5.『これまで』と『これから』③

「じゃあ、本題。まずは『これまでの話』から」


 リーリヤの顔が暗くなる。


 もともと明かりがついていない薄暗かった部屋だけれども彼女の気持ちが重くなったことくらいはわかった。


「君は自分の現状を正しく認識しているかい?」


 曖昧な質問だとアルマス自身も思っている。


 大事な儀式に失敗したこと。師から破門され帰る場所もないこと。リーリヤはもう魔女ではないこと。


 これらのことを明確に言葉にして聞くのは憚られた。おそらくこの街に来てからずっと、彼女は何度も記憶を思い返しては自己嫌悪を繰り返していただろうから。


 リーリヤは唇を噛みしめていた。


 相変わらずアルマスの顔を見もしない。まるで現実から必死に目をそらすみたいだ。よく見れば薄紅色の唇が荒れているのがわかる。何回も唇を噛んでいた跡だろう。それだけ彼女は苦しんでいたのだ。


 それでもアルマスは再度尋ねた。


「質問の意味がわからないかな。それとも一つ一つ並び立てて欲しい?お望みならそうしよう」


 アルマスは椅子から立ち上がるとリーリヤを正面から見据える。宵闇色の瞳が潤み、彼女は必死に涙を堪えようとしていた。


「勘違いしないで欲しいんだけどね、俺は何も君を虐めたいわけじゃない。この質問は必要なんだ。君がこれからこの街で生きていけるかどうか、その試金石なんだよ」


 まずは現実を認めることから始めるしかない。現実から逃げるのを許されるのはそれを自分なりに整理して、考えて、納得するためなのだ。いずれは受け入れてどんな形であれ向かい合わなければならない。


 早いか遅いかはあるのだとアルマスは思う。彼女がフルクートに来て半月が過ぎた。もう半月もなのか、まだたった半月なのか。彼女にとってどちらなのかはわからない。


 けれどアルマスは彼女に答えを求めた。人生に非情なことはつきもの。いつだって十分な時間が与えられるとは限らないのだ。彼女だってそれはよく理解しているはずだ。


「わかっ、てる、わよ」


 涙混じりの声が室内に響く。ぐすっという鼻をすする音も続いた。


「あんたに言われなくても、そんなのわかってる」


 リーリヤは振るえる声で繰り返した。


「私は、儀式に失敗した。師匠の、あの人の期待を踏みにじった。今だって思うの。なんであんなことになったんだろうって。どうすればよかったのかなんて全然わからない。わからないのっ!」


 堰を切ったかのようにリーリヤは心の中に溜まった澱を吐き出す。


 それをアルマスは相槌も打たずに静かに聞いていた。


「なんで?なんでなの?私の何がいけなかったのよ・・・」


 宵闇色の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 アルマスが見守る中、リーリヤは項垂れて小さな嗚咽を溢す。


「魔女になることだけがすべてだった。あの人の跡を継いで森を平穏に導く。小さい頃からずっと頑張ってきたのにね。こんな風に終わるなんて」


 リーリヤがアルマスに笑いかける。口元にあるのは自嘲の笑みだ。それは諦めを受け入れた者だから浮かべることができるものだ。


「私は見限られた。もう森には戻れない」


 雲間が晴れたのか、カーテンで遮られたはずの日射しが一層強くなる。


 リーリヤの顔がよく見えた。目元は赤く染まり、ずっと泣きはらしていたのがわかる。薄紅色の唇は荒れていて、頬はやつれている。目尻に溜まった最後の涙がすっと流れていった。


「白霞の森の魔女リーリヤはもういない」


 リーリヤの独白が終わる。


「うん、そうだね」


 アルマスは微笑む。なるべく優しげに見えるように努力して。


 まだまだわだかまりはあるに違いない。過去を受け入れて本当の意味で前を向くには途方もない時間を要するはずだ。それでも今はこれでいい。リーリヤは言葉として口にできるくらいには心の折り合いをつけていた。ならば、これで次に進むことができる。


