7.魔女の嫉妬①
「もう無理ぃ」
リーリヤはテーブルの上にぐったりと身を伏せる。
今日の彼女はボタン付きの水色のワンピースにフリルをあしらった白いエプロン姿だ。頭の上にはこれまた爽やかな水色のキャスケットを被っている。
シンプルながらも可愛らしさを感じさせる服装だ。細かな装飾も含めてレンガ組みの落ち着いた内装に合うようよく考えられた制服だと思う。
昼時もとっくに過ぎた穏やかな午後、向かい側の席に座って優雅にコーヒーを啜っていたアルマスは哀れなリーリヤに教えてあげる。
「店長めっちゃ見てるよ」
「ひぅっ」
優しい風貌の店長がにっこりと満面の笑みを浮かべながらリーリヤのことを見つめている。
リーリヤは思わず情けない悲鳴を漏らす。それでも動かないところを見るに身体的にはともかく精神的にはそこそこ参ってるらしい。
必死に店長の方を見ようとしない彼女の姿はいっそ健気ですらあった。
「朝はあんなにやる気に溢れていたのにね」
アルマスがからかいの言葉を投げれば、リーリヤはばつが悪そうな顔をする。
「仕方ないでしょ。思ってたのと違ったのよ」
小声で愚痴るリーリヤではあるがこの店の仕事自体はさして珍しくもない普通の飲食店だ。
それもリーリヤは今日が初日。仕事と言っても大したことはしていない。午前中は主に仕事の簡単な説明と他の店員の働きぶりの見学。内容も客への挨拶や対応といった基本的なことから始まり、給仕や会計の仕方も一通り教わっていた。さすがに初日には調理まではやらない方針みたいだ。
彼女がどんな仕事を想定していたのかは聞いていないが、これで仕事を紹介したアルマスに文句を言われても難癖としか言いようがない。
あえて言うのであれば、今まで地方も地方のド田舎で暮らしていたリーリヤにとっては少々キラキラし過ぎたのかもしれない。
店員たちの華やかな笑顔、色彩豊かな洒落た制服、都会的な雰囲気溢れる洗練された店内。加えて若くて身綺麗な女性がきゃあきゃあ姦しい声を上げながらひっきりなしに訪れる。
根が人見知りで、引き籠もりを脱したばかりのリーリヤには荷が重かったのだろう。おかげでリーリヤはまともな仕事も果たせず疲弊している。
因みに今日のアルマスは初めての仕事で心細いであろうリーリヤの保護者役を兼ねて休日をまったり堪能している。他人事なので気楽に読書を満喫中だ。
テーブルとテーブルの隙間を踊るようにすり抜けて店長が近づいてくる。木製の床を歩く軽やかな足音が聞こえる度にリーリヤの華奢な肩が跳ねていて見ている分には面白い。
「リーリヤさん。まだ休息時間じゃないですよ」
「へぅっ」
丁寧な口調に器用に怒りを滲ませて店長はリーリヤの背後に立つ。リーリヤがまた変な悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょっと、ちょっとだけでいいから休ませてっ」
「だめです。貴女まだほとんど働いてないじゃないですか。ほらっ、お客様来ましたよ。対応してきてください」
リーリヤは視線でアルマスに助けを求めてくる。しかし、店長は柔和な笑顔のまま急かすようにリーリヤの肩を叩いた。
結局リーリヤは諦めて新しく入ってきた女性客の方にのろのろと向かっていった。
「見事なまでに役立たずだね、彼女」
余りにもアルマスがばっさりと言うものだから店長の方が苦笑いを浮かべた。
「最初は皆上手くいかないものだから。って私も言いたいんですけど。ちょっと想像以上でした」
アルマスと店長の二人が見守る先ではリーリヤがあたふたしながら注文を取っている。
「容赦はしなくていいから」
「いいのですか?確か彼女は『やんごとない事情を抱えた世間知らずのお嬢様』、なんですよね。お仕事ができなくても多めに見てあげたいと思っているのですけど」
