16.孤独な魔女は寂しさを知る③
「帰ろうか」
「・・・うん」
アルマスが差し出した手を取って立ち上がるもリーリヤはアルマスの顔を見ることができなかった。
帰り道は無言だった。
いつもは鬱陶しいくらいおしゃべりのアルマスがまったく会話をしようとしないのが逆に怖かった。
さっきの自警団達はリーリヤが魔女の術を使おうとしたことを理解できていなかった。けれど、アルマスは別だ。アルマスはリーリヤが何をしようとしていたかを十分理解している。
リーリヤはアルマスとの約束を破ろうとした。
身の危険を感じたが故の行為だったとはいえやり過ぎた。上手く話を誤魔化したり、もっと他にも手段はあった。
そもそも焦らずに相手の話を良く聞いてれば、ただ心配して声をかけてきただけとわかったはずだ。
いくらリーリヤでも短絡的だったと反省している。
それなのにアルマスはリーリヤを叱ることもなければ説教することもしない。それどころか話題にすら上げない。
直接なじられるよりも無言で責められる方が苦しいなんて知らなかった。
黙ったまま歩き続けて気付いたらステーン家の前にいた。だというのにリーリヤもアルマスも家の中に入ろうとしない。
そのまま何を話すでもなく立ち尽くしていると、やがてアルマスが頭を掻くようにして言った。
「悪かったね。配慮が足りていなかった」
「え?」
なんでアルマスが謝るのか、リーリヤにはわからなかった。誰がどう見ても今回の件はリーリヤが勝手に暴走していただけだ。それなのに、なぜ彼が申し訳なさそうな顔をしているのか。
「一応、俺としても既に物が無くなっていることは承知の上で話しているつもりだったんだ。もう10年以上前に渡した物だしね。特別な材質でもなんでもないただの布で作られた物だったから、もうとっくに使えなくなったか、捨ててしまってもおかしくないってね」
リボンの話だとすぐに気付く。
大分遠回りな話し方をしているのはおそらくリーリヤを余計に刺激しないためだと思われた。
けれどもアルマスが何を言いたいのか、リーリヤにはまったく伝わってこない。
「あれは君にあげた物なんだから、君がどうしようと別にいいんだよ。大事に使おうと、逆に雑に扱おうとね。その結果どうなっていようと別に俺は何も思わないし、何も言わないからさ」
遅ればせながらリーリヤは理解する。
広場でのリーリヤの反応から『昔にアルマスが贈ったリボンはなんらかの理由で処分されており、もうリーリヤの手元には残っていない。そのことをリーリヤは気に病んでいたのに急に話題に上がってしまったため、どうすればいいかわからなくなって逃げ出してしまった』とアルマスは解釈したようだった。
それは違うとリーリヤは言いたかった。しかし、否定する資格をリーリヤは持っていない。
「っ」
それでも何かを伝えなければいけない気がして、必死に言葉を探しているところで後ろから声をかけられた。
「あの、入らないならどいてくれませんか」
そこにいたのはしっとりとした黒髪に青い瞳をした少女だ。不機嫌丸出しでふてくされた様子のステーン家の一人娘こと、ヘレナ・ステーンである。
リーリヤ達がステーン家の目の前で立ち話をしていたせいでヘレナは家に入れずに困っていた。
彼女はリーリヤの顔を見てあからさまに嫌そうな顔をしてみせた。
その露骨すぎる態度にリーリヤは頬をひくつかせる。
「やぁ。ヘレナちゃん。今帰りかい?」
アルマスがヘレナに声をかける。もうアルマスはいつも通りの雰囲気に戻っている。
ヘレナはアルマスを上目遣いで見てから恥ずかしげに顔を伏せてもじもじとする。リーリヤに対してとは清々しいほどに違う扱いに尚更腹が立った。
「あっ、はい。お、おにい・・・。ア、アルマスさんもお仕事お疲れ様です。わっ。アルマスさん、それ、寒くないんですか」
ヘレナが驚いたのはアルマスが余りにも薄着だったからだ。
話すきっかけが見つからなかっただけでリーリヤだってずっと気にしていた。空気に触れているだけで手だって冷たくなる気温なのに、アルマスは薄いシャツを1枚着ているだけだ。それなのにまったく寒がる素振りさえなかった。
「大丈夫だよ。こいつを付けてるから」
アルマスは左手首に付けていた腕輪をかざす。その金属製の腕輪には綺麗な赤色の結晶が嵌まっており、銀色に輝く星の光のような粒子が無数に舞っていた。
しかし、それだけでは何が大丈夫なのかわからない。腕輪がいったいなんだというのだろうか。リーリヤが首を傾げているとアルマスが説明してくれた。
「こいつは『身につけている者の身体をほんのり温める』という力が込められているんだ。錬金術による産物だね」
「ほんのり?」
「ああ、ほんのり。例えば、こいつを付けて凍り付くような極寒の湖に飛び込んでも身体は温まらない。普通に凍える。錬金術といっても万能ではないから、そこは致し方ない。用途用法はきちんと守りましょうってことさ」
錬金術には馴染みがないリーリヤであるが、これだけ聞くと便利なようなそうでもないような微妙な物という印象になる。
これならまだ妖精を使役していた方が使い勝手がいい。森にいた頃は身の回りのことはなんでも妖精にやらせていたものだ。あいにく森でよく見かけた妖精はこの街にいないので再現することはできないのだが。
そんなことより、と話を変える前振りをしてアルマスはヘレナに向き合った。
「こんな時間まで何をしていたんだい?もしかして遊んでいたのかな。だとしたら良くないよ。君はまだ子どもなんだから夜中に一人で出歩くのは止めた方がいい。お父さんとお母さんに余計な心配をかけるのはいただけないね」
