4.『これまで』と『これから』②
翌日からアルマスは毎日リーリヤの様子を見に行った。
時間はいつも同じ。朝日を浴びながら人々が精力的に働き始める頃を見計らってステーン家を訪れる。
その度にアルマスはリーリヤの部屋の扉を叩き、なんでもないかのように挨拶をする。そして、話がしたいから部屋に入れてくれと言うのだ。
次の日は初日とまったく同じ対応だった。葛藤を思わせる長い沈黙を経てから絞り出したかのような小さな声で訪問を拒否される。
しかし、それも2、3日すると変化が現れてきた。
だんだんアルマスの来訪に慣れてきたのか、返事までの時間が短くなり、言葉選びからも緊張がほぐれてきたのがわかった。
最近は「気分じゃない」「風邪ぎみな気がするからダメ」「眠いからやだ」、そんな我が儘を言う子どもみたいな言い訳ばかりだ。
だがそこまで。それ以上の成果はまったくなく、リーリヤと顔を合わすことすら出来ないままにあっという間に一週間が経った。
「なぁ、アルマス。今日もやはりいつもと同じだろうか。いや、わかっているんだ。これは繊細な問題だ。俺みたいな不器用なおっさんが口出しするもんじゃない。けどなぁ、イレネが気の毒で」
珍しく弱った顔のトビアスの視線の先にはキッチンでお茶の準備をしているイレネがいる。彼女はお湯を湧かしていたが、心ここにあらずといった雰囲気でどうにも危なっかしい。
彼女の入れ込みようはアルマス以上だ。ひょっとすると彼女としてもリーリヤの境遇に何か思うところがあるのかもしれない。
「私のことは別にいいの。それよりもリーリヤちゃんのことよ。なにか力になれるならなってあげたいの」
「そうは言ってもだな。俺としてはお前の方が心配だよ」
アルマスはそんなステーン夫妻の会話を横で聞いていた。
「そうだね。そろそろ真面目にやろうか。どのみち引き籠もりは今日までだ。そうそう。イレネさんは温かいミルク粥でも用意して待っててよ。たっぷりの蜂蜜とジャムを載せたやつね」
ここ数日とは様子が違うアルマスを見て、ステーン夫妻は顔を見合わせた。
「そういうわけでお邪魔するよ」
いつもどおり扉をノックしてから「帰って」の一言を貰う。ここまでは昨日までと同じだ。
しかし、今日はそれで終わらない。
アルマスが取った手段は単純だ。正面からの強行突破である。
そもそもリーリヤが使っているこの部屋は、もとはアルマスが使っていた部屋なのだ。実のところ中から鍵をかけられようとも開けられるように密かに細工を施してあった。つまりやろうと思えばアルマスはいつでも部屋に入ることができたのだ。
「・・・勝手に入ってこないで」
無遠慮にも部屋に侵入してきたアルマスを出迎えたのは毛布に身を包んだリーリヤだった。下着姿のまま寝台にだらしなく寝転がっていた。
扉が開いた瞬間にひどく驚き身体を縮こまらせた彼女だが、入ってきたのがアルマスだとわかると緊張を僅かに和らげて、代わりにきつい視線を送ってくる。
彼女はのそりと起き上がり、身体を隠すように毛布を巻き付けて座り込む。薄暗い室内ではわかりづらいが、その顔は羞恥に赤く染まっているように見えた。
「驚いた。いっぱしの淑女らしい感性が君にもあったんだね」
「馬鹿にしてるの?それともからかってるの?・・・いえ、やっぱり馬鹿にしているのね。そうね、私なんか当然よね」
一瞬、眦をつり上げたかと思ったら彼女はすぐに目線を下げる。ぼさぼさになったままの長い亜麻色の髪が寝台の上に無造作に広がっている。
「いやいや、まさか。ちょっとした冗談だよ。本気にしないでほしいな」
アルマスの軽口に言い返すリーリヤの顔色は存外悪くない。
暗い雰囲気を纏っていても話しかければ反応がある。ちょっと返答は卑屈過ぎる気もするがそこには目を瞑ろう。
彼女の運命を変えたあの日から半月以上が経った。この家での静かな暮らしが彼女に安寧と落ち着きをもたらしたのは確かだろう。だが、それが全てを忘れさせ、心の傷を癒やしてくれるわけではない。
アルマスは入り口付近にあった椅子を引き寄せて座るとリーリヤと向き合う。トビアスもイレネもリビングで待っているようにと言い含めたので、この部屋にはアルマスとリーリヤの二人きりだ。
「少し、話をしようか。『これまでの話』と、そして『これからの話』だ」
今のリーリヤならば冷静に会話ができる。そう思ってアルマスは切り出す。
リーリヤもアルマスの顔は見ないまでも拒否はしなかった。
「本題に入る前に少し雑談をしよう」
まずはどうでもいい話から。話していくうちに少しでも彼女の心がほぐれ、余裕が出来ればいい。
「そうだね、まずここがどこなのかから始めよう。君がいる場所、つまりこの家だね。ここはトビアス・ステーンという俺の叔父の家族が住む家だ。雑貨屋を生業にしていて、一階の一部がその店になってる。他の住人はトビアスの奥さんであるイレネさん、そして娘のヘレナちゃん。3人家族だね」
「家族、ね」
リーリヤが家族という単語に反応する。
しまった、とアルマスは思う。ただの世間話をするつもりが、これは彼女にとって触れがたい話題だった。
なにせ彼女には家族がいない。唯一関わりが深かった師にもつい先日に否定されたばかりだ。
それでもここは避けては通れない。彼女はしばらくこの家で過ごすことになる。今はまだ部屋から出ることすらしていないが、これからはそうも言っていられない。親しくするかはともかくとして、毎日顔を合わすことくらいはするだろう。
「イレネさんくらいわかるかな。君のために食事を用意してくれていた人だよ。君のことをとても心配してくれている。優しい人だ」
「・・・」
リーリヤは無言で首を横に振った。
「そうかぁ。まぁ、後で挨拶くらいしておこうか。続けよう。この家があるのが湖畔都市フルクート。だいたいマルヤフナ王国の西部地方にあたるね。君のいた森はここからずっーと北東にいったところ」
さすがに王国の名前くらいは認知しているらしい。
リーリヤはぼうっとしながらも小さく頷いた。
その後も簡単な地理や周辺都市について軽く触れた。近くの湖はクーケルゥと呼ばれていて豊富な魚が捕れること、川を通して交易の中継点にもなっており果ては大海湖まで続いていることなどだ。ここら辺の話に関してリーリヤはほとんど耳に入っていない様子ではあった。
前置きはこのくらいでいいだろう。
今からアルマスがするのは、せっかく傷を覆い始めたかさぶたを無理矢理剥がす行為だ。
このまま何か月も、ひょっとすると何年という長い時間をかければ、彼女は緩やかではあるが穏やかに心を癒やすことができるのかもしれない。けれど、そんなには待てない。
リーリヤを気にしているイレネが理由ではない。待てないのはあくまでアルマスの事情だ。己のエゴでアルマスはこれからリーリヤを絶望に突き落とすのだ。
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