第11話 王都フリード

王都フリードの中央に広がる商業区は人であふれていた。

特に昼食時という事もあって、人気の飲食店が並ぶ大通りは真っすぐに歩けないほどだ。


石畳の道に様々な商店が軒を連ね、行き交う人々の声が街全体を包んでいる。

自由都市サルタニアも賑やかだが、フリードはイングラス王国の首都というだけのことはある。


格調、格式の高い高級店が多く、露店や屋台が少ない。

玉石混合の自由都市サルタニアと、一流店が多く集う王都フリードといったところか。


「やっぱり王都は凄いな」


月並みな感想だが、体調が回復し三日ぶりの外出にルシアンの心は弾んでいた。


「そういえば王都に来るのは初めてって言ってたものね」


隣を歩くクレアは、任務中とは異なり女性らしい服装だ。

白地に精緻な花の刺繍が入ったチュニックに丈の長い麻のパンツ、腰回りにベルトという装いで、正直可愛らしい。ただし、ベルトに剣帯が通してあり、帯剣している違和感に目をつぶればだが。


それでもルシアンは『お洒落をしてきた女性』にかけるべき言葉を忘れなかった。


「なんていうか、今日のクレアは……その、可愛いね」


戦場に出る時は完全に別種の緊張の中、ようやく絞り出した凡庸な誉め言葉だ。

だが幸いなことに首狩り姫には『及第点』だったらしい。


「ん……ありがとう」


クレアがくるりと振り返って笑う。

その仕草がいつもより可愛らしく見えて、ルシアンは頬が熱くなるのを感じた。


「一応、旅装の中では一番「普通の服」を選んだつもりなんだ。ルシアンも普通の青年って感じで似合ってるじゃない。けど……思ったより筋肉質だね。もう少しヒョロっとしてると思ってた」


ルシアンの服装は薄い緑に染め上げた木綿のシャツに、裾の広い木綿のズボン。

腰にはクレア同様剣帯を通したベルトを巻き、ブロードソードを下げていた。


「一応鍛えているからね。でもドノヴァンには、もっと筋肉をつけろってうるさく言われてるよ」


「まあ、今は背も同じくらいだけどルシアンはもう少し高くなりそうだもんね。でも焦らなくていいんじゃない」


背比べでクレアの手がルシアンの髪に触れる。

額が触れるくらいの距離に立ち背比べをする二人の目線は丁度同じくらい。

大きな瞳や唇に目がいってしまう。


(近い!クレアってこういうところあるよな・・)

今回の護衛依頼で、クレアを異性として意識することが度々あったルシアンは、

否応なく顔や耳が熱くなってしまう。


「じゃあ、行こうか!お腹ペコペコだよ。店はこっちね!」


ルシアンの動揺など、まるで気付かぬようにクレアが目的地を指さす。


「うん、案内よろしく。約束通り、ご馳走させていただきます」


クレアの一押し、『陽だまり亭』は、大通りの喧噪から少し外れた場所にあった。


もともと『精霊の樹』と呼ばれる、大樹を囲むように建てられた変わった構造の店だ。樹に陽光が当たるように屋根には大きなガラスがはめ込まれている。柔らかい日の光が差し込む事が店名の由来だそうだ。


