第10章 追われる者、追う者
夜の森を駆け抜ける。
冷たい風が頬を打ち、枝葉が視界を裂いた。
背後からは角笛の音が響き、追手が迫っていることを告げていた。
「こっちだ、アレン!」
ミラが息を切らしながらも先導する。
彼女の足取りは迷いがなく、幼い頃から森を駆け回っていた記憶が頼りになっていた。
だが、追手の足音は近い。
甲冑のきしみと馬蹄の音が混ざり、森全体を圧迫していた。
◆
開けた場所に出た瞬間、数人の兵士が待ち伏せていた。
「いたぞ! 勇者を捕らえろ!」
剣が一斉に抜かれる。
私は咄嗟に炎を展開し、迫る刃を弾いた。
火花が散り、兵士たちが怯む。
「ミラ、後ろへ!」
「分かった!」
炎で進路を切り開き、私はミラの手を引いて突破する。
兵士たちは後を追ってきたが、森の奥へ入るほど足並みは乱れていった。
◆
ようやく一息つける小川のほとりに辿り着いた時、私はその場に膝をついた。
胸の刻印が熱を放ち、息が荒い。
力を抑えながらの戦闘は、全身を削り取るような負担だった。
「アレン……」
ミラが心配そうに覗き込む。
「大丈夫。まだ……動ける」
そう答えながらも、自分の声が震えているのを感じた。
だが止まってはいられない。
追手は必ず迫ってくる。
◆
一方その頃、砦では――。
将軍の前に立つレオンの姿があった。
「なぜ……なぜアレンを逃がした!」
将軍の怒号が響く。
レオンは剣を握り締めたまま、ただ黙っていた。
あの瞬間、彼は確かに剣を振り下ろすことができた。
だが――ミラの必死の姿と、アレンの叫びが脳裏に焼き付いていた。
「……あいつはまだ人を守ろうとしていた。俺は、その目を信じたい」
「甘い!」
将軍は机を叩いた。
「王国は勇者の暴走を恐れている! 命令は絶対だ、分かっているだろう!」
レオンは歯を食いしばった。
仲間としての信頼と、騎士としての義務。
その狭間で、彼の心は切り裂かれていた。
◆
森の奥で、私はミラと焚き火に身を寄せていた。
小さな炎の揺らめきが、闇の中でかすかな安堵を与えてくれる。
「アレン」
ミラがぽつりと口を開いた。
「あなた、本当に……転生してきたの?」
問いかけに、私はしばし言葉を失った。
だが嘘をつく余地はもうなかった。
「……ああ。前の世界で、一度死んだ。
気づけばこの世界に生まれ変わっていた。
けれど――本当は何度も転生しているらしい」
ミラの瞳が揺れる。
「じゃあ……“一度きりの転生”って……」
「俺自身にも分からない。ただ、あの遺跡の碑文に書かれていたんだ。
一度きりの転生者は、神か魔かを選ぶって」
その言葉に、ミラは静かに息を呑んだ。
火の粉が舞い、夜空の闇に消えていく。
――選べ、勇者よ。
碑文の囁きが、今も耳に残っていた。
◆
森を移動して三日目。
追手の影はますます濃くなり、包囲の輪が狭まっていくのが肌で分かった。
私とミラは山道へ差しかかったが、そこで待ち構えていたのは十数名の兵士だった。
「逃げ場はないぞ、勇者!」
使者が勝ち誇ったように叫ぶ。
兵士たちが剣を抜き、じりじりと距離を詰めてくる。
私は炎を纏い、ミラを背に庇った。
胸の刻印が赤く光り、力が湧き上がる。
だが同時に、あの暴走の記憶が脳裏をかすめる。
「アレン、無理はしないで……!」
ミラの声が、私を現実に引き戻した。
◆
兵士たちが一斉に襲いかかる。
私は炎で剣を弾き、地を蹴って跳び退いた。
しかし数の差は歴然だ。防戦一方ではいずれ押し潰される。
その時――。
剣戟の中から聞き慣れた声が響いた。
「アレン!」
振り返ると、レオンが兵士を蹴散らしながら現れた。
彼の剣は鋭く、瞬く間に敵の陣形を切り崩していく。
「レオン……!」
助けに来たのか――そう思った矢先、彼の剣先が私へと向けられた。
「これ以上、逃げるな!」
その声には怒りと、深い苦悩が滲んでいた。
◆
「お前を信じたい気持ちはある。だが現実は違う!
王国はすでに処断を決めた。もし俺がここでお前を止めなければ、今度はもっと大きな軍が動く!」
レオンの剣が炎を弾き飛ばし、刃が頬をかすめる。
血の匂いが広がる。
仲間だった彼と、今は命を懸けて戦っている――その事実が胸を締めつけた。
だが、私も退くわけにはいかない。
「レオン……俺はまだ終わってない! この力の真実を知るまでは、誰にも捕まらない!」
二人の剣と炎がぶつかり、轟音が森に響いた。
◆
その時だった。
突如、頭上から漆黒の光が降り注いだ。
大地が裂け、炎のような闇が兵士たちを呑み込む。
「な、なんだ!?」
「魔族か!?」
悲鳴があがる中、闇の中からフードを被った影が現れた。
その手には、遺跡で見たものと同じ古代文字が刻まれた杖。
「やはり……勇者よ」
影の声は低く、冷ややかだった。
「転生の理を背負う者。その存在を、我らはずっと待っていた」
「お前は……誰だ!」
私が問うと、影は薄く笑った。
「名など意味はない。ただ――“継承者”を導くための者だ」
◆
兵士たちは恐れ、散り散りに逃げていった。
残されたのは、私とミラ、そして剣を構えるレオン、そして謎の影。
影は杖を掲げ、私に向けて言葉を投げた。
「勇者よ。お前の転生は偶然ではない。選ばれた運命だ。
神か、魔か――その選択は、すでに始まっている」
その言葉は遺跡の碑文と重なり、胸の奥で炎が騒ぎ立った。
「選べ、勇者よ」
影の声が、夜の森にこだました。
◆
闇が消えた時には、影の姿も杖の光も消えていた。
残されたのは焦げ跡と、張り詰めた沈黙。
レオンは剣を下ろし、深く息を吐いた。
「アレン……お前は、本当に何者なんだ」
私は答えられなかった。
ただ、胸の刻印が燃えるように疼き続けていた。
――神か、魔か。
選択の時は、確実に近づいている。
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