“ぼく”と山岸

物書きモトタキ

第1話「ばっふぁろー」

「なあ、ばっふぁろーを知ってるか」


 学食で素うどんを共に啜っていた山岸が深刻そうな顔つきで訊いてきた。ぼくはごくりと健康に影響もなさそうなほど薄い汁を飲みながら笑った。


「山岸ぃ、さすがにバカにしてるんだろう。バッファローぐらい知っているとも。あの毛深い牛のようなアレだろう。アメリカの荒野を駆け巡っているとも聞く。動物園なんぞで実物を見た気もするが、花形でもないあんなものを見たかどうかは覚えちゃいないが……「違うんだよッ!」


 山岸がいつからか俯いたまま思い詰めた声で、ぼくの言葉を遮った。こちらとしてはノリがわからず、眉を八の字にして「なら、なんなのだね。そのばっふぁろーとやらは」と話をするよう促す。


 山岸は手招きしてぼくに顔を近づけさせると顰めた声で囁いてきた。


「俺に金がないことは知ってるだろう。そう。だが丸葉先輩がそんな俺を見かねて割のいいバイトを紹介してくれたのだ。すこしいかがわしいというか、廃墟を巡る連中の手伝いをするというものだ」


 ふんふんと頷いて、山岸の話を聞きながら器に残った千切れたうどんを箸でつまんで大事そうに食べる。山岸の話がつまらないわけではないが、これは大切なカロリーなのだ。


 そんなぼくの様子が気に食わないのか、山岸は目を見開き圧をかけてから、話を続けた。


「一緒に行ったのは、あの峠の道から逸れたところにある屋敷だ。和館。なぜあんなところにあるのかわからんし、今はところどころ剥がれて朽ちてはいるが元は立派なお屋敷だ。名士でも住んでいたのだろう。


 そこに俺は連れていかれたのだ。目当てのものがあるとだけ伝えられた。小さなハンマー、蘇芳色の玄能を探すのだと。なかなかのお屋敷で俺はさっさと帰りたいから荒らすように屋敷の中を駆け巡り、小一時間ほどで隠された地下室に葛篭を見つけた。札が張られていたがお構いなしで剥がしてポッケに入れてしまい葛篭を開けた。そこに目当てのものはあったんだ。連中にそれを渡すと、俺は積み重なった借金を返してもまだ小遣いが残る程度の額の金をもらった」


「……なんだ、自慢かい。ぼくもそうした金目の話には巻き込んでもらいたいもんだが」


「まあ待て。話はそれじゃあ終わらんのだ。その夜から、牛の鳴き声がするんだよ」


「牛。君は駅からは歩くが住宅街にある安アパートだよな。そんなところで牛の鳴き声なんてするものかい。カエルだっていやしないだろう」


 山岸は震える手でポケットから紙屑を取り出した。それはきっとお札の成れの果てなのだろう。「これを読んでくれ」と渡してくるので、広げてみた。そこには「罵不悪郎」と書かれていた。ぼくはそれをぼんやりと眺めて、


「なんで読むんだい、これは」


「だから言ったろう。ばっふぁろうだよ! 不悪を罵る神に仕えしもの。玄能は殺生石を砕いた金槌に与えられた名だ。悪を砕く化身の持ち物だったんだアレは。それを盗んでしまった。だから、怒ってるんだよ。あれは俺を許さない。丸葉先輩に嵌められたんだ。ああ、ちくしょう。なんだってこんなことに」


 ぼくは「厄介なことだ」と思わず漏らして、そしてずっと気になっていたことを聞いた。


「ところでそのマルバとは誰だ」


 その言葉は随分と意外だったらしく山岸は本当に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。ぼくはやはりと言った顔で言葉を続けた。


「山岸、お前は悪魔に魅入られたんだ。妙な遊びに巻き込まれたようだな。名からして、その悪魔の名はマルバス。人間に化けていたのだろう。ほら、その玄能でこのマークのど真ん中をぶん殴れ。それで全ては解決される」


 ぼくは手持ちの小型手帳から一枚の紙を破り取って山岸に渡した。それを手に取ると迷いなく玄能を振り下ろす。


 その瞬間、「やめろ!!!!!」と後ろの方で立ち上がった男がいた。山岸が振り返り、「丸葉先輩……」と溢す。だが丸葉なる男がこちらに来ることはなかった。


 振り下ろされた玄能からフワンフワンッと無数のバッファローが群れを成して飛び出してきたのだ。先頭を走るバッファローの背には六面六臂六足の大威徳明王が丸葉に向けて突進していった。全てを打ち砕く暴力の塊は変速鋒矢の陣を形成したまま丸葉に収束していく。


 丸葉もたまらず巨大なる獅子の姿になってバッファローの群れと対峙した。大学の学食でぶつかり合う力と力を眺めながら、ぼくは山岸に「ご苦労様。あまり変な誘いに乗るんじゃないぞ」と笑いかけた。


 山岸は「本当にバッファローだったんだな」なんて気の抜けた声を漏らした。そんなこともあるだろう。


 ぼくはお湯と変わらぬささやかな味のするお茶を飲みながら、這々の体でバッファローの群れから逃げ出すマルバスを眺めていた。

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