「いいの、いいの。折れるなら早い方がいいからね。今のうちにたっぷり挫折を味わった方が彼女のためになる。それに他の人への示しがつかないでしょ?」
「それはそうなんですけど・・・」
不安そうな店長の視線の先には苦戦するリーリヤがいる。
最近特に若い女性からの人気が出ているこの喫茶店は、香り豊かなコーヒーと種類豊富なトッピングが売りだ。その組み合わせは百通り以上とも言われ、お洒落な見た目と確かな美味しさが途切れなく客を呼び込んでいる。
何より特徴的なのは商品名がとてつもなく長いことだろうか。
「ミディアムエスプレッソコーヒーウィズレッドカラントソースクッキークランブルフラッペカプチーノとバターたっぷりさくさくスコーンをください」
「は?え?みでぃ?こーひーべりー?たっぷりスコーン?」
案の定リーリヤは混乱している。傍目からも理解が追いついていないことがよくわかる。
「えっと、だから―――」
挙動不審になるリーリヤの反応に客はもう一度商品名を告げ直している。
リーリヤは必死に首を縦に振ってから客の注文を伝えに調理場に向かう。しかし、その足取りは覚束ない。
「あれは絶対注文覚えてないね」
アルマスは頬杖をついた姿勢で冷静に分析する。
その予想通りにリーリヤから注文を伝えられた他の店員はあからさまに困惑した顔をしている。おそらくリーリヤが伝えたメニューがめちゃくちゃで、存在しない商品名を前に対応を迷っているのだろう。
「おそらくそうですね。ちょっと助けてきます」
明るい茶色の髪を編み込んでハーフアップにした妙齢の店長は頬に手を当てながら眉を下げる。
「紹介した身としては申し訳ないと思うけど」
「それは仕方ありませんよ。話を聞いた上で雇うと決めたのは私ですから。いつもお世話になっているアルマスさんの頼みですからね、これくらいはお安い御用です」
店長は楚々とした動作で一礼する。
ふわりと揺れるスカートは黒を基調としたものだ。他の店員の赤や黄色みたいな明るい色の衣装でないのは一目で店長だとわかるようにするためか。
「アルマスさんはどうぞごゆっくり」
「注文は『ミディアムサイズのエスプレッソコーヒーにレッドカラントソースとクッキークランブルをトッピングしたフラッペカプチーノ』と『バターたっぷりさくさくスコーン』だったよ」
女性客の方に足を向けていた店長が驚いた表情で振り返る。おそらくリーリヤが聞きそびれた注文を再度確認するつもりだったんだろう。
一応、アルマスがこの場にいるのはいろんな意味でやらかすであろうリーリヤを監視、もとい見守るためだ。無理を言ってリーリヤを雇ってもらっている以上、これくらいのフォローはする。
「さすがですね。お客様にもう一度聞く手間が省けました。ありがとうございます」
手を上げることで返事としたアルマスは椅子の背もたれに寄りかかる。
テーブルの脇に置いていた本を手に取るが開くことはしない。
そのままゆっくり周囲を見渡すと目につくのは中庭に建つ大きな風車だ。
この喫茶店の名は『花々の羽休め』。
クーケルゥ湖にほど近い商業区の一角にある。店内は客も疎らな状態ではあるが、中庭に出れば多くの人が暖かな日差しを受けながら談笑している。
これもお国柄だろう。なにせ真冬にもなるとほとんど太陽が昇らない時期すらある北の大地特有の厳しい環境だ。太陽が顔をのぞかせる間は皆こぞって外に出たがる。
そして、この喫茶店の名物はやはり中庭だ。美味しいコーヒーと甘い焼き菓子を求めてくる人も多いが、手入れされた花壇の中央でぐるぐる回る風車を見ながらのんびりと会話に花を咲かせることができるのが一番の理由だという。
アルマスもまた昼下がりの穏やかな余韻に浸る。
リーリヤが巻き起こす騒ぎを背景にアルマスは呑気に欠伸をするのだった。
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