3.『これまで』と『これから』①
「あー、はい。こういう状況になってるわけね」
アルマスは大きな溜め息を吐く。
「アルマス君、どうしましょう。彼女、もう一週間も部屋から出てこないの。大丈夫かしら、心配で心配で」
「お前、一体これまでどうしてたんだ。女の子一人連れてきたと思えば一向に家にも帰ってこないで。いくらなんでも説明が足りなすぎるぞ」
「わかった。わかったから、いったん落ち着いてよ」
アルマスは両手を前に出して、慌てふためくステーン家の住民を宥める。
アルマスが早朝に訪れたのはフルクート西部の住宅街にあるちっぽけな雑貨屋であり、アルマスの叔父であるトビアス・ステーン一家が住む小さな家だ。なにを隠そうつい先日まではアルマスが居候していた場所でもある。
精神的に不安定なリーリヤを適当に放置するわけにもいかず、人の良い叔父一家に面倒を見てもらうことにしたのだ。ここの住人ならばリーリヤをいたずらに刺激することはないとアルマスは信頼していたのもある。
しかし、住宅街にあるさして大きくもない家に何人もの居候を抱え込む余裕はない。リーリヤが安全に休める場所を確保する代償としてアルマスは居候先を変える必要に迫られたのだ。アルマスがステーン家から離れた理由は他にもあるのだが一番はやはりそれだろう。
「まず確認なんだけど。なに?彼女やっぱりまだ引き籠もってる?」
また二人にまくし立てられる前にアルマスは先んじてこの家の主である男性トビアス・ステーンに話を振る。
トビアスは咳払いをするとアルマスを正面から見据えて忽然とした態度をとった。
「ああ、そうだ。俺はまだ彼女の顔をまともに見てすらいない。そもそもだ、彼女はいったい何者なんだ。いくら若い女の子とはいえ身元が不確かな人間をこれ以上家に置いておくわけにはいかないぞ。きちんと説明してくれ、アルマス」
「それは最初に言ったでしょ」
トビアスは顎髭をさすりながら苦々しい顔をした。ちなみに貫禄のためといってうっすら生やしている髭は愛娘からもっぱら不評を受けていることを本人は知らない。
「あれか。遠い辺境のど田舎を治めるとある高貴なお家柄出身で、それなのに幼くして母を失って思い出も愛情も碌に与えられないまま、継母が出来てからはいびられる毎日でずっと屋敷の部屋に閉じ込められていたせいで友達どころか同じ年頃の知り合いもいない上に継母の怒りに触れて家を追い出されてしまった―――」
「世間知らずで可哀想なお嬢様、ね。覚えてるじゃん」
もちろんアルマスがトビアスに告げたものは作り話だ。それでもだいたいの要点は抑えてある。
いくらアルマスの血縁といえどもリーリヤの出自、とりわけ魔女として育てられ、既に破門された身であるとしても魔女としての力を持つ彼女の事情をおいそれと話すわけには行かない。トビアスは母方の血縁なのでそっちの話を深く知らないのだ。
ただ一時的にこの街に身を寄せているだけのアルマスとは違い、ステーン一家はこれからもこの街で生きていく。遙か昔からの魔女の役割なんて失われた現代においても、魔女が不吉の象徴だというのは変わらない。誰もが見たことはなくても御伽話や教会の説教で悪しき者の代表格として伝えられている。
魔女と関わりがあると教会から目を付けられても厄介だし、なにより周辺住民に広まるのは更にまずい。噂一つで態度ががらりと変わるのが人間社会だからだ。軋轢を防ぐためにも本当のことは言えない。
しかし、どこにでもいる普通の女の子―――リーリヤは確か十代後半なので間違いではないはず―――とするには少々無理がある。
森の奥深くで人との関わり合いをほとんどなく過ごしてきた彼女は、一般常識はおろか街の人とまともに会話が成立するのかもアルマスは自信がない。しかも故郷の森でのごたごたで彼女は精神的にもひどく落ち込んでいた。
そんな彼女の素性を偽るとすれば『やんごとない身分だけど屋敷から追い出された世間知らずの可哀想なお嬢様』という方が都合が良いのだ。
「うぅ。不憫な子ね。いいのよ、好きなだけ家に居てくれて。そんな事情なら例えアルマス君の頼みじゃなくてもどうにかしてあげたいと思うもの」
嘘塗れのリーリヤの身の上を信じ切って目に涙を溜める栗毛の女性はトビアスの妻であるイレネ・ステーンだ。リーリヤが不憫な状況にあること自体は間違っていないのだが、ここまですんなり受け入れてもらえるとアルマスの良心的にも疼くものがある。
「あなたもそう思うでしょう?困っている女の子がいるんだから助けてあげなくちゃ」
「う、うむ。確かに俺もそうだと思うが。それはそれとして、きちんとした事情をだな。家長たる者、気にしないわけにも、な?」
イレネの勢いに押されるトビアスはさっきまでの憮然とした姿勢はどこへやら既にたじたじだ。
「彼女の事情も大切かもしれないけど、まずはあの子の身体が心配。だって、もうずっとお部屋に籠もってるのよ。身体によくないわ。ね?」
「はい。俺もそうだと思います。はい」
トビアスはあっという間に丸め込まれると自身の意見を取り下げた。
