17.花の乙女①

 開け放った窓から差し込む日の光を浴びながらリーリヤは寝返りを打つ。


 そわそわと肌を撫でる風はほどよくぬるく、いつもであれば心地よい微睡みに浸っていたことだろう。しかし、今日のリーリヤは落ち着きなくベッドの上でごろごろと転がるだけで眠気はまったくやってこない。


 なぜならもう十分すぎるほどに惰眠をむさぼった後だからだ。


「暇」


 仰向けになったまま青空を眺めつつリーリヤはぼやく。


 今日の仕事は何もなし。


 昨晩アルマスからそう告げられたので、本日のリーリヤの予定は全くの白紙となった。つまりはお休みを与えられたとも言う。


 たった数日間ではあるが、リーリヤは既に働くことへの憂鬱さを感じ始めていた。街の人達はよくも毎日嫌な顔もせずに仕事をしているものだと思う。いくら生活やお金のためであっても、ずっとこんなことを続けるなんて考えると息が詰まって仕方がない。


 そういうわけで仕事をしなくていいのであれば大歓迎のリーリヤである。


 しかし、困ったことにそれはそれで暇を持て余してしまっていた。

 森の中であればいくらでも時間を潰すことができる自信がある。広い森を散策するだけでも一日なんてあっという間に過ぎ去っていく。けれど街の中とくれば話は別だ。


 はっきり言ってリーリヤは街を一人で出歩く気にはなれない。昨日は迷子になったばっかりだし、何より見知らぬ土地を歩き回ることにまだ心細さがあるのだ。


 せめてアルマスの道案内でもあれば話は違うのだが。


 そのアルマスはというと、だ。


「失礼な奴よね、まったく」


 リーリヤは不機嫌に毒づく。


 昨日の去り際にアルマスが言っていたことを思い出したらまた腹が立ってきた。


『ぶっちゃけ見つかんないんだよね、君の仕事。いやね、選ばなければなんでもあるよ。地下下水道の掃除とか、ほんとにいろいろね。でも、君でもできるっていう条件を付けるとこれがまた大変なんだよ。なにせ計算できないし、文字も読めないし、体力もない上に人見知りでもある。加えて一般常識もないときた。うん、こりゃしばらく無理だね』


 簡単にまとめるとリーリヤに合った仕事を探すのが難航しているらしい。


 それにしてももっと別の言い方はなかったのか。ちっとも思いやりの感じられない物言いはリーリヤの言い訳する余地を残してくれない。自分の出来の悪さくらい、リーリヤだって気にしているのに。


 配慮がどうたらと謝っていた人間とは思えない無神経さだ。リーリヤは込み上げる感情のままにクッションをぼすぼす殴りつつ怒りを発散する。それも虚しくなってすぐに止めた。


 そしてまた意味もなく窓から空模様を見上げる作業に戻って、しばらくした時だった。


 こんこん、と部屋の入り口をノックする音が聞こえた。完全に気を抜いていたリーリヤは急いで上半身を起す。


 アルマスだったらもうとっくに声をかけてきているはず。誰だろうかとリーリヤは思わず警戒し、身構えた。


「リーリヤちゃん。今いいかしら?」


 扉の外にいたのはイレネだった。彼女はいつものおっとりとした優しい口調でリーリヤに語りかけてくる。


 リーリヤが返事をするとイレネがひょっこりと扉から顔を出す。


「良かったらお出かけしない?」











 一人で寂しそうに店番をしているトビアスを置いてきて、リーリヤとイレネは昼間で人も疎らな通りを歩いて行く。


「まずはお洋服かしらね」


 そう言われてイレネに連れてこられたのはこじんまりとした店構えの服屋だった。店先には服をかたどった看板がぶら下がっている。


「古着屋さんよ。本当は新しい方がいいと思うんだけど、やっぱりお値段が張っちゃうから。いいとこのお嬢さんだと古着にちょっと抵抗あるわよね。でも、大丈夫。ここのお店はその分種類も多いし、丁寧に手入れしているから新品と同じくらい状態がいいのよ」


 イレネ曰く上流階級の者は一から仕立屋が作るのが普通だという。

 庶民の中でも多少裕福な人達は古着ではなくて新しい服を買うらしいが、それでも仕立屋に依頼するのではなく既製品となってしまうとか。


 それこそイレネ達のような住宅街に居を構える一般庶民達は自分で服を縫ったり、古着を買って今風にアレンジして着ていると聞いた。


 考えてみるとリーリヤは師から与えられた物を着ていただけなので、今まで来ていた服がどうやって作られたものなのかはいまいちわからなかった。それでも、あの冷徹な師が手ずから服を縫うことだけはないと断言できる。


