第4話 あっさん、氷漬けにされる
サイエンの館で一夜を過ごしたガルド、ミナ、リリスは、朝日とともに身支度を整えていた。
ガルドは水場で無精ひげを剃り、ぼさぼさの黒髪を櫛で整えた。鏡に映る自分は、かつて「鉄壁のガルド」と呼ばれた頃の鋭さを取り戻したようだった。
「うわっ、ガルドさん、別人みたい!」ミナが目を丸くし、亜麻色のツインテールを揺らして笑った。「めっちゃかっこいいよ!超・ 冒険者って感じ!」
リリスも赤いローブの裾を払い、ニヤリと笑った。「へぇ、おっさん、悪くないじゃん。女にモテそうね」
「……うるせえな。さっさと準備しろ」ガルドは照れくさそうに頭をかき、剣の鞘をベルトに締めた。
「おっはよーですぞ諸君!よく眠れましたかな?」
木製の扉を勢いよく開け、サイエンが白衣を翻して現れた。
「おう、サイエン、世話になったな」
「ドゥフフ!、ガルド氏ぃ。旅立ちの前に、ワタシからの贈り物ですぞ!」
彼女はガルドに鉄鎧を渡した。黒光りする鎧は軽量で、関節部分は動きを妨げない精巧な作りだ。自分が銀狼の牙にいた時に着けていたものより高品質なのは明らかだった。
「コレは……」
「ワタシが昔作ったゴーレムの素材を使った鎧ですな。【鉄壁】との相性、抜群ですぞ!」
ミナには、色とりどりの投擲瓶が詰まったポーチと、その用途を記した分厚い説明書。「今までミナ氏が持っていた毒、煙、回復瓶はもちろん、ワタシが考えた爆発瓶やらなんやかや――状況に応じてお使いくださいですぞ!作り方も書いております」
「ありがとう、サイエンさん!」
リリスには、杖の先端に赤い魔石を埋め込んだ調整済みの杖。「リリス氏は魔法制御が課題ということで杖を調整しておきましたぞ。炎の制御性、30%向上(当社比)ですぞ! ドゥフフ!」
「助かるわ、サイエン」
「サイエンさん、ありがと!」ミナが彼女に抱きつく。リリスが「やるじゃん」と笑い、ガルドも礼を述べた。
サイエンは眼鏡を光らせ、「フリーオでの成果、期待してますぞ!」と大きく手を振って送り出した。三人は霧深い森を抜け、北の街フリーオを目指した。
フリーオは、神話から抜け出したような壮麗な街だった。雪に覆われた石造りの家々が連なり、屋根には氷柱がきらめいている。
にぎやかな通りでは、毛皮のコートを着た商人たちが薪を運び、暖炉の煙が青空に溶けていく。凍った運河では子供たちがスケートで笑い合い、市場では燻製魚の香ばしさと果実酒の甘い香りが漂う。雪が舞う中、街灯の炎がオレンジ色の光を投げかけ、冷たい空気に温もりを添えていた。
「寒っ! でも、めっちゃ綺麗な街!」ミナが息を白くし、ポーチを握りながら跳ねた。ガルドは鉄鎧の肩を鳴らした。「その氷の大精霊ってのは、どこにいるんだろな?サイエンが洞窟とか言ってたが…… 聞き込みでもするか」
リリスは調整された杖を振り、赤毛を揺らして自信満々に言った。「氷なら私の炎で楽勝よ! 一人でもなんとかなるから、先に行くわ!」彼女はローブを翻し、雪の道を疾走していく。
「おいリリス、待てって!」ガルドが叫ぶが、彼女は振り返らず雪煙をあげながら走っていって消えた。ミナが慌てて言った。「ガルドさん、追いかけなきゃ!」
その時、鋭い声が二人を止めた。「おい、そこの二人!」
振り返ると、銀色の短髪の女性が立っていた。
20代後半、動きやすい武道着をまとい、灰色の瞳が二人を射抜く。拳には氷の結晶が光り、女性ながら武道家らしい堂々とした気迫を放つ。
「見たことねえツラだな。観光、って感じじゃねぇ。ここに何しに来た?」彼女が問う。
ガルドは答えた。
「俺はガルド、こっちはミナ。氷の大精霊に会いに来たんだ。だが、仲間が先走っちまって……悪いが急ぐんだ」
