第10章 追われる者、追う者

夜の森を駆け抜ける。

 冷たい風が頬を打ち、枝葉が視界を裂いた。

 背後からは角笛の音が響き、追手が迫っていることを告げていた。


「こっちだ、アレン!」

 ミラが息を切らしながらも先導する。

 彼女の足取りは迷いがなく、幼い頃から森を駆け回っていた記憶が頼りになっていた。


 だが、追手の足音は近い。

 甲冑のきしみと馬蹄の音が混ざり、森全体を圧迫していた。



 開けた場所に出た瞬間、数人の兵士が待ち伏せていた。

「いたぞ! 勇者を捕らえろ!」


 剣が一斉に抜かれる。

 私は咄嗟に炎を展開し、迫る刃を弾いた。

 火花が散り、兵士たちが怯む。


「ミラ、後ろへ!」

「分かった!」


 炎で進路を切り開き、私はミラの手を引いて突破する。

 兵士たちは後を追ってきたが、森の奥へ入るほど足並みは乱れていった。



 ようやく一息つける小川のほとりに辿り着いた時、私はその場に膝をついた。

 胸の刻印が熱を放ち、息が荒い。

 力を抑えながらの戦闘は、全身を削り取るような負担だった。


「アレン……」

 ミラが心配そうに覗き込む。

「大丈夫。まだ……動ける」

 そう答えながらも、自分の声が震えているのを感じた。


 だが止まってはいられない。

 追手は必ず迫ってくる。



 一方その頃、砦では――。

 将軍の前に立つレオンの姿があった。


「なぜ……なぜアレンを逃がした!」

 将軍の怒号が響く。


 レオンは剣を握り締めたまま、ただ黙っていた。

 あの瞬間、彼は確かに剣を振り下ろすことができた。

 だが――ミラの必死の姿と、アレンの叫びが脳裏に焼き付いていた。


「……あいつはまだ人を守ろうとしていた。俺は、その目を信じたい」

「甘い!」

 将軍は机を叩いた。

「王国は勇者の暴走を恐れている! 命令は絶対だ、分かっているだろう!」


 レオンは歯を食いしばった。

 仲間としての信頼と、騎士としての義務。

 その狭間で、彼の心は切り裂かれていた。



 森の奥で、私はミラと焚き火に身を寄せていた。

 小さな炎の揺らめきが、闇の中でかすかな安堵を与えてくれる。


「アレン」

 ミラがぽつりと口を開いた。

「あなた、本当に……転生してきたの?」


 問いかけに、私はしばし言葉を失った。

 だが嘘をつく余地はもうなかった。


「……ああ。前の世界で、一度死んだ。

 気づけばこの世界に生まれ変わっていた。

 けれど――本当は何度も転生しているらしい」


 ミラの瞳が揺れる。

「じゃあ……“一度きりの転生”って……」


「俺自身にも分からない。ただ、あの遺跡の碑文に書かれていたんだ。

 一度きりの転生者は、神か魔かを選ぶって」


 その言葉に、ミラは静かに息を呑んだ。

 火の粉が舞い、夜空の闇に消えていく。


 ――選べ、勇者よ。


 碑文の囁きが、今も耳に残っていた。



森を移動して三日目。

 追手の影はますます濃くなり、包囲の輪が狭まっていくのが肌で分かった。

 私とミラは山道へ差しかかったが、そこで待ち構えていたのは十数名の兵士だった。


「逃げ場はないぞ、勇者!」

 使者が勝ち誇ったように叫ぶ。

 兵士たちが剣を抜き、じりじりと距離を詰めてくる。


 私は炎を纏い、ミラを背に庇った。

 胸の刻印が赤く光り、力が湧き上がる。

 だが同時に、あの暴走の記憶が脳裏をかすめる。


「アレン、無理はしないで……!」

 ミラの声が、私を現実に引き戻した。



 兵士たちが一斉に襲いかかる。

 私は炎で剣を弾き、地を蹴って跳び退いた。

 しかし数の差は歴然だ。防戦一方ではいずれ押し潰される。


 その時――。

 剣戟の中から聞き慣れた声が響いた。


「アレン!」


 振り返ると、レオンが兵士を蹴散らしながら現れた。

 彼の剣は鋭く、瞬く間に敵の陣形を切り崩していく。


「レオン……!」

 助けに来たのか――そう思った矢先、彼の剣先が私へと向けられた。


「これ以上、逃げるな!」

 その声には怒りと、深い苦悩が滲んでいた。



「お前を信じたい気持ちはある。だが現実は違う!

 王国はすでに処断を決めた。もし俺がここでお前を止めなければ、今度はもっと大きな軍が動く!」


 レオンの剣が炎を弾き飛ばし、刃が頬をかすめる。

 血の匂いが広がる。

 仲間だった彼と、今は命を懸けて戦っている――その事実が胸を締めつけた。


 だが、私も退くわけにはいかない。

「レオン……俺はまだ終わってない! この力の真実を知るまでは、誰にも捕まらない!」


 二人の剣と炎がぶつかり、轟音が森に響いた。



 その時だった。

 突如、頭上から漆黒の光が降り注いだ。

 大地が裂け、炎のような闇が兵士たちを呑み込む。


「な、なんだ!?」

「魔族か!?」


 悲鳴があがる中、闇の中からフードを被った影が現れた。

 その手には、遺跡で見たものと同じ古代文字が刻まれた杖。


「やはり……勇者よ」

 影の声は低く、冷ややかだった。

「転生の理を背負う者。その存在を、我らはずっと待っていた」


「お前は……誰だ!」

 私が問うと、影は薄く笑った。


「名など意味はない。ただ――“継承者”を導くための者だ」



 兵士たちは恐れ、散り散りに逃げていった。

 残されたのは、私とミラ、そして剣を構えるレオン、そして謎の影。


 影は杖を掲げ、私に向けて言葉を投げた。

「勇者よ。お前の転生は偶然ではない。選ばれた運命だ。

 神か、魔か――その選択は、すでに始まっている」


 その言葉は遺跡の碑文と重なり、胸の奥で炎が騒ぎ立った。


「選べ、勇者よ」


 影の声が、夜の森にこだました。



 闇が消えた時には、影の姿も杖の光も消えていた。

 残されたのは焦げ跡と、張り詰めた沈黙。


 レオンは剣を下ろし、深く息を吐いた。

「アレン……お前は、本当に何者なんだ」


 私は答えられなかった。

 ただ、胸の刻印が燃えるように疼き続けていた。


 ――神か、魔か。

 選択の時は、確実に近づいている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る