6.『これまで』と『これから』④
「簡単に言うと君がこれからどうするか、という話だね」
リーリヤはついさっき自らの過去を受け入れようと足を踏み出したばかりだ。突然そんなことを言われてもリーリヤには想像するのも難しいだろう。
そこはアルマスだって理解している。
「まず、住居はこのまま使うといい。食事だって心配いらない。君が不自由なく生活できるように、叔父とは既に話を付けている。当分の間は気にする必要はないよ。その間にやりたいことが見つかればいいし、見つからなければそのときにまた相談に乗ろう。難しいことはない。君はステーン家の人とある程度良好な関係を保つよう努力するだけでいいんだ。ここまではいいかな?」
リーリヤが頷く。
その申し訳なさそうな表情を見るだけでリーリヤが心根の優しい娘だと伝わってくる。でも、気にする必要はないのだ。別に無償で提供するとは言っていないのだから。
「ただし。この家で暮らすにあたって、君には二つ約束してもらわないといけない。いや、一つは努力義務かな。これは後で説明しよう。まずは重要な方からだね」
アルマスは顔の前で人差し指を立てる。
「1つ目。過去を捨て去ること。魔女に関わるすべてを君は公言してはならない」
魔女を目指したこと。魔女の見習いだったこと。魔女の力が振るえること。その全部だ。魔女に関連することは何もかも切り捨てるようアルマスは求めた。
リーリヤの表情があからさまに引きつる。
それもそうだろう。今までの彼女にとっては、魔女こそが人生のすべてだったのだ。
「なにそれ・・・?破門をされても、追放されても、私の心はまだ魔女なの!例えあの森に戻ることがもう出来ないとしても、それでもその誇りまでなくなったわけじゃない。二度と魔女と名乗ることが許されなくても、魔女であった私を否定したくない」
今までの努力、費やしてきた時間、心に秘めた想い、どれも生半可なものではないだろう。既に崩れ去り、失われた夢であれど、だからといって初めから何もなかったことにはできない。
理解した上でアルマスは告げる。
「ダメだ。魔女でなくなった君には選択肢なんかない。この街では魔女とは悪の象徴なんだ。いや、この街だけじゃない。人の住むほとんどの地域でそれは変わらないだろうね。だからこそ、魔女ではなく普通の人として街で生きていくならばこれは最低限必要なことなんだ」
遠い辺境のような一部の例外を除いて現代においては大真面目に魔女を糾弾する人間はまずいない。それは一般の人々にとって魔女は遙か昔の御伽話や伝承の中にだけ生きる存在だからだ。だがそれは人々に魔女を受け入れてもらえることと同義ではない。もしも身近に魔女がいると彼らが知ればおそらく迫害に繋がり、そうではなくとも嫌悪の対象にされる。
今の世にはそういう下地が出来ているのだ。それは教会の教えでもあり、親から子へ引き継がれる昔語りでもある。残酷なことに魔女はその存在を許されていないのだ。
仕方がないことではあるが、これはリーリヤにはまだ理解できない類の話だろう。世間一般の常識を知らず、集団の中で暮らしたことがない彼女には『普通』など知りようがない。ましてや自分自身が魔女だったのだ。簡単に受け入れるとは到底思えなかった。
アルマスは平行線の話し合いをしたいのではない。
議論の余地などないのだとリーリヤに突きつけるのがアルマスの役目だ。
「まっ、納得できないよね。でも、いずれわかる話だよ。きっと色々理屈をつけても無駄だろうから今はこう言おうか。ステーン家の人達に迷惑がかかる。突然現れた他人のはずである君を文句も言わずに迎え入れてくれた、心優しい彼らが君のせいで危害を被る可能性がある」
「・・・!」
咄嗟に反論をしようとして口を開きかけたリーリヤは何も言葉を発さぬままに唇を引き結んだ。
「・・・卑怯よ。そんなの」
彼女は机の上に置いた自分の手を睨み付けるように俯く。日は浅くてもここでの暮らしで少なからず彼らの優しさに触れていたはずだ。そのことが彼女に引け目を感じさせる。
アルマスはそこに追い打ちをかける。
「もちろん、ステーン家の人達にも口外しちゃダメだ。他の誰にも相談することすらしてはいけない。はっきり言おう。口に出したが最後、君はこの街で暮らせなくなる。こうなった以上、これは君が死ぬまで抱えていかなければならないんだ」
