第12章 導き手との邂逅

夜の森は、重く湿った闇に包まれていた。

 アレンとミラは馬を降り、木々の影に身を潜めていた。


「……ここまで来れば、追っ手もしばらくは撒けるはず」

 ミラが額の汗を拭いながら囁く。


 彼女の声には疲労が滲んでいた。

 数日間の逃亡は過酷だった。王国の追撃部隊は巧みに進路を塞ぎ、油断すれば包囲される。

 その指揮を執っているのがレオンだと知った時、アレンの胸は張り裂けそうだった。


(本当に、俺たちは敵同士になってしまったのか……)


 火を焚くこともできず、冷たい地面に腰を下ろす。

 ミラがそっと隣に座り、震える肩を寄せてきた。

「アレン……私、ずっと考えてたの。あなたの力を恐れる人がいても、私は信じるって」


 その言葉は温かく胸に染みたが、同時に痛みも伴った。

 信じてくれる人がいるほど、裏切ることが怖くなる。



 その時、かすかな枝の折れる音がした。

 アレンは反射的に剣に手を伸ばし、身構える。


「待って……敵意はないわ」

 木陰から現れたのは、銀髪の少女だった。

 蒼い瞳は夜の闇に輝き、まるで星を宿しているかのようだった。


「あなたが……アレン・シュタインね」

 少女は落ち着いた声で言った。


「誰だ」

 アレンが警戒を解かぬまま問うと、彼女は胸に手を当て、名を告げた。

「私はリディア。王立魔術院に属する者……だけど、今は“導き手”として、あなたに会いに来た」


 その言葉に、アレンは息を呑んだ。

「導き手……?」



 リディアは懐から羊皮紙を取り出し、そっと広げた。

 そこには古代文字がびっしりと刻まれていた。


「これは古代遺跡に残された記録。転生の理を記した断片よ」

 彼女は指で文字をなぞる。

「“一度きりの転生者は、神か魔かを選ぶ。その選択を導くのは、必ず傍らにいる者”」


 ミラが息を呑む。

「……それって」


「そう、あなたよ」

 リディアはミラをまっすぐに見つめた。

「アレンを導くのは、他ならぬあなた。だからこそ王国は恐れている。勇者を導く存在は、王家の支配を揺るがすから」


 ミラは言葉を失い、アレンの腕を掴んだ。

 その手は震えていた。


「……そんな、私が……?」



 アレンは頭の奥が揺れるような感覚を覚えた。

 自分の転生は偶然ではなく、必然だったのか。

 そして、その道を選ぶ鍵は、隣にいるミラだというのか。


「信じられないかもしれない」

 リディアの声は静かだった。

「でも時間がない。追撃部隊がすぐそこまで迫っている。……彼らを率いるのはレオン卿。かつての仲間だからこそ、余計に危険よ」


 その名を聞いた瞬間、アレンの胸が締め付けられた。


「レオンが……」


 逃げ場のない闇の森の中、運命の糸が絡み合い始めていた。



森を渡る風が、ざわめく木々の間を駆け抜ける。

 その中に、規則正しい鉄靴の音が混じった。


「来たわ……!」

 リディアの声が低く響く。


 松明の明かりが木立を照らし、甲冑を纏った騎士たちが姿を現した。

 彼らの前列に立つ男――その姿を見た瞬間、アレンの胸は締め付けられる。


「……レオン」


 銀色の鎧に身を包み、厳しい表情を浮かべるその男は、かつて幾度も肩を並べて戦った仲間だった。


「アレン」

 レオンの声は硬く冷えていた。

「命令だ。お前を王都へ連行する。……従えば命は保証される」


「保証? 処刑の間違いだろう」

 アレンが吐き捨てると、兵たちがざわついた。

 レオンの目が一瞬だけ揺れる。だがすぐに鋭い光でそれを隠した。


「俺だって好きでやってるわけじゃない……! だが、国に逆らえば、民が、兵が、家族が危険に晒されるんだ」


 その声に、アレンの胸は引き裂かれそうだった。

 レオンは裏切ったわけではない。ただ、彼なりの正義に縛られている。



「やめて!」

 ミラが叫び、アレンとレオンの間に立ちはだかった。

「アレンは……人を傷つけるために力を持ったんじゃない! 彼は――」


 その言葉を遮ったのは、リディアの静かな声だった。

「あなたが導き手だからこそ、勇者は揺れているの。レオン卿、あなたも本能で分かっているはず。もし今ここで勇者を斬れば、この世界は歪む」


「世界が……歪む?」

 レオンが眉をひそめる。


「勇者の選択は、この大陸の理そのものを左右する。神に近づくか、魔に堕ちるか。その岐路は、仲間との絆によって決まるのよ」


 兵士たちの間にどよめきが走った。

 彼らの多くは理解できずとも、勇者の力に畏怖を抱いていた。



 沈黙が落ちる。

 アレンとレオンの視線が交錯する。

 どちらも引けば全てが崩れる。だが、進めば血が流れる。


「……レオン」

 アレンは絞り出すように声を発した。

「俺はお前と剣を交えたくない。だが……俺は、自分の道を選ぶ」


 その宣言に、レオンの瞳が激しく揺れた。

 彼は剣の柄を強く握りしめ、唇を噛む。


「ならば……その覚悟を、この剣で試させてもらう!」


 叫びと共に、彼の剣が抜かれ、夜の森に鋭い閃光が走った。


 アレンもまた、剣を抜く。

 火花が散り、二人の運命が激突する瞬間が訪れた。

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