第三十話 予想外のサプライズ

 幻惑のミストが作り上げた、お菓子の城。

 それは、子供の夢と、大人の悪夢が混じり合った、奇妙な建造物だった。

「…入るのか、ここに」

 アイリスは、目の前の光景に、こめかみをひくつかせた。

「姉御! この壁、食えるんでありますか!?」

 ギルは、クッキーでできた壁を、興味津々で見つめている。

「ノン! このキッチュで、ガーリーなデザイン! 僕の美学が、汚染されてしまう!」

 ジーロスは、扇子で顔を覆い、本気で嫌がっている。

 その中で、テオだけが、やれやれと首を振って、金の価値を鑑定するような目で、城をねめつけた。

「…なんだこりゃ。砂糖と小麦粉に、これだけの魔力を注ぎ込むとはな。金持ちの道楽も、ここまでくると、もはや病気だぜ」

 その、あまりにも俗っぽい感想に、アイリスはこめかみを抑えたが、今は、目の前の城を攻略することが先決だった。

『進め。最終ステージだ』

 ノクトの、冷静な声が、彼女の迷いを断ち切った。


 城の中は、外見以上に、甘ったるい空間だった。

 チョコレートの川が流れ、キャンディーの柱が立ち並び、マシュマロのソファが置かれている。

 そして、その空間は、不気味なほど、静かだった。

 一行が進むと、最初の「罠」が、彼らを待ち受けていた。

 床のタイルが、特定の順番で、色とりどりに光り始める。

「…なるほど。光った順番通りに床を踏まないと、先に進めない、というわけだね」

 ジーロスが、腕を組む。

『古典的な記憶ゲームだ。付き合うだけ、時間の無駄だ』

 ノクトは、鼻で笑った。

『ジーロス、光の橋をかけろ。一直線に、対岸まで』

「なんと! …フン、確かに、その方が、エレガントだね」

 ジーロスが指を鳴らすと、床の上空に、虹色の、美しい光の橋がかかった。

 分隊は、床のギミックを、完全に無視して、その上を、優雅に渡りきった。


 次の間では、左右の壁が、ゆっくりと、迫ってきた。

「姉御! 壁が!」

『これも定番だな。ギル、壁を止めろ』

 ギルは、両腕を広げると、迫りくる壁を、ぴたり、と、その手のひらで受け止めた。

 壁は、びくともしない。

 分隊は、ギルが作った、安全な空間を、のんびりと、歩いていく。


 その頃、ミストは、水晶玉の前で、興奮と、少しの苛立ちに、身を震わせていた。

「すごい! すごいじゃないか! 僕の、考えに考え抜いたトラップを、全て、無視して進んでいく! なんて、斬新な攻略法なんだ! まるで、時間競争RTAのプレイヤーみたいだ!」

 彼は、自分のゲームが、想定外の方法で攻略されていくことに、興奮を覚えていた。

「…よし! ならば、僕の、最高のサプライズで、君たちを、おもてなししてあげよう!」


 一行は、ついに、城の最深部、玉座の間へとたどり着いた。

 そこに、幻惑のミストはいた。

 ピエロのような、奇抜な衣装に身を包み、ロリポップキャンディーでできた、巨大な玉座に、ちょこんと座っている。

 その顔は、幻術で、ぼやかされており、素顔は分からない。

「―――ブラボー! ブラボーじゃないか、英雄様ご一行!」

 ミストは、玉座から飛び降りると、大げさに、拍手をした。

「君たち、最高だよ! 僕のゲームを、ここまで完璧にクリアしたプレイヤーは、君たちが初めてだ! 感動したよ!」

 彼は、心から、一行を賞賛していた。

「そして! そんな素晴らしいプレイヤーにこそ、相応しい! 僕の、考えに考え抜いた、最高のフィナーレを、プレゼントしよう!」

 ミストが、両手を、天に掲げる。

 凄まじい魔力が、玉座の間に、渦巻いた。

「さあ、見るがいい! 悪夢と絶望で編み上げた、究極の幻獣! 多頭竜、ナイトメア・ヒュドラの、その姿を!」

 彼の究極幻術が、発動しようとした、その時だった。


『新人、今だ。例のものを』

 ノクトの、静かな声が、響く。

(神様…本当に、これを…?)

