悪人正義
高田憂
第1話 生まれ直し
一
努力は報われる。私はずっと、そう信じて疑わなかった。生まれも、身体も、関係ない。ただ淡々と準備を重ね、自分の実力を示せば、誰にも文句を言わせないと思っていた。
GPAは3.9。自分は留学には興味がないけれど、どこの国の大学でも私を歓迎してくれる成績だと思う。週に2回は家庭教師をしているから、お金に困ることもない。友達も多いし、甘えられる彼氏もいる。彼は医学部生。もうすぐ大事な試験を控えているせいか、最近は彼の部屋で一緒に勉強することが多い。
だから、友人たちは私を羨望の目で見つめる。「玉の輿確定」とか「インテリ美男美女の間に生まれる子どもは絶対かわいい」なんて、勝手なことを口にしながら。
私のすべてを知っても、私のことを羨ましがるのだろうか。中学2年生のころの私を知らないからそう言っているに違いない。今でも思い出す……。
「楓ちゃん、ちょっと遊ぼうよ」
クラスメイトの中村が話しかけてきた。こいつはいつも、私のことをいじってくる。
「私、このあと塾があって、お母さん迎えに来ているし……」
「まあまあそうつまらないこと言わないでさ。先輩方も楓ちゃんと遊びたいんだって」
次第に男子生徒たちが近づいてくる。
「きょ、きょないで」
「『きょないで』だってよ。歩き方だけじゃなくて、話し方もおもしれえ。さすがだよな。これからどんなことができるか楽しみだよ。中村、楽しいお友達がいてよかったな。さあ楓ちゃん、これから俺たちも友達だな。よろしく。はは、まさか『ショーガイシャ』とできるなんてな、一生もんの思い出になりそうだ」
「ひゃめて」唇が震えて、やめての一言すら出せない。
「ハメてだってよ。淫乱じゃねえか。本当大当たりだぜ」
この一言でこれから何が起きるかを悟った。男たちに囲まれ、私の身体の筋肉の緊張が高まり、足が震え膝から崩れ落ちた。叫びたかった。でも、口をうまく動かせなかった。上級生たちが私の身体を押さえ、制服を脱がせた。
私は泣き叫びながら、必死に制服の端を掴んで抵抗した。しかし人数には敵わなかった。ブラウスのボタンは容赦なく引き千切られ、スカートは腰までめくり上げられた。さらには、抵抗する私の腕を押さえつけながら、誰かの手が無理やり下着にまで伸びた。下着も引っ張られ、一瞬、太ももの素肌がさらけ出される。
「……なんだ、思ったより普通じゃん」
「ね、全然違くないよ。なんかガッカリ」「曲がってるとか言ってたの、誰?」「ふつうに女の子の体じゃんつまんなー」
その言葉は、むしろ私にとって、暴力よりも残酷だった。
(私は……『変』ですらない?この痛みも、涙も、何も残せないの?)