店の扉をくぐると、煮込み料理の食欲をそそる匂いが鼻をつく。


店内は大樹を囲むようにカウンター席があり、その他にテーブル席が四つほど。

客は多かったが、席同士が程よく離れているので居心地もよさそうだ。


「クレアじゃないか。おや、誰かを連れてくるのは初めてだね。好きな席に座っておくれ」

恰幅のよい女店主が笑顔で迎えてくれた。


「久しぶりねライラ。奥の席に座らせてもらうね」

店の奥、一つだけ空いていたテーブル席に向かい合って座る。


「さて、今日はなんにするんだい?」

ライラと呼ばれた女店主がすぐに注文を取りにくる。


「もちろん『牛肉のシチュー』と『牛串のパン』を二人分お願い!シチューはどちらも大盛でお願いね!」


「あいよ、お連れさんをがっかりさせない自慢の料理を用意するから少し待ってな」


注文を受けて厨房に姿を消すライラ。

厨房からも元気な声が聞こえてくるので、彼女と何人かでやっている店なのだろう。


程なくして湯気の立つシチューと、はみ出るほどの牛串が挟まったパンが運ばれてきた。


スプーンを口に運んだ瞬間、ルシアンの目が大きく見開かれた。


「美味しい!!」


思わず声が漏れる。柔らかく煮込まれた牛肉が、スプーンの上でほろりと崩れた。一口含むと、野菜の甘みと肉の旨味が混じり合い、深いコクのあるスープが舌の上で踊る。


「でしょ?でしょ?あ~よかった。私も食べよっと」

ルシアンの反応に満足したのか、クレアもシチューを食べ始める。


牛串のパンも絶品だった。シンプルな塩胡椒の味付けに、ほんのりと香るニンニクチップ。一口かじるたびに、ジュワッと肉汁が溢れ出す。柑橘系の酸味が後味をさっぱりとさせて、次の一口がまた欲しくなる。


「旅の間の干し肉や即席のパンが続いていたからかな。余計美味しく感じるよ」


ルシアンが感嘆の声を上げると、クレアも満足そうに微笑んだ。


「でしょ?知ったら絶対通いたくなるでしょ?人気が出すぎて通いにくくなったら嫌だから、うちの団員にも教えてないんだ。特別に教えてあげたんだから感謝するように」


「たしかに、大通りから少し外れてるし、よく知ってたね」


「ここの主人、ライラは、二年前までサイクロプス団の遠征で『料理番』として付いてきてくれた人なの。色んな悩みも聞いてくれてお世話になったんだ」


どうやら、まとまった金が貯まったのを機に、故郷の幼馴染と結婚して二人で王都に店を出したらしい。


「だから、クレアと顔なじみなんだね。それにしても、本当に美味しいよ」


「私も、いつもより美味しく感じるかも。最後の二日はほぼ水だけだったし、ずっとここでシチューを食べることばっかり考えてたよ」


二人とも、大盛のシチューをペロリと平らげて、お代わりを頼んだ。

若い胃袋が求める分だけ食べて、ようやくお腹も落ち着いた。

甘く冷たいシャーベットと温かい紅茶が良い具合に食事を締めてくれる。


「はあ、人生で一番美味いものを食べたかもしれない。王都に来るたびに絶対に来ると思う」


「あらうれしいね、あんたも常連になっておくれ。」

タイミング良く、皿を下げにきたライラが愛想よく応える。


「それにしても、クレアが誰かを連れてくるなんて初めてじゃないか。サイクロプスの連中も連れてこないのに。いい人なのかい?」


「え、や、そんなんじゃないわよ。今回の王都への護衛任務で命を救ってもらったお礼!そうお礼で連れてきたの!」


「おや、クレアの事を助けるなんて、あんたも若いのに余程強いんだね」


ライラは意外そうな顔でまじまじとルシアンを見る。


「顔は悪くない、絹の服でも着たらお貴族様みたいな感じがするね。クレアも年頃だし、器量もいいのに父親があれだから心配してたんだよ。でもね、この子を泣かせたらあたしが許さないからね」


「ちょっとライラ、変な事いわないでよ!」


「あははっ。ライラさん、改めましてルシアンといいます。俺よりクレアの方が何倍も強いですよ。今回もクレアには命を救ってもらったんです。ついでに少し前には殴られて大衆の目の前でぼろ雑巾のように転がされました」


「ちょっと、ルシアン!言い方!違う…いや違わないけど、とにかく言い方!」


「あっはっは、こんなに動揺したクレアを見たのは初めてさ。そのお茶とデザートはサービスするからゆっくりしておいき」


ライラは笑いながら客足の絶えないフロアに戻っていった。


紅茶を楽しみながら、二人は他愛もない会話を続けた。王都の名所、これからの予定、好きな食べ物、数日前の行軍とは打って変わって穏やかで自然な時間だった。


「そう言えば」


少し改まった表情でクレアが切り出した。


「私たちサイクロプス団が今度大きな依頼を受けることになるの。今、父さん達が先行調査に入ってるけど、『未開拓領域ノクスラント』の異常調査と魔獣討伐の仕事だって聞いてる。ルシアン、一緒にこない?」