アルマスの予想した通りの展開でもある。彼は必死に威厳を保とうとしているが、この一家の中では立場が一番低いのだ。無論一番はイレネで、次点は一人娘のヘレナだ。
ヘレナは中等教育を受ける年齢なので既に外出している。先祖返りのしっとりした黒髪をした可愛らしい少女だ。
「そういうわけだ、アルマス。彼女はここ一週間まったく部屋から出てこない。さすがに気がかりだ」
トビアスは真面目な顔を取り繕っているが、目の前でイレネに言い負かされる情けない姿をさらしているのだ。威厳もなにもない。こういうところが嘗められる原因なのだとそろそろ気付くべきだとアルマスは思う。当然のごとくアルマスもこの中年をぞんざいに扱っているのは言うまでもない。
「オーケー、オーケー。どうにかするよ。任せといて」
「どうにかすると言ってもだな。部屋は内側から鍵がかかっているし、何より俺達が声をかけても返事すらしてくれないんだぞ」
「あなた。アルマス君に任せてみましょう?きっと彼になら心を開いてくれるに違いないわ」
「そう、だな。そもそもこいつが連れてきたんだしな。大丈夫、か?いや、不安だなぁ。なにせアルマスだからなぁ」
イレネに諭されたトビアスは自身に言い聞かせるように頷こうとして、途中で不安そうに首を捻った。
「失礼だよ、トビアス。俺が大抵のことは軽くこなすのを知ってるでしょ?」
「お前、実の叔父を呼び捨てにするなって。まぁ、お前は頭もいいし、顔もいいし、その上なんでも出来る奴なのは認めるがな。逆にそれがなぁ」
「うだうだ言ってないでとにかく見てなよ」
そう言ってアルマスは勝手知ったるステーン家の階段をあがり上の階に向かう。そこそこ長い間暮らしていた家だ。どこに何があるのかを今更迷うはずもなく、アルマスはリーリヤが住まう部屋に辿り着く。
トビアスとイレネは階段から顔を出して成り行きを見守っている。
「やぁ、久しぶり。アルマス・ポルクだよ。元気してる?ちょっと話をしたいんだけど中に入れてくれないかな」
アルマスは扉をノックしながら何の気負いもなくリーリヤに声をかけた。まるで友人を遊びに誘うような気軽さだ。
しかし、アルマスの軽快さとは反対にリーリヤからの返答は扉越しでもわかる重苦しい沈黙であった。
本当に誰かが住んでいるのかと疑うほどに物音も息づかいも聞こえてこない。ただ静寂だけが横たわっていた。
トビアスとイレネがはらはらした様子でアルマスのことを見てくる。そんなに心配せずとも大丈夫だとアルマスが手で伝えようとしたとき、聞き逃しかねないほどの小さな声がアルマスの耳に届いた。
「・・・・・・・・・嫌」
長い沈黙の果ての回答は拒絶だった。
「そっか。わかったよ」
アルマスは言い縋ることもなくそれだけ言うと扉から離れた。
「ごめん。ダメだった」
アルマスのあっけらかんとした報告にトビアスは脱力した。
「おま、やっぱダメじゃないか」
「しょうがないでしょ。彼女は家を追い出されたばかりなんだ。そう簡単には心の傷は癒えないってことだね」
「それはそうだが。というかあの話はやっぱり本当だったのか?」
未だにリーリヤの身の上話を疑って難しい顔をするトビアスは放っておいてアルマスはイレネに尋ねる。
「最低限の食事はとってるんだよね?」
「ええ。部屋の前に置いてるんだけど、一応食べてはくれてるみたい。でも、全部じゃなくて、どっちかというと生の野菜とか果物とか。あとは丸パンも。温かいスープとか調理したものは口に合わないのかしらね。そっちはまったく手をつけてもらえないの」
頬に手を当て困った顔をするイレネ。せっかく作った料理を残される不満なんかではなくて、純粋にリーリヤの健康状態を気にしているのだろう。彼女はそういう人柄なのだ。
「多分、食べ慣れた物を無意識に選んでいるだけだと思うよ」
「そんな・・・!あの子はまともに料理さえ作ってもらえない環境にいたの?その継母の人はなんで彼女にそんなことするのかしら。ひどいわ」
継母に虐められて質素な食事しか与えられなかった、という自身の妄想に憤っているイレネだがおそらく真実はそうではない。
あそこは『白霞の森』、特異な土地だ。通常では考えられない植生が形成されている。きっと食べていた物が特別だったのだ。調理も必要とせず、木の実一つ食べるだけで十分すぎるほどの栄養がまかなえる。そんな代物がごろごろあるはずだ。
知らず知らずのうちに錬金術の高級素材とかを無造作に食べていそうな気さえする。
しかし、そんなことを言うわけにもいかず、アルマスはイレネの気持ちに同意するにとどめた。
「大丈夫。時間が解決するって。それじゃ、今日の所は帰るよ。俺もちょっとやることあるしね」
不安げな顔をするステーン夫妻とは対照的にアルマスは楽観的だ。
「また明日お邪魔するよ」
ひらひらと手を振ってアルマスは実にあっけなくその日は帰った。
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