女性は頷き、口元に笑みを浮かべた。「なら、多分『氷壁洞』に行くはずだ。案内するから付いてこい。俺はナスターシャ、ナスタと呼んでくれ」彼女は雪を踏みしめ、二人を森の奥へと導いた。
氷壁洞は、青白い氷の壁が鏡のように光る神秘的な空間だった。洞窟の前に広がる開けた雪原で、リリスが一人、杖を構え、背中を見せて立っていた。
「リリス!」
「あっ、おっさん、遅かったね!」
「おい! 勝手に先行すんな!」
ガルドが叫んだ瞬間、ナスタが冷たく笑った。
「ふん、お前らみたいな下卑た奴らを、大精霊様に会わせるわけにはいかねぇな!」
「何だと!」
「ガルドさん、ナスタさんの様子が!」
ナスタの体が青い凍気に包まれ、氷の結晶が拳と足を覆っていく。武道着が凍える風に揺れ、彼女の気迫が洞窟前の空気を凍らせていく。
「俺はナスターシャ、氷の大精霊リージア様のガーディアンだ。大精霊様を利用しようとする奴は、俺が許さねえ!」
「何!?」ガルドが剣を抜き、ミナがポーチを握り、リリスが杖を構えた。
「さぁ、戦闘開始だ!凍りつけクソ冒険者ども!【レドーニャ・キリーク】!」ナスタが叫び、両拳を煌めく氷の拳で覆った。
彼女の突進は雪嵐のように速く、ガルドに向かって連続拳を叩き込む。ガルドは【鉄壁】を発動し、鉄鎧を輝かせて防ぐ。ダメージは受けないが、冷気が骨まで染みわたる。
「うわっ、冷てぇ!」
その拳はまるで猛獣の牙のようで、ガルドの足元が凍りつき、雪に縫い止められる。動けないガルドに向かって、容赦のない連続拳が飛んでくる。
「くそっ、なんて速さだ!」
リリスが杖を振り、叫んだ。「【烈焰弾】!」炎の球がナスタを襲うが、彼女は身を翻し、氷の残像を残して炎をかわす。炎は雪に落ち、ジュウッと音を立てて消えた。炎がガルドの足元を溶かし、彼をなんとか自由にした。
「無駄だ! 炎なんぞ、俺の前ではただの火花だ!」ナスタの嘲笑が雪原に響く。
ミナがポーチから毒瓶を投げた。「これなら!」紫色の液がナスタに飛ぶが、彼女は掌を振るい、瞬時に氷の壁を召喚。瓶が砕け、毒は凍りついた壁に吸い込まれる。
「そんなもん効くかよ!喰らえ!【レドーニャ・ブリズ】!」
彼女の蹴りが空気を切り裂き、氷の旋風が轟音とともに三人を襲う。雪と氷の破片が礫のように飛び、ミナを雪だまりに吹き飛ばした。
「きゃあっ?!」
ガルドの【鉄壁】は旋風を防ぐが、鎧の表面が白く凍り、関節が軋む。リリスは杖を握りしめるが、旋風の冷気が手を震わせ、呪文を唱える隙を与えない。ガルドが叫ぶ。
「畜生、こんな冷気、初めてだぜ!」
そんな中、ガルドの【鉄壁】の効果時間が切れ、ガルドの体から光が失われていく。
「さぁ、凍え死ね!」
【レドーニャ・キリーク】がガルドの肩を切り裂き、鮮血が雪を赤く染めた。【レドーニャ・ブリズ】がリリスを直撃して、彼女を氷の壁に叩きつける。
「うがぁっ?」「きゃあ!」
ミナは立ち上がり、回復瓶をガルドに投げるが、ナスタの蹴りが瓶を粉々に打ち砕く。「弱い!弱いな、お前ら! 大精霊様が手を下すまでもない!」
「くぅ……っ……」
リリスがフラフラと動き出したが、すぐに膝をついてしまった。ナスタはリリスの前に立ち、氷の拳を振り上げた。リリスは息を切らし、杖を雪に突き立てて体を支える。「終わりだ、炎の娘。お前に大精霊様に近づく資格はない」
その瞬間、リリスがにやりと笑った。
「ねぇ」
「何だ?命乞いなら聞かんぞ」
「……なんで私が独断先行したと思う? なんでこの場所で膝をついたと思う?ねぇ?」
「……?」
ナスタの足元で雪が溶け、隠されていた魔法陣が赤く輝き始めた。
「なっ!?」
「喰らえ【獄炎嵐】!」
火柱がナスタの足元からあがり氷の武道家を直撃する。
「ぐはぁっ!?」