『いいから、投げろ。奴の足元に』

 アイリスは、覚悟を決めた。

 彼女は、背中の荷袋から、一つの、アイテムを取り出した。

 それは、レイラの宝物庫から、シルフィが、こっそり持ち出してきた、古代の、ふわふわの、ウサギのぬいぐるみだった。

 アイリスは、その、あまりにも場違いなぬいぐるみを、ミストの足元へ、ぽい、と、投げた。

 コロコロ、と。

 愛らしいウサギのぬいぐるみが、これから究極の幻術を放とうとしていた、魔王軍幹部の、足元で、止まった。

 ミストの、魔法詠唱が、ぴたり、と、止まる。

 彼は、ゆっくりと、足元の、ぬいぐるみを見た。

 そして、アイリスの顔を見た。

 もう一度、ぬいぐるみを、見た。

 彼を包んでいた、禍々しい魔力が、すぅ…と、霧のように、消えていく。

 彼の肩が、がっくりと、落ちた。

「……え? これ…僕に…?」

 その声は、魔王軍幹部の、威厳のあるものではなかった。

 ただの、困惑した、青年の声だった。

「…サプライズ、プレゼント…?」

 彼は、頭を抱えた。

「あ、ああ…なんてことだ…。僕の、僕の、最高のサプライズが…。台無しじゃないか…」

 その声は、怒りというより、悲しみに、満ちていた。

「僕が、君たちを、驚かせるはずだったんだ…。ゲームマスターは、僕なんだ…。プレイヤーが、マスターに、サプライズをしちゃ、だめじゃないか…。ルール違反だよ、これじゃ…」

 彼は、完全に、戦意を、喪失していた。

 自分の最高の見せ場を、相手からの、予想外の気の抜けたプレゼントによって、完全に、破壊されてしまったのだ。


 アイリス分隊は、武器を構えたまま、ただ、呆然と、立ち尽くしていた。

『言っただろう、チェックメイトだ』

 ノクトの声だけが、いつも通りだった。

『奴の弱点は、「サプライズが好き」なこと。だが、それは、「自分がサプライズをされるのは嫌い」という意味でもある。特に、クライマックスの場面でな。相手の最高の見せ場を、最も気の抜けた方法で台無しにする。これが、対ミスト戦の、最適解だ』

 ミストは、玉座に、ぺたり、と座り込むと、キャンディーの杖で、後ろの隠し扉を、指差した。

「…もういいよ。君たちの勝ちだ。その扉の先が、魔王城への近道だ。さっさと、行っておくれ」

 その声は、完全にいじけていた。

「…君たち、全然、面白くないや」

 分隊が、その部屋を、後にしようとした時。

 テオが、一人、いじけているミストの肩を、ぽん、と叩いた。

「…まあ、元気出せよ。次は、もう少し、捻りのあるなぞなぞを用意しておくんだな」

 その、あまりにも親しげな、そして、全てを見透かしたかのような言葉に、ミストは、はっ、と顔を上げた。

 しかし、テオは、もう彼の返事を待つことなく、仲間たちの後を追って、とっくに隠し扉の向こうへと歩き去っていた。


 その頃、ノクトは、一人、塔の自室で、頷いていた。

「さて、これで四天王は三人目か。残るは、有給休暇中の謎の男だけだな」

 彼の視線は、もはや、ミストにはない。

 その先にある、お目当ての、安眠グッズだけを見据えていた。

「まあ、そいつは後回しでいい。まずは、枕だ」

 魔王城への道は、今、完全に、開かれた。

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