「俺がサイクロプス団と?」


「そう、半年から一年くらいの長期依頼なの。どうかな?」


「……俺なんかを誘ってくれてありがとう」

そう言うと紅茶を一口飲む。


「サイクロプス団に声をかけてもらえるのは嬉しいけど、やっぱりガーゴイル団を離れられないかな」


「そっか、残念。待遇や報酬は結構いいと思うんだけど、そういう事じゃないんだよね?」


ルシアンは深く息を吸った。これまで誰にも話したことのない秘密を、クレアになら話せる気がした。


「ガーゴイル団は、俺の第二の家族なんだ。クレアには魔眼の話をしたよね」


「うん、死の危険が見える魔眼でしょ」


「もうひとつ、大した事じゃないんだけど、秘密にしている話があるんだ。一応、内緒にしてくれると嬉しいんだけど約束してくれるかな?」


「もったいぶるじゃん、約束は絶対に守るけど、私が聞いてもいい話なの?」


「クレアに助けて貰わなければ、生きてこんなに美味しいシチューは食べられなかったからね」


「助けてもらったのはお互い様でしょ、まったく」


不機嫌そうに頬杖をつく。


(戦いじゃなければ、いちいち仕草が可愛いな)


ルシアンは、店の喧噪と隣の客と距離がある事を確認して話し始めた。


「俺も家名があってさ、ルシアン・ロスっていうんだ」


「ルシアン・ロス……ロスって『ロス公爵家』ってあったよね、関係あるの?」


「うん、俺の父はファーガス・ロス。母はサーシャ・オニール・ロス。ロス公爵家の最後の当主だった」


ルシアンの声が少し震える。


「今もハッキリ覚えてる。ノヴァク公爵の兵に火を放たれて、燃える屋敷から父が逃がしてくれたんだ。まだ子どもだった俺を匿って面倒見てくれたのが、当時ロス領を拠点にしていて、父の友人だったガーゴイル団のゲイル団長だった。それ以来、ゲイル団長やメリダさん、ドノヴァン、みんなが家族のように俺を支えてくれた」


一息に言って、一度深呼吸をする。


「そんな訳で、ガーゴイル団は俺の家族なんだよね」


「ちょっとびっくりした。ルシアンって次期公爵様ってこと?」


「あはは、家が無くなっちゃったからね、元次期公爵になるのかな」


「ごめん……無神経だった」


「いや、全然気にしないでよ。それで、魔眼の話なんだけど、ノーザンリングって知ってる?」


「それくらいは知ってるわよ。『邪神モス』の眷属を倒す為に、初代フリード王が集めたイングラス王国の氏族連合でしょ?」


「そう、フリード王家、カーリッツ大公家、シュミット公爵家、ネロス公爵家、オニール公爵家、ノヴァク公爵家そして、ロス公爵家はそれぞれ、異なる神を祀る氏族だったんだ。フリード家は『秩序の神サルタン』、カーリッツ家は『戦の神メイス』って感じにね。もともと、もっと沢山の氏族があったらしいけど、邪神モスとの戦いが激化して最後に残ったのが僅か7氏族だったらしい。」


「数百年くらい前のことよね?」


「そうだね、イングラス王国はそれぞれ異なる神を祀る小さな『宗教部族が同盟』を組んだ事が始まりだって、小さいころに習ったよ」


公爵家の家庭教師からね、とルシアンは笑う。


「邪神モス対、その他の神々連合って感じよね?」


「多分ね。その辺の記録はあまり残って無いらしいけど。戦いで邪神モスをその身に降臨させたモスの聖女……邪教でも『聖女』って言っていいのかな?まあ、その聖女に止めを刺したフリード家が王家に、モスの眷属だった『暗き真竜』を倒したカーリッツ家が公爵筆頭の大公家に、あとは生き残った五氏族が公爵家になったんだって。だからフリード家がノーザンリングの筆頭として『王家』になって、フリード家が祀っていた『秩序の神サルタン』が国教となったらしいね」


「ロス家は何の神様を祀っていたの?」


「運命の神、チェルダロだよ知ってる?」


「ごめん、正直あまり知らない。戦神メイスや、知識神ノウラの教会はあちこちで見るけど、チェルダロって神様の教会って見たことないかも」


「それはそうかもね」


ルシアンは苦笑した。


「ロス公爵領には大聖堂や教会も幾つかあったんだけどね。ノヴァク公爵直轄領になってからは全部取り壊されて、ノヴァク家が祀る『生と死の神シーナ』の教会になってるみたい」