炎の竜巻がナスタを直撃し、氷の装甲が溶け出す。炎は青白い大地をオレンジに染め、洞窟の入り口を炎で照らしだす。リリスは立ち上がり、杖を構え、赤毛を汗で濡らしながら叫んだ。
「この洞窟を先に探し出しておいて、雪を溶かして地面に魔法陣を描いたの。そして降り続く雪が魔法陣を隠してくれて……『こんなこともあろうかと』ね。完璧でしょ?」
火柱はナスタの動きを封じ、ぼろぼろと彼女の氷の装甲が溶け、剥がれ落ちていく。リリスは【烈焰弾】を連射し、魔法陣の炎と連動させてナスタを追い詰めた。
ガルドが叫んだ。「リリス、いいぞ! ミナ、援護だ!」
ミナは回復瓶をガルドに投げ、毒瓶をナスタの足元に転がした。毒は効果を発揮しないが、ナスタの注意を一瞬そらす。
ガルドは【鉄壁】を再発動し、ナスタに接近する。
「チッ、【レドーニャ・キリーク】!」
「させるかよ!」
ガルドは氷の拳を防ぎながら剣で反撃する。刃がナスタの氷の装甲を削り、火柱の熱でさらに脆くなる。
ナスタは何とか火柱から脱出した。彼女が【レドーニャ・ブリズ】を放とうとしたその時、洞窟の奥から荘厳な声が響いた。
「ナスターシャ、もう良い。十分だ」
洞窟から、青いドレスをまとった女性が現れた。長い白髪が氷の結晶のように輝き、瞳は凍てつく湖の深さを宿している。「我は氷の大精霊、リージア。我はすべてを見ていた。炎の娘、リリスよ。そなたの知恵と勇気に、我は心を動かされた」
リリスは驚き、杖を下ろした。「…本物の、大精霊様?」
リージアは微笑み、リリスに近づいた。
「そなたの炎は、氷を溶かすだけでなく、仲間を守る知略を灯した。我はそなた、いや、そなたたちに力を貸そう」
彼女は掌に氷の珠を浮かべ、リリスに手渡した。珠は冷たく、だが温かい光を放ち、リリスの手に収まった。
リージアはナスタに視線を向けた。「ナスターシャ、彼らに力を貸しなさい。彼らには八大精霊の試練を乗り越える資格がある」
ナスタは渋い顔で構えを解いた。「しかし、リージア様、俺にはこの洞窟と、リージア様を守る役目が…」
ガルドはほほ笑み、ポケットからボールを取り出した。「なら、これに登録しろ。サイエンって変な女が作った『召喚ボール』だ。これでお前はいつでも俺たちのもとに駆けつけられる」
ナスタは目を丸くし、感心した。「…面白い。よし、登録してやる!」彼女はボールに触れ、青い光とともに彼女が「登録」された。
リージアは静かに言った。「八大精霊のうち、次に近いのは風の都ヴェンティアだ。風の大精霊がそなたらを待っているであろう」
ガルドは氷の珠を握るリリスを見やり、頷いた。
「よし、次は風の都ヴェンティアだ。行こうぜ」
「おっさん、これ、おっさんに預けとく」
「おう、確かに預かったぜ。」
ガルドは氷の珠を道具袋に入れ、親指を立てた。
リリスもにっこり笑って、親指を立て返す。
フリーオの街を後にし、ガルド、ミナ、リリスは雪道を歩き出した。ミナはスキップしながら楽しげに言った。「リリスさん、魔法陣の作戦、めっちゃ頭良かった!」
リリスは前髪をいじりながら、照れくさそうに笑った。
「悪くなかったでしょ」
ガルドは鉄鎧を鳴らし、笑った。
「お前、ほんと抜け目ねえな。マジで説教するところだったわ」
「おっさんの頭脳なんて及びもしないところに、私はいるのよ」
「へいへい、単純で悪ぅござんしたね」
「ガルドさんは単純なんかじゃない!なんかこう……うん」
「ミナ、フォローの言葉が思いつかないならやめとけ。余計傷つく」
ワイワイと話しながら、三人は一路、風の都ヴェンティアを目指し、雪原の彼方へ歩を進めたのだった。
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