私は、押さえつけられた身体の痛みより、心の奥を抉り取られるような絶望を感じていた。自分が必死に隠していたものが暴かれたという屈辱と、それを「なんだ普通じゃん」と片付けられる無力感。
そこから何があったか、塾に行ったのかどうかは記憶にない。覚えているのは、身体のいたるところが痛いことだった。気が付いたら全員下校の校内放送が流れていた。私の制服は乱れていて、一人生臭い教室に大の字になっていた。
二
そこからどうやって家に帰ったのだろうか。いつも迎えに来てくれていた母の車に乗ったのだろうか。家に帰ると部屋に籠った。他人の粘液で臭くなった制服や下着を全て脱いで、姿見に写した裸の身体をじっと見つめた。腹のあたりに白いものがついている。多分、中村の先輩の精液だろう。保健の授業で、性交について何度も習ってはいたが、これが精液なのかと実感した。妊娠とかしてしまうのだろうか。どうすればいいのだろう。手足や口が震え出した。震えを止めようとすると、むしろさらに強まる。そのまま床に倒れ込んだ。玄関の方から「ただいま」の声が聞こえた。父が帰ってきたのだろう。裸のままベッドにもぐりこんだ。
私が脳性麻痺というのなら、自分の筋肉だけではなく、自分の脳自体がコントロール不能だったら、こんな苦しまなくて済んだのに。脳が麻痺しているというのなら、何が苦しいかもわからないくらいバカになればいいのに、そうしたら学校なんて行かなくても済むのに。ニコニコして毎日生きている知的障害者が羨ましい。神がいるというのなら、なぜ私に理性を与えたのだろうか。どうせならあのとき殺してくれればよかったのに。
気づいたら朝になっていた。時計を見ると九時過ぎで、とっくに登校時刻は過ぎている。いつもは六時に起きて、十分でも寝坊すると落ち着かず焦っていたが、今日はぼーっとして頭が全くさえない。いつの間にかパジャマに着替えていたようだ。そのままリビングに向かった。
三
母がソファに座っていた。すぐに異変に気づいたのだろう。私の顔を見るなり、何も言わずに毛布を肩にかけてくれた。普段なら、何か一言でも言ってくるはずなのに、母は黙ったままだった。誰も「どうしたの?」とは聞かなかった。ただ、私が泣き出すのを待ってくれていたようだった。
その日は学校に行かず、翌日も、その次の日も行けなかった。病欠という扱いになっていたが、本当は違った。体が痛いとか、熱があるとか、そういう問題ではなかった。教室という空間そのものが、思い出すだけで吐き気を催す地獄になっていた。母は無理に登校させようとはせず、私のそばで、毎日静かに本を読んでいた。父も、出勤前に私の部屋を覗き込み、「行ってくる」とだけ声をかけるようになった。
そうして一ヶ月が経ち、私は正式に不登校という扱いになったらしい。学校からの連絡も途絶えがちになり、担任からも何も言ってこなくなった。私は一日中家の中で、時間の感覚も失いながら、ソファとベッドを行き来する生活を続けていた。テレビの音が遠くに聞こえても、それが何を意味しているのかさえ理解できなかった。
そんなある日、母が私にノートと鉛筆を差し出してきた。「勉強、してみない?」そう言って差し出されたそれを、最初はただ見つめるだけだった。けれど、母は強くは迫らなかった。ただ、ノートと鉛筆を私の机にそっと置いて、部屋を出ていった。
その夜、私は初めて自分の意思で机に向かった。ページを開き、漢字の書き取りを始めた。手が震えて、まっすぐに書けなかった。でも、不思議と心が落ち着いていた。少なくとも、自分が「何者かになれる」可能性が、そこにかすかに見えた気がしたのだ。
四
次の日からは、教科書を一人で読み直すことを始めた。すでに内容は頭に入っていた。けれど、自分の力がどれほど残っているのかを確認したかった。これはいわば勉強という行為のリハビリだった。数学の証明、英語の構文、歴史の年代―頭の中にはちゃんとあった。むしろ、次第に物足りなく感じていった。
ある日、父がタブレットとノートパソコンを買ってきた。「紙に書くの、つらそうだから。今は、パソコンでも入試とか受けられるらしいぞ」と言って。母は、いくつかオンライン予備校を調べてくれて、音声読み上げのテキストや字幕、倍速視聴がある講義をいくつか見せてくれた。私は、その中から一番わかりやすそうな講師の授業を選び、毎日学校に通うのと同じ六時間ずつ視聴することにした。
