった。
──ゾクリと背筋が凍る。
まるで何かに見られているみたいな。
それか恐ろしい何かがここへ、近づいているみたいな。
──コンコン
「……はい?」
俺はすりガラスから見えるドアの向こうの人影に、身構えた。
ガチャ、とドアを開けて入ってきた人物に
俺は息を呑む。
「──失礼します、こちら頼まれていたプリントです」
「あ、山上さん……」
俺のデスクへ近づいてこようとした山上さんは、鬼村を見て眉をひそめた。
「……ここで何を?」
「ひぇっ……いや、うちの生徒が昼飯をここで食べるって言って聞かなくてですね……!!」
「だからぁ食べたらそのあといちゃ──もごもご」
「そのあとついでにわからないとこ教えてやるって話だったんですよ~! こいつテストの点数めちゃくちゃ悪くて!」
「もごごご、もご」
鬼村は口を開けばいらんことしか言わない為、俺はすぐさま手で塞いだ。
山上さんは少し訝しげな顔をしていたがプリントをデスクの上へ置くとすぐさま踵を返して
「早く化学準備室のコピー機直るといいですね」
と言い残して行ってしまった。
……多分、今見たことを上に報告されるなんてことはないだろう、と思いたい。
「もご、むぐぐ……っぷはぁ。ちょっとセンセー、あたし勉強とか教えられるつもりないんですけどー」
「じゃあ食ったらさっさと帰れ!」
「んもー、センセーはわがままだな~」
「わがままなのはお前だよ!!」
「あたしがいないと怖くてお外も歩けないくせに~」
むすっとした表情で鬼村はコンビニおにぎりのパッケージを開け始めた。
美味しそうな匂いが隣から漂ってきて羨ましくなる。
俺は野菜ジュースのパックを開けた。
「センセー、野菜ってそれ?」
「そーだよ」
「センセーもちゃんと野菜取れてなくない?」
「うるせー大人はいーんだよ」
「あたしのこと子ども扱いしてんじゃん、ウケる」
鬼村はくすくすと笑いながらおにぎりを頬張った。一つをあっという間にぺろりと平らげ、2個目を開けようとしている。が、窓の方を見て動きを止めた。
俺は何事かと思ったが、午後の授業の準備の手は止められない。
立ち上がって山上さんが置いて行ったプリントの束を手に取り、部数を数えた。
「外になんか見えたかー? カラス?」
「違う違う」
「?」
俺は下を向いていた頭を起こそうとして、ふいに眩暈を起こした。
ぐらり、と回る感じがして
俺は机に手をつく。
「う……立ち眩みか……?」
そうぼやきながら窓へと視線を向けた。
異様にでかい手と
黄色く淀んだ目玉が
そこにあった。
「……!?」
手は部屋の窓をほとんど覆うくらいでかく、
目玉はぎょろぎょろと部屋の中の様子を伺っている。
俺が言葉も出ずに青ざめていると、
鬼村は椅子の上で足を組んで2個目のおにぎりを頬張った。
さっき感じた見られてる感覚はこの目玉のことだったのか……?
「センセーのこと探してるよ」
「はあ……? 探してる……? かっ、カーテン開いてんだから、どう考えても丸見えだろ!!」
「見えてないんじゃない?」
「み、見えてない……??」
鬼村が3個目のおにぎりに手を伸ばす。
俺の心臓は恐怖のあまり激しく鼓動を打ち始め、乱れそうになる呼吸を整える為にゆっくり息を吐いた。
「い、犬……犬とか出した方がいいか?」
「だいじょーぶだよ、きっと手出してこないから。ほら」
鬼村が言うのと同時に、その手と目玉はどこかへ行ってしまった。
ここは、2階だ。
相手は人間ではないのだから気にするべきところではないが、高所だとしてもばけもんは外から容易に襲ってくる……その時俺はすぐに反応できるのか?
赤紫色がかっていた窓の外が、元の済んだ空気へと戻っていった。
「……今の、何だったんだ?」
「いつものだよ」
「魑魅魍魎……? でも、あいつらなんかちっちぇだろ……」
「ちっちゃいのがばらばら動いても太刀打ちできない~って気づいちゃったんじゃない?」
「どういうことだ?」
「んー、がった~い! みたいな?」
「合体……?」
鬼村に言われて俺の頭に浮かんだのは子どもの頃に見た合体ロボだ。ただ、あいつらはロボじゃない。動物と同じく皮膚や肉を持つ生き物のように思う。だとすれば合体って……
「こう、ちっちゃいのがさあ~、核になる奴に虫見たいにわらわらわら~って群がってぇ、合体すんのよ」
「……?」
「だからさっきの手も、よく見たらちっちゃいあいつらがわらわらわら~って密集してたんだって。目もおんなじ。見えなかった?」
「でけぇってことしかわかんなかったんだよ……」
「ありゃ、そっかそっかセンセー怖くてビビっちゃったかぁ。だいじょーぶあたしがいるからね~よしよし」
鬼村は近づいてくると、その場で硬直したまま立っている俺に対して子どもをあやすように頭を撫でた。
こいつの掌の感触を肌が感じる度に、少しずつ冷えた体の温度が戻っていくようだ。
「でも、見えてないってのはなんでだったんだ?」
でかい目玉がぎょろりと動いていたのを思い出して身震いする。
あんだけでかいのなら見えていて当たり前じゃないのか。
「んーあいつら実際見てるわけじゃないからさぁ~。なんてゆーか、気? を追いかけてるってか」
「気?」
「あたしとか、センセーが体から放ってるエネルギーみたいな~」
「それが、わからなかったってことか?」
「じゃなくて、窓側にあたしが座ってたじゃん」
「──あたしの気がでかすぎたから、室内だとよくわかんなかった、ってことじゃん?」
4個目のおにぎりが、鬼村の口の中に放り込まれる。
俺にはいつもの鬼村にしか見えていないが
多分、あの化け物たちからすれば
こいつはめちゃくちゃでかいバケモンに見えたに違いない。
そんなやつの後ろに隠れてりゃ
ちっぽけな俺なんて見えない、か。
「……じゃあずっとお前の後ろに隠れてりゃ俺は安全ってことか?」
「狭い部屋だとそうかもね~。あ、ねぇねぇやっぱ同棲する!? それなら寝てる時も安心じゃん!?」
「………」
──その時、昼休み終了を告げる鐘が鳴った。
俺はまだ午後の授業の準備が全て終わっていないことに気が付き、鬼村を廊下へと追い出した。
しかしもしも今、
もう一度さっきの奴が窓を覗き込んで来たら……
「……っ!」
恐ろしさが蘇ってきて、背筋がぶるりと震えた。
とにかくさっさと授業の準備をしてここを出よう。
──その夜の残業は、カーテンの向こうの暗がりに何かいるのではないかと気が気じゃなかった。
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