29.秘密のお茶会④

「え、え~と。ヘレナちゃんはああ言いましたけど、わたしだっていつも真剣なんですよ?本当ですよ?あはは・・・」


 リーリヤとヘレナの視線を浴びたセルマの語りはなんとも頼りない弁明から始まった。


 意外なことに彼女はまごついていた。今日の本題を振られたのに彼女はそれについて話そうとしない。


 だが、リーリヤだけでなくヘレナでさえセルマが逃げるのを許さなかった。二人に無言で見つめられたセルマはやがて意を決して口を開こうとしたところで言葉が出る前に遮られた。


「これを」


 低い声とともにセルマの背後から腕が突き出される。


 唐突に現れた老齢の男性にリーリヤは硬直する。彼の接近にリーリヤはもちろんセルマもまったく気付いていなかった。


「ありがとうございます。おじさん」


 ヘレナだけは位置関係的に見えていたようで落ち着いた様子で平然と受け答えをしていた。


 男性はもともと寡黙なのか、ヘレナの礼に微かに頷くとそのまま店の奥に戻っていった。リーリヤの視線が去って行く男性からテーブルに戻ると、そこには軽食の載った皿がある。


 ハムとチーズが載ったスライスされたバゲットとスコーンだ。焼きたてのスコーンからは仄かに湯気が上がっている。


「今の人は・・・?」


 リーリヤの疑問に答えたのはセルマだった。


「わたしのお父さんです」


「え?お祖父さんではなく?全然お父さんには見えなかったけど」


 それはリーリヤの素直な感想だ。

 どう見てもリーリヤにはセルマの父親に思えなかったのだ。


 先ほどの男性は髪が白く染まり、大分年をとっているように見えた。60歳は疾うに越えているのではないか。セルマが10代ということを踏まえると親よりも祖父といった方が自然だ。


 しかし、それは世間一般ではあまりよろしくない反応だったらしい。


「ちょっと!居候さん!」


 椅子を蹴るように立ち上がったヘレナの一喝にリーリヤは咄嗟に首をすくめる。文句や嫌味ばかり言う奴ではあるがここまで大きな声を出すのを見るのは初めてだった。


「あなたという人はなんて失礼なことを言うんですか!まったく!非常識な人だとは思って、いました、が・・・?」


 怒り冷めやらぬ様子のヘレナは机に手を付いて身を乗り出してくるが、その威勢はあっという間に弱まった。


 周囲に座っていた人達がヘレナの大声につられたように一斉に振り返ったせいだ。魔具の効果でリーリヤ達の会話は聞こえないはずなのに。


 他の客の反応にぎょっとしたヘレナは急に声を萎ませると、最後にはおどおどと力なく席に座り直した。


「あ、あれ?セルマさん。これって魔具は起動してるんですよね?」


「うん。そのはずだけど」


「そ、そうですよね。わたしの気のせい、ですよね・・・?」


 ヘレナは恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをする。


「なんにせよ、です。仮にもお嬢様だったというならばもう少し思慮と慎みを持った発言をするべきです。人には簡単に触れて欲しくない話題だってあるんです。わかりましたか?わかりましたよね?」


「え、ええ。気をつけるわ」


 足でかつかつと地面を叩きながら睨め付けてくるヘレナの圧にリーリヤはたじたじとなる。今にも靴のつま先でリーリヤの臑を小突いてきそうだ。


「ヘレナちゃん、はしたないよ。それにわたしは気にしてないから。ね?」


「セルマさんがそう言うなら。はい」


 リーリヤは気まずそうに口を引き結ぶ。


 きっとリーリヤは踏み込みすぎたのだ。

 リーリヤとセルマは今日が初対面にも等しい。実際の初対面は図書館ではあるけれど、あのときは子ども達の相手にかかりきりでほとんど話すことはなかった。


 家族、友人、他人。それだけではない。人と人の関係にはもっと様々な形があることをリーリヤはこの街に来て知った。


 けれども、それぞれがどんな距離感で成り立っているのかを経験がないリーリヤは現実感を持って認識できているわけではない。最適な距離感を掴むことは今のリーリヤには難しいことだった。


 場の空気が淀む。

 なんだかセルマの話を聞く雰囲気ではなくなってしまった。


「そうです。今度はリーリヤさんのお話を聞きたいです」


 セルマがリーリヤに話題を振る。その顔は心なしかほっとしているように見えた。


「私の?」


「ええ。ちょうど家族の話題が出たので。是非リーリヤさんのご家族についてお聞きしたいです。あっ。もちろん、リーリヤさんが良かったらですよ」


 『家族』。


 嫌な言葉だ。

 正直に言ってしまえば『いない』の一言で終わる。しかし、セルマが聞きたいのはきっとそういうことではない。

 もっと詳しいことを聞かれているとリーリヤは思った。


 なんて答えたものかとリーリヤは考えあぐねる。

 話してはいけない『魔女』の話以外ながら別にリーリヤとしては隠し立てすることはなにもない。


 それでも悩むのは『お嬢様設定』に矛盾が起きないようにしなければならないためだ。


 なんだっただろうか。改めて思い返そうとすると案外難しい。確か、幼い頃に母を失い、継母からいびられて屋敷に閉じこもっていた設定だった気がする。


 そういえばあまり深く考えていなかったが、設定に登場するリーリヤに嫌がらせをする継母というのは師のことなのか。


 そう考えるとリーリヤの人生をもの凄く簡略化するならば、アルマスの考えたお嬢様設定とそこまで違いはないのかもしれない。


 隠し立てなんてしなくてもありのままに言っても問題がないように思えた。


 リーリヤはまだ熱そうな焼きたてのスコーンに手を伸ばしながら雑談でもするように話し始める。


「母親はいないわね。小さいときに私を置いていなくなったわ」


「え・・・」


 セルマの笑みが凍り付く。

 興味なさげにしていたヘレナも眉をぴくりと動かしている。


 しかし、リーリヤは思ったよりも熱々のスコーンに気を取られていて、そのことに気付かなかった。


「育ての親みたいな人はいたけど家族じゃないわね。直接そう言われたから」


「うわ・・・」


 セルマの顔から笑みが消え、動きが止まる。

 動かなくなったセルマの代わりになんでかヘレナが質問を引き継いだ。


「わたしも父と母からあなたのことは少しだけ聞いています。その育ての親というのはおそらく継母にあたる人のことでしょう。継母がいるということは少なくとも父親はいるはずですよね?」


 リーリヤは火傷しそうになりながらもどうにかこうにかスコーンを千切りつつ答える。


「さあ?顔も見たことないわ。というか、名前も知らない。本当は父親なんていないんじゃない?」


 だとしたらどうやってリーリヤが産まれたのかという話だが、リーリヤとしては師も生みの母も父親のことについてなにかを言っていた記憶が一切ないのだからしょうがない。

 何も知らない以上はいないのと大差ない。


 あまりにも素っ気ないリーリヤの言い様にセルマもヘレナも黙ってしまった。

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