第11話 声と心

「……」

 帰ったマンションの部屋の中で、クラリッサは土下座していた。

 迷惑をかけた、と心底感じているようで、滅茶苦茶落ち込んでいる。

 一方、東郷は特に気にした様子は無い。

「土下座を解除しろ。二等兵。謝罪は要求していないし、する必要も無い」

「……」

 強い口調で言うと、クラリッサはようやく土下座を止める。

 それでも正座は崩さない。

「……」

 溜息を洩らした東郷は、再度、命じる。

「正座も良い。楽な姿勢でいろ」

「……」

 クラリッサは浮かない表情で頷き、やっと正座を崩す。

 東郷が命成果じない限り、動かないのは正直、表現は悪いが専属の奴隷のようだ。

 勿論、東郷は彼女を1人の人間として見ている為、冷遇することは無い。

 しかし、クラリッサはどうしても命令が無いと動けない種類タイプのようである。

 所謂いわゆる『指示待ち人間』に分類されるかもしれない。

 この種は組織において、あまり生産性や士気モチベーションの低下を招く可能性がある為、あまり望まれていない。

 成果至上主義のような厳格な企業では、「使えない」と判断されて、即解雇になるだろうか。

「二等兵、もう少し自分に自信を持てんか?」

「……」

 ふるふると首を横に振るクラリッサ。

「そうか……」

 苦笑いを浮かべた東郷は、それ以上の言葉が思いつかない。

「……なら、仕方ないか」

 東郷の方が遥かに上官なのだが、何処どこか劣勢気味だ。

「……」

 申し訳なさそうにクラリッサは、上目遣いになる。

「気にするな」

 東郷は微笑んで軽く手を振る。

 もう少し厳しい態度で臨んでも良いのだろうが、彼にその気配は一切無い。

「もう楽にしていいよ」

 笑顔でそういうと、東郷は電子煙草を取り出し、半ば習慣化しているベランダでの喫煙を始める。

 この手は狙撃の可能性がある為、あまり得策ではない。

 だが、愛煙家でありつつ、喫煙の規則を守るには、どうしても仕方がないのだ。

 無論、東郷は熟練者ベテランなので、簡単に狙撃を許すほどやわではない。

(頑張った結果が子守こもりとはなぁ……)

 愛社精神の下、頑張ったのだが、まさかこのようなことが待っていたとは思ってもみなかった。

 無論、子守自体は苦ではなく、クラリッサに対しても不満は無い。

 だが、戦場から一転、休養期間を宛がわれた上に子守まで担うとは、流石に多くの同僚も予想できなかっただろう。

(まぁ、あんな過去があれば、心が壊れるのも無理無い話だけどな)

 東郷は、徐々にクラリッサの報告書レポートを思い出していく。

 クラリッサ二等兵―――Säumerゾイマー=《鈍間のろま》のことを。


 クラリッサは見てわかる通り、対人関係に不安がある人物だ。

 それは入隊直後にすぐに問題視され、一時は教育という名のいじめの標的になった。

 暴力を受けたとしても、それが改善するかは別問題だ。

 クラリッサは後者で、逆にどんどん悪化していき、遂には、不名誉除隊寸前にまで追い込まれていく。

 そこで上層部が採ったのは、戦場で子供との交流に長けていた東郷に白羽の矢が立ち、彼との2人1組が成立する。

 会社を支える有望株と、会社の足を引っ張る《鈍間》の組み合わせに対し、疑問視する声もあったものの、東郷が、


・故意は叱っても努力した上での失敗は責めない

・必要以上に責めない

・叱るのは、基本的に短時間で済ます

 その際、分かりやすく、丁寧さも心掛ける

・人格否定及び体罰はしない

・叱った後の補完フォローも忘れない

・他人と比べない、競争させない


 等の接し方を採った所、クラリッサは徐々に彼に心を開き、最終的にはこの結果だ。

 教育期間終了後、東郷は人事異動により、戦場に戻るのだったが、その間、クラリッサは鬱状態になり、措置入院するほど精神状態が悪化した。

 そして、入院先ではずーっと、東郷の動向を気にし、枕を彼に模しては日々、抱き着いていたという。

 その辛く長い入院生活は、シリア内戦終戦と共に終わりを告げ、再び2人1組が結成されたのである。

「……」

 東郷は携帯電話に保存されている画像を見る。

 そこには、両手首に無数の切り傷を付けたクラリッサが、彼の顔写真が貼られた枕に抱き着いているものが表示されていた。

 更に看護婦によれば、毎晩、毛布を頭から被った状態であえぎ声を漏らしていたという。

 毛布で見えない為、中で何が行われていたかは不明だ。

 ただ、私生活プライベートのことだ。

 現在でも同居開始以降、壁越しに聴こえる時もあるが、東郷が操作コントロールできるものではない為、深くは追及することも無い。

(……過去がやはり原因かな)

 クラリッサが喋れなくなったのは、過去の事件が原因だ。

 彼女は幼少期、目の前で両親を亡くした。

 報告書によれば、商業施設を3人で歩いていた所、突如、暴走してきた貨物自動車が突っ込んできた。

 父親は咄嗟の判断で母子を思いっきり押した。

 直後、父親は撥ねられ、宙を舞う。

 これ以降、クラリッサのこの事件の証言は、残されていない。

 後に追加された報告によれば、父親は地面に叩きつけられ即死。

 生き残った母親も、降りてきた運転手に背中を滅多刺しにされて亡くなった。

 目撃者によれば、クラリッサは、抱き締められた状態で呆然としながら、母親が延々と刺されていく様子を見詰めていたという。

 これ以降、発声が確認されていない為、この出来事が契機で声を出しにくくなったとされている。

 余談だが、運転手はテロリストで後に駆け付けた当局によって、その場で射殺されている。

 クラリッサの生まれ育った国では、当時、過激派によるテロ事件が続発していた。

 悪質な難民や移民による犯罪やテロに対し、極右派も暴力で対抗。

 彼らが襲われたり、彼らに寛容な政党やその支持者が襲撃され、国内では、多くの死傷者が毎年、出ていた。

 クラリッサの両親は、その犠牲になったのだ。

 以降、彼女は一切、心を閉ざしたのが、事件以降、初めて心を開いた相手が東郷なのである。

「……」

 電子煙草を吸っていると、

「……」

 クラリッサが申し訳なさそうな顔で隣に立つ。

 反省している様子だが、東郷は謝罪を望んでいない。

「大丈夫。怒ってないよ」

 微笑んで頭を撫でる。

 それでも不安なのか、クラリッサは東郷の腰に抱き着く。

「……」

 苦笑いを浮かべた東郷は、喫煙を中断し、彼女の頭を優しく撫でるのに徹するのであった。

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