アルマス曰く、ヘレナはまだ13歳。
世間一般では子どもであるし、その外見もきちんと年相応だ。日が暮れて随分と立つのに外をうろついているのは、倫理的にも安全面的にもよろしくないということだ。
危うく非行少女の烙印を押されかけたヘレナが慌てて否定する。
「ち、違います。わたし、別に遊んでたわけじゃないですっ」
「ふむ。というと?」
詳細を求めるアルマスに応えるようにヘレナはじろりとリーリヤを睨み付けてくる。
今度はなんだとリーリヤはつい身構える。
「どこかの誰かさんが夜になっても一向に帰ってこないから家族総出で探してたんです」
「あー。そりゃ、そっか。そうだよな。すっかり忘れてたよ」
アルマスが額に手をあてる。
リーリヤはヘレナの話をかみ砕くのに少し時間がかかった。それはつまり―――。
「あと、別にわたしは一人じゃありませんよ。さっきまでは父も一緒でしたから。あまりにも小うるさいので置いて来ちゃいましたが」
「それはごめんね。そして、ありがとう」
「いえ、そんな。アルマスさんにお礼を言われることではないです」
「そうか。ヘレナちゃんは優しいな。でも、ありがたいのは本当だからさ」
アルマスがもう一度礼を言うと、ヘレナは照れて赤くなった顔を隠すようにそそくさと家に戻っていった。
去り際にリーリヤにだけ聞こえる声でちくりと嫌味を言うのを忘れなかったのはさすがという他ない。リーリヤはとことんヘレナに嫌われているようだった。
「おにい・・・、んんっ、アルマスさんにこれ以上迷惑をかけないでくださいね」
リーリヤは咄嗟に言い返しそうになるのをぐっと堪える。相手は年下、生意気ではあるがそれくらい大目に見るべきだ。
それに今日ばかりはリーリヤが悪い。
「後で皆に謝んなきゃな」
それだけ言ってアルマスはぽんとリーリヤの頭に手を置く。その手を振り払う気にならなかったのは胸の奥で震える心を抑えるのに手一杯だったからだ。
道の向こうからくたびれた様子のトビアスがやってくる。アルマスは苦笑いを浮かべるとリーリヤの側を離れてトビアスを迎えに行った。
リーリヤは今さっき気付かされた事実を心の中でそっと繰り返す。
顔を合わせば文句しか言わない生意気な年下娘も、心優しいイレネも、懐の深いトビアスも。なによりアルマスだってそう。
リーリヤにも心配して探してくれる人がいる。
そのことが春の夜風に冷え切っていたリーリヤを少しだけ温かくしてくれた。
誰もが寝静まった深夜。
リーリヤはクローゼットの奥にしまい込んでいた衣装を引っ張り出す。
朧気な月明かりに照らし出されたのは真っ黒なワンピース。
かつてリーリヤが身に纏っていた魔女の装束だ。儀式を行うにあたってリーリヤのために師があつらえたものでもある。
黒一色という簡素な色味ながら、隅々まで緻密な刺繍が施されている。黒い糸で編み込まれた数々の文様は一つ一つが古代から伝わる特別な意味を持つ。
もう二度と着る機会はおろか、見ることもないと思っていた。
リーリヤは衣装の内側、胸の辺りに作られたポケットを探る。この衣装を準備する際にリーリヤが唯一注文をつけたところだ。
ポケットに入っていたのは古びた革の小袋。固く結ばれた紐を解き、中にしまっていた大切な物を取り出す。
草色のリボンだ。くすみのある濃い黄緑色のそれはリーリヤが子どもの頃から大事にしていた数少ない宝物。
アルマスはぼろぼろになってとっくに捨てていると考えていたようであったが、本当はこうして大切に保管していた。
長い時を経過しても、少しも色あせることなく、ほつれや傷だって一つもない。それはリーリヤがどれだけ丁寧に手入れし、大切に扱ってきたかを示している。それこそリーリヤはこのリボンを数えるほどしか身に着けたことがない。
髪を結うのが嫌いだからではない。子どもにとっては渋すぎる色合いが気に入らなかったわけでもない。
ただ初めて友達に貰った物を汚したくなかったのだ。森の中ではうっかり枝葉に引っかけるかもしれないし、悪戯な妖精達に奪われでもしたら目も当てられない。
だからこそ、本来の用途ではなくても御守のように持ち歩くことにしていた。
来たるべき時が来るまではそうするつもりだった。
リーリヤは月明かりが反射する姿見の前に立つ。
女の子なら絶対に必要だとイレネから半ば押しつけられた鏡は薄闇の中にありながらはっきりとリーリヤを写す。
櫛で髪を梳き、リボンを手に取って髪を結ぼうとする。けれど、できなかった。
リーリヤはリボンを持った手を力なく落とす。
「やっぱり、だめ。私には付けられない」
項垂れるように目を瞑ればあの頃の光景が蘇る。
ぶっきらぼうな言葉とともに不器用に突き出した手に握られたリボン。気恥ずかしげにしながらもまっすぐリーリヤを見つめていた。その瞳はリーリヤが魔女になることを少しも疑っていなかった。
あのときのアルマスの言葉を今でも覚えている。
『未来の大魔女様へ』
言葉に込められた期待。幼いリーリヤはそれを強く感じ、心が満たされる思いだった。自分を理解してくれる人がここにいるのだと嬉しくて仕方がなかった。
しかし、リーリヤはあのときのアルマスの期待に応えることはもうできない。
リーリヤは魔女になれていない。なることはできなかったのだ。
祝福は呪いへと置き換わり、絶えずリーリヤを縛り続けていた。
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