2.星朧は吉兆を示すか②

「お~い、親方。買ってきましたよ~」


 ぞんざいな敬語に緩い雰囲気の女性が両腕に袋を抱えてやってきたのだ。茶色い髪の毛をさらりと短く切りまとめた若い女性だ。


 彼女はエドヴァルドの横に立っているアルマスに気付くと朗らかに笑いかけてきた。


「アルマス君もいたんだ。こんばんは」


「こんばんは、マイラさん。今日は星見ですか?」


 アルマスの視線は彼女が手に持つ袋ではなく、彼女の細い体型には不釣り合いなほど膨れあがった背中のリュックに向いていた。ぱんぱんに詰め込まれたリュックは今にもはち切れそうで、とてもではないが女性が気軽に持ち運べる量ではない。見た目と違ってマイラが実は怪力、などというわけではなくただ単に『入れると重さが軽くなるリュック』を使っているだけだろう。


 注目するべきはそこではなく、リュックからはみ出ている大きな望遠鏡であった。


「そうそう。これで夜空を見るんだよ」


「今の時期だと、春の星ラミリエシーですね。それにしてもそれ使って観測するなんてよほどの大仕事ですか」


 ラミリエシーとは春の季節に東の空に淡く黄色に輝く星だ。エドヴァルドとマイラはこれからその星を観測しに街の外縁まで行くという。


 錬金術と天体観測は無関係にも思えるが、実は重要な繋がりがある。


 正確には星というよりも、遙か空高くを流れる魔力の流れを観測するのだ。通常魔力は人の目で見ることは適わないものだが、大気の魔力の量や質、速度によって特定の星の光度や見え方に影響を与えることが知られている。錬金術の流派によっては星の観測を基礎として叩き込んでいるところさえある。


 複雑で難解な錬金術ほど天候、気温、大気の魔力といった素材以外の要素が絡んでくる。どの要素がどう変化すれば錬成時にどんな影響がでるかという知識や経験はその流派や一族におけるかけがえのない財産でもある。


 とは言っても日常生活で関わるような錬金術にそこまでの精度を求めることは少ないので高位の錬金術師がたまに用いる手段だ。


「いやいや、これが仕事じゃないんだよね。親方の趣味というか、健気な努力というか」


「おい、マイラ。余計なこと言うんじゃねぇ。ったく、こいつは口ばかり無駄に動かしやがって」


「むっ。わざわざ手伝ってあげてるのにそんなこと言う?こんな大きな荷物運んで、下準備だって全部私がしてるのに」


 マイラは頬を膨らませるとエドヴァルドを不機嫌そうに睨み付けるが当の本人にはまったく効いていないようだった。


「手伝ってくれなんて言ってないだろ。後、敬語使え、敬語。親方への礼儀がなってねぇぞ」


「ふん。はいはい、わかりましたよ。まったく、こんな寒いのに今日に限ってなんで外で観測するなんて言い始めるんですかね。付き合う方はいい迷惑ですよ」


「こっちの方が街灯少ないからだ。その分暗くて見えやすい。言わなくてもわかるだろうが」


「いつもは工房の中庭じゃん」


「敬語にしろ」


 アルマスの前で喧嘩を始める二人。しかし、アルマスは仲裁をしたりなどしない。なにせ、この二人はいつもこうなのだ。


「そんなことより夕飯は買ってきたのか」


「・・・ほら、『太陽の恵み亭』のパン。焼きたて、ではないですけどそこまで文句は言わないでくださいよ。ちょっとごたごたがあったんですから」


 彼女はまだ文句を言い足りない様子ではあったがしぶしぶと引き下がる。そして、手に持っていた袋を親方に手渡した。


 そこには様々なパンが入っていた。丸く柔らかそうなパンから、燻製した鮭や野菜が挟んであるものだったり、ライ麦を混ぜた黒っぽいパンにゆで卵やチーズを入れたものなど。焼きたてではないとは言うがほんのりと香ばしく漂う匂いはなんとも美味しそうだ。こうして食べ物を前にすると腹なんて減っていなかったはずなのに急に食欲が湧いてくる。


「なんだ、マイラ。いくらなんでもちょっと量が多いだろ。買いすぎだ」


 エドヴァルドが袋の中を確認しながら眉を上げた。


「えぇ!?だって、これは親方が長丁場だから夜食分もあわせて買ってこいって・・・」


「中止だ」


「へぇ?」


「今日は帰るぞ」


 言いながらエドヴァルドは既に歩き始めている。

 感情的にも物理的にも置いてけぼりになったのはマイラだ。


「ちょ、ちょ、ちょっと待って!え?中止って星の観測を?なんで!?」


「ああ、そうだ。こんなにあってもオレ達だけじゃ食い切れねぇ。お前、ちょうどいいから食うの手伝え」


 エドヴァルドは足を止めると振り返りながらパンを2つほどアルマスに投げてよこした。


「どうも。くれるなら貰っときますよ。でも、いいんですか。観測せずに帰っちゃって。マイラさんの言うとおりわざわざ準備してここまで来たのに」


「そうそう。いくらなんでもひどすぎる。ちゃんと説明して、そして、なにより私に謝って!」


「だから敬語って、もういいや、めんどくせぇ。いいんだよ、今回はもうそれどころじゃないからな。やっぱここからでも空気が濁ってやがる」


 アルマスも夜空を仰いでみる。


 そもそもアルマスは星の観測をして影響を測れるほどにこの土地に来て時間が立っていない。彼らのように古くから続く工房を継いでいるわけでもないので、現状のアルマスには星の観測なんてただ綺麗だという感想しか出てこない。


