9.魔女の嫉妬③
「腹減ってる?何か食べて帰ろうか?といってもステーン家で夕飯の用意をしているだろうから買い食いは少しだけだよ」
「・・・いらない」
リンゴーン区にあるステーン家へ帰るには商業区を突っ切るのが近道だ。何本もの整備された大通りには食欲をそそる匂いを漂わせる屋台が幾つも軒を連ねている。仕事帰りに腹を空かせた住民達もつい財布の紐が緩みがちになる。
まだ夜闇は訪れていなくても、通りのあちこちで少し早めに街灯が仄かな明かりを灯している。真夜中でも煌々と照らしてくれる街灯は安全面でも生活面でも重要な役割を果たしており、村と街の違いはなにかと聞かれれば真っ先に街灯の有無と言われるほどに都市の顔でもある。
街灯の上部にある透明な結晶は昼間の明かりを溜め込むことが出来る錬金術によって生成された物質だ。明かりを点けるために一つ一つ起動させる手間がかかるので点灯夫という専門の職業すらあった。
賑わいを見せる大通りの最中、リーリヤはアルマスの後ろを一歩遅れてついてくる。その顔は辛気くさいの一言に尽きる。どう考えても先ほどの喫茶店『花々の羽休め』での一件を引きずっている様子だ。
一日の終わりに酒を酌み交わし、今日も働いたと陽気にはしゃぐ往来の人々が殊更それを強調させる。
アルマスは仏頂面のリーリヤを慰めるわけでもなく、かといって終わったことだと諭すこともせず、リーリヤのことを放置していた。きっと彼女なりに思うところがあるのだろうし、いくら正論でも人に言われると無性に腹が立つ場合だってある。こういうときは下手に触らないのが無難である。
代わりにアルマスは適当な世間話をすることにした。そこらの屋台を指差しながらあそこは豚の串肉が美味い、あっちの揚げ魚は塩味が薄い。そこの果実水は安くて美味しい穴場だとかそんな益体もない話をしていた。
リーリヤは特に返事をすることはなかったが、アルマスに文句を言うこともなかった。
そんな風にして微妙な距離を保ちつつ二人は帰路についていた。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」
リーリヤがアルマスに声をかけてきたのはそろそろ商業区も終わりが見えてきた頃だった。
「なんだい?お勧めの屋台だったらいいとこ知ってるよ。ちょっと戻ることになるけど」
「違うわよ。・・・今日のこと」
どうやら彼女は反省会をお望みらしい。
このまま歩きながら話すか、それとも落ち着いて話せる場所を探すか迷ったがアルマスはそのまま足を進めることにした。
もうステーン家も遠くない。わざわざ何処かで座り込んで話す必要もないと思ったのだ。
少しだけ歩く速度を緩めてからアルマスはリーリヤに続きを促す。
「ちょっと気になることがあるの。あの人達の話は私も聞いてたわ。話の流れ的に、多分、私があの長ったらしい名前の飲み物の計算を間違えたというわけよね」
ただの自身の不甲斐なさの確認や、やるせない気持ちの整理というわけではなさそうだ。リーリヤは真剣な表情で何か思い詰めている。
「そうなるね。それも一回や二回じゃなさそうだ」
「なら、おかしい。だって、昨日あんたが出した計算の問題。あれ、同じような問題だったじゃない。きっと今日のことを見越した練習問題だったってことでしょう?」
案外鋭いとアルマスは思った。
リーリヤの言うとおり昨日リーリヤに解いてもらった計算式は喫茶店での会計を想定して作成している。
『花々の羽休め』では簡素な説明とわかりやすい絵柄によるメニュー表を用いた注文方式のため、アルマスもそこまで似せて作り込んだわけではない。
それでも足したり引いたりする額は、トッピングの加算や銀貨銅貨でのやりとりを考えている。
リーリヤは重大な問題を解き明かすような仰々しい雰囲気で言葉を紡いでいく。
「私、昨日の計算は合ってた。幾つか思い返してみたけど、まるっきり同じになった注文だってあったのよ。ということは、ひょっとして私は嵌められたんじゃないの?そりゃ店長さんは私のせいだなんて言わないで誤魔化してくれてたけど、原因は私だって思ってるはず。でもね。最初、誰かが小声で言ってたのよ。お金を盗んだ人がいるんじゃないかって」
リーリヤは濡れ衣を着せられたのであって真犯人は他にいる。そう疑っている様子だった。
「なかなか良い考察だね。でも、君は一つ勘違いしている」
「何が違うって言うの?」
アルマスはリーリヤを振り返りながら笑って言う。
「君は昨日俺が出した計算問題を解けたと言ったけど、それ違うから」
「は?」
「ほとんど間違いだらけだったよ。もう目も当てられないくらいひどかった。初等教育から受け直した方がいいと思うね。まじで」
あと1,2年もすれば20歳になる世間一般では大人に分類される人間に簡単な足し算引き算のルールから覚えろという羽目になるとはアルマスも思ってなかった。
これも田舎暮らしの弊害か。いや今時小さな村でだってこれくらい習う。単にリーリヤが特殊なだけだろう。
