第3話

第三話


眩しい光の中で、青は目を開けた。

そこは見慣れたはずの陸上競技場――だが、違った。

観客席は歓声で揺れ、彼自身が先頭でゴールテープを切っていた。


「槙野!槙野!」

名前を呼ぶ声が、四方から降り注ぐ。

胸にゼッケンをつけた高校生の自分が、両手を掲げていた。


――勝った。

全国大会の切符をつかんだのだ。


その瞬間から記憶は連鎖的に書き換わっていく。


全国大会。

惜しくも入賞は逃したが、「南関東の快速ランナー」と呼ばれた。

新聞に名前が載り、校内ではちょっとした有名人。進学の推薦も舞い込み、大学でも陸上部に所属することになった。


「俺は……走り続けていたのか」


学生時代、仲間に囲まれ、声援を浴び、汗と涙を分かち合った。

それは現実の自分が持ち得なかった時間だった。

だが、やがて――


「槙野、記録が伸びないな」

「お前は堅実だけど、勝負どころで爆発力が足りない」


大学二年の頃から、伸び悩み始めた。全国区では、さらに速い連中が山のようにいた。決勝の一メートルを守りきれなかったように、どうしても最後に差される。


卒業後。

結局、陸上で飯を食うことはできなかった。一般企業に就職し、最初は「元陸上選手」と持てはやされたが、年月が過ぎればただの社員のひとり。

会議で意見を求められても、肝心なところで言葉が出ない。プレゼンでは緊張して噛み、昇進試験ではミスをした。


――あれ?

結局、同じじゃないか?


気づけば、青は今の自分のアパートに座っていた。

ビール缶、薄暗い部屋、味気ない夕食。

全国大会に出ていたはずの記憶は確かにあるのに、結果として辿り着いた現在は変わらない。


「どういうことだ……」

頭を抱える青に、昴の声が降りた。


「ね? 分かりましたか」


振り返ると、カフェの店内に戻っていた。

昴は静かな微笑みを浮かべている。


「どの道を選んでも、人は同じ壁にぶつかります。陸上で勝っても、仕事で勝てないなら結果は変わらない。大事なのは、“負けた自分”をどう受け止めるかです」


青は言葉を失った。

確かに――全国大会に出ても、あの一メートルを守りきっても、自分の本質は変わらなかったのだ。


だが、不思議と胸は軽くなっていた。

「俺は、全国に行けたかもしれない」

その事実を“可能性”として抱えられるだけで、心の棘が少し溶けていく気がした。


昴がそっとカップを差し出す。

「もう一杯いかがですか? この先を変えるための珈琲です」


青は小さく笑った。

「……あぁ、頼むよ」


その笑みは、十数年ぶりのものだった。

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