「ロス公爵領にはチェルダロを信仰する人も大勢いたんでしょ?酷い事するわね」


「まあね……でもさクレア、クレアが共鳴する神の一柱は『戦神メイス』だって言ってたけど、熱心に教会に行ったりしてた?」


「全然、せいぜい戦や荒事の前に武運を祈るくらい」


「俺もだよ。勿論熱心な信徒もいると思うけど、教会で祀る神様が変わったところで騒ぐ人はそんなにいなかったんじゃないかと思ってる」


「熱心に毎日祈りを奉げている訳じゃないのに、私は戦いの時、神メイスと強く共鳴できるし、ルシアンは神チェルダロの魔眼が使えるって変な話ね。神様ってどんなルールで人に力を貸してくれるのかしら」


「あ、俺が魔眼を使えるのは別の理由なんだよ」


「別?」


「ロス公爵邸の敷地内に、チェルダロ様の祠があったんだ。壊されていなければ今もあるかもしれない。ロス家の者は自分の生まれた日、『誕生日』をその祠で迎えて神チェルダロに感謝の祈りを奉げる決まりがあったんだ」


「へえ、そういう『しきたり』が残ってるところはさすが伝統的な公爵家って感じがするね」


「俺が七歳の誕生日を迎えた日、チェルダロ様の眷属だって名乗るロダンって精霊に出会ったんだよね」


「精霊に!?シャーマン(精霊使い)が呼び出すウィンディーネ(水妖精)みたいな?」


「ううん、全身緑色で、頭もツルツルの、ゴブリンみたいな見た目。おかしいでしょ?でも邪悪な感じは全くなくて、不思議と怖くはなかったんだよ」


「ごめん、ちょっと想像つかないかも」


そうだと思う、ルシアンは笑いながら答える。


「で、そのロダンってやつが、『このままだと、お前は死ぬぞ。死にたくないか?』って聞いてきてさ。死にたくないですって答えたら『じゃあ』って俺の左目に魔眼を植え付けた感じかな。すっごい痛かったのは覚えてる」


「七歳、そんなに小さい頃から魔眼持ちだったんだ」


「そう、前に話した通り自分の死の危険につながるものは赤く光って見えるようになった。淡い赤から血みたいに深紅の赤までね。魔眼の力を得て、祠から屋敷に戻ったら屋敷中が赤く光ってた。怖くてしばらく家に入れなかった」


「それは何で?」


「その三日後に、ロス家がノヴァク公爵軍に襲撃されて、屋敷が焼け落ちたからだと思うよ。たぶんこの場所に居続けたら死ぬぞってのを見せてくれてたんだと思う」


「辛くて…怖かったよね」


その問いにはルシアンは答えずに静かに笑った。


「ロダンは、17歳まで生きていたら、神チェルダロからの神託があるから、またこの祠に来いって言ってたような気もするんだけど、まだあるのかな?あの祠」


「いまはノヴァク公爵が治める『飛び地』よね、今度私たちが行く未開拓領域『ノクスラント』に接してるから、多分その『旧ロス領』に拠点を構えることになると思う……もし何か分かったら教えるね」


無理はしないでね、とルシアンが笑う。


「聞いていい?何でロス家はノヴァク公爵家に襲われたの?あと、公爵家同士の戦いになんで王家や他の公爵家が止めなかったの?」


「分からない。ゲイル…うちの団長は知ってるかもしれないけど、詳しくは教えてくれない。たぶん、俺のためだと思うから詳しく聞けなくてさ」


「ルシアンのため?」


「俺の出自は、団長たち以外、多分誰も知らないんだ。ロス家は全員死んだことになってるから。生きていることが知られると誰がどう思うか分からない。とくにノヴァク公爵家とか目ざわりだと思う。だから秘密にしておいてくれると嬉しいかな」


「うん、絶対言わない。自分の剣に誓って」


そういって真っすぐにルシアンを見つめるクレアが、確かに、一瞬、緋色に光って見えた。

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