第四十四話 魔王へのおもてなし

 王城、西塔の最上階。

 そこは、今回の歴史的な首脳会談のために特別に用意された、いかなる魔法的な盗聴も遮断するよう、特殊な結界が幾重にも張られた、王国で最も機密性の高い一室だった。

 魔王ゼノスは、その部屋の中央に一人、通された。

 歴史上、初めて人間の王城に足を踏み入れた魔王。

 彼の心臓は、恐怖と屈辱で、今にも張り裂けそうだった。

(…殺風景な部屋だ)

 ゼノスは、内心で毒づいた。

 敵国の王を招き入れるのであれば、もっとこう…威圧的な拷問器具を並べるとか、床に骸骨を敷き詰めるとか、そういった「おもてなし」があるべきではないのか。

 それなのに、この部屋にあるのは、人間が使う、座り心地の良さそうな椅子と、簡素なテーブルだけ。

 あまりに、舐められている。

 ゼノスが、魔王としての威厳をどうにか保とうと、ふんぞり返って椅子に座った、その時だった。

 扉が開き、アイリス分隊がぞろぞろと入ってきた。

「魔王殿、長旅でお疲れでしょう。まずは、喉を潤していただきたく」

 アイリスが、緊張した面持ちで、一つのカップをテーブルに置いた。

 中からは、湯気と共に、ほのかに甘い香りが立ち上っている。

 ゼノスは、その茶色い液体を、猜疑心に満ちた目で見つめた。

(…なんだ、これは。毒か? それとも、魔力を失わせる薬か?)

 魔族の会談で、客人に最初に供されるのは、相手への敬意を示すための「ゴブリンの生き血」か、あるいは忠誠を試すための「煮えたぎる溶岩」と相場が決まっている。

 こんな、気の抜けたような飲み物を出してくるとは。

「…これは、紅茶です。お口に合えば、幸いですが…」

 アイリスの言葉に、ゼノスは、侮辱されたと感じた。

「ふん。人間とは、このような生温い葉の煮汁で、客をもてなすのか。我ら魔族の流儀では…」

「姉御! このままでは、お客様に失礼千万であります!」

 ゼノスの言葉を遮って、ギルが叫んだ。

「真の『おもてなし』とは、力と力のぶつかり合い! 我が全力の拳で、魔王様をもてなすのが、礼儀というものでありましょう!」

「待ちなさい、ギル殿! そういうことではありません!」

 アイリスが必死に止めるが、ギルは聞かない。

「ならば、せめて、貢物であります! 魔王様にふさわしい、威厳ある贈り物を!」

 彼はそう叫ぶと、部屋を飛び出し、廊下の隅に飾られていた、実物大のグリフォンのブロンズ像を、バリバリという音を立てて台座から引き剥がし始めた。

「ノン! なんて野蛮な! もてなしとは、アートなのだよ!」

 今度は、ジーロスが会話に乱入してきた。

「この歴史的な会談の雰囲気を盛り上げるには、美的センスあふれる演出が必要不可欠だ! 見ていたまえ!」

 彼が指を鳴らすと、部屋の照明が落ち、ゼノスただ一人に、七色に点滅する、ミラーボールのような悪趣味なスポットライトが当たった。

 チカチカと目まぐるしく色を変える光に合わせて、どこからともなく陽気なサンバのような音楽まで流れ始める。

「なっ…!? なんだこの、目にうるさい光は!」

 ゼノスは、突然のディスコ空間に、恐怖ではなく、純粋な困惑と不快感で声を上げた。

「フフン、素晴らしいだろう? 魔王たるあなたの、内なる情熱とカリスマを、七色の光で表現してみたのさ!」

 ジーロスの満足げな解説は、ゼノスの耳には届いていなかった。

 彼にとって、魔王とは、荘厳な闇と、威厳のある単色の光(できれば深紅か紫)にこそ映えるもの。

 こんなお祭りのような照明は、彼の美学に対する、最大の侮辱だった。

「ひひひ…旦那、困ってるようだね」

 テオが、いつの間にかゼノスの隣に座り、胡散臭い笑みを浮かべていた。

「実は、俺の方で、特別な『おもてなしプラン』を用意してるんでさ。追加料金は金貨百枚。メニューは、『敵の生首盛り合わせ』か、それとも『魂の悲鳴のフルコース』か。どっちにする?」

「なんなのだ、貴様らはーっ!」

 ゼノスは、ついに、堪忍袋の緒が切れた。

 目の前で繰り広げられる、あまりにも理解不能な、混沌。

 人間の「常識」は、彼の想像を、遥かに、超えていた。


 その頃、シルフィは、部屋の隅で、そわそわしていた。

(ど、どうしよう…。私だけ、何もおもてなしができない…)

 彼女は、テオがどこかから持ってきた観葉植物の鉢植えを見つけると、近くにあった水差しで、せめてもの気持ちと、それに水をやり始めた。

 その観葉植物が、水をやると相手を眠らせる胞子を出す、食虫植物「まどろみ草」であることなど、知る由もなかった。


『―――全員、黙らせろ』

 その地獄絵図を、塔の自室から全て見ていたノクトの、絶対零度の声が、アイリスの脳内に響き渡った。

 ブロンズ像と格闘するギル。

 悪趣味な照明演出を続けるジーロス。

 悪徳なセールスを続けるテオ。

 そして、部屋に睡眠胞子を撒き散らし始めたシルフィ。

 あまりのカオス惨状に、彼の堪忍袋の緒も、とっくに切れていた。

『茶番は、終わりだ』

 アイリスは、その声に、突き動かされた。

 彼女は、テーブルを、ガントレットを装着した拳で、思い切り、叩きつけた。

 ゴッ!!!という、轟音。

 アイリスの拳が叩きつけられた衝撃で、重厚なテーブルは真っ二つに割れ、その上にあったティーカップは床に落ちて甲高い音を立てて砕け散った。

 その、圧倒的な破壊音に、仲間たちの動きが、ぴたり、と止まった。

 アイリスは、その場の全員を、射殺さんばかりの、鋭い視線で、睨みつけた。

 そして、ゼノスに、静かに、しかし、有無を言わせぬ声で、告げた。

「魔王ゼノス。茶番は、終わりです」

 彼女の瞳には、もはや、聖女の慈愛はない。

 全てを支配する、「神」の、光が宿っていた。

「椅子に、座りなさい。 会議を、始めます」

 その、絶対的な威圧感に、ゼノスは、蛇に睨まれた蛙のように、固まった。

 彼は、もはや反論する気力もなく、ただ、言われるがままに、ゆっくりと、自分の椅子へと、腰を下ろした。

 アイリスは、一度だけ息をつくと、扉の外で待機していた国王直属の隠密部隊「王家のふくろう」の一人に、冷静に指示を出した。

「…この惨状を、片付けてください。それと、代わりのテーブルを、急ぎで」

 数分後。手際が良すぎる隠密たちによって、部屋は元通りに片付けられ、新しいテーブルが運び込まれた。

 こうして、人間と魔物の、歴史上、ありえなかったはずの首脳会談は、最悪の空気の中、ようやく、その幕を開けようとしていた。

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