画面越しの先生は、私の名前を知らない。けれど、その声は私の心に直接語りかけてくるようだった。わからないところは巻き戻して何度でも再生できる。周りのクラスメイトを気にせず自分のペースで学習を進められるこの環境が、私には心地よかった。
勉強計画はエクセルで作り、スケジュール管理アプリと連動させた。スマートスピーカーで音声リマインダーを流す設定にして、朝八時から勉強を始める生活を自分で整えた。昼食を挟んで、午後は記述問題や過去問に挑戦した。紙のノートの代わりにワープロソフトを使い、答案を打ち込む。慣れれば、数式であっても紙よりもずっと速く考えをまとめられた。
中学の範囲を終えるのに、二か月もかからなかった。それから全国の高校入試の過去問を解いていたが、買い集められる問題はすべて解き尽くしてしまったので、高校の内容の先取りを始めた。最初に手をつけたのは倫理政経。抽象的な内容の方が、自分の得意分野だと気づいた。人権とか民主主義とか、耳慣れた言葉の意味を深く掘ることで、自分の存在そのものが肯定される気がした。
五
自室の机に並ぶノートパソコンとタブレット、そして一冊の古びた辞書。私はその前に座って、今日も静かに学ぶ。教室では誰も私の名前を呼ばない。けれど、この世界では、私は「私」であり続けられる。
ある日、母が言った。
「模試、受けてみない?」
思いがけない言葉に、私は一瞬手を止めた。
「外の世界に、また一歩踏み出してみてもいいんじゃないかしら」
恐怖がなかったわけじゃない。名前を書いて答案を提出する。それだけのことなのに、全身に緊張が走る。けれど、やってみたいと思った。私がこの数ヶ月で築いてきたものを、他者の目に触れさせてみたいと思った。
会場模試の当日、私は母と一緒にバスに乗って、試験会場へ向かった。制服ではなく、普段着のままで。校舎に入るとき、体が震えていたのがわかった。けれど、足は止まらなかった。
試験が始まると、不思議なほど集中できた。問題用紙に向かう自分の姿は、過去の私とは違っていた。もう、ただ怯えているだけの子どもではなかった。
帰り道、母が小さく笑って言った。
「お疲れさま。がんばったね」
私は黙って頷いた。でもその胸の奥に、小さく芽吹いた言葉があった。
(また、外に出てもいいのかもしれない)
倫理政経の先取りから始まり、私は世界史、現代文、数学ⅠAと次々に高校課程の学習を進めた。英語も文法を確認し直し、長文読解は英字新聞を使って鍛えた。高校受験という中間目標を持たないぶん、私はまっすぐ大学受験だけを見据えていた。
高校の在籍がない私にとって、まず乗り越えるべきは高卒認定試験だった。これに合格しなければ、大学受験の資格は得られない。書字困難に対する配慮を求めて、母と一緒に試験センターに連絡をした。主治医の診断書を提出し、試験会場ではチェック解答と1.3倍の試験時間延長が許可された。それだけで不安の半分は消えた。
16歳の夏、私は受験に臨んだ。会場には、さまざまな年齢の人がいた。中年の男性、派手な髪の若い女性、外国籍の青年。みな何かを乗り越えるためにここへ来ていた。
結果は全科目合格だった。発表日、私は家族に何も告げず、ひとりでパソコンを開いた。表示された受験番号を確認した瞬間、言葉にならない感情が胸を突き上げた。すぐに母のいる台所へ駆け込み、ただ「受かった」とだけ言った。母は手を止めて、私を抱きしめた。その腕のぬくもりが、あの日凍りついた心を少しずつ溶かしていった。
六
次の目標は、大学入試共通テストだった。私は高認合格の翌日からすぐに勉強を再開した。通学時間がない分、すべての時間を自分の裁量で使えた。オンライン予備校は、上級講座に切り替え、志望校として「海北大学文学部」と打ち込んだ。画面の向こうにあるその大学が、日々の勉強を現実につなぎとめてくれる気がした。
父は受験日が近づくにつれて、毎週末、車椅子の操作練習や会場までの移動シミュレーションに付き合ってくれた。母は食事に気を使い、夜食には小さなおにぎりや、勉強の合間に飲める温かいスープを出してくれた。「がんばって」ではなく、「ここまできたんだから」の声かけが、プレッシャーにならずに心に染みた。