押し黙るリーリヤ。
少し脅しすぎたかなと思うアルマスだが嘘は言っていない。彼女が口を滑らせれば、きっと似たような惨状になることは容易に想像が付く。
「どうしても我慢ができなくなったなら愚痴くらい聞くよ。俺は例外。君の事情を知っているからね」
あまり虐めすぎてまた引き籠もりに戻られても堪らない。これくらいは容認すべき妥協点だ。
「・・・わかったわ」
アルマスが冷めたお茶を啜っているとリーリヤがぽつりと溢す。
納得はしていなくてもそういうものだと飲み込んでくれたのはアルマスへの信頼と取るべきなのか。
リーリヤは両手でお茶の入ったカップを包み、じっと水面を見つめている。すでにお茶は冷めてしまっているというのに僅かな温もりすらも惜しむようだった。
アルマスは黙って棚から新しいカップを取り出すとポットからお茶を注ぐ。まだ熱々のお茶だ。柔らかな香りと白い湯気がすっと広がる。
「あっ・・・」
リーリヤの手の中から冷めたお茶のカップを奪い取り、代わりに注いだばかりのカップを渡す。
「・・・ありがと」
「飲んでごらん。あったまるから」
イレネがリーリヤのことを慮って用意したカモミールを中心にブレンドしたハーブティーだ。雑貨屋の店頭にも並んでいる物で香りを嗅ぐだけでも心が安らいでゆく。飲めば細やかな甘みが落ち着きをもたらしてくれる。
リーリヤがお茶を一口含む。
ほうっと一息つく。リーリヤは少しだけ穏やかな表情を取り戻した。
「魔女ってなんでこんなに悪者扱いされなきゃならないの?私達はただ世界のために必死に責務を果たしているだけなのに」
「そうだね、不思議な話だ。何かのきっかけがあったのか。それとも無知故の憶測がもたらした不幸な行き違いが広まったのか。調べれば何か出てくるかもしれないけどわかる保証もない。でも今更気にしても仕方ないだろ?君はもう魔女ではないんだから。もしそれでも気になるなら、君だけは魔女を嫌わない人間になればいい。もちろん、それを大っぴらに言うことは出来ないけれどね」
リーリヤはお茶をもう一口飲んでから小さく頷いた。
アルマスもまた空になった自分のカップにハーブティーを注ぐ。
「そうそう。話は変わるんだけどさ、聞きたいことがあったんだ。君、文字は書ける?」
珍しく神妙な顔をしていたアルマスが普段の飄々とした態度に戻る。重い話はこれで終わりということだ。
「え?なに、急に」
「どうなの?書けるなら試しに名前でも書いてみてよ」
アルマスは懐から手帳を引っ張りだすとペンと共にリーリヤに差し出した。
アルマスに訝しげな視線を寄越しながらもリーリヤは素直に手帳の余白部分に名前を書いていく。
「はい。これでいいの?」
「ふぅむ」
リーリヤから突き返された手帳を見てアルマスは軽く唸る。
「じゃあ、次。これはわかる?」
「だからなんなのよ。さっきから」
さらさらと幾つかの数字を手帳に書き記してまたリーリヤに返す。今度は簡単な計算問題だ。
「なにこれ。足し算とか引き算?」
「そう。昔、俺の家にいたときに教えたことがあるでしょ。どれくらいできるか確認しようと思ってね」
「それって私が小さかったときの話じゃない。よくそんな昔のこと覚えてるわね」
ぶつくさ言いながらリーリヤは手を動かす。
十年以上も昔、リーリヤがアルマスの家に預けられたとき、暇を持てあましていた彼女は時たまアルマスと一緒に勉強をしていたことがある。とはいってもアルマスとリーリヤは少しばかり年齢が離れていたので内容はまったく違う。
そもそも家の期待を一身に受けて日頃から勉学に励んでいたアルマスと同じことができるはずがない。そのときの彼女は簡単な文字の読み書きや計算を使用人から学んでいた。
「なるほどね。よくわかった」
リーリヤに返された手帳をちらりと確認するとアルマスは手帳を懐に戻した。
「これで終わり?一体何がしたかったのよ」
「うん?さっき言ったでしょ。君にして欲しいことは2つあるって。その2つ目だよ」
アルマスは顔の前で二本の指を立てる。
「あの努力義務ってやつ?」
「そう、それ。出来れば頑張りましょうっていうお話なんだけど」