 イレネが言うだけはあって狭い店内にずらりと並ぶ色とりどりの服の数にはそれだけで圧倒される。ざっと見るだけでも一つとして同じ物はなさそうだった。

 模様や形が違ったり、大きなリボンや布でできた小さな花が付けられていたりする。


 店の入り口で立ち止まっていたリーリヤは奥に進んでいったイレネから手招きをされる。


「え?私の、ですか?」


 イレネが手に取った服をリーリヤの胸の前に広げてみせたことで、彼女がリーリヤの服を買おうとしていることに気付く。


 てっきりイレネの服を買いに来たのだと思っていた。


「でも、別に大丈夫ですけど」


 故郷の森から持ってきた私物はほとんどないが、着るものならイレネがくれたものがある。


 貰ったのは二着くらいだけれども、今だってリーリヤはそれを着込んでいる。季節が変われば必要な服装も変わってくるとはいえ現状は困っていない。


 リーリヤとしてはそう伝えたつもりだった。


「遠慮しなくていいのよ。私の使わなくなった服を幾つかあげたけど、それだけじゃ全然足りないでしょう?」


「そ、そんなことないと思うんですけど」


 リーリヤの認識では季節ごとに二、三着の服を持っていれば十分だと思っていた。


 しかし、イレネに言わせればまったく足りていないらしい。リーリヤにはなんでそんなに服が必要なのかが理解できなかった。


「それに渡したのはもう着なくなった昔のばかりだったから、やっぱり型が古いのよね。色だって気に入らなかったりするでしょうし。流行の物とまではいかなくても、今の若い子が着るような服を買いましょうね」


 何がどう古くて、どれが新しいのかなんてわからないリーリヤは早々に諦めてイレネの言うとおりにすることにした。


 なんで古い型とやらがダメで新しい型の方がいいのか、後でアルマスに聞くことにする。アルマスを頼るのは癪だが、街での常識をリーリヤ一人で身につけようとするには無理がある。


 イレネは次々と服を見繕ってはリーリヤに渡してくる。おかげでリーリヤの両腕がいっぱいになるまでそう時間はかからなかった。


「これなんかいいんじゃないかしら。リーリヤちゃんは肌が白いから濃い青系が特に似合いそう。ほらほら、折角だから試着してみて」


 あっちを着たり、こっちを着たり、言われるがままに脱ぎ着を繰り返す。


 イレネが満足する頃にはリーリヤは疲れ切っていた。


「うん。これだけあれば当分困らないと思うわ。後で上手い着回しの仕方も教えてあげるわね」


「はい・・・、ありがとうございます・・・」


 やっと終わったと試着室から出て来たリーリヤはこれで買い物から解放されると気を抜いたのがいけなかったのか、横にあった棚に手を付こうとして空振りし、そのままこけそうになる。


「リーリヤちゃん、大丈夫?」


 イレネの心配を余所にリーリヤの視線は一つの服に吸い寄せられていた。


「これ・・・」


 それは棚の下段にあって今まで見えていなかったものだった。ひっそりと奥まった角に追いやられるように置かれている。

 くすんだ緑色の長いスカートをリーリヤは手に取った。


「あら?それが気になるの?ちょっと古いけれど、少し手直しすればまだまだ着られると思うわ。でも、それでいいの?若い子にはちょっと渋い色な気もするけど。意匠が気に入ったなら他にも似たような物はあるのよ」


 イレネは別の棚にあるもっと明るい色の似たような服を見せてくれたがリーリヤは首を横に振った。


「これが、良いです。この色が。昔、似合っていると言われたことがあって。だから・・・」


「そう。それじゃ、それも買いましょうか」


「いいんですか?」


「ええ、もちろん。色々言ったけどお洋服は好きな物を着るのが一番いいのよ」


 支払いの段階になってリーリヤはお金を持っていないことを思い出した。


 しかし、イレネにやんわりと気にしなくていいと諭される。遠慮しようにも払うべきお金がないのでイレネの言葉に甘えるほかなかった。


「じゃあ、次に行きましょうね」


「えっ。まだあるんですか?」


「ええ。お洋服しか買ってないもの。それ以外にも靴と帽子に、アクセサリーとかの小物でしょう?あと下着も重要ね。身嗜みを整えたり、お化粧に使う物は雑貨屋うちで取り扱っている商品があるから。そうね、とりあえずはこれくらいかしらね。他にもあった方がいい物はもっともっとあるけど、それは追々揃えていきましょう」


「そ、そんなにも?」


 リーリヤは目が回りそうだった。服だけでもこんなに時間がかかったのに、今日中にまだまだ別の店を巡るというのだ。


「どれも大切よ。女の子だもの」


「ぅぅ・・・。そう、ですか。そうなんですね」


「うふふ。楽しいわね。最近ヘレナちゃんはこういうお買い物に付き合ってくれなくて。リーリヤちゃんが居てくれて嬉しいわ。私も年甲斐もなく張り切っちゃう。それじゃあ、今日のうちに必要な物はあらかた買い揃えちゃいましょうね」


 もう帰りたい、とリーリヤは思っていたが、楽しそうにころころと笑っているイレネを見るとそんなことは言えそうになかった。


 たくさんの服が入った袋を両手で抱えてリーリヤは肩を落とした。

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