試験当日は、雪がちらついていた。父の運転で朝早く家を出て、会場に到着したのは開始の1時間前だった。共通テストは2日間。私にとっては、知識だけでなく、耐久力と環境適応力も試される戦いだった。けれど、過去の私にはなかった武器が今はある―「努力は無駄じゃなかった」という確信だ。
共通テストが終わったその日の夜から、私はすぐに2次試験対策に切り替えた。海北大学文学部の個別試験では、国語・英語・世界史の3科目すべてが記述式で課される。選択肢にマークするだけの試験とは違い、「自分の考えを文章で表す力」が試される。書字が困難な私にとって、それは大きな壁でもあり、同時に自分の強みを見せるチャンスでもあった。
私は、パソコンでタイピングするスタイルで答案を作る練習を繰り返した。国語の現代文では抽象的な評論文を読み解き、設問に対して構造的に答える力が求められた。英語は自由英作文が課される年もあり、自分の考えを限られた語数で英語にするトレーニングに力を入れた。世界史は、論述問題に対応するため、時代ごとの因果関係や用語の正確な理解を深めた。
市販の記述対策問題集の模範解答は、誰が書いても同じような文体ばかりだった。けれど私は、自分の言葉で、正確に、かつ芯のある文章を打つことにこだわった。書字が難しいぶん、タイピングには早くから慣れていた。文章を「書く」のではなく、「組み立てて打ち込む」ことで、私は思考を外に出す手段を取り戻していた。
試験当日。まだ雪が残る札幌の町を、父の運転する車で会場に向かった。到着すると、事前に申請していたとおり、私は別室でのパソコン使用と時間延長の配慮を受けることができた。
机の上に置かれたキーボードの感触は、もう何百回も触れたはずなのに、その日は少し震えていた。でも、画面に向かって問題文を読み、最初のキーを押した瞬間、不思議なほど冷静になった。
「大丈夫。私は準備してきた」―その自信だけが、心の支えだった。
七
合格発表は、3月のまだ寒さの残る朝だった。海北大学の公式サイトに掲載されると聞いていたが、父が「せっかくだから」と言って、2人で現地まで見に行くことになった。前日の夜は眠れなかった。目を閉じるたびに、自分の受験番号が載っている掲示板と、載っていない掲示板が交互に浮かんでは消えた。
大学の構内に着くと、すでにちらほらと人が集まっていた。掲示板の前で飛び跳ねる人、アメフト部に胴上げされる人、泣き崩れる人、黙ってスマホをいじる人―それぞれが、自分なりの人生の重みを抱えてその場に立っていた。
私は、番号の並ぶ列をたどった。文学部、文系第5類、受験番号5031。
あった。確かに、そこにあった。
「……あった」
かすれた声でそう言ったとき、父が「どこ?」と身を乗り出した。そして「よしっ」とだけ短く言い、私の肩にそっと手を置いた。
私はただ、その番号を見つめ続けた。あの中学校の教室で壊された身体も、パソコンの前で何度も書き直した文章も、震えながら送信ボタンを押した出願フォームも―全部が、この数字にたどり着くまでの道だった。
「母さんにも電話するか?」と父が言った。私は首を横に振った。「帰ってから、自分で言う」
車に戻る道すがら、すれ違う受験生の顔が、少しだけ昔の自分に見えた。絶望の淵にいたあの日、自分がこんな風に大学のキャンパスで春を迎えるとは、想像すらしていなかった。
でも今は、自分の力でここまで来たと言える。努力は報われる―あの言葉を、私はもう一度信じてもいいのかもしれない。少なくとも、「報われなかったことが、すべてじゃない」と思えるようにはなった。
そしてふいに涙がこぼれた。あの夜、ベッドの中で震えていた自分が、ここまで来たのだ。痛みも、恐怖も、無力感も、すべてが意味のある通過点だったのだと、今は思える。
ケーキの上には、チョコレートのプレートがあった。そこには「合格おめでとう、楓」と、まるで誕生日みたいに書かれていた。私にはそれが何より嬉しかった。私はもう一度、生まれ直したのかもしれない。
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