「魔女じゃなくてまだ見習いだった気もするけどね」


 わざと戯けたアルマスの振る舞いはお気に召さなかったらしい。普通に半目で睨まれた。


「おお、怖い。だから冗談だって。そのうちこれくらい笑い飛ばせるようになるといいね。じゃあ、『これからの話』に移ろうか」


 誤魔化すように次の話題を話そうとしたところで、ぐぅと小さな音が聞こえた。


 正面には真っ赤に染まったリーリヤの顔がある。年頃の娘らしい反応にアルマスは今度はにやりと笑う。


「そうだった。朝食がまだだったね。区切りがいいし続きは食事をしながらにしようか。誰かさんのお腹の言うとおり、ね」


 リーリヤは近くにあった枕をアルマスに向けて思い切り投げ放った。


 アルマスが避けるまでもなく、あらぬ方向に飛んだ枕は無情にも床に打ち付けられるに終わった。


 アルマスは肩をすくめる。


 元気があるのはいいことだ。











「じゃあ、アルマス君。後お願いね。リーリヤちゃんもいっぱい食べてゆっくり休んでね」


 それだけ告げてイレネは席を外した。

 仕事があると言っていたが、気を遣ってくれたのは明かだ。


 もちろんトビアスもイレネに引っ張られていなくなった。本人は何か言いたそうだったがそれはまたの機会にしてもらおう。


「さすがイレネさん。これを食べるとやっぱ違うね」


 アルマスとリーリヤは遅い朝食をとっている。時間的にはちょうど朝と昼の中間くらいか。


 アルマスが頼んだとおり、イレネはミルク粥を食卓に用意していた。ありがたいことにアルマスの分もよそってある。


 ほかほかの湯気を上げるお粥は身体を芯から温める。濃厚な蜂蜜の甘さと酸味のあるベリーのジャムがよくあっていた。ステーン家では定番の朝食だ。


 食べ始めると手が止まらずに黙々と食べている。それはリーリヤも同じだった。


 彼女が恐る恐る匙を口に運び、目を瞑って思い切って口に入れた後の驚きようといったらアルマスは思わず声を出して笑ってしまった。


 今もアルマスの前で一匙一匙噛みしめるように味わう彼女を見ていると一つの疑問が湧いてくる。


「あそこでは一体何を食べてたんだ?あまり凝った料理は食べ慣れてない印象があるんだけど」


 リーリヤは口に含んだお粥を嚥下してから答えた。


「料理なんて大それたことしないわよ」


「んん?どういうこと?」


 アルマスの疑問に対する彼女の答えは明解だった。


「私達が食べるのは森の恵み。料理なんてする必要がないの。あっても茹でるか焼くくらいね」


「おお。なんと野趣溢れる生活」


 お粥一つに大袈裟に驚くのも納得の食事情だ。


 リーリヤの素朴過ぎる食事情には戦慄を覚えるが、このステーン家にいる限りリーリヤの舌はきっと肥えていくだろう。イレネはリンゴーン区の婦人会でも料理好きで有名なのだ。


「それで?あんたの言う『これからの話』って何?」


「随分と素が出て来たね」


 リーリヤの言葉遣いから遠慮と配慮が抜け落ちている。


 細身の身体からは強張りがとれ、妙な緊張はなさそうだ。安堵によるものというより、脱力に近いようにアルマスには見えた。良くも悪くも彼女が抱えていた行き場のない感情を少しは吐き出すことが出来たおかげだろう。


 リーリヤはその勝ち気な瞳を不満げに細める。


「別に?あんた相手に取り繕うのが馬鹿らしくなったの。そもそも取り繕うものがもう何もないし」


「イレネさんの前では猫被ってたくせにね」


 久方ぶりに部屋から出て来たリーリヤを心配して甲斐甲斐しく世話を焼こうとしてくれたイレネに対し、リーリヤは実にしおらしく振る舞っていた。


 リーリヤが身につけている服も実はイレネのお下がりである。シンプルながら袖と襟に刺繍が入った白いブラウスとベージュのチェック柄のスカートだ。唯一と言ってもいいリーリヤの私物である魔女装束を着るわけにもいかないので有り難い話だった。


 こうして見るとただの街娘に見えるから不思議なものだ。ちなみにボサボサだった髪もイレネが櫛で丁寧に梳いていた。


「うっさい。さっさと話を進めて」


「はいはい。わかったよ」


 互いに空になった食器を脇に避ける。

 そして、これまた用意されていた食後のお茶をポットからカップに注いでからアルマスは話し始めた。

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