 当然、エドヴァルドの言う『濁り』なんてわからなかった。長年この街で星を見続けてきたが故の判断なのだろう。


「おい、さっさと帰るぞ。面倒事に巻き込まれるのはごめんだからな」


「ああ、もう。仕方ない人だなぁ。アルマス君も一緒に行こ。リンゴーン区まで帰るんだよね」


 エドヴァルドの傍若無人な振る舞いには慣れたものなのか、マイラは諦めたように肩を落とした。そして、おそらくは道中の愚痴を吐き出す相手としてマイラはアルマスを誘う。確かに街の西部方面にある市街地の一つリンゴーン区であれば、彼らとともに職人街区の中心に向かっていく進路で間違いはない。


「残念ですけど、俺はこっちの方向です」


 アルマスがエドヴァルド達とは違う方向を指さすとマイラは首を傾げる。


「あれ?」


「つい最近、引っ越したんですよ」


 一瞬怪訝な表情をしたマイラではあったがすぐに納得の表情を見せる。


「ああ、なるほどね。だからここしばらく忙しそうにしてたんだ。いやぁ、しょっちゅう工房に顔出してたのに急に来なくなったから、なにかあったのかと思ってたけどそういうことだったんだね」


 街に戻ってから対応していた急ぎの用件のうちの一つがこの引っ越しだ。もともと持っている荷物は少ないのだが急遽居候先を変更する必要性があったので慌ただしかったのだ。


 エドヴァルドの方はすでにアルマスの引っ越しのことは知っていたのか特に反応はなかった。彼の場合、情報源が情報源のため知っていても何らおかしくはない。


 相変わらず仲の良いことで、とアルマスは内心思う。


「何?心境の変化でもあったの?トビアスさんと大喧嘩でもしちゃった?なんならお姉さんが取り持ってあげようか」


「そんなんじゃありませんよ。単純にスペースの問題です。俺の居場所がなくなっただけなんでそんなに気にしないでください」


「ふーん?よくわかんないけど困ってるんだったら相談してね」


 曖昧な表現に逃げたことでマイラは腑に落ちない様子だったがこれは言葉にするのは少し面倒な部類だ。申し訳ないがこのままこの話題は終わらせる。


「今は商業区よりの住宅街にいますよ。グス区ですね」


 商業区は主に湖に面している街の北部方面にある。そのため、アルマスの新しい住処は位置的に北西部あたりといったところか。


「これまた遠いね。前から思ってたけど工房には住まないの?立派なお屋敷付いてるじゃない―――、っとと、ごめんね。話し込んじゃった。親方も大分機嫌悪そうだから今日はここまでね」


 さすがお喋り好きな女性としてエドヴァルドから目を付けられるだけはあるマイラだ。このままアルマスから根掘り葉掘り話を聞き出そうとしていたが、あいにく今日はエドヴァルド同伴だ。


 彼は苛立ちを表すかのようにちらちらとアルマス達を振り返ってはちょっと進んで再度振り返るということを繰り返している。早くしろという言外の意思表示だ。


 一人でさっさと帰らないのは若い女性であるマイラの身の安全を考慮してということだろう。いかな湖畔都市フルクートでも危険はそこら中に潜んでいる。女性の一人歩きはもってのほかだ。


「相変わらずだなぁ、あの人は」


 優しいんだか優しくないんだかわからない行動をするエドヴァルドにアルマスはむしろ感心してしまった。優しくないようで優しい人なのはアルマスも十分知っている。


「あの人も意地っ張りだから。いつも辛くあたってるけど本当はアルマス君が心配だったんだよ。多分、今日もね。じゃあね、近いうちに工房に寄ってね。皆、君が来ないって寂しがってるんだから」


 そう言ってマイラは小走りでエドヴァルドを追いかける。彼女の大きな荷物が左右に揺れる様をしばらく見送ってからアルマスも歩き出す。


 貰ったパンを囓りながら、ふと夜空を見上げれば星が瞬いている。濁りはやっぱり見えなかった。


 きらきらと輝く砂粒のような星々は一体何を意味するのか。それとも意味など何もないのか。視界の端に幸運を呼ぶ春の印ことラミリエシーを見つける。淡い黄色は月よりもなお穏やかさを宿している。


「そろそろ彼女も落ち着いた頃かな」


 明日あたり様子を見に行こう、そう思うアルマスだった。

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