「な、な、な・・・。なにそれ!?だったらなんでそれを教えてくれないのよっ!」
怒り半分、羞恥半分で顔を真っ赤にするリーリヤ。
「教えたところでどうにもならないでしょ。すぐに出来るようになるものでもないし」
何も知らない人よりも中途半端に勘違いしている人の方が正すのは難しい。それも紙面に向かい合って計算するのではなく、客を前に瞬時に計算しなければいけないのだ。たった一日でできることには限界がある。
「・・・そうだけど。そうだけどっ!」
リーリヤは怒りのままに足を速めてアルマスを追い越していく。
それでも人によって得意不得意はある。接客が得意な人も居れば、裏方で帳簿を睨んで数字を弄る方が性に合う人も居る。
リーリヤだって計算ができない、とまでは恥ずかしくて言えなくても苦手にしているくらい店長に言っておけばそれを避けてくれるだけの配慮はしてもらえただろう。
アルマスがあえてそうしなかったのには理由がある。
感情任せに足音を荒立てている彼女の背中にアルマスは本音を告げる。
「それに君、無駄にプライド高そうだからね。間違っていることを伝えても『こんなのなんの役に立つんだ』とか『今まで必要なかった』とか言いそうだったから。身をもって必要性を理解した方が、話が早いと思ったんだよ」
実際今までの生活ではリーリヤはそんなことを考えずに生きてこれた。けれど、森の中と街では状況が違う。
何も学者みたいに複雑な計算を解けるようになれと言っているのではない。ある程度、それこそ買い物で料金やお釣りを誤魔化されないくらいに身につけられればそれで十分なのだ。
自分の現状と出来ないままでいることの不利益を早い内に知っておいて欲しかった。特に魔女という一種の超然とした立場にあった彼女は人よりも劣っていることを認めるには抵抗があるはずだから。
「そう、かもしれないけど」
リーリヤはそっぽを向いて苦々しい表情を隠しもしなかった。
これは多分一定の理解はするけど納得はしていないという顔だ。
それでもいい。これはあくまできっかけの一つに過ぎないのだから。
「・・・もう一つ教えて」
自身の不利を悟ったリーリヤはあからさまに話を変えてきた。
どうぞ、とアルマスが笑いながら言うと半目で睨んでくる。それでもアルマスには効果がないとみると彼女は諦めたようだ。
「『魔女の嫉妬』って何?」
「あ、気付いた?」
『魔女』という単語が混ざっているのが気になったのだろう。昨日あれだけ魔女に関わる話はするなとアルマスが言っていたのに、普通に会話の中で使われたのだ。彼女が気にしないはずがなかった。
「ただの慣用句だよ。意味は『簡単なミス』、『少し運が悪い』という感じだね」
アルマスはリーリヤの横に並んで説明を続ける。
「もともとは古~い昔話でさ」
アルマスが語ったのはよくある子ども向けの御伽話の一つ。
あるところに美しいお姫様がいました。その美しさは国一番とも言われ、国の内外問わず求婚する者が絶えませんでした。
しかし、そんなお姫様に嫉妬をする者がいました。それは人の不幸を見るのが大好きなひねくれ者の魔女です。
ある日、魔女が密かに想いを抱いていた隣国の王子がお姫様に求婚をしたのです。嫉妬に狂った魔女は魔法を使ってお姫様にあらゆる不幸をもたらしました。お姫様はへこたれませんでした。舞踏会に着る服がぼろ布にされてしまっても、ダンスの最中に足を滑らされて転んでしまっても気丈に笑ってみせるのです。
そんなお姫様の健気さに感動した隣国の王子はますますお姫様に惹かれていきます。仲を深める二人にますます嫉妬を募らせた魔女はついには国もろとも二人を呪おうとします。それでもお姫様と王子は手を取り合って立ち向かい、やがては魔女を懲らしめて国を救うのです。そうして二人は幸せになりましたとさ。
そんな話をアルマスはリーリヤに語ってみせる。
「そこから転じて『ちょっと運が悪い』とか『少しミスをしてしまった』ときに魔女が嫉妬をして邪魔をしたせいだって言うようになったんだよ」
「魔女はそんなことで嫉妬しない」
話を聞き終わったリーリヤは大変ご立腹だった。
眉をつり上げて、宵闇色の瞳に不快さを滲ませている。
「だろうね。けど、御伽話の魔女はするんだよ。実にくだらないことにね」
そして街の住民も、もっと言うとこの王国に住むほとんどの人もそう思っている。
魔女とは人の不幸を嘲笑う嫌な奴なんだと。それがこの慣用句には如実に表れていた。
そんな話をしている間にステーン家に辿り着く。
雑貨屋の店仕舞いをしていたトビアスとイレネはリーリヤに気付いて手を振っている。アルマスの付き添いは此処までだ。
「また明日も仕事だからね。引きずるのもいいけど、さっぱり切り替えてよく寝ることをお勧めするよ」
未だに眉根を寄せているリーリヤにそれだけを残してアルマスは帰って行った。
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