アルマスは今度は懐からお金を取り出す。普通に市場で使われているヴァル金貨だ。このマルヤフナ王国では信頼性が一番高い金貨でもある。
アルマスはヴァル金貨を一枚テーブルに置くとリーリヤの方に滑らした。
「生きるためにはお金がいる。ごく当たり前の話ではあるんだけど念のためね。お金、わかる?」
ちなみにアルマスはリーリヤを馬鹿にしているわけでも煽っているわけでもない。
現にリーリヤは珍しそうに金貨を摘まんではひっくり返したり撫でたりしている。
「聞いたことはある。これがそうなの?」
「うん、そう。これがお金。住むところを確保するにも、食べ物を買うにも絶対に必要な物だね」
これこそアルマスが懸念していたリーリヤの世間知らずな一面である。
彼女が住んでいた辺境の深い森の中ではお金のやりとりなど必要とされないことが多い。なんなら物々交換が未だに行われている。その上に取引相手は魔女嫌いの村人達が主なので師である魔女が弟子のリーリヤをおいそれと彼らに近づけるわけがない。
彼女自身が自覚しているかはともかく、彼女は森という馬鹿でかい箱庭で育てられた箱入り娘なのだ。
アルマスはリーリヤが指で突っついている金貨を回収する。
「これはただで手に入るわけじゃない。きちんと仕事をしてその対価として受け取るものなんだ。ほら、村の人だって畑を耕してたり、木を切ったり、何らかの仕事はしていたでしょ。それと同じことだ」
「それくらいは知ってるわよ。・・・知識としては」
「つまり何が言いたいかというと『これから君にも働いてもらう』ということだ。お金を稼ぐためにね。そして、働いて得た賃金の一部はステーン家に払ってもらう。住居と食事の代価だ。もちろん、余ったお金は好きにするといいよ」
リーリヤは難しそうな顔で話を聞いている。
難しい話をしているわけではない。けれどもリーリヤの認識が追いついているかは別問題だ。常識の差異というのは時に友好の証を宣戦布告と捉えることもあるから厄介だ。
「そうね。必要なことだしね。・・・ああ、そういうこと。さっき文字が書けるかとか聞いてきたのは私の仕事を探すためだったのね」
無事に意図は伝わったようでなによりだ。ここでごねるほどリーリヤは子どもではなかったようでアルマスは安心した。
「でも、お仕事か。お仕事って得意なことや好きなことをするのよね。あとは代々引き継いだ家業もかしら。魔女、に関係する仕事なんてないものね。ちょっとそんな目で見ないでよ。わかってる。さっきの約束は守るから」
魔女云々と言い始めたところでアルマスが呆れた顔をするとリーリヤは約束を忘れたわけじゃないと必死に弁明をする。
「でも、私、得意なこととか全然思いつかないんだけど。あっ、植物を育てるのはできるかも。森でも薬草とか花とかお世話してたし。ねぇ、そういうお仕事ってあるの?」
未知への興味と不安をない交ぜにした感情が一種の興奮をもたらしているのだろう。リーリヤは身を乗り出してアルマスに迫る。その顔には仄かな赤みがさし、口元は綻んでいる。
君の言う花はどうせ普通のじゃないよ、と思いつつもアルマスはそれを言わないだけの優しさはあるつもりだ。
それにしてもリーリヤが思っていたよりも前向きになっているのは嬉しい誤算だった。ちょうどいい、やる気があるのならばその勢いでやってもらおう。アルマスはいつもの笑みを浮かべる。
「そこは心配いらないよ。もう仕事は決まってる」
「え?」
リーリヤは少し冷静になったようだが、疑問を抱きつつも素直に頷いた。まだ彼女の興奮は冷めやらないようだ。
「大丈夫。誰しも最初は失敗するものだから。何事も経験さ。当たって砕けろとも言うね」
「ええ?」
アルマスの口ぶりを聞いて途端に不安が押し寄せたのかリーリヤから笑みが消える。彼女は頻りにお茶のなくなったカップの縁をなぞっている。
「じゃあ、仕事は明日からだから。寝坊しないでね」
「ええ!?」
呆然とするリーリヤを余所に彼女の未来は決められた。
こうしてリーリヤの記念すべき社会復帰の第一歩目は明日となったのだった。
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